乗っ取られた令嬢は怠惰なヒロイン
始まりは突然でした。
うーん、もう朝?
……あれ? あれれ?
どうしたことでしょう? 体が動きません。
これが金縛りと言うものでしょうか?
困りました。
目ははっきりと覚めたのですが、体が全く動……いた!?
え? ええ? どうして?
体が動きます。動いてしまいます。
どうして? なんで?
なんで勝手に動くのよ!?
「……え? もしかして私、異世界転生した!?」
喋ったぁ!?
私の口から意味不明の言葉が出てくるぅ。
本当に、どうなっているの!?
◇◇◇
私はキャロ。
キャロライン・クロフォード。
クロフォード男爵家の娘、だそうです。
事情があって、私は平民として育てられたので、突然貴族だと言われても実感はありません。
私の実の母親――クロフォード男爵夫人は、私が生まれた後しばらくして亡くなってしまったのだそうです。
実の父親であるクロフォード男爵は、その後政略結婚で再婚しました。
裕福なクロフォード男爵家の財産を狙ったどこかの伯爵が強引に進めた、不本意な再婚だったと言います。
乗り込んできた後妻は、最初からクロフォード男爵家を乗っ取る気で、そのために邪魔な先妻の娘である私は殺されてしまう恐れがあったそうです。
赤ん坊だった私は、後妻の魔の手から逃れるために、屋敷から連れ出されて平民として育てられました。
クロフォード男爵家が完全に乗っ取られていたら、そのまま一生平民として生きていったはずでした。
けれども、乗っ取りをたくらんだ伯爵家は没落し、浪費と不正を繰り返していた後妻は男爵家を追い出されました。
憂いのなくなったクロフォード男爵家は私を呼び戻したのです。
あの時は驚きました。
突然男爵家の馬車がやってきて、実の両親だと思っていたお父さんとお母さんが私をお嬢様扱いしたのです。
ただ、以前からなんとなく予感はありました。自分が一般庶民とは少し違う扱いを受けていることは薄々気が付いていました。
例えば、勉強や礼儀作法など、私は普通の平民に比べてずいぶんと高度な教育を受けていました。
将来貴族とも取引のある大商人になるため、みたいな説明を受けていましたが、当時はむしろ貴族とは関わらないようにしていたので不思議に思いました。
今にして思えば、私が貴族の令嬢に戻れるように最低限の教育を施していたのでしょう。
こうして、少し変わった平民のキャロだった私は、男爵令嬢のキャロライン・クロフォードになったのです。
そして、クロフォード男爵家のお屋敷で暮らすようになった翌日の朝に、私の身体は何者かに乗っ取られたのでした。
最初はとても慌てました。混乱もしました。
自分の身体を自分で動かせないどころか、私の意志とは無関係に勝手に動いて喋るのです。
けれども、周囲の人はこのことを知りません。
私とは性格が違う言動も多いのですが、実父であるクロフォード伯爵も屋敷の人たちも赤ん坊のころの私しか知りません。
お父さんとお母さん――養父母の二人ならば私の様子が違うことに気が付いたかもしれませんが、男爵家令嬢としての生活に早く慣れるために二人とはしばらく距離を置くことになっていました。
それに、多少の違和感があっても「環境が変わったせい」と思うことでしょう。
実際に平民の娘と貴族の令嬢では生活がまるで違いますし、この身体は間違いなく私のものなので、環境のせいで人が変わったように見えると考えるしかありません。
唯一この事実を把握している私は、何もできません。
自分の意志では指一本動かせず、話すこともできません。
私にできることは、ただ見ているだけ。
なので、しっかりと見守ることにしました。私の身体が何をするのかを。
……まあ、見たくなくても見えてしまうのですが。今の私は目を閉じることすらできません。
数日間見続けて分かったことは、私の身体を動かしている何者かは、今のところ悪意のある行動はしていないということです。
今行っていることは、男爵家令嬢になるための勉強です。
私は平民時代にも多少の教育は受けていましたが、本物の貴族になるためにはそれだけでは不足です。
クロフォード男爵家に引き取られてから本格的な教育が始まりました。
けれども、その時には私の身体は乗っ取られていたので、実際に勉強していたのは私の身体を動かしている何者かです。
その誰かさんは、かなり熱心に勉強していました。先生方から褒められたくらいです。
その場限りのポーズではなく、自由時間にも復習していたりするくらいなので、本当に熱心です。
悪だくみをしている暇なんてありません。
教育が終わって一人前の貴族令嬢になった後は分かりませんが、今はとにかくクロフォード男爵家令嬢として認められるように一所懸命に頑張っています。
その熱意は、私以上です。
……あれ、それってちょっと拙くありませんか?
