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不良少女を矯正せよ!  作者: 雨音ゆずる
2/18

2 面倒見上手な花玲先輩

「宮坂、一緒に演劇をしよう!」

「うっさい‼やんないって言ったでしょ!何回聞くつもりなのよ!」

「宮坂が参加してくれるまで」

「うざい、超うざい!」

大して変わらない会話が、今日も大して変わらない放課後の旧校舎で上演する。

この一周間、俺はずっと奈名の説得を勤しんでいた。

最初はこっちを見てげらげら笑っていたヤンキーたちは、一週も経ったらもうすっかり慣れていて、一目もくれなくなった。なんか妙に寂しい。

しかし、どれだけ飴(自販機のカル○ス)と鞭(やる度胸がないから辞めた)を使って、口が酸っぱくなるほど頼んでも、奈名は頷いてくれなかった。

今日の奈名も相変わらず体を教室の壁にもたれ、一本のタバコを口に銜えている。

「大体さ、何であたしが参加しなきゃなんないのよ?」

「お前の演出を期待してる人がいるって」

「誰が?」

「俺が」

「……」

「すみません冗談です。行かないでください」

実際俺は期待しているけど。ちょっと傷つくわ。

「屋上の時はオーケーって言ったじゃねえか?」

「やっぱ無理って思った」

「何で?」

「……子供が苦手だ」

それは確かに問題だな。

「でも、縷紅草の子供たちは——」

「……!」

縷紅草を言及した瞬間、奈名は明らかに動揺した。やはりこの話はまずいか。

「いや、その……」

「ねえ、宮坂〜」

半開きした扉の方からの呼び声が、俺の言葉を遮った。

そこには、見覚えのある二人の少女が立っている。

少し化粧が濃く、髪の長い少女と、口を開くと、尖った八重歯が出てくる短髪の少女。

よく旧校舎に顔を出す不良少女であり、不良の中でも数少なく、奈名と繋がりがある二人組だ。

奈名を呼んだ八重歯の少女は特に何も言わなかったが、奈名は彼女たちの来意を察しているらしく、足先の方向を扉へ向かう。

「ま、待って、宮坂!」

「……諦めなさい」

俺の叫喚に、奈名は止まらずに、冷たい声だけを響かせる。

「演劇のことも……友達になることも」

それ以上俺に構ってくれずに、奈名は二人組と一緒に旧校舎を後にした。

あの二人、奈名とはどういう仲だろう。自らやって来た貴琉とは明らかに違うけど……まぁいいや、考えても、分からないことは分からない。

俺はすでに奈名の姿がいない扉を見て、軽く息が漏れる。

「……今日も失敗か」

仕方ない、帰りにスーパーで晩飯の食材でも買いに行こうか。もう家に買い置きした物がないし。

「あの子は頑固だよ」

後ろから聞こえた声に、俺は振り返った。すると、思わず息をのんだ。

うなじの半ばまで伸びた髪を、奈名と同じ金色にカラーしていた。

薄いメイクをした素材の良い顔に、どこが艶めかしく見える。目が合っただけで、深く眼底に残る印象的な美貌。それに、どこかで見たことがある気がする。

「あなたは……」

「姉貴!来たんすか!」

元気ありすぎる呼び掛けが俺の言葉を覆い隠した。お前声デカいな。

それを筆頭に、さっきまで無関心だった不良たちが、男女関わらずこちらに集って来る。正確に言えば、金髪の少女のところに。

「おざます‼姉貴!」

いや、もう放課後だし、バイトに入るときの挨拶じゃあるまいし。

()(れい)の姉貴!」

花玲……その名前、確か……あ。

「……井関(いせき)()(れい)

記憶の隅っこから浮かび上がた名前を口にしたら、少女はそれを聞き逃さずに、口元が三日月のような笑みを見せた。

「場所をかえよう」

言いながら歩き出す少女の背中を、俺は一拍遅れて追かけた。

「すごい人気ですね……えっと」

もう一度頭の中で名前を確認して口を開く。

「井関先輩」

「どうやら、君は私のこと知ってるね」

「この学校で、先輩のことを知らない方が少ないと思いますけど」

井関花玲という名前は、我が校の生徒なら、誰でも一度くらいは聞いたことがあるはずだ。

彼女は二年生でありながらも、この学校の不良たちの中では、リーダー的な存在だと、学校中で知らされている。噂にすれば、この学校で彼女に逆らえる不良は一人もいない。それほど畏敬のある人だ。

それに、俺が花玲を知っている理由は、もう一つある。

「ひひっ、そうかな」

嬉しそうに笑って、花玲は足が止まった。着いたのは、旧校舎から少し離れている小さな空地。校舎の中と比べれば、静かじゃ静かけど……

ズバリ、くさい。その原因は、空地にある古い池。

旧校舎の廃棄と共に不要となったこの池は、濁った水の中は、今となっては藻ぐらいしか生えていない。その上に、タバコの吸い殻やゴミが捨てられていたので、色んな物が混ざった匂いがこの辺りに漂っている。

「井関先輩……え⁉」

池から視線を戻したら、俺はつい驚愕で声を上げた。

くっつきそうになるほど、花玲は俺との距離を縮めた。

女性としてはかなり高い身長がある花玲なので、その潤んだ瞳が、やけに近く、やけに色っぽく見える。

ネクタイもベストもないブラウス姿。上から三つ目までボタンが開いていて、グラマーな彼女の胸元は深い谷間が形成されていた。こんな至近の距離になると、なおさら目のやり場に困るのだ。

「ちょ、あの……先輩?」            

「成良くん」

「はい……」

花玲に呼ばれて、俺は反射的に返事したが、すぐに疑問を思った。

どうしてこの人が俺の名前を知っているのだろう?

