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高校3年生が9月新学期案について思うこと、どう思いますか?

作者: 四子

今盛り上がりを見せている9月新学期案についていろいろと意見があり、自身の中で処理することができなくなり、投稿しました。普段なら学校内で友達と話すことで考えをため込むことはありませんが今は吐き出す場所もありません。1高校生の意見ですが是非読んでほしいです。1人でも多くの人が関心を持ってくれたら

 私は現役高校3年生

 直近何日かでメディアに大きく取り上げている9月新学期案ですがみなさんどのようにお考えですか?テレビなどニュース番組を見ていると賛成している人が多いような報道がなされている風潮を見受ける。はたまたTwitterなどでは私たちの年代を中心に幅広い世代が意見を述べている。私たち10代では反対意見が上回っているが現実のようである。

 しかし私はどのツールの場においても意見が賛成か反対に偏り、少数意見が攻撃を受ける議論に危機感を感じた。9月新学期案を一時的なトレンドで終わらせたくない。どう思いますか?9月新学期にしたい理由、できない理由を並べ自分とは逆の意見を潰すような根拠でかためるディベートのような意見が多い。どのツールも賛成、反対の両局に分かれて結論を導こうとしている。それでは先に進まないのではないか、こんな大きな変化に全員一致の結論は無いと思う。まず政府で知事でネットで実現可能か検証してほしい。具体的に行動してほしい。多くの人が意見することは素晴らしいことだが決して賛成、反対の数をみて行動を決めないで。みなさんは何を感じますか?

 9月新学期案これは国を動かせるような人たちが真剣に検討してもいいことだと思う。だからこそ世の中の反応をみて決めて欲しくはない。ただ私たちもこの案には意見を発信し続けるべきであるし、考え続けなければならない。政府は世間の反応をみて行動しているようだし、聞かれない意見を述べるのも馬鹿ばかしい話ではあるが、これは大事なことだと思う。実際行動するには注目を浴びないと難しい。(それが大きなことならなおさら)私も9月新学期案がここまで注目されてから意見を書かせてもらっているわけである。世の中が関心を持っている時期だけが行動に移せる期限である。政府が賛同を待っていたら熱は覚め、勢いがなくなり混乱期に乗じた妄想止まりである。世の中の意見には流されず、動き出してほしい。と完全に人任せだが私のような1高校生にできることは常に考え、発信するくらいだ。国は変えられない。

 私は9月新学期案を通して思ったことは人の役割って何だろうと考えた。は?高校生、大学生社会人など集団にはそれぞれ役割に対応する呼び名がありその中でも個々の状況がある。また意見に重みのある人間ない人間、国を動かせる人間動かせない人間。私たちは直接社会を変化させることはできないが、社会を動かすきっかけにはなれると思う。それは今の現状に向き合い考え、意見も持つことである。いろんなところで議論ができる。しかしそこまでだ。議論したからと言って国(政府)が動かなければ次はない。議論だけでは一時的な盛り上がりで終わる。ここで意識すべきは役割だと思う。私たちは議論し国を動かすきっかけを与えるが実際に行動はしない。国(政府)は盛り上がらない議論はしないが(他に考えることは山ほどあるため)行動はできる。

 私たちは世論として十分9月新学期案を表に出した。あとは政府が具体的に行動するだけだ。「世論の賛成が何%反対が何%、まだ国民の意見が一致していない」などと自分たちが行動の中心だと言わんばかりに邪魔してはいけない。政府も「慎重に議論を、社会への影響を考え…」などと自らの役割である具体的に実際に行動できる力を無駄にしてはいけない。ここ最近の報道を見て世間が役割以上のことをし、政府が役割を果たさない現状に苛立ちすら覚える。

 こうして高校3年生の身でありながら勉強もせず、経験不足の子供が拙い文章を小説サイトに何を載せているのだという尤もな意見が聞こえてくる。しかしこんなにも身近に感じる社会に変化を与えるような議題を考える時間がないと人任せにしていいのだろうか、できない。行動してもらうためには私たちが注目し続けなければいけない、他人事と思わず意見しなければいけない。

 

  皆さんはどう思いますか?




 私自身が意見を持った方が良いと言いながら9月新学期案に対して意見しないのは変なことであるから1人の高校生主張を示しておきたい。

 まず(現状)私は都立高校に通っている。学年末考査の途中で学校が休校となり1度も授業をしてない。引退試合は中止となり、そのまま引退になった。友達とも全く会えず不安、不満は少なからずある。勉強は予備校に通っていることもあり、私さえ集中すればありがたいことに問題ない。ただ学校からのオンライン授業はなかなか難しいだろう。ネット環境調査が1週前にあったがそれから何の連絡もない。先生だって動画で授業を完璧にするのは難しい。オンライン=いつも通りにはならない。そして高3年生にとっては未修範囲が終わらないことが問題ではなく、過去問演習時期に未修範囲の学習させられことが嫌なのである。

 私は9月新学期案には賛成である。理由は3つある。あくまでも私の立場だが

1.詰め込み高速勉強をしなくて済む。

2.今のままではほぼ不可能な行事(文化祭など)の開催が可能になるかもしれない。

3.将来のため良いと思う。

1、2について自己主義的な社会全体を考えていないような意見だが何が悪いか。私たち学生以外の世代はコロナはないから当然の権利として通常の学校生活を送る。緊急事態だから我慢、と大人に言われても説得力はない。通常の学校生活を送れる可能性が高い方を支持してもいいだろう。しかし学校生活をよく思わず次のステップに進みたいと思う人も多いみたいだ。私の部活内でも無条件半年留年かよと落胆する人が多かった。学校教育の不満足度を表しているようだ。

 社会全体を考えと言ったがどんな問題があるだろう。

1.就職 4月入社が一般的

2.会計年度 よくわからんがそうらしい

3.習慣 日本の入学は桜、台風じゃねぇ…

4.半年分の教育費どうするの

5.1学年の人数が1.4倍

6.今それ話すこと!?          