今私が元に戻ったら、突然不真面目になったと思われてしまうかもしれません。
教育を終えて完璧な貴族令嬢になった後に元に戻って、その時私のできが悪かったりしたら、私の方が偽物扱いされるのではないでしょうか?
……少しまじめに勉強しましょう。見ていることしかできませんけれど。
それはともかく。
私の身体を動かしている何者かについて他にも気になることがあります。
どうも、私のことに気付いていないようなのです。
私の身体は人目のないところで時々独り言を言います。
人目はなくても、私にはばっちり聞こえているのですけれど。
もちろん、私が聞いても何もできないから問題ないのでしょうけれど。
ただその独り言の内容が、聞かれて困るというよりは、恥ずかしいから人に聞かれたくない感じなのです。
恥ずかしくて人に聞かれたくないのなら、私にだって聞かせたくないでしょう。
何を言っているのかよく分からないことも多いですが、私に聞かせようとして言っているような独り言はありません。
私の意識が存在することや私が見聞きしていることを知らないのではないでしょうか?
それからもう一つ。
私が身体を乗っ取られる前の出来事をある程度知っているようなのです。
私のことを以前から調べていたのでしょうか?
けれど、それにしてはささやかな内容だったり、私の庶民時代を知らない人ばかりで適当なことを言っても問題ないような場面で妙に心当たりのあることを言います。
もしかすると、私の身体を操れるだけでなく、私の記憶も読み取ることができるのかもしません。
時々、何かを思い出そうとしているようなしぐさをしているのです。
こう、首を傾げてうーん、て感じで……あれ? あれれ?
なんだか奇妙な記憶があります。こんなこと経験しているはずもないのに……
ひょっとして、私の記憶を読まれてしまう代わりに、私もあちらの記憶を読むことができるのではないでしょうか?
ちょっと試してみましょう。私の身体を乗っ取った相手のことが分かるかもしれません。
えーと……あっ!
分かりました。
彼女の名前は、橘 絵理奈。
タチバナが家名で名前がエリナですか。
エリナはいったい何をするつもりなのでしょう?
◇◇◇
クロフォード男爵家にやってきて一年が過ぎました。
最近はだいぶ貴族令嬢らしくなってきたと言われます。
……エリナが、ですが。
私は私で、この状況にもだいぶ慣れました。
……慣れてはいけない気もするのですが、見ているしかできないのでどうしようもありません。
それに、慣れてみると案外快適です。
面倒なことは全部エリナがやってくれますから。
それではいけないとは思うのですが、どうにもなりません。
それから、エリナ自身に悪意はなさそうです。
これまでのエリナの行動と、エリナの記憶を色々と見た限り、悪だくみをしている気配はないのです。
エリナは家名を持っていますが平民で、貴族家に潜り込んで何か企むような立場ではありません。
それに、エリナが生まれたのは、日本と言うどこか遠くの全く知らない国です。
クロフォード男爵家どころかこの近辺の国々とは一切関わり合いがないので、貴族として潜り込んで自国のためにスパイ活動するようなことはあり得ません。
そもそも、他人の身体を乗っ取る方法とか、乗っ取った身体から出ていく方法とかがエリナの記憶からは見つかりませんでした。
エリナ自身も意図的に私の身体を乗っ取ったわけではなさそうです。
独り言を聞いた感じですと、エリナ自身は生まれ変わりだと思っているようです。
つまり、日本で普通の平民として生きた橘 絵里奈が、このアレンシア王国の貴族の娘であるキャロライン・クロフォードに生まれ変わったと言うのです。
そして、クロフォード男爵家にやってきた日に日本人だったころの前世の記憶を思い出した、とエリナは思っているようです。
でも、そうなると、私の存在は何なのでしょう?
