小鳥ちゃん
「でっけぇぇーーー! すっげ、あの女でかくね? 2メートルくらい?」
通り過ぎざま、あからさまに、そう嘲笑されるのは馴れていた。
わたしは雑踏を歩いていても、群衆から頭ひとつ分とび出てる。
背が高い、でかい、待ち合わせの目印にいい――――なんて、言われ慣れてる。でも、2メートルはない。178センチ。
「自分より背が高い女なんて嫌じゃん、ありえねーよな!」
その日も、そうやって男子学生らが聞えよがしに、ぎゃあぎゃあと通り過ぎていったが、その人は違った。
「別に。いいんじゃないの」
ぶっきらぼうだが、好意だった。脳裡で桃色の花びらが、ふわっと舞って――――わたしは、恋に落ちた。
ちらっと横目で見たその人は、わたしより背が低かった。頭ひとつぶんくらい。顔は、けっこう凛々しい。きっちりとした短髪に、きっちりと閉められた制服のボタン。真面目そう。
わたしはすかさず、あたりを見回し、一人になれる場所を探した。繁華街。人で賑わう雑踏。隠れる場所はない。デパートのトイレ……に行ってたら見失う。やむを得まい、とわたしは路地裏に飛び込み、人が周囲にいないのを確認して、変身した。
わたしには、特殊な能力がある。いろいろ悲観して死にかけたときに、授かった能力だ。授けてくれた人は、「なりたい物になれる能力だ」と言っていた。何になるのかは自分が決めるのだ。わたしは、小さくなりたかった。可愛くて、小さくて、やさしい生き物。小鳥。正確にいうと、オカメインコ。昔、母が飼っていて、好きだったから。そのオカメインコが死んだあと、母は悲しんで悲しんで、何も飼っていなかった。
わたしは服をずばっと脱いで物陰に隠すと、小鳥に変身して、空へと舞いあがった。戻るときまで、服がそのままだといいけど。
先ほどの場所にいくと、彼らは特徴あるブレザーの制服姿で固まってだらだらと歩いていたので、すぐに見つけられた。わたしは電線にとまって、動向をうかがう。ゲームセンターへ入り、2時間後に出てきた。その後、駅へ。電車に乗り込む。各駅停車なので、なんとか追えた。
とある駅で彼らは別れ、あの人は帰途につく。途中でコンビニに入る。雑誌を立ち読みする。お菓子を買う。駅から徒歩8分のマンションの3階に帰宅。
制服姿だし、お昼だったし、試験中か、試験が終わったあたりの高校生かな。夜にならなくてよかった。鳥目なので、夜間は尾行できない。
自宅を確認して、わたしはひとまず満足し、繁華街の服のもとへと戻った。飲み屋の裏口に積んであるビールケースの陰に衣類と貴重品を隠しておいたが、無事でなにより。
次の日は、朝から彼の自宅へ飛んだ。自宅さえ分かっていれば簡単だ。全裸のまま自室の窓を開ける。ベランダに出る。変身する。そして飛ぶだけだ。直行だと、衣服と貴重品の心配がいらないのが、ありがたい。
あの人の自宅へは、ちょうど二十三区を横切るぐらいだ。ちょっと遠い。高速を使った。トラックの荷台に潜り込むのだ。音と振動がうるさいけど、らくちんではある。
2時間ほどして、あの人の自宅に辿りついた。ふうふう。ちょっと疲れた。
ベランダに降りる。あの人は自室にいないようだ。カーテンも窓も開けっ放し。不用心だなーと思いながら、人に戻って、網戸を開ける。
今日は、学校はお休みのようだ。昨日みた学生鞄も置いてある。制服もクローゼットにかかっている。人の気配をさぐる。全員、おでかけか。
少し安堵して、キッチンへと向かう。冷蔵庫を開ける。オレンジジュースの1リットルの紙パックがあったので、グラスに注いで少し貰う。自分のいた痕跡を消すべく、使ったグラスを洗いながら、もし今、彼が帰宅したら、キッチンに見知らぬ全裸の女がいることに驚くだろうな、と思う。
ダイニングのテーブルに郵便物が置いてあり、家族構成など探る。父、母、姉、そして彼。というかんじかな。窓あけっぱで外出するくらいだし、防犯意識は高くない。リビングにも防犯カメラなどはない。まあ、普通。
彼の部屋に戻って、あちこち探って、名前も分かった。
「誠くんかぁ……」
まことくん。なんだか照れ臭いひびき。
彼の部屋で椅子にかけて、本棚を眺める。辞書。百科事典。教科書。参考書。小説やまんがは、あんまりない。
「真面目かぁ……」
