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大好きなあなたと泣けない私が婚約破棄するまで

作者: あいあメル
掲載日:2026/06/27

「大丈夫。君が落ち着くまで一緒にいるよ。構わないね、ローザリンデ?」


 三歩ほど後ろにいる私に、エドワード様が声をかける。

 王宮の大舞踏会。シャンデリアの輝く会場に、私は婚約者のエドワード様といた。


「はい、殿下」


 エドワード様は、一人の涙ぐんでいる令嬢を慰めている。

 私は無表情だ。そこには、嫉妬も怒りも悲しみもない。

 それを見て、エドワード様は一瞬クシャッと悲しそうな顔をする。

 けどすぐに元のキリッとした表情に戻った。


「じゃあ、あっちに行こう。夜風に当たれば落ち着くさ」


 私は黙って無表情のまま、その様子を見送る。

 たとえ、婚約者が他の女と腕を組んでいても。


「まるで人形ね」

「婚約者が他の令嬢と二人きりになっても動じないって、本当に感情がないのね」


 周囲のささやき声が聞こえる。


 ——あんな風に泣けたら、私が彼女の場所にいたのだろうか。


 ふと、彼と初めて会った時を思い出した。


 光が優しく照らす公爵家の庭で、八歳の時私はエドワード様と出会った。


「ローザリンデと申します。エドワード殿下、初めまして」


 (噛まずに言えた!やった!)

 

 白いドレスで教えられた通りに私はカーテーシーをできた。

 上手に挨拶できたことに、思わず小さく拳を握りしめる。


「エドワード・アルデだ。初めまして、ローザリンデ様」


 銀色の髪に、青い目。優しげに笑う殿下に、胸が高鳴るのを感じた。


 彼は、なかなか本音が言えない、私の隠れた本音に気がついてくれる人だった。


「今、少しだけ目が輝いた。プレゼントの花、気に入ってくれたんだね」


 プレゼントに花を渡された時。

 私は殿下の思わず目を直視できず、下を向いてしまった。


「そんなに分かりやすかったですか?」


 絞り出すように聞く。

 おずおずと前を向くと、殿下はにっこりと笑っていた。


「僕には分かるよ。君の考えていることくらい、お見通しさ」


 そう言って明るい太陽のような笑顔を見せてくれた。


 初めての夜会の時。

 周囲の令嬢たちに挨拶をすると、一人の令嬢に言われた。


「殿下の婚約者だからって調子に乗らないことね」


 そんな風に敵意を露わにされたのは初めてのことだった。


 ショックだった。


 周りに「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫です」と笑った。

 

 みんなそれで安心して離れていった。

 

 殿下は違った。

 

 黙ってハンカチを差し出してくれた。


「泣いてないよ?」

「うん。でも辛いんだろう? 目を見たらわかるよ」


 そう言って手を取ってくれた。


「ほら、震えているじゃないか」


 その瞬間、涙が溢れた。


 外にスイーツを食べに、お出かけした時。


「窓際の席と、どっちがいい?」

「どちらでも」


 本当はよくない。ちょっとだけ、外の景色が見たかった。

 殿下は少し考えてから、黙って窓から外が見える席を引いた。


「さあ、どうぞ」


 私はウキウキしながら座った。

 エドワード様の方を見ると、くすくすと笑っていた。


「君って本当にわかりやすい」


 私は真っ赤になった。


「……少しは隠しているつもりなのですが」

「君のことをいつも見ている僕からすれば、バレバレだよ」


 そう言ってエドワード様は優しそうに微笑んだ。


 (ああ、大好きだ)


「あの、エドワード様」

「なんだい?」


 不思議そうな顔をするエドワード様。


「——ずっと、ずっと、私だけ見ていてくれますか?」

「ああ、約束するよ」


 子供のたわい無い約束だ。

 でも、私は幸せだった。


 そんな私たちに不幸が生じたのは、十二歳の時だ。


 殿下が黒魔病を患ったのだ。魔力に異常をきたすことで起きる病で、発症したら必ず死ぬことで知られていた。その症状は、黒いアザが全身に広がり、そして黒いアザが体を覆い切った時、命が尽きるというものだった。


