雪の日
こちらは『縁あわせ』のその後となります。
未読の方にも読める仕様となっております(多分)
この短編で少しでも気になってくださった方は『縁あわせ』の方も読んでやってくださると嬉しく思います。
小説の最後にイラストがございます。
挿絵表示 する にしていただければご覧になれます。
よろしかったらどうぞ~。
テサンの町に雪が降った朝、食事処『双葉亭』の看板娘マァナ・リードは大慌てで荷袋を漁っていた。夫に着せる厚手のマントを探すため、体を半ば袋に埋めてもそもそやっている。
冷え込んできていたのだから先に準備をしておけば良かったのだが、今年の変わり身の早い空に一歩先を越されてしまった。
妻として大失態だわ。
ひとりごちながら掴んだ布を引き上げる。
・・・・違った。鎧用の下履き?
夫の荷は少ないくせに、探すとなると見つからない。
やたら黒い衣装が多く、荷袋の中は混沌としている。
なんとか分厚い手触りを頼りにマントを引っ張り出すと、それは小さなマァナの全身に襲いかかってくるかのような大きさだった。
「マントが自力で走ってきた」
マントに巻き付かれながら階下の夫の元へ走ると真顔で茶化されたが、頬を膨らませて抗議する時間も無かったのでそのまま「いってらっしゃいませ!」と裏口へ追い立てる。
しかしマァナの忙しい朝は夫を送り出した後が本番。
「「マァナ、なに時間食ってんだい! はやくこっち手伝いな!」」
聞き慣れた見事な二重奏が頭に落ちてくる。
『双葉亭』を切り盛りするマァナの育て親、双葉姉妹のリーンとレーンが同じ美人顔を台無しにしてわめくとマァナは厨房に飛び込んでいつものように働き始めた。
これが彼女の日常。
少し前、といっても半年は過ぎたのだがマァナは15歳の誕生日を迎える前に『縁あわせ』でクロス・ハガードと結婚した。
大柄な男で戦役を耐え抜いた屈強な体を持ち、黒く硬そうな短髪をいつも後ろになでつけている。
それに対してマァナは体のパーツ全てが小さく色白で、髪の毛に至ってはふわふわと所在無いわたあめのような頼りない印象の娘。
並ぶと良いのか悪いのか互いを強調しあって一層の凸凹感が否めない。
それでも結婚生活は今のところ順調だった。
ちょっとした問題はいくつかあるのだがそれは当たり前だろう。
夫のクロスが買い物の過ぎる男だったというのは共に暮らし始めてすぐに発覚した小さな問題の一つだ。
結婚当初は毎日仕事帰りに土産を買ってきた。
マァナの好物であるチーズや、双葉姉妹の好みそうな酒類、料理刀に鍋ヤカン。何を思ったのか花束、どうしてそうなったのかマァナの靴(大きすぎた)等等。
昼休みに仕事場を抜け出して買ったという可愛らしい意匠の髪留めは双葉達の分もあり、その似合わなさ具合と今や物で埋まりそうな一階の小さな物置の存在を前にリーンとレーンがついに口を出した。
無法気味な買い物をする男に対して堪忍袋の緒が切れたのだ。
「「あんたはおかしな物ばかり買ってくるんじゃないよ!」」
買い物禁止令が出てからすでにかなり経つ。
時折クロスは昼休みに見かけた品について語り、「欲しくないか」と問いかけてくる。
ゆるく首を振るのにも慣れてきたマァナだったが、夫の大きな背に哀愁が漂っているのを見るのは心苦しかったりもする。
けれども生活に物が増えるのをよしとしないので折れるわけにもいかない。
欲しくないわけではないが自分の小さな手の平で本当に大事に出来る物達だけでいいのだ。
それこそが幸せだとマァナは思っている。
早く夫にもわかって欲しかった。
その日は一日中雪が降っていた。
夜になり、いっそう雪は力を得たように我が物顔で降りつもる。
双葉亭を早々に閉めてしまった今日、クロスは帰宅時に外から直接二階へ上がる階段を使うはず。
マァナは窓を開けてひたすら待っていた。
帰宅時間の定まらない仕事を持つクロスのせいで自分はこの部屋に居るといつも彼を待っている気分になってしまうとマァナは思う。
別段嫌ではない。重たい足音にいつも心踊るのだから。
けれど今日、その音をマァナが耳にすることはなかった。
扉の開く音がしたかと思うと冷たい外気をそのまま身に纏ったようなクロスが黒いマントを肩から落としながらマァナを静かに見つめていた。
何も語らないがその瞳は「寒いのに窓を開けて」と咎める色を濃くする。
どうやらこの冷え込みの中、窓辺でうたた寝をしていたらしい。
「お帰りなさい、クロス様」
ただいまの返事も忘れたかのようにクロスは大股で歩み寄ってきたかと思うと窓を閉めてしまった。
「……体を冷やすな。施錠もしろと何度も言っている」
そう不機嫌に言うなり、身をかがめてマァナの手に大きな指をからめてくる。
熱を分け与えられる事に慣れたマァナは自分からも求めるように身を伸ばして外の香りがするクロスの胸にすりよった。
ふか。
なにかクロス様の胸元が柔らかい?
