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黒い冬に閉ざされた大陸

作者: 天塚海人

 その蒸気機関車は津波のように線路上の雪を掻き分け疾走していた。

 とある世界では除雪用のラッセル車と呼ばれる車体に近しいフォルム。分厚く線路を覆い隠す雪を意に介さないその様相はさながら奔る城。あるいは装甲列車と称した方が無難かもしれない。


 実際その列車の車体は装甲と称して差し支えない造りであり、機関室と炭水車を除いた全五両の上部には大口径の銃座が備え付けられている。

 兵器転用すら可能なその列車は、しかして逃げていた(・・・・・)


「急げ! もっと燃料入れて加速だ。このままじゃあこの列車が俺達の棺桶になるぞ」

「分かってますよっ。ああでも、クッソ。燃焼速度が鈍い。マズイですよ、このままじゃあ奴ら(・・)を振り切れないっ」

「無駄口叩く暇あったら手を動かせ。護衛達が積み込んだ弾丸吐きつくしたらもう足で勝負するしかねえ! とにかくありったけをブチこめッ」


 年若い投炭手が悲壮に駆られながらも必死にシャベルで燃料を火室に送るも、思うように温度が上がらない。質の良い燃料は殆ど本格的な冬備えに回されたばかりに、蒸気機関車に宛がわれたのは不純物が多い粗悪品ばかりだからだ。


 泣き言を漏らしながらも投炭手はマメが潰れている事にも構わず、血塗れの手を必死に動かす。上司の発破は冗談でも何でもない。いま此処で機関車を加速しきらなければ彼だけでなく、乗客全員外の“奴ら”に食い殺される。


 後部車両では乗組員が銃座で既に応戦しているも、“奴ら”は数発程度の鉛弾を受けようとも意にも介さない。それどころか痛みと血の匂いで興奮するばかりだ。


『車掌、第四車両の損害がデカい! 弾も尽きかけてる。このままいけば一般車両に被害が出るぞっ!』

「何とか踏ん張りやがれ! ……畜生め。とっくに“世界樹”の支配領域に入ってる筈だろうが。なんだって奴らが此処まで侵入してきてんだ!?」


 伝声菅から入った被害報告を聞き、上司は空を見上げる。

 物心ついた頃から空を遮る分厚い雪雲を縫うようにして広がるのは、大陸の中心部に聳える世界樹──その枝だ。大陸の約四割に枝を伸ばす領域は、“奴ら”が脚を踏み入れられない聖域のはずなのだ。実際にこの路線もつい数日前は穏やかな旅路を享受していたのだ。


 だというのに人々が信じて疑わなかった加護を嘲笑うかのようにして、この蒸気機関車は奴らの──“魔獣”の標的にされてしまった。

 どうして人間の居住域に魔獣が侵入できたのか。唯一絶対と思われていた安全神話が脆くも瓦解し、乗組員の誰もが迫り来る死に恐怖した。


『──衝撃来るぞッ、伏せろォ!』


 伝声菅から列車全域に切羽詰まった警告が飛ぶ。

 その直後。ドンッという横から殴りつけられた様な強烈な揺れが列車を襲う。片輪が僅かに浮き上がり反対側では火花が吹き上がる。不幸中の幸いか、衝撃とは逆の緩いカーブに差し掛かったタイミングだった為に脱線は免れた。

 ほんの一瞬安堵を覚えた上司は、次の瞬間飛び込んで来た光景に頭をぶん殴られた様な衝撃に襲われる。


 後方第四車両、一般人が乗り込んでいる客両に魔獣の一体が取り付いている。マズイ事に第四車両の射撃手が見当たらない。先の衝撃ではね飛ばされたか、あるいは既にあの魔獣の餌食になってしまったか。


「誰かいないのかっ。このままじゃ……っ!!?」


 伝声菅に怒鳴り散らす上司だが、再びの衝撃。先の一体に続いて数体の魔獣が列車に取り付いてきたのだと理解するより先に、先頭車両をも襲った衝撃にバランスを崩し上司は強く頭を打ってしまった。

 辛うじて失神を免れた若い投炭手はすぐさま上司に駆け寄り──窓の外のそれと眼が合ってしまった。


「……ぅっ」


 悲鳴を上げなかったのは上等といえよう。それとも恐怖で喉まで強張ってしまったか。


 凡そ、魔獣というのは真面な系統樹を経た生物とはかけ離れている。種類は決して多くは無く、列車に取り付いているのは最も一般的な魔獣だ。投炭手も幾度となく写真でその姿を焼き付け、いつでも邂逅する覚悟はあったはずだった。


