標的はカガリ
どこまでも卑劣な人間。ここまで赦せないと憎める人間がいるとは、村を出るまではまるで分からないことだった。
「あぁ……そうだ」
とりあえずは先に街へ行き、なんとかできないかと考えよう……と、思ったときだった。わざとらしく、ジンレートは言葉を発した。やはり、主犯はこの男であったようだ。
「こういうのはどうですか? 陛下」
「なんだ。申してみよ」
国王は、ジンレートのことを特別かわいがっていた。似たもの同士だから、気が合うのかもしれない。ふたりで私を責めることは別に構わないが、ふたりで他のものに、何も関係のないひとたちに危害を加えることだけは、勘弁願いたかった。
ジンレートは、笑いながら私の方を見て言った。
「レイアス対カガリ……というのはどうですか?」
「……レイアスと、私が?」
それは、予想もしてみなかった提案だった。
ジンレートは、はじめからこれが目的だったのか?
でも、レイアスと私を戦わせて何になるというのだ。集団いじめでもするのか?
それでも、街のものから視点が外れたため、私は内心でほっとしていた。
「どうした? 怖いのか?」
私に、断る理由はなかった。
「怖くなどない。受けて立つ」
そう言うと、ジンレートは国王に同意を促していた。もちろん、国王にも反対する理由は無い。普通に考えても、私の負けは目に見えている。
「そうだなぁ。お前のような弱い人間に、魔術を使うのももったいない。どうせだから魔術抜きでやりあうのはどうだ? 戦いは一対一方式で、剣のみの勝負だ」
「えっ……?」
思わず声がもれてしまうほど、それは彼の口から出るとは考えられないものであった。魔術抜きだと? 何を言っているんだ。私には、ジンレートの言葉がどうにも信じられなかった。私には魔術などという絶対的な力は無い。だが、魔術抜きの剣のみの勝負ならば、はっきり言って分は私にあると思う。ジンレートにさえ、勝てる自信はある。それは、あの男にもわかっているはずだ。それなのに、なぜこのような提案を? 裏があるに違いないのだが、私には想像することはできなかった。
「それでいいのか? レイアス」
ジンレートの提案とあって、レイアスの者の中でも、この提案に反対するものはいなかった。そしてこの、主旨の見えない対決が開かれることになった。
対決は明日の昼下がりの頃ということに決まった。召集のあと、私は暇な時間を自室で過ごしていたのだが、不意にドアをノックする音が聞こえてきたので、横になっていた体を起こした。
「……はい?」
「入るぞ」
外から聞こえてきたのは、師匠の声だった。二、三日は任地に行っているという話だったのだが……。どうしてもう帰ってきたのであろうかとか、そんなことを思いながら、私はベッドに座りなおした。
実はこのベッド。師匠が作ってくれたものであった。私の部屋は誰のものよりも狭く、ベッドも布団も用意されていなかった。そのため、それを知った師匠が日曜大工によって作ってくださったのだ。
「カガリ……お前は、何を考えているんだ」
師匠はやはり怒っているようであった。普段は穏和な性格なのだが、昨日、今日と続けて怒らせてしまっている。
「……レイアスのことですか?」
その件のことが耳に入って、心配して駆けつけてくださった様であった。少し疲れているように見える。師匠にしか仕えない究極の高度な魔術。「転移」を使って戻ってきたのかもしれない。
転移とは、自分が思い浮かべる場所へ瞬時に移動することができる魔術だ。多大なる魔力と精神力を費やす魔術らしくて、この世界で転移ができるのは師匠ただひとりだ。師匠が世界最強の魔術士といわれる所以のひとつは、そこにある。
「あれほど挑発には乗るなと言ったのに。お前という者は……」
「けれども、私が受けて立たなければ、市民が傷つくところだったのですよ!? 黙って見ていろとでも、師匠は仰るのですか!?」
私の言い分も聞かずに一方的に怒る師匠を前に、私は少しムッとなった。私が何か悪いことをしたのか? 悪いのは、国王とジンレートの方ではないか。私はただ、街のひとを助けたくて……ただ、その一心だったのに……。
「カガリ。昨日から少しおかしいぞ。何をそんなにカリカリしているんだ。落ち着いて考えなさい。ジンレートがそのような提案をしてきたことには、必ずや何か裏があるぞ?」
だから、そんなことは私にも分かっているんだ。分かっているけれど、受けるしか私に道はなかったのだから……。師匠に、とやかく言われたくはない。
「これは私が決めたことです。ルシエル様は黙っていてください」
師匠はまだ、何か物言いたげだったけれど、私がそれを許さなかった。師匠に背を向け、これ以上会話をする気はないと態度で示した。すると、深くため息をついてから、師匠はこの部屋のドアを開けた。それから、一言だけ私に告げて部屋を後にした。