私とエリナが同じ人間なのならば、私がエリナの記憶を思い出すのではないのでしょうか?
それに、エリナの記憶を見ても、自分の体験だという実感がありません。
まるで遠い異国の出来事のように現実感がないのです。
……遠い異国の出来事であることは、その通りなのですけど。
やはり、エリナが生まれ変わって私になったのではなく、エリナと私は別個の存在なのではないでしょうか。
そのあたり、エリナの意見も聞いてみたいところですが、それは無理そうです。
私からエリナに呼びかける手段がありません。
お互いに記憶を見ることができるのだから、私の考えを伝えることもできるのではないかと考えたのですが、駄目でした。
色々と試したのですが、私はエリナの記憶を見ることはできても、何を考えているのかまでは分かりません。
見ることるできる『記憶』は五感で体験した内容に限られるようです。
見たこと、聞いたことは分かるのですが、そこでエリナが何を思い、どう考えたのかは伝わってきません。
たぶん、エリナの方も同じでしょう。
エリナに乗っ取られた一年前以降の記憶を覗き見ることができたとしても、同じ体同じ五感を共有している私とエリナとでは同じ記憶しかありません。
私が何をどう考えてもエリナには伝わりません。
エリナの考えは言葉に出してくれれば私にも伝わるのですが、都合よく私の知りたいことを語ってくれるとは限りません。
エリナに関して特に気になることは、熱心過ぎるように見えることです。
これからクロフォード男爵家の娘として生きていかなければならないのだから、そのために勉強が必要なことは分かります。
けれども、エリナの熱心さは度を越しているように見えるのです。
何か目的があって頑張っているように思えます。
ただ状況に流されてクロフォード家にやってきた私にはない気迫を感じます。
悪意が無いように見えて、実は何か企んでいるのでしょうか?
エリナの記憶――前世の記憶というものを詳しく調べれば何を考えているのか分かるかもしれませんが、さすがに人一人分の記憶を全て見ることはできません。
知りたいことを思い浮かべながら記憶を見ようとすると、関連する記憶が浮かんでくるのですが、何に関しての記憶を調べればよいのかが分かりません。
何かヒントがあればよいのですが……
「竜恋の本編が始まるまであと一年。この調子で頑張るぞー!」
エリナの独り言です。知らない言葉が出てきたので、ちょっと記憶を調べてみましょう。
えーと、……え? 乙女ゲーム? なんでしょう、もっと詳しく……ええっ!?
◇◇◇
乙女ゲーム『夢見る竜と恋する乙女』。
それは、中世ヨーロッパ風剣と魔法のファンタジー世界を舞台とした恋愛育成シミュレーションゲームである。
竜に守られしアレンシア王国では、国中の貴族の子女を王都の学園に集めて教育を行っていた。
主人公は事情があって平民として暮らしていた男爵令嬢のキャロ(デフォルトの名前、変更可)。
物語は彼女が王都の王立パルメア学園に入学するところから始まる。
貴族としての生活に不慣れな主人公は、学園においても様々な失敗を繰り返す問題児となる。
しかし、学園で知り合った友人たちに支えられ、一つ一つ試練を乗り越えて行くことになる。
これは、一人の少女の恋と冒険と成長の物語である。
◇◇◇
……ハッ!