「君、最近あの子の傍でうろついてるよね?」

「え?」

期待に反して、耳に届いたのは、どこか不満を含んだ声。いや、何も変な期待をしていなかったけど。本当だよ、本当。

「あの子って……うわっ⁉」

急に声を上げたのは、胸を強く押されたからだ。

反応することも出来ずに、俺はそのまま池に突き落とされた。

「おい、何⁉……臭っ!」

決して深いわけでもない水深だが、仰臥させられた俺が浸かるには十分だ。

俺は慌てて腕で上半身を起こして、目の前にいる犯人を睨む。

花玲はそこに立っていて、まるで何もなかったみたいに笑っている。

今の俺の体勢からは、丈を短くされたスカートがおいたの秋風の中で舞い、中に隠されたの布がチラッと見える。大人っぽい黒……いや、今はこういう事を考える場合じゃない。

「何すんだ⁉」

「これは罰よ、ひひっ」

「は?」

「本来なら沸いてるお湯の中に突き落すつもりだったけど、今回はこれで許すわ」

「殺す気か⁉」

「生きたまま煮るのが一番いいのに……」

「俺は海鮮かよ⁉」

新鮮な俺なんて誰も食べたがらないよ。新鮮な労働力なら会社は喜ぶだろうが。

「そんで、どうして俺にこんなことを?」

怒り半分で花玲を問い詰めた。さすがにこんなことをされたら、ヘラヘラ笑って受け入れるわけにはいかない。

「先も言ったでしょ?成良くんがあの子の傍でうろついてるから」

「全然理由になってません。ってか、どうして俺の名前を知ってるんですか?」

「あの子に関して、私の知らないことはないよ」

何故か自慢たらしげに、花玲は胸を張って答えた。だから目のやり場に困るって。

「あの子って、宮坂のことですよね」

確信があるのは、自分の行いに自覚があるとか、そういうわけではない。いや、それもあるかもしれないけど。

俺が花玲を知っている理由は、もう一つある。

奈名と花玲が旧校舎で会話を交わしたところを、何度も目撃したからだ。

実際に二人がどんな間柄まではわからないが、見る限り、花玲は奈名を気に入っているらしい。

「どうして、こうなっちゃうんだろう……」

ふてくされているようにに口を尖らせているその反応が、間接的に俺の推測を証明した。

「あたしが、先だった……先だったんだ」

やめて、まだホワイトアルバムの季節がやって来ていないぞ。

それに、いくらふてくされる顔が可愛くても、俺を突き落としていい理由にはならない。

「あのですな……」

「ほら」

「ん?あ……」

今度は、手を伸ばして、俺を引っ張り上げてくれるらしい。

俺を突き落としたり引っ張ったり、一体どういつもりだ?