7.半年強制留年(労働力減少) などなど

挙げていけばいくらでもあるだろうし法改正が必須であり、学生だけでなくすべての世代に影響があるだろう。4に関しては私も大変なことだと思う。予備校代親にどれだけ負担かけるんだよ。恐ろしい。高校生、特に大学生ともなれば辞めなければいけない人が一体どれだけいるのだろうか、6は1番思いつきやすい。英語検定を皮切りに共通テストに変更、記述式見送りそして9月新学期ともなれば滅茶苦茶振り回されている気分になり不信感を覚えそうだ。妄想を議論しないで現実を改善してくれ、変化は問題を引き起こすだけだ、こんなに世の中は変えられない。反対意見はいくらでも想像できる。

 さあ世間の反対意見を想像してないで自身に置き換えて考えるが正直これだけ振り回され、混乱が予想されるこの変化にメリットは学校生活が伸びることによる日常への可能性くらいである。ああ学生にとってデメリットの方が大きいのではないか、変化は怖い。お金もかかる。反対意見にまわりたい衝動を抑え賛成の理由3について考えたい。

 3.将来のために良いと思う。なんとざっくりした。ただこれはとても大切な考えだと思う。9月新学期案のメリットとも重なる部分があるから上げておきたい。

1.留学 グローバル化、欧米、中国など多くの国では主流

2.受験 雪、インフルに怯えずに済む

3.教育 学習進度の平等化

考えてみたが意外とメリットが思いつかない。私はただ1のメリットを声を大にして主張したい。日本の4月入学は稀で同じなのは主要国はインドしかない。高校から直接海外の大学に行きたいとしても半年待たなくてはいけない。ここには大きな壁があると思う。私自身留学は大学からで高校からなど考えたこともなかった。大学からの交換留学など意欲さえあれば留学する環境はあるがみんなが自然に考えられるものではない。海外留学は経済的に余裕な人、意欲のある人、エリートというイメージがないだろうか?グローバル化=実力主義社会という考えを持っていないだろうか?自身もこのように考えてしまうときがある。将来の日本に必要なことはエリート(海外留学生)を増やすことではないだろう。世界の大学ランキングで200位以内にある日本の大学は2校のみ、「海外留学してきたの!すごい」この言葉は正しいのか?日本に大きな時期の壁があって日本の大学に行きたいと思う欧米人はどれほどいるのか?疑問だらけになってしまったが言いたいことは今の教育制度でグローバル化といっても限度があるということだ。意欲があればできるのだから制度まで変える必要はないという意見もあるかもしれないが留学する母数が違うと思う。時期の違いは大きな問題だ。いろんな教育制度改革はあるが時期の問題は放っておいてはいけないと思う。将来日本の若者が減少する中、日本の学生を大半にした学びの場より世界からいろいろな意見をもった人が多い学びの場が必要である。今のままでは中途半端なグローバル化が進み、日本は優秀な人材を呼べなくなり、生み出せなくなる。

 では9月新学期にすることは大切なことしてそもそも今考えることなのか?考えるべきと私は思う。今まで何度も話し合いはなされながらも社会がさほど動かなかったもあまりにも広い範囲の人々に影響を与え、大きな変化を必要とするからだ。コロナという緊急事態だから今が最大のチャンスというのも事実だが同時に最大のピンチであるとも思う。世論がこれだけ関心を抱き多くの人が考えたことは良いがもし9月新学期案が議論のみで終わってしまえば、現実逃避した妄想案というイメージがつきかねない。そうなってしまえば地獄だ。イメージは変えにくい。日本のために必要な改革だと考えるからこそ少しでも政府が動き、検討するための動きを見せてほしい。これだけ話題になったからにはこの案が妄想と拒否されるか、受け入れられるか世論の日本流多数意見が決まってしまう気がする。これは今だけでなく将来にも影響しそうだ。非現実と逃避することは日本にとって損失だ。

 9月新学期案について考えてきたが私が最も主張していきたいのは政府、知事の方々目に見える行動を起こして、この案は少し盛り上がった1意見で終わらしてほしくないということ。行動して、様々な検討の上で早急に行える策でないのなら仕方ない。しかし世の中の議論のトレンドに頼り、時間だけ過ぎていつの間にか妄想案になっていたのではやり切れません。この案は賛否両論あるが犠牲あれどもやる価値はあると思う。どう思いますか?


最後まで読んでいただきありがとうございました。小説サイトに載せるのはどうかと思いましたがどんなツールでもどんな世代でも関心を持つべき話題だと思い、投稿させていただきました。みなさんがどう思うかというのが知りたいところなのでぜひ意見ください。意見を述べられ少しはすっきりしました。勉強します。さようなら

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