思わず貫徹してしまいました。
すごくおもしろかったです。こんなゲームを直接遊べたエリナがうらやましい……じゃなくて!
たぶん、これがエリナの行動原理です。
だって、このゲームの物語は、まるでこれから私の身に起こる出来事のようです。
それはあり得ないことです。
ゲームの物語は、あくまで空想上のお話です。エリナの暮らしていた日本ではアレンシア王国という国は知れらておらず、架空の世界の物語なのです。
けれども、架空の物語で語られる状況が、あまりにこの世界の今の私に酷似しているのです。
主人公の『キャロ』の状況は、私の生い立ちを見てきたかのようです。
貴族の家に生まれて、平民として育って、また貴族に戻る。こんな体験をした人は、私の他にはまずいないでしょう。
それに、アレンシア王国やクロフォード男爵家など、不思議なくらいに名前が一致しています。
エリナからすれば、物語の世界に入り込んだような気分なのでしょう。
でも、本当にゲームの物語と同じことが起こると思っているのでしょうか?
だって、王子様と結ばれてしまうんですよ。
物語の結末の一つですが、普通に考えてあり得ません。
平民として育ったことを除いても、私は男爵家の人間です。
平民からすれば貴族だというだけで手の届かない存在ですが、同じ貴族でも王家と男爵家とでは天と地ほどの差があります。
クロフォード男爵家は貴族家の中でも比較的裕福な方らしいですが、それでも身分差を覆すような権力は持っていません。
他の攻略対象だって、身分的に釣り合いません。
物語としては面白いのですが、やはり現実離れしています。
貴族社会では家格とか爵位とかは大きな意味を持ちます。婚姻は政治に直結していて、当人の気持ちでどうにかなるものではありません。
私の身分では、王子様に見初められたとしても、側室になれればよい方でしょう。
そんなことは、熱心に教育を受けているエリナだって分かっているはずです。
それでもエリナはゲームと同じ展開になると、本気で思っているのでしょうか?
……思っているのでしょうね。
男爵家令嬢として十分な教養を身に着けていると言われても衰えない学習意欲は、さらなる上を目指しているとしか思えません。
……ところで、ゲームで語られる内容がすべて正しいとすると、私は国家機密を知ってしまったことになるのですが、大丈夫なのでしょうか?
◇◇◇
瞬く間に一年が過ぎ、私は王都のパルメア学園に入学することになりました。
いよいよゲーム本編が始まります。
どのような結末を迎えるのでしょうか?
私のお勧めは、「お友達エンド」です。
バッドエンド? いえいえ、王子様や国の大物貴族と友誼を結べるのです。田舎の貴族としては最高の結末ではないですか!
でも、エリナはそんな穏やかに済ませる気はなさそうです。
教養を一通り身につけた後は、剣や魔法の修業も行っていました。
ゲームのイベントの中には戦闘もあります。
身を守るためには戦う力もあった方が良いのですが……エリナは護身用では済まない気迫で学んでいました。
エリナはどこへ向かっているのでしょう?
さて、オープニングムービー……じゃなくって、入学式も無事に終わりました。
ゲームでは、次に来るのは攻略対象との出会いイベントです。
行き先を選択すると、向かった先で場所に応じた攻略対象が現れて知り合うことになります。
ゲームではそれでよいのですが、現実のこの世界でもそう都合よくイベントが発生するものでしょうか?
けれども、エリナはやる気です。
学園内のイベントの発生場所は、入学前にだいたい下見済みです。
そして、さっそくお出かけです。
行き先は……メイン攻略対象の王子様のイベントです。いきなり行きますか!?
王子様――アレンシア王国の第二王子であるエドワード殿下との出会いイベントは、学園の中庭で発生します。
木の上から降りられなくなった子猫を助けようとした私が、子猫と一緒になって降りられなくなっているところを王子様に助けられます。
なんだか情けない出会いイベントですが、本当にやるのですか?