とりあえず、やることはひどいが、そんな悪意を持った感じはしない。

複雑な心境を抱きながら、俺は花玲の手を掴んで空地に戻った。

寒い……こんな天気にびしょ濡れの制服はやばい。

「ちょっと離れてくれない?成良くん。臭いよ」

「誰のせいだと思ってんだ⁉」

「冗談よ、ひひっ」

花玲はいたずらっぽい笑顔で、俺の雄叫びを笑い飛ばした。何でだろう?この人を相手にしたら、どうも怒ることができなくなる。

そう言えば、一応お互い相手のことを知っているが、きちんとした自己紹介はまだだな。

「……とりあえず、改めて、俺は佐上成良と言います」

「私は井関花玲。よろしくね、成良くん」

「よろしくお願いします、井関先輩」

「花玲でいいよ。私も成良くんって呼んでるから」

「じゃあ、花玲先輩」

「ひひっ」

呼ばれるのが嬉しいのか、花玲はくすっと笑みがこぼれた。

この人はよく笑うよなあと、橙色になって沈んでいく夕陽を眺めながら俺は思う。

「さて、そろそろ本題に入りましょう」

「池に突き落とすために俺を呼んだじゃなかったんですか?」

「それもあるけどね、ひひっ」

「……そんで、本題は?」

「成良くん、あの子を好きでしょ?」

「そこまで知ってるってことは……やはり俺のことは調べ済みですか?」

「いえ、普通に先週の告白を見ただけ」

「あ、なるほど」

「成良くんは面白いね」

「ユーモアのある男を目指してるんで」

「ひひっ」

与太話の終わりを示すように、花玲はスカートのポケットから、文庫本より少し小さいメモ帳を取り出して俺に渡す。

「これを貸してあげる。きっと役に立つわ」

「……?」

わけがわからないが、とりあえず、危険物にも見えないので、受け取っておこう。

ノートページを捲ると、奈名に関するメモ帳だと分かった。

それは、身長、体重、好きな食べ物、使っているシャンプーのブランド、さらにスリーサイズや下着の柄などと本人以外は知る由もないはずの個人情報だという意味だ。

恐らくプライバシーの侵害に関わるこのメモ帳は、半冊以上が黒い文字埋め尽くされている。

とりあえず、めっちゃ危険物に見えるので、閉じておこう。

見てはいけないものを見た気がする。

「……何ですか、これ」

「見れば分かるでしょ?あの子の情報ノートだよ」

「分かるわけねえだろう!どこの変態ノートだよ!」

「失礼だね、私はただ奈名のことを気になったから、後ろを付けたり、生活や経歴を調べたりしただけよ」

「今の話を警察にも言ってください」

「後輩思いの先輩だと思わない?」

「ストーカーの先輩だと思ってます」

これでは埒が明かない。パンドラの箱は開けないままが良いと思って、俺は花玲にメモ帳を返した。まぁ、一度は開けたけど。

「……俺はいいんです」

「いいの?成良くんこそこれを見るべきと思うけど」

いいや、良くないな。特にこのメモ帳の存在が一番良くないと思う。

キャラが崩壊しつつある花玲を見て、俺は少し心配になった。

「それなら、もう一つ特ダネ教えてあげる」

何かを決めたらしく、花玲はスマホを手に取って俺に見せる。

「LI○E交換して」

「え、あ、はい」

言われた通りにスマホをポケットから出そうとしたが、そこにあるはずのスマホが見つからないのだ。

「あれ?どこ行った?」

「違うよ、ひひっ」

俺の行動が可笑しいのか、花玲は笑いながら手の中のスマホを俺に持たせる。

「これが君のスマホだよ」

「え……え!?いつの間に?」

よく見たら、確かに俺のスマホだった。

「成良くんがドキッとした時にポケットから取った」

「泥棒かよ!」

恐らく、俺が花玲の急接近に意識を取られた時だろう。

「だって、スマホまで池に入っちゃったらやばいじゃん」

「……」

それはありがたいお気遣いだ。俺を池に突き落とすこと自体もやめてもらいたかったけど。

一体この人は優しいのか、優しくないのか、俺には良く分からないのだ。

「ほら、ロックを解除して」

「はい……」

パスワードを入力してロックを解除すると、また花玲は俺のスマホを奪った。

スマホが俺の手に返された時、すでにLI○Eの友達が一人追加された。

「ついでに私の番号も追加したから、掛けてみ」

スマホを操作して確認してみると、確かに連絡先に「井関花玲」という名前が映っている。

そのまま画面にある通話ボタンを押したら……

「花玲お姉ちゃん、電話だよ。花玲お姉ちゃん、電話だよ」

と、ユニークな着信音が花玲のスマホから流れた。それは奈名の声だった。

「うん、これで問題なし」

「大ありだよ!!」

「ちょっと、急に大声出さないでくれる?」

「いや、その着信音おかしいだろう!」

「着信音?あ……成良くんも欲しい?」

「は?俺はそんなもん…….」

さすがに変態すぎるだろう。大体、どうして奈名がそんな録音をしたんだよ。

そんな恥ずかしいもの、俺は……

「……ください」

俺ってアホだな……

「ひひっ、これは私だけのだから、あげない」

「へ……」

「ごめんね、でもちゃんと特ダネ教えてあげるから」

そう言って花玲がスマホをいじると、俺のスマホに新着メッセージが一通届いていた。無論、花玲からのだ。メッセージの内容は、記憶にないとある住所だ。

「これは……?」

「土曜にその住所に行ったら、いいもの見れるよ」

「もしかして、宮坂と関連してます?」

「ひひっ、行けば分かるよ」

「はあ……」

流れからしては、その可能性が高い。俺と奈名のことを手助けしてくれるだろうか。

しかし、俺が奈名に近づけることが、花玲にとっては望ましくない事態はずだ。実際に俺を池に突き落としたし。

