魔術解禁
「やれやれ。やっぱりあの男は、ただの馬鹿なのかな」
そう言って武舞台に上がってきたのは、最後の試合相手。ジンレートであった。ジンレートは、やはり余裕な笑みを浮かべている。体力までは戻っていないが、傷は完全に癒されているし、剣も先ほどの剣ではなく、ジンレートたちが使っている物と同じになったのだ。これならば、普通に考えれば私の方に分があると思うのだが……。油断できないのが、この男であった。
しかし、師匠が自らの危険を犯してまで私に与えてくださったチャンスを、活かさないわけにはいかない。私は、早々と構えた。
「急にやる気になったようだな。ルシエルが相手の時とは、顔が違うぜ?」
「そうは言うが、お前はルシエル様に勝てるのか?」
ジンレートに、応えはなかった。傲慢な男ですら、師匠には勝てないと分かっているのだ。それだけ、師匠の力は私たちと次元が違っていた。
「いつかは勝つさ」
「……私もだ」
剣を先に抜いたのは私の方であった。魔術士だからといっても、相手はやはりジンレートなのだ。どんな姑息な手を使ってくるかも分からない。もしかしたら、不意打ちに来るかもしれないため、早々と剣を鞘から出しておきたかった。
私は、剣を正眼の位置で構えた。私が動いたのをみて、ジンレートも習って構えた。いや、正確な剣の構えではない。型くずしであった。まず、片手で剣を支えている。そして、体はリズムを取るように軽く動いていた。
(……勝てるだろうか)
彼の動きをみて、私の自信は揺らいだ。型崩しをする者の腕は、本当にまっぷたつに分かれる。まったくの初心者か、あるいは……かなりの腕を持つ者か。ジンレートの動きを見ている限り、後者であることはまず間違いなかった。
「はじめ!」
コールと共に私たちは動いた。ふたり同時ぐらいであっただろう。先手必勝と考えたのは、私だけではなかったらしい。自分の手の内を見られる前に、決着をつけたかったのだ。もっとも、私の戦い方は先ほどの試合ですでに割れているかもしれないが……。
ジンレートは私の肩口を狙って突いてきた。それを難なく交わすと、私は切っ先を下げ、腰骨あたりから肩の方に斬り込む様に剣を振るった。すると、ジンレートは剣を左から右に思い切り振り、私の剣を払った。払われた瞬間、私の懐には空間ができてしまう。すかさず彼はそこを狙ってきたが、私は後方に飛び退くことで、それを回避した。
「へぇ……さすがに素早いじゃないか。陛下の犬なだけはあるな」
「犬? 犬はお前の方であろう!」
私は再び一気に間合いを詰めた。すると、先ほどよりもテンポが速いため、ジンレートの反応もわずかに遅れた。私は踏み込んだ勢いで、そのまま斬り込んだ。切っ先がジンレートの腹部を浅く触った。
手には硬い手ごたえが伝わって来る。どうやら薄手の服の下に、鎖かなにかを仕込んでいるようであった。
「今度はこちらから行くぞ!」
すると、ジンレートもペースを上げてきた。先ほどまではウォーミングアップといったところなのであろう。しかし、相変わらず不思議な剣さばきをしていた。正直、彼の太刀筋は読み辛かった。
ただし、読み辛くはあるが、交わせないというわけでもない。私は、ぎりぎりのところで全てを交わしていった。
「ちょこまかと……!」
ふたつの剣は、舞台のちょうど中心あたりで、激しくぶつかり合った。火花が散る。私と彼は剣を交わらせたままで、じりじりと攻め合いを続けた。動くに動けなかったのだ。お互いに……。
動いた瞬間に、腕を斬られそうだ。しかし、このまま競り合っていても仕方がない。どう動くかを私は必死に考えた。彼もまた、私と同様考えていた。
「カガリ……お前には、負けないぜ」
動いたのは彼のほうであった。一瞬剣を強く押された。その反動で離れながらに私の腕を斬りに来るかと思い、私はそのまますぐに後退した。しかし、彼が私に詰め寄るスピードの方が速かった。それに、彼の狙いが腕ではなかったことが、私にとって大きな誤算であった。
「なっ……!」
彼は、剣を捨てたのだ。そして、しゃがむと同時に私の足を払ってきた。対処できなかった私は、そのまま足を取られて転倒する。すぐに起き上がろうとしたが、彼がそれを許さなかった。私の上に覆いかぶさると、私の目の前で拳をきつく握った。
鈍い衝撃が頭に響いた。実際に殴られた部分は、左の頬なのだが……そして、今度は腹を思い切り踏み抜かれた。私は、かなりの激痛に苦悶の声を漏らした。
「どうやら、俺の勝ちらしいな」
悪者となっている私が叩きのめされ、街の人たちは喜んでいる。なんだか、複雑な心境だった。もう、負けてもよいのでは……不意にそう思ったとき、手から力が抜けて、剣をついに手放した。
「なんだよ。もう降参か?」
「私に勝って満足であろう? 街の者も、お前の勝利を望んでいる」
もしかすると、肋骨が今ので折れたかもしれない。内臓には刺さっていないと思うのだが……とにかく、痛みは酷かった。この男、ブーツの下に何かを仕込んでいるようであった。鉄だろうか。そうでもなければ、此処まで痛手を負うことは無い。