でも昨日、ゲームセンターに寄っていた。仲間に合わせるタイプなのか、ゲームがすごく好きなのか。知りたい。もっと知りたい。
のんびりしていると、時計の針が正午に近づいていた。
「あー、もう、仕事の時間かぁ……」
わたしは伸びをすると、ため息をついてベランダへと向かった。小鳥になると、からすを警戒しながら空へと舞いあがった。
わたしだって一日中、小鳥になって空と戯れているわけではない。そもそも、この力は、仕事をする契約で貰ったもので、奇跡でも超能力でも、なんでもない。
今日のお仕事は、某大臣のお昼以降の行動の調査。半日尾行して、結果を夜に報告する。小鳥だから、空から追跡したり、ホテルの部屋をのぞいたりできるのが、いいのか何なのか知らないが、仕事自体は面倒くさくて、うんざりする。が、やらないと生きていけないので、仕方ない。
こういう仕事をしている同僚が他にもいるらしいが、他の同僚に会ったことはない。だから、皆が小鳥なのか、違うのかも知らないし、どうでもいい。
わたしは仕事をして、ときどき気晴らしする。ただ、それだけ。
夕暮れ時、からすが騒ぐ中、びくびくして帰宅する。ベランダに降りて、すぐに人に戻って部屋に入る。この仕事で最悪なのは、からすに襲われることと、雨に降られること。以前は、黒く濡れたような翼がすてきで可愛いとさえ思っていた、からすが憎い。大キライ。あの大きなくちばしで突かれることを考えると、恐怖で体が竦む。たぶん、死ぬほど痛い。そして、私だって、大怪我をすれば死ぬ。
全裸のままシャワーを浴びて、洗面所の鏡で自分を見る。髪はふわふわで明るい茶色で長い。顔立ちはまあまあ。背は高い。天パで茶髪で、学生時代は本当に苦労した。今は、学校は行っていない。学校も家族も、もはや遠い世界だった。
に、しても、と考える。
「もうちょっと背が低かったらなぁ……」
いっそ外国なら普通なんだろうか? でも日本を離れるのは、ちょっとなぁ……。仕事もあるし。
と、今日も、うだうだ考えているあいだに終わる。
今日もお仕事。小鳥になって、午前中は赤坂の高級料亭で、ランチしながら密談するおじ様方の会話を盗聴する。政治がどうのとか、日本の将来とか、ぶっちゃけ、どうでもいい。なぜって、わたしは、明日をも知れない命だから。
変身の回数は無制限じゃない。有限。いのちを削って姿を変えている。あと何回なのかは、わたしは知らない。ただ、その時が来たら、分かるんだろうなと思う。痛いのか、苦しいのか、気が遠くなるのか――――。少しでも、楽だといいけど。
午後はオフだったので、わたしは初夏らしいワンピースで、カフェのオープンテラスに陣取ってアイスティーを飲みながら、彼を待っている。折り目正しい、品行方正っぽい、あの彼。成績もよく、裕福そうで、とくに悩みもないんだろうな、と思える彼。今日は、学校で午前中試験なのは調べがついている。
その彼が友人たちと来て、楽しげに歩いていった。目の前のビルの地下にあるゲームセンターへと、階段を下りていく。
わたしはアイスティーを飲み干すと、彼らから間をおいてゲームセンターへと向かう。
中は適度に薄暗く、電子機器のディスプレイが光を放っていた。音楽がやかましい。カードでどうにかする、よく分からないゲームが流行っていて、人が群がっている。大型のディスプレイの前に、さっきの彼らがいる。
「まことちゃーん! お願い!」
誠は、ため息をついて財布から数枚抜くと、彼らに渡した。
「ありがと! 愛してるぅー」
彼らはぎゃははと笑いながら、両替機へと向かう。万札だった。
誠は、彼らと別れて、ひとりで出て行く。なんか変だ。わたしは、彼のあとを追った。
なんだか、元気のない後ろ姿だった。肩を落として、背を丸めて。いつも背筋をのばして歩く、彼らしくない。
駅前のデパートに入り、屋上にあがる。屋上はペットショップがあって、人気のない閑散とした広い場所にベンチが点在しており、暇そうな軽食屋がソフトクリームののぼりを立てていた。
誠は、端の金網に近づくと、眼下の風景を眺めているようだった。わたしは、気付かれないように、離れて見守った。
金網を掴む手に力が入る。金網のてっぺんを見上げる。乗り越えるのに3メートル。がっと金網に足をひっかけたところで、わたしは彼に声をかけた。
「わたしのこと、覚えてる?」