「あの……どうして俺にこんな色々教えてくれるんですか?」

「……成良くんなら、あの子を変えるかもって思ってね」

初めて、俺は花玲の曇った表情を見た。

笑みが残っているその顔だが、どこが悲しみを感じるのは何故だろう。

「宮坂を変える?」

「あの子が不良になったのは、私が原因だと思う」

遠くにある何かを見つめるように、花玲は旧校舎を眺めている。

「自分で言うのは変だけど、私、結構ここの子たちに好かれてるよ」

「まぁ、そうでしょうな」

良い意味で人目を引くその外見、いつも余裕綽々に振る舞う神秘感。

出会ったばかりだが、花玲の魅力は十分に伝わっている。

なんとなく、さっき旧校舎での盛況が納得できる気がする。

「ひひっ、ありがとう」

俺の打った相槌を褒め言葉として受けたのか、花玲は嬉しそうに話を続ける。

「気付いたら、もう私は姉貴と呼ばれて、ついてくる人も多くなった。私に怯える人も多くなったけどね」

「……」

「それで、こんな私を、あの子は真似てると思う」

「真似てる?」

「髪色や、イヤリングも」

梳かすように手で髪をかきあげて、花玲は右耳を見せる。

奈名と同じのフラワー型の銀色イヤリングが夕陽を反射して光っている。

「それと……これもね」

「それは……あ、奈名の」

メモ帳と反対側のポケットから、花玲は小箱を一個取り出した。

どこで見たことのあるその箱は、確かによく奈名の手元に見かけるタバコ箱と一致している。

「意外と周りをよく見てるね、成良くんは」

旧校舎の一角に、奈名が一人でタバコを吸っているところを、よく見かけているから。

「それとも、あの子だからよく見てたとか?」

「否定はしませんが」

「そういう素直なところ、嫌いじゃないよ」

俺を茶化すつもりだったのだろうが、あっさりと認めたら、花玲も機嫌を損ねずにそう言った。だけど、話が戻った途端に、また顔に憂いを浮かばせる。

「意識的にすることじゃないかもしれない。でも、私を真似て、あの子は不良になった」

「どうして、奈名はそんなこと……?」

「……強くなりたいからじゃないかな」

「え?」

「成良くんが思ってるより、あの子はずっと強く生きてる。それと同じくらい、あの子は弱い」

矛盾した言葉に、俺は合点がつかなかった。

だが、花玲の声に含んだ優しさが、冗談じゃないことを訴えた。

「弱さを消すために、あの子は自分が強いって思う人を真似してると思う」

「それが花玲先輩ってことか……」

「少なくともあの子はそう思ってるね」

多分、奈名だけじゃないと思う。

一般学生でも名前を知っているほど、花玲はこの学校の有名人だから。

「でも、不良少女の名は、あの子に似合わないんだ」

追い風が吹いて、金色の髪をなびかせる。

「あの子はきっと、誰よりも普通でありたいと願ってるよ」

奈名のことを語っている姿は、妹を心配している姉を彷彿させる。

この人は面倒見が良いだろう。花玲を見て俺は思う。

「だから、成良くんにあの子を変えてほしい」

「……どうして俺なんです?」

「ずっとあの子を見てるでしょ?成良くんは」

「……!」

それは、ここ最近という意味か、それとも入学してクラスメイトになってからか、はたまた、もっと昔からか、俺は知る由もないのだ。

もしかしたら、奈名に関して、本当にこの人は何でも知っているかもしれないな。

「本当に頼むわよ、成良くん」

俺が見えない方へ顔を背けて、花玲は祈っているように切々と言う。

「あの子が壊れる前に……助けてあげて」

その言葉に、どんな意味があるだろう。深く探測していいものかと、俺は迷った。だが、心の中で結論が出る前に、既に花玲はいつもの神秘な笑顔に戻った。

「さて、そろそろ帰らないとね」

「あ、はい……」

「成良くんも早く帰った方がいいよ、濡れたままじゃ風邪ひくわよ」

「だから誰のせいだと思ってるんですか……」

「ひひっ」

旧校舎に近い学校の裏口に振り向き、花玲は程よい歩幅で歩き出す。

でもすぐに何かを思いついたように振り返る。

「そうだ、成良くんに教えなきゃいけないことがある」

「何ですか?」

「胸ばっか見てると、女の子に嫌われちゃうよ」

いたずらっぽくのウィンクをしてそう言って、花玲は俺を置いて校舎を出る。

彼女の姿が視界から消えるまで、俺は棒のように佇んでいた。

「バレてたああああああ‼」

気づかれないと思っていたが、どうやら俺は甘かった。

そんな格好だし、視線が行ってしまうのは無理はなない。男だもの。

穴があったら入りたい。いや、穴に突っ込みたい。

暫くすると、やや強い風が俺の頭を冷やした。

そういや、今の俺は服が濡れてるせいで寒いし、おまけに臭い。

「マジで風邪ひきそう……」

急いで帰ろう。そう思った時、スマホにLI○Eのメッセージが届いて来た。写真つきのメッセージだ。

文字は「成良くんを濡らしたお詫び」と書かれていた。

「言い方……」

少し呆れた気持ちはおいといて、俺は添付されたは写真を見る。

それは一枚の自撮り写メだ。

花玲が楽しそうに笑っていて、奈名は少し嫌がりつつも、てれた顔で撮られた写真。場所は市民プール。二人はその場にふさわしい水着姿だった。

花玲が着ていたのは、色白の肌を隠さずに、そのスタイルの良さをアピールして人を魅了するセクシーなビキニ。

奈名はハイレグのフィットネス水着を着用していた。露出度は比較的控えめだが、両脇サイドの布をくり抜いたデザインは、その繊細なボディラインを強調させて、花玲に劣らない魅力を展示した。

