2.思春期/非青春
【思春期/非青春】
チャイムが鳴った。餌を前に”おすわり“やら、”お手“やらをさせられていて、限界ギリギリで”よし“を貰った瞬間の犬のように、目が押し潰されそうになるほどの喧騒が辺りに広がった。
オトナ達はオンとオフの切り替えが出来るようになってきたと喜んでいるようだが、僕にはただの感情の変化が激しい精神異常者にしかみえない。
僕は本を取り出す。本はあまり好きではなかったのだが、心の壁を作るにはもってこいのアイテムという事で読み始めたら思いの外ハマってしまい、そのおかげで部屋の中は本で埋め尽くされそうになっていた。
今日ここへ持ってきた本の題名は『ZONBI』。タイトルからパンデミック物かと思っていたのだが、読み始めるとどうやら世間の荒波に抗う青年達の物語のようだった。なんで『ZONBI』という題名なのだろうと思いながら読み進めていると、主人公と共に活動していた仲間達がプログラムされた行動しかしない”ゾンビ“だったということがわかり、主人公は嘆きながら“ゾンビ”になることが”大人“になることなのかもしれない。という一文で締められていた。
ふと、僕の周りにいるクラスメイトもそうなのかもしれないと思った。学校が嫌だと言いながら理由も考えず毎日通い、授業中だからとロボットのように黒板の文字を写し、昼になったからお腹すいたと言いながら個々のグループで騒ぎまくる。
『そういう自分はどうなのだ?』という問い掛けが頭の中に響く。
──吐き気がした。
……僕は、違う。違う筈だ。
無理矢理そう思い込もうとしている自分に気が付いた。僕はそんな自分が大キライだ。
コイツらと同じだということをどうしても認めたくなくて教室から飛び出した。
僕は午前中の爽やかに太陽が射す街を転がるように駆け回わっていた。平日である街中はオトナ達が規則正しい列を作って無表情で歩いていた。それこそロボットだった。それがオトナだった。
この世界に僕の居場所は無いんだ。そう思うと吐き気が酷くなった。
気付くと僕は人気のない公園のベンチに座っていた。何故かここが僕に残された唯一の居場所に感じられる。
「隣、良いかしら?」
大きなため息を一つ吐いたと同時に、耳に自然と入ってくるような透き通った声が聞こえてきて、隣に誰かが座ったのがわかった。返事を聞くつもりがないのだったら最初から質問をしないでほしいと思っていると、穴が開くのではないかと思ってしまうほどの目線を感じてその人物の方を向いた。その人物は僕が通っている学校の制服を着ていた。その制服から飛び出している顔はビックリするほど整っていて、ニコニコとした笑い顔が似合っている。一度も染めたことがない様な長い真っ黒な黒髪は風に流され波のように動いている。
この人物は噂話に疎い僕でも知っている。
「ふふっ、なんで学校一の優等生がこんな所に? といった顔をしているわね」
実力テスト全教科満点で、体力テストは全国一位という正真正銘の化け物。それなのに入学してから誰一人授業中以外に勉強をしているところを見たことがないという。家で勉強をしているのかと思いきや生徒会長をしていて、毎日夜遅くまで学校に残って作業をしているらしい。
「今は授業を公認で欠席にしてもらって生徒会室で作業をしていることになっているから大丈夫よ」
「で、なんのよう?」
「ふふっ、私達って凄く似ていると思わない?」
我ながら不機嫌な口調が出せたと思う。しかし、生徒会長は不敵な笑みを崩さず、まるで以前からの友達と話すときの様な口調で言葉を返した。
似ている? 僕は真反対だと思うけど。その事を口に出すと「確かに表面上は百八十度違うのかもしれない。でも、根本的な考え方は一緒」とその笑みと合わない真剣な口調で僕に訴えてきた。「意味が分からない」と返しながらも僕は心のどこかで分かっていた。僕達は周りのオトナ達を”機械“と心の中で蔑んでいる。それに絶望しているのか、利用しているのかの違いだ。
「貴方も気付いたのでしょ? この世界が知らない内にゾンビだらけになってしまっていた事に」
──気付いてしまったら、もう逃げられない。
「幸い、まだゾンビ達は私達が人間だということに気付いていない。だから私達は協力し合わなければならないの」
僕はベンチから立ち上がり、手を差し出す生徒会長の顔を一瞥しながら「小説の影響を受けすぎだよ」と吐き捨て、その場から立ち去った。
後ろから「あの本、私も好きだわ」と聞こえてきたが、やっぱり無視した。