 だが実物を眼の前にして、その覚悟はあっさりと砕け散る事になる。


 投炭手の倍ほどもある体躯を鋼より強固な体毛で覆いながら、大剣の如き爪を備える六本三対の脚は異様に細長く、関節が遥か頭上に位置している。口腔に乱立する牙の群れは咀嚼ではなく、串刺し刑を望むかのように規則性を失い、投炭手を(すが)めるのは一切の光を反射しない黄鉛色の眼球。


 ──喰われる。

 諦観でも、悲観でもない。ただ厳然たる事実だと投炭手の本能が数秒後の生存を絶望視した。

 諦められた彼はまだ幸せな部類だったかも知れない。


 戦う術を持たない客両の一般人は絶対的な捕食者を認識した途端、狂乱に陥った。

 叫び声を上げ押し合いへし合いながら、我先にと隣車両へと人々は逃げ惑う。人波に押し倒され老人は踏みつけにされ人知れず息絶え、親の手を離してしまった幼い子供も同じような末路を辿った。


 だが魔獣は各車両に次々と取り付いているのだ。元より狭い車内に逃げ場などない。


 魔獣の爪が車両の装甲に突き刺さり、不運にも乗客の何人かが貫かれる。夥しい血を滴らせる剛爪は装甲を缶詰のように容易く引き裂いていき、数分も経たないうちに客両は出来そこないの檻の様な有様になる。


 外気の猛烈な冷気を感じる間もなく、ある者は泣き叫び、ある者は外へ身を投げ出した。


 そして、同じようにして投炭手は呆然と頭から覆い被さる巨大な口腔を眺める。

 応戦していた乗組員だったもの(・・・・・)がこびり付いた牙の群れ。数瞬後には自分もああなると、今更のように五臓六腑が恐怖に竦んだその時だった。


「おああっ!」


 雄叫びを上げ人影が投炭手の前に割り込む。上司だ。

 シャベルを魔獣の口腔でつっかえ棒のように突き立て、身を挺して投炭手を庇う。だがそれも不完全。数本の牙が肩や腹に突き刺さり、シャベルも既に圧潰寸前だ。


「せんぱ──」

「こ、の愚図が! とっととあいつ等──仮面憑き(・・・・)を解放しやがれ。早くしろ急げッ」


 ハッと我に返った投炭手は飛付くように頭上の赤いレバーを引いた。途端、列車全体にけたたましい警報(ベル)が鳴り響く。


「ぐおっ……」

「先輩っ!?」


 シャベルが遂にひしゃげ、上司の身体を更に数本の牙が貫く。

 咄嗟に投炭手は自分のシャベルを突き立てようと駆けるも、一メートルにも満たない僅かな距離が途方もなく遠い。


 極限状態に追い込まれた脳が見せるスローモーションの世界で、投炭手の視界が夥しい血飛沫に塗り潰される。

 この世界で白以外の色が付くことがあるとすれば、それは赤以外に有り得ない。


 その光景を投炭手は一生忘れる事は無いだろう。

 瑞々しく、湯気を上げる鮮やかな血肉を撒き散らす魔獣の死に様(・・・・・・)を。


 一瞬だった。

 眼にも止まらない速度で飛来した何者かが魔獣の頭蓋をサーベルで貫いたかと思えば、次の瞬間には大小無数の肉片に解体したのだ。


 列車から剥がれ落ちる魔獣の死体が遥か後方へ消えていく。

 命を救われた。

 そのはずなのに、投炭手はその実感が持てずにいた。

 負傷した上司を庇う様に、半壊した壁に立つ救い主──“仮面憑き”から距離を取った。


『無事なようだな。結構』

「──っ」


 恐れるような投炭手の反応を意に介さず、仮面憑きはサーベルに付着した血糊を払う。


 異様な出で立ちだ。

 此処よりはるか南東の辺境に特有の漆黒を基調にした民族衣装に加え、何より異様なのは頭部を覆い隠す仮面。眼の前の男は捻じ曲がった角を持つ山羊の頭蓋を加工した仮面で素顔を隠している。面には金や羽飾りといった装飾品で彩られるも、眼窩から覗く紅玉の如き赤き双眸が否応になく恐怖を掻き立てる。