マァナが不思議そうに見上げる視線の中、クロスは黒い威圧感のある上着の胸元から薄い茶色のふわふわした物体を取り出した。
無造作に鷲掴みされたそれは卵型をした顔の横に長い耳を垂らし、ぽんぽん膨らんだような腹を突き出してつぶらな黒い瞳で見つめてくる。
「フランの幼生?」
フランは草原地帯を跳ね回る小型動物だ。
間違ってもこんな闇の魔術王全盛の寒い季節に出てこない。
「その、ぬいぐるみだ。本物なんかを渡したらお前達は美味しい料理にしてしまうだろう」
「え、まぁ、フランは美味しいわよね」
突然の事にマァナは混乱してしまい、差し出されるぬいぐるみに手を伸ばせずにいた。
決してぬいぐるみというものを知らないではなかったが、娯楽品を買い与えられずに育ったせいか触り方どころか触っていいものなのかすらわからない。
それでも押し付けられるとフランのぬいぐるみはマァナの手の中になんの抵抗も見せずに収まる。
小さな両手の平からはみ出る程度の大きさで、閉じ込めるように押さえると垂れた耳がぽろりと指の間からこぼれ、その体は柔らかな弾力を返してきた。
「雪を見ていたら無性に贈り物をしたくなったのだ。これは、君に似ていたのでつい、な」
「……雪で? クロス様ってほんと、いろんな習性があるのねぇ」
壊れ物を扱うかのような様子でぬいぐるみを両手に乗せたマァナの頭をひと撫でしてからクロスはヴィネティガ駐屯兵団の制服を脱ぎにとりかかった。
そして机の上に書類の束を置く。
また持ち帰りの仕事だろうとマァナは目をそらした。
団長は機密書類を平気で持ち帰るので奥様は目をそらして下さいと、それはもう呆れるほどしつこくアスラファール補佐官に言われている。
「お買い物するとリーンさんとレーンさんに叱られるよ」
「君が言わなければいい」
クロスが上着を手近な椅子の背に投げてしまうと、残った薄い白シャツ姿からは男の独特な匂いが沸き立つ。雪も降るほどの冷え込みだというのに湯気でも出そうな熱量を発しているのはいつものことだ。
「あたしも贈り物をしたほうが?」
「……いいと言うのならば、君を一晩もらおうか」
少し笑いを含んだような声に入り混じる男の真剣味に晒されると、途端にマァナは背が痛いほど痺れてすくみあがってしまう。
クロスにこういう色を帯びた声を出させてはまずいのだ。とんでもないことを仕掛けてくると既に知っていた。
「旦那様の特殊な習性も多少は受け止めたいとは思いますが、それは今日ではなくまた後日ということで」
「特殊ではないとあれほど言ったのに」
「特殊です! 普通、あんなに触らないと思うのよっ!?」
メッ! とでも言いそうにマァナは叱るのだがクロスの「くっくっ」という笑い声がその勢いを削ぎ落としてしまう。
この『特殊習性』に関する問答は結婚当初から続いているので二人の会話としては飽きた境地に至って久しい。夫の買い物癖と双璧を成す問題である。
下手に掘り下げると、これまた夫が大変とんでもない所業を見せ始めるのでマァナは早々に俯いて話題放棄の姿勢をとる。
「持ち帰りの仕事は明日だ。今日はもう眠るぞ」
「まっとうに?」
警戒心もあらわなマァナの上目遣いにクロスは肩をすくめて応じる。
「残念だが真っ当にだな。今日はそいつのせいで気疲れしたんだ」
クロスの困ったものを見るような視線はマァナの手へと集中していた。そいつ、とはどうやらぬいぐるみの事らしい。
「昼休みに思い立って買ったはいいが、花柄の派手な袋に入れられそうになったのを断って懐に忍ばせるに至ってまだ仕事中だったことに気づいてな。特にアスラファールにでも見つかると何を言われるかわからんので、あっちこっちに隠しながら連れて帰ってきたんだ」
「あらまぁ。いいわねぇ、お仕事中のクロス様とご一緒できたなんて」
「立ち寄った修練所で落としそうになって肝を冷やした」
常と同じ淡々とした表情からはとても肝を冷やすことがあるような男には見えないのだが、緩慢な動きでベットへ腰を下ろして手招きをしてくる姿を見ると気疲れしているのは事実らしい。
呼ばれるままに近づくマァナの手にはまだぬいぐるみが包まれている。
触ったはいいが、今度は手放し方がわからないまま、大きさの合わない靴を難なく脱ぎ、クロスの横からベットの奥へヨジヨジと進む。
壁側がマァナの定位置。
本当は早起きする自分が手前になりたいのだが、何度か床に転落したことからクロスが防波堤になることとなった。
これはこれで、たまに壁とクロスに挟まれて痛い目にあう。
「汗は拭いてきたのだが、臭うか?」
夫が大きな重たい身を横たえると、ベットマットが傾斜する。
マァナは上掛けを広げながらそれに従って転がるようにクロスの左腕の中へと収まった。
こういった匂いに関しても時折尋ねてきたりするクロスはやはり繊細な人だとマァナは思う。
気にする必要ないのに、と口には出さずにただ首を振った後、ふと思い立って身を起こした。
手放す機会を逸していた慣れないぬいぐるみのやり場が見つかったのだ。
「何をする」
ぐいぐいとぬいぐるみを右の脇に押し込まれたクロスの疑問は当然である。
「この子、あたしに似てるって言ったから。それならきっとここが好きよ」
清々した様子で言うとマァナはクロスの左脇に潜り込み直した。
右にぬいぐるみ、左にマァナを伴う珍妙な状態をクロスはため息と共に受け入れた。
「気にいらなかったか?」
「そうじゃないの。クロス様がくれたものは大事にしたいの。でもあたしの手は小さいし、要領も悪くてとても沢山は大事にできなくて」
「大事にしてもらうのが目的ではない。強いて言うのならば、君を大事にしたいので贈るのだ。いつも寂しそうに待たせたくない。君はどんな顔をして毎日俺を出迎えているのか知らないだろう」
寂しい?
