ダンジョンマスター、楽じゃない
俺は大きく息を吸い込んで、叫んだ。
「コボルト・ワーカーズ!」
「ワオンッ!!!」
俺の周りにいるコボルトたちが、応と吠える。少年ほどの背丈の、直立した犬。手の形は人と同じ。地球にはいない、物語の世界の怪物。それが俺の配下で、家族。
俺のダンジョンは一本道しかない。幅も広くなく、俺の左右に一匹ずつ控えるのが精一杯。侵入者を迎え撃つには心もとないが、しょうがない。
ギャウギャウと、目の前の闇から声が聞こえる。いよいよだ。足に震えが走る。腹に力を籠める。大きく息を吸い込む。左右のコボルトが、手に持った石を振りかぶる。俺も続く。
そして再度、吠える。
「ファイヤーーーーー!」
「ワンッ!」
石三つ。速度の違いはあれど前方向けて投げ込まれる。暗闇の中、白黒の視界の先にいる敵めがけて。コボルトたちの投石は、正直弱い。当たっても、痛い、で済んでしまう程度。だが、俺のそれは真逆。
「ゲッ!?」
顔面に直撃した敵、ゴブリンの頭が砕け散る。我ながら、信じられない威力。野球の経験が学生時代の授業のみ。少年野球チームすら入ったことのないのに、この精度。ろくに練習していないのに、狙ったところにピタリと入った。何とも言えないものが脳裏をよぎったが、今は戦闘中。集中する。
後ろに控えたコボルトから新しい石をもらって、再び投石。別のゴブリンの頭も爆散する。侵入してきたゴブリンは多い。投石の連打でひるんでくれれば幸いなのだが、望み通りにはいかないようだ。倒れたゴブリンを踏み越えて、ギャウギャウわめきながら次が進んでくる。
ゴブリンの体格は、コボルトたちとほぼ同じ。違いは武装だ。こっちは石とシャベルとつるはし。防具なし。相手は剣に槍。盾持ちもいるし、鎧らしきものを身に着けたものまで。
洞窟暮らしと、略奪者の差。そして、実力、気質の差。コボルトは、群れを大事にする。仲間が倒れたら悲しむ。ゴブリンは、群れを利用する。隣の同族を仲間などと思っていない。倒れたら自分じゃなくてラッキー、と思うと聞いている。
ゆえに、モンスター最弱はコボルト。群れていても一匹二匹倒れるだけで戦意喪失してしまう。いくら俺がまともな人とはかけ離れていても、後から後からやってくるゴブリンをどうにかできるとは思えない。
なので、何としてもコボルトに犠牲が出ないように戦うしかない。何より、かわいいこいつ等を犠牲にするなんてとんでもない!
「一時後退!」
「ワンッ!」
ゴブリンとの距離が狭まってきたところで、戦線を下げる。全力で走る。頑張って整えたとはいえ、天然の洞窟だ。石が転がっているし、凸凹もある。足を取られないように走るのは神経を使った。コボルトの一匹が転ぶも、四足歩行に切り替えてそのまま走った。
正直驚く。そんなことできるなんて知らなかった。
「ギャッギャ、ゲギャー!」
俺たちの後退をみて、ゴブリンたちが笑う。足を速めて、何匹かがすっころび後続のゴブリンに踏まれた。実によい。ほどなくして、第二防衛線と定めた場所に近づく。積み上げた石のバリケードと、コボルトたちが見えた。
「お早く! お早くー!」
ローブを着たコボルトが、手に持ったスタッフを振りつつせかしてくる。いわれなくてもわかってる!