「ありがとうございます」

とっくに花玲がいない後門に向けお礼を言いながら、俺はアプリを操作して写メを保存した。

花玲先輩は、面倒見が良すぎる。




ピピピピっと、尖った機械音が部屋の中に繰り返す。

「……38.2」

完全に熱だな。やはり、濡れたままの格好で帰ったのがまずかった。

「コン、コン」

こりゃあ学校は当分無理だ。確か家にパブ○ンあったっけ。

普段より何倍も重く感じる体をなんとか起こして、俺はTシャツと下着のパンツ一丁という、昨夜寝た時の格好で、二階から一階へ降りる。階段は辛い。

無事に薬を探し飲んだあと、少し食事は取った方がいいと思い、俺はキッチンの冷蔵庫を開ける。

「空っぽ……」

そう言えば、昨日はスーパーに行くつもりだったが、さすがさすがに水だらけかつ溝臭いの状態では、諦めるしかなかった。

「参ったな……コン、コン!」

何も食べないのは良くない。とは言え、今の俺が外に出て買い物をすることは到底無理だ。

Ub○r Eatsを頼んでもいいけど、今は外食が余計にお腹に負担を掛ける気がする。

仕方ない、朝飯は抜くとしよう。

眩暈をこらえて二階へ上りながら、俺は慣れた手つきでスマホから電話をかける

三回目のコールで繋がった通話の向こうからだるそうなな声が届いて来る。

「……成良、何だ?」

「京陽、俺今日学校休むわ」

「サボる?」

「違げえよ、熱が出てんだ」

「だろうな。声が嗄れてる」

「知ってるなら惚けんな」

「いいな」

「何が?」

「学校休めるのが」

「じゃお前も風邪引け……コン、コン」

京陽と軽口を叩いているうちに、俺は部屋に戻った。

これ以上無駄話に付き合う体力もないので、俺は用件を伝える。

「放課後お粥とか買ってくんない?冷蔵庫になんもねえ」

「分かった」

「サンキュー。んじゃ、頼む」

「ああ」

京陽が電話を切った。いつも面倒くさがっているが、こういう時、文句一つもなく助けてくれるいい奴だから、安心して頼める。

糸が切れた操り人形のように、俺はスマホを適当に置いて、再びベッドに潜りこむ。熱の疲れと布団の暖かさで、強い眠気がすぐに襲って来た。

LI○Eの通知音が耳に入って、俺は横目で母親から「今日は家に帰るよ〜」のメッセージ通し、返信もできずに、遠のく意識に任せて目を閉じた。



「……ピンポーン、ピンポーン」

「うっ……」

家の隅々まで鳴り響くドアベルの音に、俺は意識の底から引きずり出された。

長く眠っていたのだろうか。意識はまだぼんやりして、頭が上手く回らない。

でも、熱は下がったみたいだ。体に纏う無力感が取れた代わりに、Tシャツは汗で濡れていた。後でシャワー浴びないと。

「ピンポーン、ピンポーン」

ドアベルに促され、俺はベッドから降りる。玄関へ向かう途中、リビングに掛かっている時計をちらっと見て、時はすでに放課後だと分かった。だいぶ寝れたらしい。

「ピンポーン、ピンポーン」

「はいはい……」

三回も鳴ったので、俺は何も考えずに、少し急いでドアを開けた。

「え⁉」

「きゃっ⁉」

「うぇ⁉」

「あら……」

「……」

説明しよう。俺、奈名、茉緒が順番に悲鳴を上げた。それに目をぱちくりさせた花玲と眉をひそめる京陽である。確かに、京陽に買い物を頼んだけど……

「あれ?何でみんなが……ってか何で全員怪物を見たような顔してんだ?」

「お前……」

「うぇぇぇ……」

「成良くんが風邪ひいたと聞いたからお見舞いに来たけど、元気そうだね、ひひっ」

呆れた表情をしている京陽も、真っ赤な顔を手で覆って、指の隙から覗いている茉緒も、楽しそうに俺をからかっている花玲も、皆の視線は同じ所に指している。

俺もその視線の先に目をやると、自分の下半身にたどり着いた。

「Oh……」

そういや、朝から着替えていなくて、ずっとTシャツとパンツ一丁のままだったな。

それだけならまだギリギリセーフだが、本当にアウトなのは……

「……こ」

「こ?」

「この変態―――‼」

耳まで赤く染まった奈名が、絹を裂くような声を上げながら、何かを投げ付けて来る。確認できるどころか、目が追える前に、凄まじいスビートで飛んで来る何かは、すでに俺の顔に衝撃を与えた。

デ、デッドボール。

その何かからこぼれた液体が、少しだけ俺の口の中に入った。あ、お粥の味だ。

「熱っ——‼」

熱さと痛さにぶつかられ、俺はまた意識が遠くへ飛び去っていく気がした。

再度、目を閉じる直前、俺は心の中でお詫びをする。

すまない、女子ども、体の調子がどうであれ、下にある成良ちゃんは、起きたばかりの時はいつも元気だ。



「うっ……」

「あ、起きた?」

「……」

一瞬、俺はその宝石のような瞳に心を吸い込まれた。

冷静を取り戻したのは、次に目に入る、リビングの天井のおかげだ。

どうやら、意識がない間に、誰かが俺をソファーに運んでくれたらしい。

三台でワンセットの我が家のソファーに、俺は一番長い方に横になっている。

俺の頭の先には、金色のロングヘアを持つ少女が同じソファーに座っている。

ピッタリ二人が埋まるソファーのスペースだが、俺は期待外れで落胆した。

「膝枕じゃねえんだ……」

「は?そんなのするわけないでしょ」

「へ……」

「な、なによ?」

「痛いよ、すげえ痛いよ……」

俺はわざと頬を撫でて、子供のように駄々をこねる。

「そ、それは……ごめん」

素直に謝る奈名は、何だか新鮮というか……とにかくかわいい。あ、パクリじゃないですよ。アニメ化おめでとうございます!

