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作者: 哀原 暖鼠

もしかしたら私はずっと寝ているのかもしれない。



ガキにとって嫌いなものは多いが、俺の中に強く残っているのは名前と引越しだった。親が転勤族のせいで、小学2年生、4年生の時に引越しさせられた。初めての引越しの時は入学して1年と少し経ったころで、せっかく仲良くなった友達と離れ離れになるのが嫌で嫌でしかたなく、何度も大泣きしてただをこねたことを覚えている。そして、自らの名前、「桐生紫龍」。韻を踏んでいることはもちろん、抜本的に厨二過ぎる。何度両親を恨んだことか。しかし、奴らは至って普通の名前のつもりで名付けたということを知ったときはそのセンスに絶望したものだ。小学1年生のときは名前の異質さ故のいじめはない、みんな純粋だからね。その後、二度目の引越しまでは、2年生の後半からというギリギリ幼いころから付き合えただけあって、難はなかった。だからこそ二度目の引越しはより嫌で心苦しいものだった。


しかし、ひねくれて育つ要素満載だった俺がこうして普通の生活を送れているのは二度目の引越しが起因していることは事実だ。彼女との出会い。今の俺があるのは彼女のお陰だ。そう、「色織めぐみ」の。


前回の経験から諦めるしかないと理解していてもまた友達と離れなければならないという現実に不貞腐れたまま、引越し先の挨拶でお隣さん家を訪れたときがファーストコンタクト。第一印象は活発なやつ。なんの躊躇いもなく初めまして!と声を掛けてきたのだから。今となっては初対面の人に挨拶するのは当たり前だが、小学4年生で異性相手という思春期真っ只中で素直になれない自分から見るとキラキラと輝いていて対極の存在であった。


……自己紹介の時間は苦痛だ。自分の名前を伝えるとき、必ず相手の顔は綻びを見せる。その顔が俺を嘲笑しているようにしか思えない。

「あなたのお名前は?」

と彼女は容赦なくその質問を繰り出す。親の前で流石に無言を突き通せるほど強情な男でない俺にはほんの僅かな間を作ることが限界だ。

「…………桐生……紫龍。」

それだけだが、絞り出した俺を、苦痛でしかない名前を与えられた俺を誰か褒めてくれよ…


彼女の反応はいつもと違った。まるで雨上がりに雲の隙間から覗く金色の筋のようにキラキラとした表情のまま言った。

「あら、とても素敵なお名前ね!カッコイイし、音もすごい!私は色織めぐみ!よろしくね!」

「ありがと」

たった四文字をなんとか吐き出して彼女との邂逅は終わった。


精神的に痛いという考える方を個々が必ずしも持っているわけではない小学4年生という集団の中に一年も半分過ぎたころに痛々しい名前の人物が馴染むことはすんなりとはいかず、どうしても浮いていた。


隣に住む彼女が学校に馴染むため、夏休みの宿題を監視するためとの名目で夏休み中しつこく話しかけてきて、夏休みが終わる頃にやっと彼女だけであるが、自分の内側に詰まっているものを吐露することができ、彼女の言葉で考え方が一変し、少しずつであったがクラスの奴らと話し始めることが出来るようになったのだった。


さて、現実から目を背けずに思い出すとしよう。今日は幸いにもまだあたたかいが。夏の暑さが酷い日だった。緑が嫌というほど活力を見せつけてくる。その元気をくれてやって欲しい。


またか。引越しは色々と嫌なことがあるけど、お隣さんとの近所付き合いもそのうちの一つだと前回学んだ。親がなんかしてんのなら別にいい。けど、集合住宅、カッコつけた言い方で気を紛らわすならマンションってやつは家族のカタチが似ている。お陰で、挨拶の時に隣にタメの女子、しかも誰構わず五月蝿く話しかけ、お節介を焼くタイプがいることは確認済みだ。しかも親が事前に面倒を見ることを頼み、了承され、学校が夏休みに突入して暇を持て余しているというセットだ。親は小学4年生を馬鹿にしているのかとたまに叫びたくなる。この待ちが馬鹿げた妄想なら痛いだけで済むのになと、今か今かとチャイムが響くのを恐怖しながら部屋に籠る。


ピンポーン


どうやら馬鹿げた予想は的中したようだ。やれやれと、昨日見たハードボイルな映画の真似を心うちでしながら確認に向かう。もちろん、一応ほぼ初対面だから丁寧に対応するし、何より女子相手ということも加わって緊張でちょっと脳がバグってるかもしれない。