やるのでしょうね、エリナは。
こんな場所までやってきたし、木の上の子猫を探しています。
あ、子猫発見!
ゲームの通り、木の上から降りられなくなっているようです。
それにしても……可愛いです! エリナの視線もロックオンしてます。
これはもう、イベントとか関係なく助けるしかありません。
やっちゃえ、エリナ、Go!
私の心の声が届いたわけではないでしょうが、エリナが走り出しました。
今、私とエリナの心は一つになりました。たぶん。
エリナは身体強化に風魔法まで使って子猫の掴まっている枝の近くにふわりと飛び乗ります。
「ちょっとだけおとなしくしていてね。」
固まっている子猫にそう声をかけて抱き上げると、エリナすとんと真下に飛び降りました。
風魔法で減速して、膝のクッションで衝撃を吸収。完璧な着地です。
……あれ? イベントは?
王子様に助けられるんじゃなかったのですか?
自力で降りてしまったら、王子様の出番がありません。
「ちょっと、貴女、何をしているのですか!? はしたないですわよ!」
おっと、ここで悪役令嬢……公爵家御令嬢のエリザベス様の登場です。
王子様が出てこなくても登場するのですね。
ゲームでは王子様に抱きとめられた私のことを「破廉恥な」と叱ります。
けれども、現実には王子様に助けられていないので、木に登ったことを「はしたない」と注意されました。
確かに貴族の令嬢は木登りなんてしない気がします。
ただ、殿方に抱きかかえられる「破廉恥」に比べるとずいぶんとトーンダウンしている気がします。
「ミー」
「はうぅ」
違いました。エリザベス様の視線は、子猫に釘付けです。
「あのぉ……撫でてみます?」
「是非とも!」
子猫の魅力、恐るべし。悪役令嬢がデレデレです。
「どうした、何かあったのか?」
出ました、王子様。話の展開が変わってしまいましたが、ちゃんと登場するんですね。
メイン攻略対象だけあって、顔良し、家柄良し、性格良し、文武両道に優れた完璧人間です。
ゲームの中でもそれこそ絵にかいたような王子様でしたが、現実のエドワード殿下も負けず劣らず好青年です。
第一王子のフィリップ殿下が既に王太子になっていて王太子妃もいるため、エドワード殿下は比較的自由に婚姻相手を選べる立場です。
だからと言って、家格の違い過ぎる男爵令嬢はあり得ませんけど。
しかも、ゲームの物語ではフィリップ殿下が負傷して国王の職務に耐えられない、ということでエドワード殿下に王太子の座が回ってきます。
ゲームとは関係なく、そういった事態は起こり得るからこそ、第二王子であっても最低限相手は選ばなければなりません。
本来ならば、田舎の男爵家の娘が関わることのできる相手ではありません。
ゲームのイベントでは緊急事態ということで私と関わったのでしょうが、そうした理由なしでも声をかけてきたということは、学園の掲げる「身分にかかわらず交友を深める」を体現しているのでしょう。
あ、私なんか眼中になくて、エリザベス様に声をかけただけかもしれません。
……あれ?
王子様の視線の先は……子猫?
おうじさまが なかまに なりたそうに こちらをみている!
そーですか、王子様はヒロインよりも子猫の方が気になりますか。
分かります!
可愛いは正義です!!
「実は、この子が学園に迷い込んだようで……」
エリザベス様が話を振ると、自然と三人で子猫を囲む形になります。
さすがはエリザベス様、気遣いのできる悪役令嬢です。
それからしばらく、三人(私を入れると四人)は子猫に癒されたのでした。
怒涛の一日でした。
まさかエリナがいきなりゲームと違う行動に出るとは思いませんでした。
てっきり、無理やりにでもゲームと同じ状況に持って行くのだとばかり思っていました。
全ては子猫の愛らしさのせいです。
あの子猫は、ヴィクトリア(愛称はヴィーちゃん)と名付けられてエリザベス様が引き取りました。
ゲームでは王子様との出会いイベントのどさくさで行方知れずになる子猫が無事に保護されました。
あ、残りの攻略対象との出会いイベントもちゃんとやりましたよ。ゲームと同じで印象薄かったですけれど。
それにしても……なんでしょう、これ?