「じゃあ、膝枕……」

「キモイ、死ね」

視線が冷たいな。秒で俺を拒絶した奈名は、赤に染めた頬を膨らませる。

「大体、あんたがあ、あんなもんを出したから……」

違うよ、出していなかったよ。良い絵面とは言えないが、出していなかったよ。

「わ、悪かった」

少し気まずく謝ったら、大事なことを思い出して、俺は慌て自分の下半身を見る。

「俺のズボン……あれ、履いてる?」

「あんたの友達……あの目が死んでる人が履かせてあげたよ」

「そっか、京陽が……は⁉」

「Tシャツも汗だくだから、ついでに着換えさせてあげた」

「何でだああああああ‼ コン、コン!」

「ちょっと、大丈夫?」

ちっとも大丈夫じゃない。

驚き過ぎて、もう奈名が京陽への呼び方さえ気にすることができなくなった。

「あんたをソファーまで運んだのも彼よ」

「ちなみに、運び方は?」

「お姫様抱っこ」

「……何このお約束のくだり」

トラウマになりそう。もう嫌だ。もう嫁にいけない……ひぃ……

「仕方ないでしょ?あんたをそのまま放置しちゃいけないし」

「そうだけど……」

京陽に着替えさせてもらう場面を想像するだけでぞっとするわ。

「あ、あたしは覗かなかったよ?想像だけ……へへ」

「いや、聞いてねえし……」

宮坂さん、キャラがおかしくなっているけど、気のせいかな?