「気をつけるんだよ……カガリ」
それも……充分に承知していることであった。
私は翌日、何も口にはしなかった。なんとなくだが、食欲がなかったからだ。緊張をしているわけではないのだが、どうも胃が受け付けなかった。だから私は、そのまま街に降りた。
街に降りると、少しだけ気持ちが落ち着いたので、ほっとした。城の空気はどうも好きになれなかった。それは、当然だと言えば当然なのだが……。なぜならば、私の全てを奪った仇が住む城なのだから。私はまた、昔のことを思い出し、足を止めた。あれほど憧れていた「祭」だというのに、少しも嬉しくない。それどころか、胸は苦しくなる一方であった。
「ガリガリの兄ちゃんだぁ~!」
ひとり自分の世界に浸っていると、女の子がひとり、私のもとへパタパタと足音を鳴らしながら駆け寄ってきた。そしてそのままつまずいて、私に体当たりをしてきた。
「大丈夫か? リラ」
私は、私の服に顔をうずめている少女を抱きかかえた。すると、この子の友達であろうか……。数人の子どもが同じように、私のもとに集まってきた。
「本当だ! ガリガリの兄ちゃんだぁ!」
ガリガリ。それが、私の呼び名であった。原因はこの少女、リラにあった。初めて会ったのは、今から一年ほど前になるのであろうか。私が気を紛らわすために、中央広場で鳩と戯れていたときだ。この少女は私の傍に歩み寄ってきた。そこで、少し会話をしていたのだが……少女に名を聞かれ、私はもちろん「カガリ」だと名乗った。それなのに、まだ三つであったリラは、私の名を「ガリガリ」と覚えてしまったのだ。それを街の子どもたちに言い広めてしまったらしく、一年経った今でも、正しい名前で呼んではもらえていない。
「リラ。私はカガリだ。ガリガリでは……」
「ガリガリの兄ちゃん! 一緒に遊ぼう!」
子どもたちはまるで、私の話なんて聞いていなかった。がっくりと肩を落とした私は、リラを私から離した。
「すまない。今日は遊ぶためにここに来たワケじゃないんだ。だから、家にお帰り」
けれども、これくらいの子どもが素直に言うことを聞くはずも無かった。私も、昔は相当にわがままであったと自覚している。いや……今でもそうかもしれない。
「やだぁ~……。最近ガリガリと遊んでなかったもん。遊ぶの~!」
「痛っ……こら、髪を引っ張るな」
私に飛びついてきた子どものひとりが、私の背中によじ登り、髪を思い切り引っ張ってきた。子どもとは、予想不可能な行動をする者だと言われているが……本当に、そうかもしれない。それにこの元気。私にはもう、ない。
(……私も年か?)
ふと、「ラナン」ならば上手にあやすのであろうな……と、思った。
「頼むから……離れてくれ。そろそろ行かなければならないんだ」
「どこ行く? ガリガリ~!」
レイアスと試合をしに行くんだ……。
そう言っても、この子たちには理解できないであろうな……と、思った。それに、この子達は私が城の人間であるということも知らない。だからこそ、この子達は私のことをただのひとりの人間としてみてくれていた。それは私にとって、とても嬉しいことではあった。だから、できれば今日だってこの子達と一緒に遊んでいたかったのだが……。そのような行動に出れば、間違いなく国王やジンレートは、標的をこの子達に向ける。それだけは、絶対にあってはならない。
「……遠くだ。いいから、今日はお帰り。また今度、一緒に遊ぼう」
子どもたちは、しぶしぶ私を解放してくれた。ほっとすると、私はすぐに歩きだした。すでに、少しだが予定時刻からは遅刻していた。
レイアスとの試合は、街の中央広場で行われることになっていた。国王も直に観戦されるとのことで、警備はいつもにもまして、厳重であった。このような試合の護衛のために、ラバース兵までもが出動させられていた。
「カガリ。どうしたんだ? 遅かったじゃないか。逃げだしたのかと思ったぜ?」
「逃げる理由など、私にはない」
嫌味いっぱいな言葉を発するのは、ジンレートだった。いちいち私に絡んでくる。私はすぐに彼を通りこした。すると彼は、私の肩を後ろから強く握ってきた。
「待てよ。遅刻したことへの謝罪はどうした? ん? お前、顔色が悪いなぁ」
私は、何も答えずにそのまま背を向けていた。この男とは、顔をあわせたくも無いのだ。
「なんだよ。人が心配してやっているのにさぁ。ほら、とっとと準備しろよ」
「……わかっている」
それだけ言うと私は、中央広場の片隅に用意された椅子に腰掛けて、国王の到着を待った。その間に、私は大量の汗をかいていた。とくに暑いというわけでもなかったのだが……。
もしかすると、風邪でもひいたのかもしれない。
精神的なストレスからくるものかもしれない。
どちらにせよ、これから戦う私にとって、あまりいいことではなかった。