すっごく楽しいです!
エリナはゲームの世界に入り込んだ気分なのでしょうが、私からすればゲームをオートモードで鑑賞しているようなものです。
しかも、とってもリアルです。現実ですから!
もう、私はこのままゲーム気分で鑑賞していればよいような気がしてきました。
私の主体は既にエリナの方にありますし、私が手や口を出すことができてもエリナより上手くやれるとは思えません。
今回の件で、多少変な行動をしてもだいたいゲームの通りになることが分かりました。
ゲームをやり込んだエリナならば、上手くやってくれるでしょう。
シナリオ通りに進めば、どのルートに入っても私と主要な登場人物が不幸な結末を迎えることはありません。
安心して見ていられます。
不安になっても、私には何もできませんけど。
ここから先は、気楽にいきますよ。
ああ、コーラとポテチが欲しいです。この国にはありませんけど。
この先の展開が楽しみになってきました。エリナはどんな選択をするのでしょう?
……そんなことを考えていた時期が、私にもありました。
王子様との出会いイベントで味を占めたのでしょうか。それとも最初からそのつもりだったのでしょうか。
エリナはゲームの選択肢にはない行動を次々と取り始めたのです。
え? なんで悪役令嬢と親友になっているですか!?
ヴィーちゃんですか? ヴィーちゃんに会うためですか? 私も会えてうれしいです。
あ、あれは攻略対象その二、宰相様の令息で秀才のウィリアム様……に、なんでエリナが勉強を教えているんですか!?
このイベントは、ウィリアム様がヒロインに勉強を教えると言うものだったはずです。逆ではないですか!
エリザベス様まで一緒になってエリナに教わっていますし……
今度は攻略対象その三、騎士団長の子息で脳筋剣士のアルバート様……を、剣術の実技で打ち負かしてしまった!?
アルバート様のルートでは、学園最強の剣士として増長していたアルバート様を物語後半で登場する隣国の王子が打ち破り、その鼻っ柱を叩き折ります。
落ち込むアルバート様をヒロインが立ち直らせ、真の強さとは何かを考えていく物語になる……はず……なのですが……
いきなり初手で脳筋剣士のプライドを叩き折りますか!?
この後、誰がアルバート様を立ち直らせればよいのでしょうか?
おや? ここは……
確か、フィリップ殿下が負傷するイベント、その事件を起こす悪人が密談を行っていたのが、こんな感じの場所のさらに奥に行ったところです。
ゲームではプレイヤーが操作できないまま進むイベントで、場所も「?????」となって不明だったんですが……特定しちゃったんですか!?
エリナが気配を殺し、足を忍ばせて進んで行くと、何やら話し声が聞こえてきました。
主人公視点では見ることのないと思っていた場面がこの先に……じゃ、なくて!
エリナはいったい何をするつもりなのですか!?
突入! 制圧! 通報!
……解決しちゃいました。
え? 良いのですか?
いえ、危険な事件を未然に防いだのだから良いことなのですが。
ですが、これほど重大な出来事が未然に防がれてしまうと、後の話が変わってしまいます。
ゲームの物語と違ってきたら、困るのはエリナだと思うのですが……エリナはどうするつもりなのでしょう?