「わんっ!」
走りながら、犬のように吠える。事前に決めた合図だ。バリケードのコボルトが頷き、手元にあったロープを引っ張った。きわめて単純な罠だ。俺たちが通り抜けた通路に、ぴんとロープが張られる。ゴブリンの足の位置だ。そこへ向けて、俺たちを追いかける勢いのままに突っ込めばどうなるか。
「ギャギャー!?」
先頭のゴブリンが転ぶ。後続も転ぶ。次々と転ぶ。その間に前線組はバリケード内に入り込む。出来ればこの機に反撃したい所だったが、ダメだった。
「ぜーっ、ぜーっ、ゴホッ! ぜーっ」
そのつもりだったのだが、息が切れた。畜生、強化じゃあ運動不足はどうにもならなかったか。バリケード組のコボルトたちが石を投げるが、大したダメージになっていない。団子になっていたゴブリンたちも、ぎゃいぎゃいわめきながらも立ち上がる。
後続のゴブリンたちも追いついて、戦列もどきを整えていく。互いに武器をぶつけない程度の距離を開ける、程度の配慮をする知恵があるらしい。同士討ちすればいいのに。
俺の息が調う頃には、バリケードの寸前まで迫っていた。
「ギャーッギャー!」
「怯むな! 突け、突けー!」
「わんっ! わんっ!」
臭い唾を吐き散らしながら、ゴブリンたちがやたらに武器を突き込んでくる。させまいと、ローブのコボルトの号令で同族たちがシャベルを突き返す。程度の低い攻防と、関係のない傍観者は笑うだろう。だが、俺を含めみな必死だ。
いかにバリケードがあるとはいえ、何度も繰り返せばけが人も出る。刺され、斬られたコボルトは下がらせ、新しい者を戦列に加える。こっちだってコボルトは三十匹。交代要員はまだまだいる。ただし、士気は目に見えて下がっていくが。鼻をぴすぴす鳴らして後列と交代する同族を見て、耳を倒すコボルトがちらほらと。
「ゴァァァァァァァァ!」
それに加えて、これである。のしりのしりと闇の中から現れたのは、人と同じ体格のゴブリン。いわゆるホブゴブリンというやつ。背丈が違う。筋肉が違う。握りしめた棍棒を一振りし、逃げ腰だったゴブリンを見せしめに殴殺する。
こいつらのボスに違いない。倒せばあちらの士気は瓦解するだろう。俺が全力で戦えば、負けることはない、と思うが。
「……おっかねぇ」
怖い。今までの攻防も、なけなしの勇気を振り絞っていたがさすがにこの純然たる殺意には怖気づく。今まで暴力とはほぼ無縁の人生を送ってきたのだ。そんな環境で育った人間が、いきなり殺し合いなどできるはずもない。もしできるやつがいるならば、そいつは生まれつきの異常者か、何かしらの洗脳を受けたに違いない。
だが、それでも、やるしかない。
「くぅーん……」
今のひと吠えで、コボルトたちの戦意が折れた。戦線が崩壊する。蹂躙される。こいつらが殺される。それはさせない。断じてさせない。今はこいつらが、こいつらだけが、俺の家族!
「ら、ああああああっ!」
勇気などない。恐怖は足を震わせる。それでも自分用のシャベルを振りかぶり、ホブゴブリンの頭に全力で叩き付ける!
甲高い金属音が響いた。手がしびれる。防がれた。両手で握りしめた棍棒で、ホブゴブリンが防いだ。ゴブリンのくせに!
「ゴァァッ!」
「ひぃっ!」
ぶん回された棍棒を、飛び跳ねて避ける。たたらを踏む。ホブゴブリンが追撃してくる。風を切って振り回される棍棒。無様に、全身から冷や汗流しながら逃げ回る。周囲のゴブリンたちが俺に武器を向けてくる。逃げる。避ける。ホブゴブリンの棍棒がフレンドリーファイア。ゴブリンをぶっ飛ばす。ヨシ! と油断したところに、棍棒が左腕をかすめた。
「痛ぅ!?」
皮膚が破れて血がにじむ。致命傷どころか重傷ですらないが、痛みが集中を途切れさせる。雑に振り回されたゴブリンの槍が、俺の足を打つ。もつれて、転ぶ。シャベルが手から離れる。まずい。
「ゲギャーッギャッギャ!」
ホブゴブリンが笑う。そのまま、踏みつけてくる。芋虫のように転がって必死で避ける。ゴブリンも笑う。コボルトが鳴く。目が回る。ああ、ああ!
「ワォーーーーーーーーーーーオオオオオン……」
そんな極致に、はっきりと遠吠えが聞こえた。合図だ。反撃だ!