 (エドワード様を治してください。私はどうなっても構いません)


 私は毎日、神殿に通った。

 無駄だと知っていても、祈らずにいられなかった。


 その時には、エドワード様は私に取ってかけがえのない存在になっていた。


「ローザリンデよ、お前の愛する者を治してやろうか?」


 だから神殿に不思議な声が響いた時、本当に驚いた。


「おお、ミリアーナ様だ!」

「ミリアーナ様が、話しかけてくださっているぞ!」


 周囲の神官がざわめいている。


 私はあまりの出来事に、一瞬あっけに取られた。

 けど、次の瞬間、私は答えていた。


 「ミリアーナ様。お願いします。エドワード様の病気を治してください!」

 「お前の大切な物をもらうぞ? それでも望むか?」

 「構いません」

 「そうか。では、望みを叶えてやろう」


 私は、涙ぐんだ。


「ただし」

「なんでしょうか?」

「本人には、今日あったことは知られていけない。元の状態に戻ってしまう。ゆめゆめ、今日我と話したことは知られぬようにするのだ」


 私のおかげで治ったことは本人に言えない。

 けれど、そんなことどうでもいい。


「承知しました」

「では、契約はなった! 周囲の人間よ、お主らが証人だ」


 不思議な光が神殿を包み込み、消えた。


 エドワード様の病気は、それから段々とよくなっていった。


 お見舞いに行った時、エドワード様と私は、泣きあった。


「神の奇跡だよ! 治らないって言われてたのに!」

「ええ、きっとそうね」


 真相は王宮に報告されていたが、エドワード様には知らされていないそうだ。

 彼は純粋に神の奇跡だと喜んでいた。


 それでいい。

 

 (ミリアーナ様、本当にありがとう)


 私はその代わりに何を差し出したのか、まだ分かっていなかった。


 愛猫のペルーシャが亡くなった時、それは分かった。


 お別れの最後の時になっても、私は一言も言えず、無表情のままだったのだ。


「ローザリンデ、最後にお別れをしなさい」

「さよなら」


 父に促され、最後の言葉をかけた。

 たくさん言いたいことがあったのに、出てきたのは平坦な別れの言葉だけだった。


 それを見た侍女たちが囁くのが聞こえた。


「涙ひとつ流さないなんて、お嬢様はどうしてしまったのかしら」

「あれだけ、可愛がっていたのに」


 私は辛いという言葉さえ、発することができなくなっていた。

 事実なら言えた。

 けれど、悲しいと思っても、それを表現することができなくなったのだ。


 両親だけが察してくれた。

 その晩、両親は私の部屋に来て、ぎゅっと抱きしめてくれた。


 私は抱きしめ返した。

 泣きたかった。

 けど、やはり涙は出なかった。


 それから、殿下の体調がよくなるたび、私は一つずつ失っていった。


 両親は解決法を探してくれた。

 ありとあらゆることを試した。

 けど、無駄だった。


 笑えなくなった時くらいからだろうか。

 殿下との仲は、明確に冷えていった。


「なあ、ここに昔来たこと、覚えているかい?」


 体調が回復したエドワード様は、数ヶ月経つと外出できるようになっていた。


「はい、一緒に来ましたね」


 無表情で私が答える。

 私は昔エドワード様と一緒に来たカフェに来ていた。


「どっちの席がいい?」

「どちらでも」

「じゃあこっちだ」


 エドワード様は、窓が見える席を引いてくださった。


 (覚えててくださったのね。嬉しい)


 座ってエドワード様の方を見ると、エドワード様は困惑した表情をしていた。

 私の目線に気がついたのだろう、エドワード様はすぐに目線を逸らした。


「……さて、料理の味も変わっていないといいな」

 

 そうメニューを見て呟くエドワード様。


 誘ってくれてありがとう、と言いたかった。

 席を覚えていて嬉しい、そう言いたかった。

 