「はーい。どちら様ですか?」

「隣の色織です。おばさんから話を聞いてませんか?」

「すみません、聞いてません。」

どうやら、母は何か頼んでいたらしい。恐らく、独りで留守番させたくなかったのだろう。

「えっと、留守番のお供と夏休みの課題の監視を頼まれてるんだけど。共働きだからって。」

大方の予想は当たった。流石に無下には出来ないし、何よりここで知り合いを増やしておけば夏休み明けの転入で少し楽ができるだろう。

「わかりました。…ちょっと待ってて。」

敬語に自信がなく、変じゃなかったかと不安を覚えつつ玄関に向かう。ガチャっというやや重たい音とともに扉を押す。

「昨日ぶりだね!よろしく!」

「…よろしく。中へどうぞ。」

可愛い子なんだろうけど、顔を合わせてもグイグイくるコミュ力高めの人は苦手だ。一方、自分の応対は相変わらずつっけんどんだなと自嘲気味になる。リビングへと案内をすると、すぐに彼女は口を開いた。

「それじゃ、早速宿題を始めようか。君…えっとなんて呼べばいい?紫龍君?」

「なんでも。で、何?」

そんなにせっせと話をしなくてもいいんじゃないかと思いながら返す。

「おっけー!じゃ、紫龍君って呼ぶね!それでなんだけど、紫龍君って夏休みとかの宿題をギリギリでするタイプなんだって?こないだおばさんがウチに来た時聞いたよ。」

「別に終わればいいだろ。要は提出すればいいんだから問題ないはずだ。」

確かに始業式三日前からいつもしてるし、その間は遊べないけど、仕方ないしいつものことだ。

「うーん。確かにそうなんだけど、大変じゃない?おばさんが心配してたし、毎日コツコツした方が勉強になるよ?あと、私と仲良くなっとけば、転入するとき楽じゃない?」

考えてたメリットを言われたことに驚く。今のところ困ってないから勉強になるかはどうでもいいが。

「否定はしないけど、ギリギリまでダラダラしていたい。」

「なるほどね。じゃ、始めようか。ほぼ毎日お邪魔するから諦めてね。」

そういいながら彼女は笑う。あと、文脈に脈絡なくて、人の話を聞いてないんじゃないかとイラッとする。

「話聞いてた?」

「うん。でも、諦めて。あと、私が紫龍君と話してみたいし。」

諦めるしかないのかと暗い感情を持ちながら宿題と夏休み早々にご対面することになった。


それから、彼女は毎日のようにやって来た。それが嫌だったからいつもの宿題をするペースで彼女がいない間にさっさと終わらそうとした。宿題がなくなれば、彼女は来なくなるだろうと勝手に思っていた。が、現実はそこまで甘くなかった。宿題を早々に終えると、逆に彼女の方が苦戦していた。どうやら勉強は苦手らしい。特に国語。彼女曰く、登場人物の気持ちって何?情景描写から読み取るとか無理でしょってことらしい。仕方がないから色々と考え方の視点を提供してやった。まぁ、読書量に依存しがちってことは否めないけど。


そういう風に過ぎる夏休みの中頃辺りで彼女は一番触れて欲しくなかったことを聞いてきた。

「なんか、紫龍君のものって黒とか紫ばっかりだね。名前にも紫ってあるし、お部屋も黒い壁紙だね。」と。


親が古い価値観に囚われていた。青は男の子で赤は女の子でといった具合に。親の中では紫は男の子の色だったらしい。そのせいでこの名前になり、部屋の色調も黒や紫を主にしたようになった。違和感を感じ始めたのは小学2年生のころ、雨で体育が図工に変わったときで、「好きな色を作ろう!」という授業だった。絵の具を混ぜて好きな色を作り、塗ってみるというやつだ。真っ白な画用紙を汚したくないとふと思い、白ばかり塗っていた。先生が否定せずに受け入れてくれたのがその時の救いだったな。そして、自分の好きな色が白色だと知った。しかし、家に帰ると母親は

「あんた、なんで白色の画用紙に白色を塗るの?意味ないじゃない」

と言い、父親は

「面倒だったのか?それなら男の子らしい黒や青を塗ればいいんだぞ。」

とガハガハ笑いながら言った。これはこうあるべき、こうらしくあるべきという前時代的な思想の色が強い親に拒絶感を覚えたがそれに対して何かを言えるわけでもなく、独り部屋に籠った。真っ黒い雲から降る大粒の雨の音が心地よかった。


そんな過去に彼女は触れてきた。思わず顔を顰めるのが自分で分かる。余程酷かったのか、彼女は心配そうにこちらを見ている。

「なんか、タブーだった?それとも、言い方が変だったら」

彼女は悪くないが、その話題についてすぐには話せそうにない。

「ちょっとね。まぁ、タブーに近いものかな。」言葉濁し逃げようとした。

「じゃ、聞かないでおくよ。でも、もし話したくなったらいつでも言ってね。」

その日はその後すぐに彼女は帰っていった。自分の中で親の固まった考えに流されている自分をやっと知覚した。そして、そのせいでもやもやとした親への不信感があったのかもしれないと思い始めた。どうすればいいとすぐには答えが分かるわけじゃないと妙に落ち着いて俯瞰的に考えられるのは彼女のお陰かなっと、自然に笑みが零れた。