『次からはもっと早く俺達を使う事だ。余計な死人が出たぞ』


 そう言い残すが早いや、仮面憑きは壁を蹴って後方へ飛んでいった。

 見ればあれだけ列車に取り付いていた魔獣の殆どが、既に他の仮面憑きに解体され、遥か後方に赤いシミを作っている。

 投炭手の同僚らが何丁もの機関銃を用いようとも敵わなかった魔獣たちを、武骨な剣や槍でアッサリと。


 “仮面憑き”。そう称される魔獣狩りのエキスパートであり、同時にこの大陸で最も罪深き咎人達。

 人間を遥かに凌ぐ絶大な身体能力とこの大陸に蔓延る【病】の克服と引き換えに、寿命の半分以上を差し出した。


 彼等は、禁忌とされる魔獣の肉を喰った者たちだ。


   ✝   ✝   ✝


 数分を跨がずして魔獣たちはたった三人の仮面憑きによって退けられた。

 列車に取り付いた魔獣は瞬く間に解体され、並走していた魔獣たちも程なくして雪原の向うへと去って行った。

 少なからず犠牲者は出てしまったものの、全滅が危ぶまれた一時を振り返れば奇跡的な結果といっても過言ではない。


 それでも危機が去った訳ではなかった。

 列車が尻上がりに加速していく間、乗客は引き裂かれた客両から比較的無事な前方一、二両目の貨物車両へと避難していく。かなり手狭にはなるが極寒の風雪を耐え忍ぶ事は避けられる。


 九死に一生を得た彼等だが、誰一人として仮面憑きに感謝を述べるものはいなかった。単に心に余裕がないというのもあるかも知れない。

 一方で多くの乗客が浮かべるのは明確な忌避と嫌悪。あるいはそれは魔獣に向けられたものと地続きのもの。


 亜音速に迫る弾丸でようやく傷を付けられる魔獣の強靭な肉体を、脆弱な人間の筋力で解体する事が不可能なのは議論するまでもない。

 生身で魔獣に対抗しうるのは、同類に他ならず。乗客からすれば容易く魔獣を屠る仮面憑きを魔獣と同じく恐れるのは当然の帰結かも知れない。


 皆一様に仮面憑きから視線を逸らし、不自然なまでに口を閉ざして貨物車へ避難していく。


「──」


 ふと、屋根の上で見張りを続けていた山羊頭の仮面憑きが何かに気付いた様に空を見上げる。そこには重く空から垂れ込む雪雲がしんしんと雪を吐き出し続けるいつもの光景。

 ──否。


『今すぐ貨物車へ乗り込めッ。急げ!』


 山羊頭から余裕が削がれた警告が飛ぶ。事態を一早く察した他二人の仮面憑きが武器を構えると、僅かに遅れてそれは空から舞い降りる。

 唐突に空が陰り、当たりが闇に呑まれ始める。


 此処に来て乗客たちも先の警告の意味に理解が及ぶ。この常冬の世界において昼間に訪れる夜は魔獣よりも恐ろしい厄災の前触れ。

 やがて降り頻る純白の雪を呑み込むようにして、黒雲から黒い靄が降りて来る。


「黒雪だっ!!」


 誰かの悲鳴を皮切りに、乗客は我先にと貨物車へ殺到する。

 あの霧状に落ちて来る“黒雪”が運ぶのは凍てつく冷気だけではない。僅かでも体内に侵入すれば、身体を内側からボロ屑のように壊死させる疫病を引き起こす。


 大気中に含まれる極微量であればワクチンで治療が可能だが、数分も黒雪が降りしきる中にいればまず間違いなく命は無い。


 そして黒雪が運ぶのは、病だけではない。


「来るぞ、お前たちッ」


 仮面憑きたちが臨戦態勢に入った正にその瞬間だった。

 長い遠雷の様な咆哮が響きかせ、列車の遥か横手で雪原から巨影が飛び出した。それが先程の魔獣の数倍に巨躯を誇る生物である事を乗客全員が認識した途端、人々の混乱は極致に達した。


 一刻も早く貨物両に避難したいが、入口は狭く一度に入れる人数には限りがある。思うように避難が進まず、恐怖と焦燥で人々は余計にもつれ合う。


『巨獣!? 奴らまで侵入して来てるのかっ』

『世界樹の支配領域下といっても、境界域からさほど離れてはいない』

『だが先の魔獣共でも十二分に異例だ。たまたま居合わせたに過ぎない今の我々では些か手に余る』


 対照的に仮面憑き達は冷静に状況分析を重ねる。彼等が手にしている武器はやや大振りではあるが剣や斧といった前時代的な武器のみ。乗組員が遺していった重火器は一部を除いて乗客に持たせた。