彼が、びくりと足をおろして、わたしを振り返る。怯えるような目が、戸惑って見開かれる。
「え、だ、誰……」
うーん。こんなにも背が高くて目立つ女なのに、やっぱり忘れちゃうものか。背の高い女はスパイ向きじゃないと思っていたけど、案外、記憶には残らないのかも。絶世の美女、でもないと。
「あなたって、いじめられてるの?」
率直に聞いたつもりだったが、相手の表情が強張った。
「あ、あんたには関係ないだろ……!」
「お金渡してたけど、もう家族にバレそうだから、死んじゃおうってところ?」
「…………」
わたしを、気味悪いものみたいに凝視している。わたしの正体が気になるのかな。
「あいつらが死んじゃったら、いい? そうしたら、死ななくていいよね?」
好奇心より恐怖が勝ったのか、彼は脱兎のごとく、わたしに背を向けて出口へと走り去った。
わたしは近くのトイレに入り、小鳥になって空へと舞いあがった。ワンピースはけっこうお気に入りだったけど、置いていくしかない。まぁ、また買えばいいか。
上空から彼の動向を見守ると、急いで駅へと向かっていた。今日のところは、死ぬつもりはなくなったようだ。わたしは安堵して、彼の自宅へと先回りする。
例によって、ベランダの窓の鍵が開いていた。
ちょっと家探しして、彼のお母さんの服を拝借する。ロングスカートは、けっこうサイズが細くて、ぎりぎりだった。若くて細いお母さんか。そういえば、アルバムの写真も、けっこう美人だった。頼りがいのあるお父さん。美人のお母さん。良い子の息子。でも、いじめられている。
リビングのソファでくつろぐ。横になって、その辺にあった通販雑誌をめくる。
ほどなくして、彼が帰宅した。
「ただいま……」
誰もいないはずの空間に挨拶する、彼は律儀だ。
ソファから顔を出して「おかえり」と返事すると、彼は文字通り、とびあがった。
「母さん……じゃない、あんた……どうやって……」
「あいつらの名前は知らないけど、顔は覚えてるから、殺せるけど。殺しちゃっていいよね? あなたがどんないじめを受けたかは知らないけど、死んじゃうほどなんでしょ」
「…………」
また、彼の表情が暗くなる。
「返事がないってことは、殺しちゃっていいってこと?」
「あんたは、なんで、そんな……何者か知らないけど、どうやって入ったのかもわからないし、どうして自宅を知って……というか、どうして俺に?」
混乱してる。無理もないか。
「なんとなく、好きだから。じゃ、ダメかな。道端に咲いている花を見て、踏まないように避ける、みたいな。踏もうとしてるやつをぶん殴る、みたいな。ボランティアみたいなもん」
わたしが上衣を脱ぐと、彼が目をひん剥いて、慌てて目をそらす。その隙に私は脱いだ上衣を彼の頭に投げると、小鳥になって、リビングから彼の部屋へと入り、窓を開けっ放しのベランダから弾丸みたいに飛び出す。
彼には、わたしが服だけ残して煙のように消えたように見えただろうか?
わたしは、先ほど服を脱いだデパートのトイレに戻り、衣服を身につけ、ゲーセン前のカフェに戻る。長時間トイレの鍵を閉めたままだと、警備員に不審に思われて開けられてしまうこともあるので、衣類をトイレで脱ぐときは、いつもハラハラする。公園のトイレとかなら、そう見回りもないんだけど。
試験がいつまでかは知らないが、とっとと片付けないと、夏休みに入ってしまう。あいつらの自宅は知らないので困る。まぁどうせ、あのゲーセンに入り浸ってるようだから、見つけるのは簡単かもしれないけど。
大学受験とか夏期講習とか、そういうの気にならないのかな? 成績が良くなくて、将来を悲観して、人をいじめて憂さを晴らしているのだろうか。
そういえば、わたしにも学生の頃があって、高校に行きたくなくて、毎日、悩んでいたっけ。母とも諍いが絶えなくて、家にも帰りたくなくて。どこにも居場所がなくて、近所の図書館で閉館まで居座ったりして。遠い記憶になってたけど、久々に思い出した。
いま思うと、すごくどうでもいい悩みだった。少なくとも、死ぬほどの悩みではなかった。学校なんか行かなきゃいいし、家なんか出てしまえばいい。一人で暮らせる年齢まで、耐えて、耐えて、バイトして貯金して。それでよかったのに、どうしてわたしは、あんなに思いつめていたんだろう?