彼女に打ち明ける前の言いようのない軽やかさが思い出され、微笑みを浮かべながら視線をやる。以前変わらないままだ。



次の日、彼女はまたやってきた。昨夜、考えを巡らせた結果、話してみることにしたため、いつものように国語をメインに教えているとき強ばっていたのだろう。彼女はどうやら人の感情を機敏に察することができるらしい。

「昨日のこと?タブーについて話す?」

どう言い出そうか迷っていたが、彼女が口火を切ってくれたので助かった。それから、色について自分の思いと親の固定概念とそれによる不信感などを吐き出した。自分でも何故こんなにすらすらと言葉が出るのか不思議だったが、溢れる言葉の勢いは衰えることなく脈々と流れ出た。一通り喋ったあとに彼女はポツリと言った。

「どんな色でも12倍の量の白色を加えればほとんど白色になるよ。」

なんのことかさっぱり分からなかったが、程なくして、白画用紙に白色を塗り親に小言を言われたことについてだと分かった。

「なんのことか分かった見たいだね。そして、おじさんもおばさんも働いているでしょ?つまり共働き。でも、おじさんおばさんのその、古い価値観が強く根付いているなら、おばさんは専業主婦なはず。だから、一度真剣に話し合ってみたら?」

目からうろこだった。共働きしている人がやれ、黒色は男の子だなどというのはおかしい。もちろん、理不尽な考えをする人も世の中にはいる。でも、今は今度親と話そう。純粋にそう思えた。

「なるほど、ありがと。」

「あと、紫色は色合いによって男子女子のどちらの色にでもなるって考えがその時代の考えじゃないかな?紫は昔から高貴な色とされてきたから、男性も普通に身にまとっていたし、最近のランドセルなんか女子向けにペールパープルとかの色もあるし、それを男子が使っても違和感がないよ。実際、ウチのクラスにも淡いピンクのランドセルの男子いるし。」

「詳しいね。知らなかったよ。そっか、紫って結構自由なんだね。あと、ピンクのランドセルの男子がいるってすごいね。」

「紫龍君も紫が自由とか言ったけど、そもそも自由なんだよ。だから堅苦しく考えないで、好きなら好きって表現したらいいんだよ。」

なるほど確かに、親について固定概念がと言っていたが、自分自身もその考え方をしていたのか。なんだ、単純なことじゃないか。後は親と話してみるだけだ。

「もし、おじさんおばさんが紫龍君を否定するようなら、援護するからその時は呼んでね。」

「丁寧にありがと。お陰でまだ親と話してないのに、ずっともやもやしていのが嘘みたいにスッキリしたよ。」

灰色がかっていた空は青々と眩しく見えた。


その日の晩、父が早く帰宅したので、早速打ち明けることにした。

「父さん、母さん。ちょっといい?」

最近は親とあまり口を聞いてなかったからか、嬉しそうに答えてきた。もう、この時点で、親が俺を否定していたわけじゃないのだと気づいた。そして、ずっと悩んでいたこと、彼女に悩みを聞いて貰っていたこと、そして、何かを買う時に黒色や紫色をあまり選ばないで欲しいことをゆっくりと話した。

「そうだったのか。てっきり何も言わないから気に入っているのかと思っていた。すまない。」

父は笑いながらそう言いながらも、謝る時だけはちゃんとした声だった。

「そうねぇ。それにしても、めぐみちゃんは面白い子ね。私達も共働きして、専業主婦してないんだから、紫龍に好みを押し付けるのは良くないわね。」

母は俺が彼女を拒絶しておらず、良好な関係が築けているのに安心しながら納得したらしい。反応は恐らくこの上なくいいものだった。わだかまりが解けて、親子のつながりが濃くなった気がする。


そして、俺の身の回りは俺が好きな色を中心に構成されるようになった。親も自分のパーソナルスペースは好きな色で構成しているし。相変わらず部屋の壁紙は黒のままだが。


次の日、結果を彼女に伝えた。まるで自分のことのように喜び、満開の桜のような笑顔を浮かべる彼女に心打たれた。


そして、夏休みの間、毎日のように会っており、徐々に軟化していた彼女への他人行儀な態度は影を薄めた。結果として夏休み明けにクラスの人とも仲良くすることができた。段々と暗くなっていた小学3年生の時、クラス替えで馴染めないまま終わってしまった苦い過去が途切れホッとしている。



いつもとは言わないが、定期的に暖かく幼いような気がする。そんな時は毎回男の子が泣きながら何かを言おうとしている。ただ、言わんとしたときふっと消えてしまう。



白色を基調とした部屋の中で静かに電子音が響く。心の中では何度「ありがとう」と言ったことか。だが、まだあの時のお礼は伝えられていない。たった五文字が喉の奥に引っかかって出てこない。グッと握る左手が、涙が落ちる、キラリと光る。



今日はあなたの声が聞こえた。

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