 15メートルは優に超える巨獣の咆哮は黒雪の到来を歓喜するように天に高く伸び、それに呼応した魔獣たちが結集してくる。


 非常に不味い状況だ。

 既に列車は黒雪を被り始めている。あと一分もしない内に列車は本格的に黒雪に呑まれ、巨獣たちも再びこちらに標的を定めている。そしてどちらも乗客の批難が完了するまで律儀に待つはずもない。


 ──オオオォォォォォ。


 全身の骨を震わせる巨獣と魔獣たちの咆哮と、進軍による地鳴り。黒雪の向うで強い光を放つ赤眼(レッド)の数々が、雪煙を巻き上げ疾走する。


 魔獣たちが黒雪に侵される事は無い。寧ろその逆。彼等は一定量の黒雪を取り込むことで一時的にその能力を撥ね上げる。あの状態の魔獣たちを相手取るのは仮面憑きといえど困難を極める。


『車掌。後部車両を切り離すぞ。苦情は聞かない』

「何だと!? テメエ俺の息子同然の──」


 伝声菅に向かって一方的に作戦を告げた山羊頭の仮面憑きは、虫食い状態の屋根を素早く駆け抜け連結部に飛びつく。牽引する車両が減れば列車の速度も上がる筈だ。

 仲間の一人は多少の負傷を承知で乗客たちを速度重視の力技で貨物両へと文字通り放り込み、もう一人は切り離す車両に爆薬を仕掛ける。


『よし、いいぞ。切り離せ!』


 合図を受け山羊頭は連結を解除する。切り離しは一度に行わない。多少でも魔獣たちを巻き込む狙いだ。


 目論み通り最初に切り離した客両は巨獣の右足に衝突し、仲間の火矢が狙い過たず爆薬を射抜く。

 爆風が撒き散らす車両の破片が当たりの魔獣に襲い掛かるが、巨獣の進行を止めるには至らない。傷が浅すぎる。


 だが列車の速度は明らかに増した。あと一客両を捨てれば何とか引き離せるかも知れない。


『詰め込みはまだか!?』


 既に視界の殆どが黒雪で効かない。黒雪を吸い込んでしまい、もがき苦しむ者も出てきた。急がなくては。


 それでも不運とは畳み掛けるものだ。

 列車に追い縋る巨獣の喉元が一瞬不自然に萎む瞬間を捉え、鍛え抜かれた山羊頭の感覚が最大級の警報を鳴らす。


 山羊頭と同じく危機を察知した仲間の一人が、装甲の一部を剥ぎ取り飛び出したその瞬間。

 巨獣の顎が大きく開き──口内から高圧圧縮された雪、高圧水流の刃が列車を襲う。


「かっ……」


 刹那にも満たない時間拮抗した装甲は、次の瞬間には仲間の身体ごと消し飛ばされた。

 即死だ。それでも身を挺した決死の行動は高圧水流の刃をほんの僅かに逸らした。横薙ぎに列車を直撃する筈だった高圧水流は客両の半ばを斬り裂くに留まり、辛くも乗客に被害はない。


 しかし車体を半分失った客両が激しく地面を擦る。投げ出されかけた乗客を山羊頭と仲間が何とか掴み取るも、このままでは最悪列車そのものが脱線する。

 いや、それ以前にもう一度アレが来れば今度こそ一貫の終わりだ。先の一撃で仕掛けた爆薬も残らず吹き飛んだ。


 大きく減速してしまった事で魔獣たちも追い付きつつある。


(早く切り離さないと。だがどうやって……!?)


 山羊頭も仲間も乗客を支えている為に身動きが取れず、とてもではないが客両の切り離しなど出来ない。乗客に自力で上がって貰うにも、黒雪の影響でもう殆どの者が意識がない。