どうもしませんでした。
ゲームの筋書きは気にせず、状況が変わればそれに応じて最善を目指すようです。
今日は学園の外に来ています。
海の近く、港町です。
……って、エリナはどこへ行くのですか? そっちは人気のない倉庫街です。
あ、なんか見たような光景です、ゲームの中で。
どこぞの悪徳貴族が隣国の犯罪組織と密貿易をやっていて、やりすぎて戦争になってしまいます。
負傷したフィリップ殿下の代わりにエドワード殿下が戦場に赴いて武功を挙げ、それが王太子となる決め手となります。
ここがその密貿易の拠点なのです。ゲームと同じならば。
今はまだ小規模な密貿易をこそこそとやっている段階のはずですが……
エリナが倉庫の一つに近付いて中の様子を伺うと……中から何やら悪だくみを話す声が聞こえてきました。
ゲームと同じです。分かりやすい説明台詞、ありがとうございます。
悪事を知ったエリナは……
突入! 制圧! 通報!
やっぱりぃ!
それにしても、エリナは強いです。いかにも荒くれ者と言った男たちが十人くらいいましたよ。
私の身体なのですよね。でも、私に同じことができる気がしません。
それはともかく、戦争が一つ回避されました。
え? ヴィーちゃんが行方不明!?
それは大変、急いで探さなきゃ! と私が思ったときにはすでにエリナが動いていました。
聞き込みを行って目撃情報を集め、ヴィーちゃんの跡を追って地下の下水道へ。
そこからさらに痕跡をたどって……え?
ここは、王都の地下に広がる迷宮!?
その最深部にいるのは……
竜に守られしアレンシア王国。この国は、そう呼ばれています。
この国を守る守護竜が存在し、有事の際には駆けつけて、あらゆる災厄を打ち払ってくれる。
そんな伝説が広く国民に知られ、割と本気で信じられています。
けれどもそれは、大嘘です。
真実はこうです。
昔々、地上を荒らす邪竜がいました。
地を焼き、山を崩し、国々を滅ぼして回った邪竜は、多くの犠牲と神の力も借りて捕らえられ、封印されまし。
その邪竜を封印した地に建国されたのがアレンシア王国です。
下手に刺激して邪竜が復活しては困るとして他国が攻め入るのをためらう効果があり、そういう意味では国を守護していると言えないこともありません。
けれども、邪竜が出てきた時点でこの国は終わりです。
そして、邪竜が封印されている場所というのが、王都の地下に広がる迷宮の中。
それこそがこの国最大の秘密。
……という、ゲームの設定そのままに。
いました。
本当にいやがりました。
邪竜です。
封印され、身動きは取れないまでも、すでに意識は覚醒しています。
ゲームでは終盤に入って登場する(ルートによっては登場しない)ラスボスです。
その、伝説の邪竜が、鎮座していました。
……猫に囲まれて。
「はぁ?」
この時、私とエリナの思考はシンクロしました。
「何をやっているんですか、この駄竜は!?」
エリナが低い声で言いながら進み出ます。
この瞬間、私とエリナの中では邪竜は駄竜であることが確定しました。
『なんだお前は! ……こ、これは、違うんだ!』
駄竜が慌てだしました。
悪戯をしているところを見つかった子供のような反応です。
早口で言い訳を始めた駄竜の話をまとめてみると……
目が覚めた。
動けなかった。
暇だった。
眷属を作ろうと思った。
相性の良い相手を呼び寄せる魔力を放った。
猫が集まってきた。 ←今ここ
猫を集めてニマニマしているところを人に見られて恥ずかしかったようです。
調子に乗って集めまくったのでしょう、結構な数の猫がいます。
そういえば、ヴィーちゃん以外にも飼い猫が行方不明になったという話を聞きました。この中にいるのでしょう。
それにしても、妙なことになりました。
ゲームにおける邪竜はラスボス、物語の最後にして最強の敵です。
邪竜はかつて複数の国が死力を尽くしても封印するのが精一杯だった怪物です。本来なら少人数では戦いにすらなりません。