「夜咲遥さん」
いつものように本によって周りとの壁を建設していると、それを無視して壁の内側に入り込み、躊躇なく僕の名前を呼ぶ者がいた。この誰も真似できないような透き通った声は生徒会長だろうと当たりをつけて、僕はそのまま本に熱中しているふりをした。
周りの目線が痛い。ここのクラスメイトだけでなく、学校中から野次馬が集まってきているようだ。そう思っていると、目を落としていた本が視界から消え去った。
僕はその原因であろう人物に向かって睨みを効かせたが、全く効果がなかった様でニコニコと柔らかい笑みを浮かべながら、チャーミングに、本を持ちながらウインクをしてきた。なるほど男女年代を問わず学校中から人気を集める理由が分かった。
「……なに?」
そう言葉を発した瞬間、教室中に殺気が充満したのがわかった。「お姉様に向かってあんな口調……!」「自分を何だと思っているの……!?」とこそこそとした話し声が聞こえてくる。
「貴方を生徒会に歓迎します」
辺りに黄色い声が響く。しかし、それには悲鳴が半分以上混ざっていて、殺気と嫉妬の目線が僕に集中し、これを断ったら乱闘に発展する空気が出来上がっていた。
僕はもう一度、生徒会長を睨み付ける。あぁ。と僕は思った。僕達は対極の位置にいる。それでいて何処までも類似している。
生徒会長はオトナだ。何処までもオトナになって自由を得ようとしている。僕は子供だ。何処までも子供であろうとして自由を獲得しようとしている。
何故、この世界は対極にあるものほど類似してしまうのだろう?
断る。僕は言った。時間が止まる。僕は机の横に掛けておいた小さなバックだけ肩に掛けてその場から逃げ去った。
これからどうしようかと思っていたが、駐輪場に置いてあった鍵が掛かっていない自転車を見て、それに乗って山を登ることにした。誰もいない場所に行きたかったのだ。
坂に入るとすぐに息が上がった。それが今の僕には気持ちよい。漕ぐリズムを少しずつ上げていった。
しばらくの間、ガリガリと錆びたチェーンが擦れる音だけが僕の世界の全てだった。このまま全部消え去ってしまえばいいのにと思っていると、体がふわふわとしてきて、草も木も土も石も自転車も自分も全部一つになって本当に全部消えてしまったかのような気がしてくる。
突然、視界が開けた場所に出た。そこには人影が一つあった。
「遅かったわね」
僕の姿に気付いた人影が言った。やはりというか、生徒会長だった。流石、体力テスト全国一位の人物だ。それか何処かに近道でもあったのだろうか?
「待ち合わせした訳じゃないし」
意外にさっきの事を根に持っているらしく、人を貶めてよくもまあ平然と来れるものだと僕は思った。自分が苛立ちを感じているということに僕は驚いた。
「……やっぱり怒っているわよね」
生徒会長は落胆の表情を浮かべながら、でも、まさかあの場面で断るとは思わなかったから……と続けた。
「なんで僕を生徒会に誘ったの?」
他にも言いたいことはたくさんあったが、ここ最近の会話量の少なさのせいで、どう言葉にすれば良いのか分からなくなってしまいどうでもいい言葉が僕の口から滑り出てしまった。
しかし、一度口から出てしまった空気の振動は止められる訳もなく相手に届いてしまう。
ああ、なんてこの世界は理不尽で無責任なのだろう!
僕は生徒会長がここぞとばかりに「私はお友達になりたいだけだったの……」と落ち込んだ様子をみせてきた時に炎が燃え広がるようにその思いが身体中を満たしていった。
オトナはいつもズルい。交友的な態度という餌をちらつかせ誘き寄せて毒牙にかける。僕はそういう表面だけで進んでいくやり取りが定石のなぞり合いでとじ込まれている様な気がして嫌いだった。多分それに気付いた時だろう。僕がオトナを嫌いになって、僕が子供で居続ける事で自由を獲得しようと決めたのは。
僕は「ふん」と鼻で笑い、その場から立ち去ろうとした。
「ねぇ……私もなにかで思い悩んだときとかにこの場所に来るの。やっぱり私達って似ていると思わない?」
耐えきれなかった。僕は生徒会長がいる場所まで速足で戻って思いっきり胸ぐらを掴んだ。
「貴女は打算が無いと一歩も動くことが出来ないただのオトナ。僕達は対極にいるんだ。これ以上ふざけていると、その嘘しか吐けない可哀想な口を引き裂いてあげるよ?」
「私は──ッッ!」
胸ぐらから手を離すと同時に押し倒し言葉を封じると、僕は今度こそその場から立ち去った。