 でも私の口から出たのは「いただきます」だけだった。


 食事中に会話はなかった。


「じゃあ帰ろうか」

「はい」

「美味しくなかった?」

「いえ、美味しかったですよ」

「……そうか、なら良かった」


 帰り際に、エドワード様はため息をついた。

 けれど、やはり私は何も言うことができなかった。


♦︎


 王家の公務で観劇に向かう馬車。

 青いドレスに、銀色のパールを身に付けた私。

 大好きなラブロマンスの劇をエドワード様と二人で観れる。

 私はウキウキしていた。


 けど、その感情が表に出ることはない。


「なあ、昔みたいに笑ってくれるには、どうしたらいいんだい?」

「……わかりません」

「そうか」


 気まずい沈黙が流れる。


 いつからだろう。

 気がつけば、沈黙が苦しい時間になった。

 昔だったら、黙っていても目で話すことができた。

 

 けれど、今は目が合っても逸らされるだけ。


「着いたみたいだ」


 先に馬車から出て、エスコートのため手を伸ばすエドワード様。

 その手を取って降りる。


 久しぶりに出かけたからだろうか、こんな当たり前の気遣いが、一つ一つ嬉しくてドキドキする。


 けど、そんなドキドキは続かなかった。


「おう! キャシーじゃないか! 来てたのかい?」

「あら、エドも来てたのね?」


 馬車から降りると、入り口前にはエドワード様の幼馴染のキャサリン・ベルンデ侯爵令嬢がいた。

 途端に笑顔になるエドワード様。

 楽しそうに弾む会話。

 

 私はただ、黙っていた。

 

 ふと、ベルンデ侯爵令嬢が言ったのが聞こえてきた。


「あの、よければ一緒に観劇しても良いでしょうか?」


 嫌だ。

 

 そう言いたいのに、口は動かない。首を横に振ることもできない。


 ベルンデ侯爵令嬢がこちらを見ている。


 エドワード様の方を見る。

 

 目が合うとエドワード様は頷いた。


「君が嫌じゃなければ、一緒に行こうと思うのだが?」


 彼の言葉は、期待していたものじゃなかった。

 エドワード様が私の瞳をじっと見る。

 私にできる意思表示は、黙って見つめ返すことだけ。


 エドワード様がにっこりと笑った。


 (お願い。断って)


「嫌だったら後からでもこっそり言ってくれればいいから。じゃあ行こうか」


 そして、くるりと後ろを向くと、エドワード様はベルンデ侯爵令嬢と話しながら会場に入っていった。


 劇の最中、私の右に座るエドワード様は、その右のベルンデ侯爵令嬢の方ばかり見ていた。


 だから、私が見ていたのは、彼の背中ばかりだった。


「大丈夫かい? キャシー」


 苦難を乗り越えて結ばれるシーン。


 ベルンデ侯爵令嬢がハンカチを取り出している。


 右手でハンカチを持ち、その左手はエドワード様が握っていた。


 私は膝の上で自分の手を握りしめた。


 全部聞こえる。


「殿下、叶わない恋をどう思いますか?」

「苦しいけど、愛おしいと思うよ」


 全部見える。


 殿下の震える肩も。二人、切なげに絡み合う指先も。


 舞台の方を見ると、俳優たちが抱き合っている。


「ああ、君への溢れる想いをどう言葉にしたら良いのかわからない!」

「私もよ! 言葉なんていらないわ! 見つめ合うだけでわかるもの」


 劇は終わりを迎えていた。


 帰りの馬車。


「本当に良かったな! 感動したな!」

「はい」


 殿下が熱っぽく語る。

 私の中の言葉は、相変わらず出てこない。

 