 その時仮面憑きの耳がゴオォォという轟音を確かに捉えた。捉えてしまった。


 降りしきる黒雪、そして積雪が一体の巨影に吸い込まれていく悪夢のような光景。来る、あの高圧水流の槍がもう一度。

 奴らからすればこの程度の視界不良は障害にすらならない。決断するなら、今だ。今何か手を打たなければ全滅だ。


 一かバチか。山羊頭は乗客を仲間に押し付け飛び出そうとした時だった。


「──娘と女房を頼んだぜ。オルク(・・・)よ」


 後は託した、と遺言となった仲間の言葉を耳にすると同時に、山羊頭は凄まじい力によって乗客ごと上空へと放り投げられた。


 天地が引っ繰り返った視界で、彼は眼にした。


 半壊した客両と貨物両を繋ぐ連結部から、ギャリンという切断音と火花が迸り、客両が切り離された。

 質量爆弾となる客両と共に黒雪の向うへ消えていく仲間の背中。


 その光景を断ち切る様に羊頭は一度だけキツク瞼を閉じると、空中で巧みにロープを操り乗客たちを引き寄せる。

 列車の屋根に着地した山羊頭はすかさず前方へ奔り、機関室へと乗客を放り込んだ。


「何を──」

「伏せろっ!」


 投炭手の驚嘆を断ち切る様に山羊頭は叱声を飛ばす。


 直後、轟音と野太い悲鳴と共に後方でバランスを崩した巨影から一条の光が奔る。

 黒の帳を引き裂いた高圧水流の槍は列車上部を超高速で擦過し、煙突の一部を消し飛ばし、山羊頭の仮面を掠めた。


 列車が大きく揺れる。

 だがその列車を脅かしたのは、この衝撃が最後だった。

 枷を外れた列車はグンと加速し始め、魔獣を引き離していった。


「……」


 山羊頭は油断なく後方を睨む中、高圧水流で罅割れた仮面が崩れ、隠れていた素顔が露わになる。

 ひっそりと様子を伺っていた投炭手は、まだ幼さが残るその横顔に驚愕を露わにするも上司に窓際から引き剥がされた。


 やがて黒雪も収まり、遥か彼方に聳える世界樹の影が見え始め人々は漸く安堵を覚える。

 屋根上の一人を除いて。


   ✝   ✝   ✝


 もう長い年月。その大陸は冬に幽閉されていた。

 悠久の冬が齎したのは極寒のみならず、黒い雪と共に疫病を振り撒いた。

 その疫病は身体を内側からボロ屑のように崩し、反して世界樹によって退けられた魔獣を祝福した。


 初期段階に限り特効薬による治療が可能であったが、大陸は広大であり、配給される量にも限りがある。

 ましてや遥か昔。世界樹の創生に際して王政の統治下に入る事を嫌い、辺境へ追いやられた少数民族になど行き渡る筈もなく。


 長らく上納金を納めていなかった辺境の人々が薬を手にするには、大金と引き換えにする他なく。細々と暮らしてきた彼等に蓄えなど皆無に等しかった。


 魔獣の肉を口にしたのは、追い詰められた結果だった。

 村の中から“仮面憑き”と揶揄される事になる男性を選出し、寿命と引き換えに疫病すら退ける強大な肉体と力をその身に宿す。


 大陸が冬に閉ざされようとも、狩猟生活を送ってきた辺境の彼等の戦闘能力は元々一般人のそれとは比較にならず。魔獣の力を得た“仮面憑き”は重火器で武装した兵士でさえ手こずる魔獣を容易く退けた。


 近年、世界樹の支配領域に侵攻を始めた魔獣たちの討伐を“仮面憑き”は高額な報奨金と引き換えに請け負った。稼いだ金は当然薬に当てられ、女子供を優先的に生かし続けた。

 切り詰めた寿命を全うする事無く、戦いの最中に命を落とす仮面憑きも少なくない。


 戦える者は、例え成人を迎えずとも戦う。

 山羊頭の仮面憑き──オルクもまたその一人。


「今回の報酬だ。受け取れ」

 鉄道組合の詰め所で車掌が叩き付ける様に差し出した麻袋を、オルクは軽く重さを確かめてから懐に仕舞った。

 包帯まみれの車掌は手痛い臨時出費に酷く腹を立てており、金を払うとオルクを詰所から追い出した。


「……」


 いつものことである。


 この大陸では皆今日を生きる事に必死であり、誰もが爪に火を点す様に生きている。そんな中で魔獣や巨獣の侵攻が活発になり、オルク達“仮面憑き”の重要性は増す一方だ。

 魔獣の襲撃がある度に大金を毟り取られる彼等からすればたまったものではない。


 しかしながら王政は辺境の民を今更国民と認めず、オルク達は薬代を稼ぐ為にやはりこの仕事に就くしかないのだ。


 ──仲間の命を、切り売りしながら。


 明日は我が身かも知れない。

 託された仲間の家族がある。同じ釜の飯を食べた幼馴染がいる。守り抜けと遺された姉弟がいる。


 ならば恨まれようとも、憎まれようとも一つでも多くの薬をオルク達は故郷に届けなければならない。


 この長い、永い冬が明けるその時まで。


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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちわ 以前小説の書き方についてコメントをいただいた者です。 久しぶりに来て、新しく投稿されていたので読ませていただきました。 臨場感の伝わる文章が言葉の使い方がとても参考になりました。…
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