そこで、あいつらがゲーセンから出てきて、わたしはちょっと思案した。彼らは四人いるわけで、これから駅に向かい、たぶん二人ぐらいずつに分かれて、逆方向に帰っちゃうかも。わたしは一人なわけで、追えるのは一人。その一人になにかあったら、たぶん翌日の三人は、いつも通りにゲーセンに来ない。かも。
「うーん……」
彼にああ啖呵を切った手前、ほんとうは今日一日でなんとかしたかったけど、無理。四日かけて四人の住所を突き止めて、一人ずつ始末するしかないのか。
「面倒くさいなぁ……」
とりあえず、駅に向かう彼らの後をついて行った。
逆方向なのは一人だけで、ホームの反対側にいる三人に手を振った。わたしは、昼下がりで閑散としたホームで電車を待つ、その一人の背後に立つ。一番、大柄でリーダー格っぽいやつ。声と態度が大きくて、馴れ馴れしくて、あの彼にも、いつも首に腕を回して絞めるふりをしたり、頭を小突いたり、肩を殴ったりしていた。金を出さないと、腹とか殴っていたのかも。
殺したいほど、憎くはない。でも、まぁ、やるか。
スマホに夢中になっているそいつに、もう少し近づく。警笛を鳴らして、電車がホームに滑りこんでくる。わたしはタイミングを見計らって、腰を落とし、両手でそいつのベルトをがっと掴む。捻りを入れて、線路に向かって投げる。諸共にホームから落ちるところで、わたしは小鳥になり、ひとり空へと逃げる。急ブレーキの音が軋んで、悲鳴と血しぶきがあがった。
わたしの勘だと、全員やらなくてもいいかな? ってとこ。リーダーが死んだら、残りは委縮するんじゃないかな。次は自分の番かとハラハラしているかも。
というか、正直、残り三人の居場所を見つけて仕留めるのが面倒くさい。もういっか。いいよね。
誠とはじめて話した、寂れたデパートの屋上に来ていた。
もう会えないかと思うと、つい感傷で風景を眺めたくなってしまったのだ。
本当は、誠にも、もう一回会って「強くなれ」だの何だの説教くさいことを言いたかったけど、これ以上は、わたしがお仕置きされちゃう。一般人に接触しすぎると、上にちくられるのだ。
「あんたねぇ……遊びすぎ!」
ほら、ほら。お目付け役が来た。
すらりとした長い黒髪の少女が、背後に立っていた。わたしの一挙一動を記録し報告する、組織の同僚。
組織には色々と掟があり、一般人にあまり接触するなとか、変身を見せるなとか、やり過ぎると罰則もある。
「今回は、駅で変身したでしょ。人前で、なに考えてんの? 電車の運転手以外に目撃者がいなかったから、よかったようなものの」
「やっぱ、運転手さんには見られちゃったか」
「そりゃ見るでしょ、目の前だもの。そっちは何とかなったけど……上はカンカンだからね。あとで、申し開きに行きなさいよ」
「はーい……」
覚悟の上とはいえ、憂鬱になる。誰だって、叱責されるのは嫌だろう。
ひと一人、殺しておいて、それについて何もないだなんて、はた目から見たら、おかしい組織に思えるだろうか?
でも、それがわたしたち。人ではないもの――――人外の、集まりだもの。
人としてのわたしは、三年前、ビルから飛んだときに、もう死んだ。
病室のベッドで目が覚めて、わたしは失敗したのを知った。半身不随。足から落ちて、両足を骨折、腰椎も損傷し、下半身が動かなくなった。
「そんな君に、プレゼントがあるんだけどね」
と、あの人は微笑み、分厚い契約書の束を差し出した。
「これを読んでサインすれば、その不自由な体から自由になれる。と言ったら?」
にわかには、信じられなかった。
契約書を貪り読んだ。いまの名前も、友人も、家族も捨てなければならない。――――母も。急に、目の前が開けた気がした。
「体は……どうしたら?」
「好きなものになれる。イメージしなさい」
まるで、魔法だった。契約すると、すぐにわたしは以前の殻を脱ぎ捨てて、小鳥になった。だから、私のコードネームは「小鳥ちゃん」。
「聞いてるの、小鳥ちゃん」
「聞いてなかった」
「もう~……」
相棒は、口をとがらす。こういう表情のときは、少女らしい。
「じゃあもう、本部へ行きなさいよ。日が暮れちゃう。あんた、鳥目でしょ」
「はーい」
相棒は、小型のフクロウだ。ちょっと頼もしい。
でも、と思う。――――どれほど叱責されても、罰則があろうと、わたしは一般人に関わりたくなるだろう。
人間が好きだから? まぁ、好きだけど。
(どちらかといえば、暇だから、かなぁ)
人と関わるその時だけ、残り時間を考えないで済むからかも。……私が死んでも、覚えておいて欲しいからかも。
相棒とわたしは人気のない屋上から、鳥となって夕暮れ時の空へと舞いあがった。
END