 楽しげにしている殿下が突然黙り込んだ。

 そして、悲しげな瞳をして、私のことを見た。


 「すまない。君の好みではなかったか」


 違う。楽しかった。私の好みの劇だった。


 そう言えたら、どれほどよかっただろうか。


「今度からは出なくて済むように、父上と母上に言っておくよ」


 エドワード様は寂しげに笑った。


「……はい。承知しました」


 馬車は静かに進んで行く。


 月は白く輝いていた。

 空に静かに流れ星が伝っていった。


♦︎


 王宮の大舞踏会が行われたのは、翌月のよく晴れた日だった。


 私は、白いドレスを着てドレスアップしていた。


 エドワード様と並んで、来客に挨拶をしていると、ダンスの時間が来た。


 私はダンスが好きだ。


 なぜなら、ダンスの間は言葉がいらない。感情を出さなくても、ダンスの時間だけは全てが伝わる気がする。表現できない私が、私を表現できる数少ない時間だから。


「エドワード、踊りましょう」


 その時だった。


「殿下、最初の曲を一緒に踊りたいのですが」


 そこにいたのは、ベルンデ侯爵令嬢だった。


 周囲の視線が集まるのを感じた。


 最初の一曲は特別な意味を持つ。

 婚約者や恋人と踊る曲なのだ。


 ああ、嫌だ。譲りたくない。


 けど、私の表情は動かなかった。


 すがるようにエドワード様を見てしまう。


「キャシー、すま」

「そうですよね、こんなお願いダメですよね。ローザリンデ様なら、気にされないかと思ったのですが」


 ベルンデ侯爵令嬢は涙ぐんだ。

 エドワード様は、断りの言葉を途中で飲み込んでしまった。


 そして、私の方をじっと見た。

 

「ローザリンデ、どうだい?」

 

 (嫌だ)


「嫌なら言ってくれ」

 

 (続きなんて、聞きたくない)


 エドワード様と目が合う。


 いつも私の心の本音を見抜いたその青い目は、今日も変わらない雲ひとつない空の色をしていた。


 唇が動く。


 けど、声は出なかった。


 その様子を見たエドワード様は寂しげな表情をする。


「じゃあキャシー、踊ろうか」


 くるりと後ろを振り向いた。

 ベルンデ侯爵令嬢の手をエドワード様が取る。


「殿下、ありがとうございます!」


 にっこりと笑うベルンデ侯爵令嬢。


 私の口は真横に閉じたままだ。

 

 表情はいつも通り。どれだけ悲しんでも。どれだけ苦しくても。変わらない。


 音楽が流れ始める。


  華やかな笑顔を浮かべた侯爵令嬢と楽しそうな殿下が踊っているのが見える。


「ローザリンデ様って、本当にいつも変わらないのね。私だったら絶対泣いちゃう」

「本当に、あんな目に遭っても何も言わないなんて」


 周囲の貴族たちの囁き声。


  ——ああ、明日もこうなのだ。


 明後日も。来週も。来月も。


 私は覚悟を決めた。


 ダンスが終わる。


 二人の方を見ると、いつの間にかベルンデ侯爵令嬢が涙ぐんでいる。


「ローザリンデ様が、ずっと無表情でこちらをご覧になるから……怖くて」


 そう言ってエドワード様に、ベルンデ侯爵令嬢が抱きつく。


「すみません、私が悪いのですわ」

「ローザリンデ、彼女は怖がっている。君は平気でも、少しは相手の気持ちを考えてくれ」


 そう言って、エドワード様は、ベルンデ侯爵令嬢の手を握った。


「大丈夫。君が落ち着くまで一緒にいるよ。構わないね、ローザリンデ?」


 そして、二人夜風にあたりに行った。


「まるで人形ね」

「婚約者が他の令嬢と二人きりになっても動じないって、本当に感情がないのね」


 そんな声を黙って聞いていた。


 しばらくして、エドワード様が戻ってきた。

 

 夜風に当たって落ち着いたらしい。

 

 ベルンデ侯爵令嬢が目元を拭いながらエドワード様の方を見て、微笑んでいる。エドワード様もベルンデ侯爵令嬢の方を見て、微笑んでいる。

 