「しかし、こうも簡単に勝てちゃあ、おもしろくないんだよ。お前の本当の力を見せてみろよ。こんなものではないのであろう?」
私に何を期待しているのであろう。これが私の全てではないか。それとも、まだまだ虐め足りないとでもいうのか。
本当にただ、それだけなのであろうか。
「そうだ、こうしよう。お前が負けたら此処にいる連中はみな城の奴隷にしてやる。どうだ? 燃えるだろ?」
痛みは消えた。それよりも、怒りが私を凌駕していた。どうしてそうやって、何の関係もない人たちを巻き込もうとするのだ。レイアスという人間は……。彼らに……一般市民に何の罪がある。私は、私の右手を押さえ込む彼の腕を、ギリッと掴み返した。そして、睨みつける。
「そのようなこと、絶対に許さん!」
私は更に力を込めると、ジンレートを払いのけた。そして、そのまま剣をがっしりと握って攻める。倒れた彼の上に覆いかぶさるような体勢で、私は切っ先を彼の喉仏のあたりに突きつけた。形勢逆転だ。
「そう……その動きだよ。カガリ」
体中に危険信号が走った。この場から逃げなければ……でも、出来なかった。彼に切っ先を掴まれて、反応が遅れたのだった。
「……っ!」
私は、舞台の中心から端まで一気に吹っ飛ばされた。それは、激しい熱波を伴う炎の魔術であった。
どれだけの火傷を負ったのか、確かめる暇もなかった。ジンレートが私に向けて手を掲げている。私を魔術の標的にしている証拠であった。私は、倒れた体勢からとりあえず体を起こすと、一か八かで右に跳んだ。撃ってくると感じ取ったからだ。その瞬間、今いた場所に雷が落ちた。
(冗談じゃない。これでは、私に分はない……)
大体、魔術は使わないという約束であったではないか。普段使っている私の剣ならばまだしも、この剣でどうしろと言うのだ。
普段の剣は、「魔法剣」と呼ばれるものであり、それは魔術を掻き消すことができる力を持っていた。しかし、これはただの剣だ。相手の懐に飛び込もうとしても、彼が一言詠唱すれば、私はまた吹き飛ばされてしまう。
(打つ手がない……)
そう、認めざるを得なかった。私は、苦渋を噛み締めた。
(負けられないのに……)
そんな俺の顔をいて、ジンレートは嬉しそうだ。本当に嫌な奴だ。街の人たちは、どうして彼の本性を見抜けないのであろう……と、自分のことを棚にあげて思う。
私も、国王の内心を見抜けずにいた、馬鹿なひとりであった。いや、私のほうが比にならないほど愚かか……。
沈みこむ私に、容赦なく魔術は襲い掛かってきた。魔術士同士ならば、相手が次にどのようなコースで魔術を撃って来るのかが、ある程度分かるらしいのだが、私は魔術士ではないただの剣士だ。その軌道を見抜くことなど不可能だった。
「くそっ……卑怯者め!」
私は叫びながら意を決し、相手の懐に飛び込んだ。避けてばかりでは、進展がない。距離をとっていても魔術は放たれるのだから、近くにいてもそう大差はないと言い聞かせた。
まっすぐに突っ込む私に対して、雷の魔術が連発される。魔術の中でこの攻撃が、一番スピードがあると以前ルシエル様が言っていた。私はそれを交わそうともせずにそのまま走っていった。
(とにかく、前に……!)
この行動は、彼の意表をついたらしい。反応の鈍った彼に、初めて隙ができた。今しかない。そう思った私は、渾身の一撃を繰り出した。普通の者なら、これで戦闘不能に容易に落とすことができる。
手ごたえはあった。でも、思った程の効果はあげられなかった。
「なんだと……!?」
数センチは刃が彼の腹に食い込んでいた……と、思う。けれども、そこまでの深手になる前に、彼は私の刃を手で止めてしまっていた。
「魔術には、応用編というものがあるんだよ!」
それが呪文だった。私の剣を伝って、電流が流れ込んできた。体の機能が全て麻痺してしまったかのような感覚に襲われる。胸は圧迫されている感じで、呼吸も不規則だ。無理やり肺に空気を送り込もうとしても、それが容易にはできなかった。私は、空気を取り込めないことに焦りを感じた。この状態が長く続けば、意識を失い最終的には死ぬ。
ついに立てなくなった私は、その場に倒れこんだ。
「わかったか? 魔術で作り出した水を手に固めて、お前の剣の侵入を阻み、掴んだ剣から雷の電流を流し込んだ。雷は、ただ単に放出されるだけではなく、こうやって相手の体内に直接送り込むこともできるのさ」
何か言っている。それは分かるのだが、意識が朦朧として上手く聞き取れない。とりあえず、彼との間に距離をおきたかった私は倒れた体を必死になって支えた。
剣は落としてしまっている。しびれて手に力が入らなくなったからだ。私は、とにかく呼吸を取り戻すことだけを頭において、回復を待った。
「動けないのか? 苦しそうだなぁ……カガリ」
撃って来る。そう思ったが、身体が言うことを聞かない。私は、唇を噛み切った。痛みで感覚がわずかに戻る。
(動け……!)