「そういや、皆は?」

「お粥が……その……こぼれちゃったから……」

責任を感じるのだろう。奈名は後ろめたそうに口ごもっている。

「茉緒が『私が作ろう』だって」

「マジか……小野寺に悪いな」

「それで、食材がないから、茉緒はあんたの友達とスーパーへ行った」

「京陽も?」

「この辺のスーパーが分かるのは彼しかないから」

なるほど。京陽が嫌そうに連れ出された画面は、容易に想像できる。

「じゃ花玲先輩は?」

「花玲なら、あんたの部屋を探検しに行くって、上の階に行ったよ」

「何だと⁉コン、コン!」

バネのようにソファーから跳ね起きる俺を、奈名はまたソファーに押し返した。

「あの人に行かせるといいことがない気がする」

「もう間に合わないから、病人は大人しくしなさい」

「うっ……」

どうか花玲に何か変なものが見つからないようにと祈って、俺は奈名に従ってソファーに座る。せっかく二人きりのチャンスを逃したくないという下心もあるけど。

「で、宮坂は俺の看病係ってわけ?」

「別に看病なんてしてないし、座ってるだけ」

「だろうな……でも、何でみんなでうちに来てんだ?」

「あんたが学校を休んだと聞いたら、茉緒が言い出したの」

本当に優しいな、我が校の天使。

「それで花玲も急に出て来て、一緒に行こうって」

「なるほど」

「ったく、何であたしまで来なきゃいけないのよ……」

ぶつぶつと、奈名のその柔らかそうな唇から文句がこぼれる。

どうやら、色々不満があるみたいが、シカトしておこう。

理由はどうであれ、来てくれただけで、俺にとっては喜び極まりないからだ。

「けど、京陽と小野里は花玲先輩に会ったことねえだろう?」

「そうよ。でもわりと平気で受け入れたの」

「さすがだな」

誰とも仲良くなれそうな茉緒と、まぁ、京陽の場合は、多分誰でもどうでもいいと思っているのだろう。

「あんたこそ、前々から花玲とは知り合いなの?」

「いや、なんつうか……昨日で知り合ったんだ」

「昨日?」

「まぁ、色々あってな……」

俺を池に突き落として、風邪を引かせたとか。

困惑そうに首を傾げているが、奈名はそれ以上食い下がる気もなさそうだ。

「宮坂だって、随分花玲先輩と仲良さそうじゃねえか?」

沈黙の空間にならないように、俺は質問を放り出す。

「友達なんていらないじゃなかった?」

「何、その言い方?」 

「差別待遇への抗議」

「は?何それ」

俺の不服を取り入れるつもりは全くないみたいが、しばらく対峙すると、奈名はゆっくりと口を開く。

「花玲は、どっちかというと……ストーカーみたいな……」

うん、事情は良く分からないけど、すごく分かる気がする。

「あたしがどこにいても見つかるし、いつも突然に出て来るし、無理に遊びに付き合わせるし、セクハラするし……何考えてるのか全然分かんない」

「……俺もそうすれば、宮坂と仲良くなれんのか?」

「普通に通報する」

「……容赦ないな」

「なによ、諦めなさいって言ったでしょ」

「宮坂ってさ、そんなに俺のこと嫌いか?」

「うん」

「躊躇なく⁉」

「だって、しつこいし」

「そっか、俺、嫌われてるんだ……」

俺はしょんぼりと頭を下げて、投げやりに言葉を吐き捨てる。

「は……確か倉庫に麻縄あったっけ」

「は?そんなものでなにするつもり?」

「嫌われて悲しいから、てるてる坊主のコスプレをしようと思って」

「てるてる坊主……って、それ首吊りでしょ!」

はい、冗談です。いい子はマネしないでください。

俺のバカな話を真に受けたわけではない。それでも、奈名は浮かない顔で俯く。

「本当に、嫌いだ……」

俺に目をくれずに、どこか消えそうな声が奈名はこぼれる。

「嫌いのままでいいんだ。だから、これ以上……あたしを困らせないで」

どうして、そんな顔をするのだろう。悲しくて悲しくて、だけど決して涙が見えないその顔。

50センチも離れていない、手を伸ばせば触れる距離だが、俺はなぜかどうしても届かない気がする。

「宮坂……」

「ピンポーン、ピンポーン」

重くなった空気を破るように、高音で鳴るドアベルが会話に割り込んだ。

「あ、茉緒たちが……ドア開けるね」

「お、おう」

あれ、奈名が俺ん家のドアを開けるなんて……めっちゃ新婚っぽくない?

そう思ってにやけそうになる時、上から足音が聞こえた。

数秒後、軽快な足取りで花玲が降てくる。一体俺の部屋で何を……

「奈名聞いて!成良くんの部屋にTENG—」

「ちょい待ったあああああ‼」

俺は雷に撃たれたように跳ね上がり、ダッシュして二人を追いかける

「TEN……何それ?っていうかあんた走っていいの?」

「は……は……いいんだ、コン、コン」

ちっとも良くない。幸い、奈名は知らないみたい、眉にしわを寄せた。

俺は全力で花玲を睨みつける。が、後者はただ面白そうに笑っている。

「と、とにかくドア開けよう」

話題をかえるために、俺は慌ててノブに手を伸ばす。

「成ちゃん、ただいま~」

「うわっ」

ドアを開けた拍子に、何かが胸にぶつかり見覚えがあるショコラブラウンの巻き髪が視界に入る。女性が抱きついて来るという、嬉しいはずのシチュエーションだが……

「何してんだ、母さん?」

「だって、久しぶりじゃない」

相手が実の母親になると、そういう高揚感は全く湧かないのだ。

客観的に見たら、美人というのは過言ではないだろう。しかし、性格はまるで子供みたいだ。

確かに夕方に帰るとメッセージがあったな。

「成ちゃん、風邪引いたって、大丈夫なの?」

「まあまあかな、熱は下がった……ん?何でそれを……」

お母さんの後ろに立っている二人に気付き、俺の疑問が晴れた。

「……なるほどな」

「起きたか?露出狂」

「誰が露出狂だよ!京陽!コン、コン」

「佐上くん、大丈夫?まだ無理に起きない方が……」

「ありがとう、小野里、俺は平気だ」

どうやら病気の件は二人が母親に伝えたようだ。

「けど、何で三人が一緒に?」

「もう聞いてよ、成ちゃん!パパがね……」

「オヤジ?そういやいないな」

「あのね、さっきは一旦縷紅草に行って、演劇の件について話し合おうと思ったけど、パパは院長に会ってから、すぐに『今日こそ院長から百勝目を勝ち取るんだ!』って言って、急に二人が囲碁対局を始めたよ!だから私は先に帰ろうと」

「オヤジ……」

そう言えば、お父さんも院長も、かなりの囲碁バカだ。

「それでスーパーの近くで京ちゃんと茉ちゃんに会った。帰国早々で茉ちゃんみたいなかわいい子に会えるなんて、若返ったよ~」

息子の俺から見れば、普通に一年分の年を取った気がする。

ところで茉ちゃんって、茉緒のことだよな。相変わらず、人にちゃん付けをするのが好きだな、うちの母親。若い女の子を見ると興奮するエロジジイのようだ。

まぁ、元気そうで何よりだ。

「う……」

お母さんの愛称に慣れていないだろうか、茉緒は少し恥ずかしそうに俯く。こういう性格しているお母さんですみません。

「ねね、成ちゃん、かわいい女の子もう二人いるでしょう?紹介して」

母親が頭を右へ突き出して俺の後ろを覗く。すると、奈名と目が合った。

「え⁉もしかして……奈っちゃん?」

「……(なる)()おばさん!」

と、驚きを隠せず二人は、正確に相手の名前を口にした。

旧友に再開したような口調で、母親は嬉しそうに挨拶をする。

「やあ、五年ぶりかな?まさか成ちゃんのお友達だったんだね~」

「え、うん……」

この場で否定すると気まずくなるのが分かっているのだろう。奈名は曖昧な態度で相槌を打った。一方、花玲は興味深そうにこの発展を見届けている。

いや、今は気にするべきなのはそれじゃない。

「え⁉待って、お前ら知り合いか?」

「うん、奈っちゃんは、私と一緒に縷紅草で育てられた親友——和奈(かずな)の娘だよ。和ちゃんはいつも奈っちゃんを縷紅草に連れて来てたから、昔はよく奈っちゃんと遊んでたんだよ」