マァナは小さな頭を悩ませた。素直にクロスを待っている時の自分を思い返してみる。
重い足音を楽しみにしている。早く帰ってきてこの部屋の空気を暖めて欲しいと思っている。この広い部屋はマァナの体に余るのだ。
そういう思いを言葉で表そうとすれば、「寂しい」というのが的確なのかもしれない。
こうして改めて自分の気持ちを掘り下げるといともたやすく「寂しい」に行き当たるのだが、頭で考えるよりも先に素直な表情がそれを夫に伝えてしまい、気を揉ませてしまったのだろうか。
階下に双葉達が居るというのにクロスの居ない双葉亭を完璧な住処とは思えなくなっていた。
彼が帰ってきてこそ完成する家族なのだ。
「寂しいなんて、言葉にしてしまったら本当になっちゃうじゃない。クロス様が居ないと寂しいは当たり前だと思うの。空間が埋まらないんだもの」
「それを誤魔化す道具を探している」
マァナは腕を伸ばして反対側に収まっているぬいぐるみを指先でなんとか撫でる。
クロスを間に挟むとぬいぐるみが限りなく遠い。
「それがこの子?」
「無理そうならまた次を探すまでだな」
今までのお土産達もその任務を帯びていたのだろうか。鍋ヤカン、料理包丁にまで?
だとしたらこの子で満足しないとまた次があるということだ。
「この子と一緒にクロス様の帰りを寂しがらずに待ちます」
これ以上何か買い込まれてはかなわない、という色を含んだ言葉にクロスの笑う振動が返事をよこすと、マァナはふわふわした眠気に包まれていった。
夫の帰りが夜分になる日、いつもマァナは窓辺で待っている。
窓は一応閉めて、扉は時々施錠して、手の平でぬいぐるみをあたためながら。
あの大きな人が居ない穴をこの小さなぬいぐるみで埋められるはずは無いと思っていたのだが、意外と心救われることにマァナは驚いた。
つぶらな瞳と柔らかな手触り、なによりクロスがこれを与えてくれたこと。
心を込めてくれた贈り物は自分が納得して大事にしている物達とは別の場所に鎮座するようだった。
それでも大事な物は少ないほうがいいと思っているのは相変わらずなので、クロスの「欲しくないか?」には首をゆるく振る。
少しの変化と、変わらない何か。
そういった全てのことに折り合いをつけながら彼女は新たな日常を丁寧に作っている最中なのだ。
有り合わせで作るので凄い配色です。
マァナの趣味を疑わないでやっていただけると幸いです。
さて、今回登場のぬいぐるみモデルは『スターチャイルド』さんのロップイヤーでございます。
モデルっていうかそのまんま!(笑)いいんかいな・・・。
検索して頂けるとすぐに見つかります。珍しくも日本製のぬいぐるみです。(キーチェーンマスコットだけは中国製らしいけど)
現物が写真を大きく上回る可愛いさなのです。このぬいぐるみのパターンを作った人は天才じゃなかろうか。
首が座ってないので飾る用ではなく触るためにあるぬいぐるみだと思います。子供さんには特にお勧めです。
Sサイズは両手の平でムギュっとできて可愛らしいです。
Mサイズは抱えるのにいい感じ。大きくなっても可愛らしさそのまま。
Lサイズは・・・残念ながら現物を見たことがないです。
是非、どこかのぬいぐるみ屋さんで見かけたらお手にとってみてくださいませ。
ネット通販もいいけど、ひとつひとつ顔が違うんですよね~。
宝石と一緒で現物に惹かれてからの方がいいと思うのです。
・・・以上、完全に回し者状態で失礼いたしました(笑)
いやもう、ほんと、関係者じゃありません。ただ、好きなだけ。