 そこに私は映っていない。


「ローザリンデ、一人にしてすまない」

「いえ、大丈夫です」


 それに困った顔をするエドワード様。


 ああ、どうかそんな困った顔をしないで。


「君を待たせてしまった」


 これで最後なのだから。


「まだ時間はある」


 最後くらい、笑顔を見せて。


「最初の一曲は踊れなかったが、踊ろう」


 そう言って手を差し伸べてきた。


 一瞬、その手をとりたい衝動に駆られた。


 殿下はきっと、これからも優しくしてくれる。


 結婚すれば、私のことをもっと見てくれるかもしれない。


 いつの日か、理由だって説明できるかもしれない。


「ローザリンデ?」


 眉を八の字にして、困った顔をするエドワード様がそこにいた。


 その瞬間、私にはわかった。この先も彼にこんな表情をさせてしまう未来が。


「殿下、婚約破棄しましょう」


 その瞬間、会場から音楽が消えた。


 もちろん、音楽の演奏は続いている。貴族たちのおしゃべりも同様に続いていた。


 けれど、私の一言で周囲が黙り込み、様子を伺うようになったのがわかった。


「ど、どうしてだい? 理由を教えてくれないかい?」


 エドワード様が、目を大きく見開き、そして弱々しく首を振りながら言った。


「すみません、言うことはできません」


 エドワード様は、目を細め、深く息を吸った。


「なら」

「でも」


 私は淡々と言った。


「殿下は私と話すときに、いつも悲しそうな顔をします」

「それは……!」

「演劇の日、あなたは私の横で他の令嬢の手を握りました」

「ローザリンデ!」

「そして今日、ファーストダンスを他の方と踊りました」


 エドワード様がやや青ざめる。


「それはそうだが……君も嫌だと言わなかったから、大丈夫なのかと」

「殿下……」


 私は息をゆっくりと吐いた。


「私は確かに嫌だと言えませんでした。でも、何も感じないわけではありません」

「僕は君が好きだったんだ! だから、あれは君の気持ちを確かめようと!」


 会場中から非難の目が集まったのがわかる。


「それは流石に……」

「最低……」


 貴族たちの囁き声が聞こえる


「存じておりました」


 私の声が会場に響いた。


「でも、もう終わらせてください」


 そして、私は左手につけていた婚約指輪を外そうとした。


「ローザリンデ……」


 なぜか体が一瞬止まった。私は目を伏せた。

 

 次の瞬間、指輪は抜け落ちた。

 

 無事に抜けた指輪をそっと差し出す。


「どうぞ。お返しします」

「受け取れない」


 震えた声で、首を横にふる殿下。

 私は下を向く殿下の右手を取り、指輪を握らせた。

 殿下の手は大きく、そしてゴツゴツしていた。


「殿下。私も殿下のことが好きでした。どうか他の人とお幸せに」


 私は一礼した。

 そして、出口に向かった。


「本当に、何も感じていないのね」


 囁き声が聞こえる。

 

 私の表情は変わらない。

 

 出口の扉を出る時、一筋の風が横切った。


 ——好きでした。誰よりも。


 その声は、誰にも聞こえなかった。


♦︎


 

 まだ薄暗い中、私は公爵家の馬車の前にいた。


 公爵家領に向かう馬車だ。

 

 あの後、一部始終を見ていた父は何も言わなかった。黙って私の話を聞き、そして抱きしめてくれた。


 父の体は温かった。


 馬車に乗ろうとする。ふと、エドワード様がいつも手を取ってくれたことを思い出した。


 首を振って、乗り込む。


 馬のいななきと共に、馬車が出発する。

 

 王都の街並み。


 ああ、あそこは一緒に行ったことがある店だ。


 あそこの道で、一緒に迷子になったっけ。


 初めて一緒に買い物した店だ。


 思い出すのは、そんなことばかりだ。


 悲しくても泣けない。


 皮肉なものだ。


 私は無理やり笑おうとした。


 けど、笑い声は出なかった。


 ひとしきりそうした後、私は再び外を見た。


 朝日だ。

 

 優しい光が私の頬を照らす。まるで、誰かに赦されたような温かさだった。


 涙がいつの間にか、流れていたことに私は気が付かなかった。


 涙は太陽の光で既に乾いていた。


たくさんの作品の中から、本作をお読みいただきありがとうございました。


最後まで読んでいただけたこと、とても嬉しいです。


少しでも心に残るものがあったり、何かを感じていただけたなら、

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