「そっか、なるほ……え?育てられた?縷紅草で?」

「そうよ、言ってなかったの?私も和奈も施設で育てられた孤児だったよ」

「聞いてねえよ!いきなりそんなカミングアウトすんな!」

「そうなの?まぁ、この話はまだ今度話すね〜」

適当に話題を流した我が母親である。まあいい、そういう性格は、今になって分かったことのわけでもないし、とっくに慣れた。つうか縷紅草って、そんなに前からやっていたのか……

「あ、でも、成ちゃんと奈っちゃん、昔一緒に遊んだことあるのよ。本当に小さい頃のことだから多分覚えてないと思うけど」

「マジか?」

「え?」

「小学生になってから、成ちゃんは学校の友達ばっかと遊ぶようになって、全然縷紅草に行かなくなったの。だからあなたたちは幼稚園以来かな」

驚きながらも、俺は奈名と目を合わせたが、やっぱり、記憶にないのだ。うそ、じゃあ俺、奈名と幼馴染になるチャンスを絶った?どんだけアホかよ、一回死んで来い、小学の俺。

バカな自分に悔やんでいる俺をほったらかして、お母さん花玲を気付いたようで、申し訳なさそうな顔で挨拶をする。

「あ、ごめんね〜予想外の再会で挨拶を忘れた。どうも、成ちゃんのお母さんだよ〜」

「初めまして、井関花玲と言います。大勢でお邪魔してすみません」

いつも通りの笑顔で、花玲は上記のセリフを言い出した。不良らしくない礼儀正しさと言うべきか。それともさすがに花玲先輩と言うべきか。どちらにして、文句を言えない完璧な挨拶だ。

「いえいえ、可愛い女の子三人も成ちゃんのお見舞いに来てくれて嬉しいよ。もちろん京ちゃんもね」

「ありがとうございます。お母様こそ、すごい若く見えてますよ!成良くんのお姉さんかと思ってました」

「お、お姉さん……!」

僅かに肩を震わせる母親である。

「成ちゃん、この子をお嫁さんにして!いい子だよ!」

「ちょろいなおい」

そんな簡単にお嫁を決めていいのか?あれは、あんたの息子に風邪を引かせた張本人だぞ?

うちのお母さん、いつかマルチ商法に騙されなければいいのだが。

「あら、私、成良くんのお嫁さんになるの?ひひっ」

勝手に嫁に来ないでくれ。俺は奈名に一筋だ。

「ところで成ちゃん、この子たち、もしかして前話した演劇してくれる人?」

「え?あ……どうだろう……」

未だに奈名の承諾を得ずこの状態は、母親にどう伝えたらいいのか?

俺は答えに悩んでいるうちに、先に切り出したのはやる気満々の茉緒だ。

「こ、この度演劇に参加させていただいて、ありがとうございます!皆様の足を引っ張らないように頑張ります!よろしくお願いいたします!」

「ふふっ、そんなに畏まらなくてもいいのよ。こちらこそよろしくね〜」

「は、はい!」

「……僕は足を引っ張る予定ですが、よろしくお願いします」

「豊原くん!」

「ああ言ってるけど、京ちゃんは実は熱心な子だと分かるよ」

「……」

こうして、参加する二人の挨拶を済んだ。そうだ、まだ花玲にこの件を——

「あの、花玲先輩——」

「すみません、成良くんのお母さん。私もお力になりたいのですが、残念ながらクリスマスイブに用事があって……」

どうやら、すでにクリスマスの予定が埋まっているみたい。さすが人気者の花玲先輩だ。

「いいの、いいの、気持ちだけで嬉しいよ!ありがとう、()っちゃん〜」

やめて、母さん。それはヒーローを目指すある雄英生の愛称だ。

「奈っちゃんも……あ……」

「……」

テンションが上がってきた母親だが、奈名を見ると、気を遣っているように、話を進めなかった。奈名は何を見つめるように下を向いている。しかし、その視線の先には、ただ無機質な床がそこにある。

いつの間にか沈黙に包まれたこの空間は、誰もその重さを追い払うことが出来なかった。静寂の果てに、再びお母さんの優しげな声が響く。

「……辛いなら、無理しなくていいのよ?」

「……ごめんなさい」

蚊の鳴くような声で謝った奈名。それは母親へのか、自分へのか、それとも、この場にいない誰かへなのか。俺は知る由もない。

それ以上何も言わずに、奈名は走って外へ出た。

「宮坂!」

「あ、奈名……」

ドアの前で奈名とすれ違った茉緒は、少し躊躇ったあと、中に入って奈名のカバンを取った。

「ごめん、豊原くん、お粥をお願い」

「は?」

「では、佐上くん、お大事に」

「え?おう、ありがとう、小野里」

「では」

もう一度皆にペコリをして、茉緒は奈名を追いかけた。

「僕、料理できないんだけど……」

と、京陽の口から漏れた言葉も虚しく聞こえて、残された俺たちは、しばらく気まずい空気から逃れることができなかった。

ただ、奈名が行った時の背中は、いつもより小さく見えていた。


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