祈りながら、私は力いっぱい地面を蹴った。なんとかしてその場から一歩分離れた。そのまま崩れるように地面に倒れこみそうになったが、倒れる前にまた一歩を踏み出した。まるで、今初めて立ち上がるという動作をした赤子のような足取りであった。
「それで避けられるとでも思っているのか?」
嘲り笑う彼の声を、気にしている余裕もなかった。ジンレートは容赦なく魔術を撃って来る。けれどもそれは、私の身体を掠めるばかりで、致命傷になるほどのものではなかった。おそらくは、あえてそうしているのであろう。勝ちを確信したのか。じわじわと私をいたぶるつもりらしい。しかし、それは私にとってかなりの好都合であった。体のしびれをとる時間を稼ぐことができる。それに、思った以上に私の体の回復も早かった。無理矢理に体を動かしているうちに、スムーズな動作が戻ってきた。これなら、普段の動きをすぐにでも取り戻せると確信した。
(行ける……)
そう思った瞬間。カメのような動作をしていた私は、いきなり普段の俊敏な動きに変更した。もちろん、突然のペースの変化に、ジンレートはすぐには対応できない。私は、落とした剣を拾い上げると、もう一度彼の懐に飛び込んだ。今度は、彼に詠唱を許す間もなく剣を繰り出した。
「くっ……」
そして、彼にかなりの大きなダメージを与えた。しかし、私の息も上がってきている。この試合、そう長くは続かないと思った。
「……カガリ、よくもやったな」
ジンレートは、今度は自分に向けて手のひらを向けた。何をするのかは手に取るように分かった。
(反則だよな……こんなの)
「キュア」
詠唱と共に、私がたった今つけた傷は、あっさりと癒されてしまった。もっとも、出血した分の血液は取り戻せないため、先ほどの状態よりは弱っていると思われるのだが……。それでも、完全に止血されているだけ、彼の方が状態はよかった。
私はというと、先ほど踏み抜かれた腹部がまだ激しく痛む。気を抜けば、体中の血を吐き出してしまいそうな気分だ。やはり、内臓までいっているかもしれない。それでも、私は気丈に振舞った。弱みを見せるのはイヤだ。
ジンレートは再び手を掲げた。先ほどから彼は、その場から動いていないのに対して、私は魔術を避けるためにこの舞台上を右往左往している。相手も魔術の連発で疲労はしているだろうが……。おそらくは、疲労の濃さは私のほうが上であろう。早いところ決着を着けたかった。
「ウォーター!」
水だからといって、なめてはいられない。鉄砲水の如く、激しく私のほうに向かって水が押し寄せてきた。私は右に飛び交わすが、すぐさま第二波が来る。私は、今度は右に避けるのだが、この動作。意外に苦しい。
魔術士は、自らが持っている力を放つことができなくなるまで疲労するか……発動させる為の媒体、声を出せなくなるまでは、魔術を放ち続けることができる。腕を折られようが、何をされようが、体力と声さえあればいい。
逆を言えば、体力を極限状態まで奪うか、または声を出なくしてしまうかさえすれば、魔術は封じられるということ。私は、なんとかして声を封じようとした。
(……剣を突き立てるか?)
喉に剣を突き立てれば、そりゃあ声は出なくなるさ。でも……あやまって動脈でも斬ってしまえばそれっきりだ。私は、彼を殺してしまう。
(……駄目だ。できない)
私はかぶりを振った。自分の頭の中から、この考えを消し去るためである。もしも、頭の片隅にこのような考えが残っていたら……。もしかすると、無意識のうちに、そこを狙ってしまうかもしれなかったから……。
私は気がついていなかった。このとき、自分自身に大きな隙ができていたということを……。
「ファイアー!」
詠唱が聞こえたような気がしたが、それに気づいたとき、時はすでに遅かった。魔術によって生み出された炎が、私の眼前に広がっていた。
ダメだ。
そう思った私は、目を堅く閉じた。しかし、その熱波は私の寸前で止まった。不審に思った私は、そっと目を開ける。すると、信じられない事態が起こっていた。
「ガリガリの、兄……ちゃぁ」
「リ、ラ……!」
私を炎から守ってくれたひと。
それは、こんなにも小さな女の子だった。