「スライム・クリーナーズぅぅぅ!」
転がりながら、最後の力を振り絞って声を張り上げる。べちゃり、と音を立てて天井から緑色のスライムたちが落ちてきた。この時のために控えさせていた戦力その一。全部で三体。それぞれ、子供用プールぐらいの体積を持つそれらがゴブリンの足元にへばりつく。
「ギャギャギャ!?」
ゴブリンたちが慌てふためく。引きはがすべく、武器で突いたり叩いたりと抵抗するがスライムは物理的攻撃に耐性がある。火や魔法でも持ち出さない限り簡単にはやられない。
バリケードまで転がって、眩暈で吐き気がする。下すべき命令は後二つ。
「シルーーーーーーフッ!」
我がダンジョンの最大戦力を参戦させる。風の精霊。誰もがイメージする、妖精のような外見の乙女が、目の前に現れる。
風が吹く。渦を巻く。ゴブリンたちの周囲限定で、つむじ風が吹き荒れる。
最後の一手。
「コボルト・ワーカーズ!」
「ワ、ワオンッ!!!」
逃げ腰だったが、逃げてはいない。それで十分。
「ファイヤーーーーーー!」
開戦と同じ号令。ただし、今度投げるのは石ではない。砂だ。風に舞うほどの、砂。バリケードの裏に貯めこんでおいたそれを、コボルトたちがつむじ風へどんどん投げ込んでいく。するとどうなるか。
「ギャーーー!? ギャッギャ!?」
ゴブリンたちが両手で顔を隠す。目、鼻、口。どこに入っても激痛必死。むき出しの肌を砂が傷つける。とっさに体を守るために手を動かせば、今度は顔が犠牲になる。逃げ出したくても、足元のスライムが邪魔をする。スライムをはがそうとすれば、またダメージ。
砂嵐に、擦り下ろされる。ホブゴブリンとて例外ではない。結局ダメージを最低限に抑えるには、体を丸めて耐えるしかないというこの地獄。
シルフは強い。単体ならホブゴブリンをやすやす倒す。だがこの数を相手取ることはできない。体力魔力共に底をつく。
この数のゴブリンたちを、ダンジョン内で倒す。そのために、すべてのゴブリンをダンジョンの奥まで誘い込む必要があった。十分な砂を貯めこんだ、バリケードまで。
砂嵐作戦、大成功である。
眩暈が治まる。コボルトからつるはしを受け取って、立ち上がる。正直体全体が痛い。だが死ぬほどではないし、最後の仕上げが残っている。
「シルフ」
声をかけ、風を止めさせる。一歩歩くごとに、靴底が砂を踏んで嫌な音を立てる。疲れていた。心も限界だった。だから、早く終わらせることで頭がいっぱいだった。
なのでうずくまったホブゴブリンの頭につるはしを振り下ろすことも、特に抵抗感を覚えることなく実行できた。
「ギッ」
致命的命中。脳に穴をあけられては、生きてはいられない。引っこ抜く。数歩歩いて、別のゴブリンに振り下ろす。ちょっと狙いがずれて、首に入った。まあ、よし。
「……コボルト。止めを手伝え」
何が起きているか気づき始めたゴブリンたちがわめき始める。だが、砂嵐のダメージと足元のスライムで動きが取れない。
戦闘は終わった。あとは後始末だけ。シャベル、つるはし、石、ゴブリンから奪った武器。手に凶器をもって、コボルトたちが進む。
俺もまた、次を始末する。数が多い。そして、手を抜けばやられるのはこちら。慈悲をかけられるほど俺たちは強くない。
ともあれ、このようにして我がダンジョン最初の防衛戦は終わったのだった。
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「お疲れ様でした、主様」
「……ああ」
後始末を始めていたところ、背後より声をかけられた。ローブのコボルト。コボルト・シャーマン。コボルトたちのリーダー的存在であり、俺のほかに唯一このダンジョンで会話ができる相手だ。
「何とか、目論見は達成できましたな」
「できたは、できた。だが、ギリギリだ」
けが人多数。余力ほぼなし。コボルト・シャーマンの術は戦闘向けではないし、現状もう一度同じ戦力が突っ込んできたら打つ手がない。
「弱いなあ、俺ら」
「主はまだ始めたばかり。何事も初めはそのようなものです」
「シャーマンは含蓄深いことを言う」
はあ、とため息をつく。ゴブリンたちの死体は大体消えた。ダンジョンが食った、らしい。血や肉片、盛大にまき散らした砂などはスライムたちが這いずって体に取り込んでいる。しばらくすればきれいになるだろう。ダンジョンの掃除屋の名の通りだ。
コボルトたちは戦利品を運んでいる。粗末な武器防具ばかりだが、物不足の我がダンジョンでは貴重な戦略物資だ。少量ながら雑貨もあったらしく、鍋らしきものを嬉しそうに掲げて歩くコボルトもいた。
落ちていたシャベルを拾い上げ、杖のように地面を突いた。全身にまとわりつく疲労に押されるように、うめく。
「ダンジョンマスター、楽じゃない」
なんでこんなことになったのか。現実逃避するように、始まりの日を振り返った。