けれども、長期間の封印と、最後に無理やり封印を破った反動で邪竜は大幅に弱体化しており、どうにか互角に戦うことができます。
邪竜の末路は二つだけです。
討伐か、再封印か。
けれども、ここにいるのは邪竜じゃなくて駄竜です。
エリナは駄竜に説教を始めました。
「猫を集めるだけ集めて世話もしないとは何事ですか! 猫を殺すつもりですか!?」
『うっ……』
エリナの容赦ない言葉に、駄竜はぐうの音も出ません。
やがてエリナの話は猫の飼い方教室になり……駄竜が神妙な顔をして聞き入っています。
この辺り、エリナの知識は豊富です。エリザベス様にもヴィーちゃんの飼い方でよく相談に乗っていました。
その後、駄竜には『猫を呼び集めても長く留めておかない』ように言い含めて、ヴィーちゃんを連れて引き上げました。
結局、ラスボス戦のイベントは発生しませんでした。
あれは、邪竜ではなく駄竜です。
ふぅ。
波乱万丈の三年間でした。
結末の決まった物語、と思っていたらエリナはどんどんゲームと違う行動を取るのです。
選択肢にない言動を行い、負けイベントで勝利し、イベントが発生する前に問題を解決し。
時々小さな失敗はするけれど、全体としてエリナは上手くやりました。
最初は様々な問題に首を突っ込む厄介者と思われていたエリナでしたが、何事にも真剣に取り組む姿勢に理解者も増えて行きました。
エリナが理解され、評価されると、自分のことのように嬉しくなります。
……いえ、まあ、自分のことなんですけど。
そして、なんとエリナは王子様――エドワード殿下と婚約してしまいました。
ルートに入るために必要なイベントが発生しなかったし、ゲームのエドワード王子ルートの物語とも違う展開になりましたが、それでエドワード殿下にプロポーズされました。
ゲームと違ってエドワード殿下は王太子にはなりませんでしたが、婚姻相手として身分違いであることに変わりはありません。
エドワード殿下はいずれ王籍を抜けて公爵家を立ち上げるでしょうから、その婚約者は公爵夫人になります。
男爵令嬢から公爵夫人では世界が違い過ぎて苦労が絶えないでしょう。
それでも、エリナならどうにかしてしまいそうです。
あ、エドワード殿下の婚約者候補筆頭だったエリザベス様は、幼馴染のウィリアム様と婚約しました。
色々と丸く収まって、めでたしめでたしと言ったところです。
ゲームのどのエンディングよりも、幸福な結末になったのではないでしょうか。
こうしてゲームの期間は終了し、私たちは無事学園を卒業したのでした。
◇◇◇
「え?」
終わりもまた突然のことでした。
「声が、出る。身体が、動く。え? え? なんで? どうして?」
本来、それが当然で喜ぶべきことなのですが、その時の私には不安しかありませんでした。
「エリナ? どうしたの、エリナ!? これは貴女が望み、勝ち取った結末よ。この先もエリナのための人生でしょ?」
エリナがいません。
ゲームが終わったからでしょうか?
今まで当たり前のようにエリナが身体を動かし、エリナが喋っていたのに、今では身体を動かすのも喋るのも私だけです。
エリナの意識は眠っているのでしょうか?
今までの私のように何もできずに見ているのでしょうか?
それとも日本に帰ってしまったのでしょうか?
「私には無理だよ、エリナ。王子様の婚約者も、公爵夫人も、私には荷が重いよ。」
同じ身体、同じ能力、同じ技術、同じ知識、同じ経験。
それでも、私とエリナは違います。
発想力、決断力、そしてあらゆる困難を乗り越えてやり遂げようとする強い意志。
私では私には成れません。
「戻ってきてよ、エリナ。私を独りにしないで……」
返事は、ありませんでした。
傍観者のつもりでいたらいきなり当事者にされた、というシチュエーションは結構怖いと思うのです。
この話はラストから逆算して物語を考えました。




