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3章


 部屋の扉が開く音で、わたしは思わず振り返る。まだ朝のうちなのに、宮廷仕えの侍女たちが、わたし用のドレスを両手に抱えて入ってくるところだった。まばゆい金糸がふんだんに使われたシルク生地。どこかで見たような……そう、貴族の舞踏会でよく着られそうな派手な衣装だ。


「七海様、今夜の舞踏会にご出席されるよう、王妃陛下からお達しがありました」


 侍女の一人が緊張した面持ちでそう告げる。舞踏会……? わたしは一瞬、耳を疑う。こんな騒動続きの中、どうしてそんな華やかな場にわたしが招かれるわけ? それに、王妃本人からの“お達し”ってことは、ほぼ強制参加ということだ。

 わたしはドレスを見ながら、思わずため息をつく。今までも王族や貴族たちから「呪われた娘」と敬遠されてきたのに、よりによって社交の場に出ろというのは、どう考えても嫌な予感しかしない。


「……本当にわたしが出席しなくちゃいけないんですか?」

 たずねても、侍女たちは困ったように目を伏せる。

「わたしたちはただ、王妃陛下のお言葉をお伝えしているだけですので……」

 そう言われると、もう断る手段はないみたいだ。困り果てていると、侍女長らしき人が追い打ちをかけるように言う。

「今回の舞踏会には宰相閣下や、その令嬢であるリリアナ様もいらっしゃいます。そして何より、第一王子殿下もメインゲストとしてご出席なさるそうです」

 ドキッとする。レオナール殿下が出席するなら、確かに逃げるのは難しいかもしれない。彼はわたしに常に「余計なことをするな」と釘を刺してきたけど、だからといって“行くな”とは言っていない。むしろこの舞踏会は、わたしを試す絶好の機会として宰相派が仕組んだのかもしれない。

(……行きたくないけど、行くしかない、か)


 そんなふうに覚悟を決めると、侍女たちはホッとしたように、手早くわたしの着付けを始める。ほどなくして、わたしはきらびやかなドレスに包まれ、自分で見ても驚くほど雰囲気が変わってしまう。

「とてもお似合いですよ、七海様」

 ルーシーが鏡越しにそう言ってくれるが、わたしは複雑な気分だ。どんなに外見を飾ろうとも、“呪われた娘”という噂は消えない。むしろ、こうして目立つ衣装を着れば着るほど、わたしを攻撃しようという貴族たちの格好の標的になるんじゃないか……。


________________________________________


 夜になり、王宮の大広間へ向かう。廊下のあちこちに豪勢な装飾が施され、音楽隊の生演奏がかすかに聴こえてくる。大勢の貴族や上流階級の男女が華やかに装って集まり、社交を楽しむために杯を傾ける——そんな光景を想像するだけで、わたしは胃が痛くなりそうだ。

 扉の前に到着すると、すでに場内は多くの人で賑わっている。踊りの曲が流れるたびに、貴族たちは優雅にステップを踏み、ある人は談笑に興じている。けれど、わたしの姿に気づいた人々が、はっと息を呑んでいるのがわかる。すぐに小声でささやき合いはじめ、「呪われた娘だ」とか「どうしてここに?」といった言葉がちらほら聞こえてくる。


(やっぱりこうなるよね……)

 立ち尽くしていると、不意に横から冷たい視線を感じる。振り向くと、リリアナ・フォン・ローゼンベルク。あの宰相の娘であり、王子の婚約者候補と名高い女性だ。彼女はドレスのすそを優雅につまみ、皮肉な笑みを浮かべながら、わたしに近づいてくる。


「まぁ、あなたが噂の呪われた娘ね? まさかこんな場に姿を現すなんて、正気とは思えないわ」

 リリアナの声は甘いが、その裏には明確な敵意がある。わたしを追い出したくて仕方ない、というのが表情にもはっきり表れている。

「正気かどうかはわかりませんけど、呼ばれた以上は来るしかないですから」

 負けじと返すと、リリアナは笑みを深める。

「ふふっ……そう。それなら楽しみにしているわ。今夜、あなたが本当に“災厄”を振りまくのかどうか」

 言い捨てるようにリリアナが去っていったあと、わたしは背筋に嫌な予感を覚える。何か仕掛けがある……そう思わざるを得ない。


________________________________________


 舞踏会の喧騒に紛れるように、わたしは一度大広間の隅へ移動する。踊りたくもないし、知り合いといえばレオナール殿下くらいしかいない。しかし、殿下はまだ姿を見せていない。貴族たちは一様にわたしを見ると、すぐ視線をそらすか、ひそひそと噂話をする。

 気まずい空気の中、ややあって、重々しい扉が開く音がする。大勢の視線が一斉にそこへ向かい、同時に演奏が少し静かになる。視線の先にいるのは、軍服風の上着をまとったレオナール殿下。高貴な姿で堂々と歩みを進め、同時にホール全体が熱に浮かされたような雰囲気に包まれる。


(……さすが第一王子。存在感がすごい)

 わたしは思わず息を飲む。案の定、殿下は一度視線を会場全体にめぐらせると、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。ざわつく貴族たち。中には「王子はまさか、あの娘のもとへ……?」と声をひそめている者もいる。

 その通り、レオナール殿下はわたしのすぐそばまで来て、少しだけ顔を近づける。そして、小さく息を吐く。


「また、目立つことになったな」

「仕方ないじゃないですか。王妃陛下に呼ばれたんですから」

 そう返すと、殿下はほんのわずかに唇の端を歪める。

「余計な問題を起こすな、と言いたいところだが、どうやら既に宰相派が手ぐすね引いてるようだな」

「……わかってます。できるだけ波風を立てないようにしますけど……」


 そう言いかけた瞬間、場内に流れる曲が変わり、ダンスが始まる合図のように人々が中央へ集まり出す。王宮の舞踏会と言えば、男女がペアを組んで優雅に踊るのが通例らしい。普通なら、エスコート役として貴族たちが相手を探し始めるのだろう。

 わたしもなるべく目立ちたくないので、一歩下がろうとする。だけど、その瞬間、殿下がわたしの手首をスッとつかむ。


「どこへ行く?」

「え……踊りなんてできませんし……」

 戸惑うわたしを尻目に、彼はどこか険のある表情で言い放つ。

「他の男に声をかけられても困る。——俺と踊れ」


 心臓が一気に高鳴る。この冷徹王子が、わざわざわたしをダンスに誘うなんて。しかも、「他の男と踊るな」という物言いは、どう考えても独占欲の表れだ。でも、そんな感情が彼にあるとは信じがたい。おそらく、わたしを“呪われた娘”扱いされないよう、人前で守るための建前……かもしれない。


「……踊り方を知りませんよ」

 思わずそう口走ると、彼は手を強めに引いてくる。

「動きは俺がリードする。ついてこられないなら、振り落としてやるだけだ」

 なんて不親切な言葉。だけど、拒否しても状況は悪くなるだけ。わたしは苦い顔をしつつ、殿下の手にそっと触れる。


________________________________________


 音楽のリズムに合わせて、殿下がゆっくりとステップを踏み始める。予想していたよりずっと優雅な動きで、わたしの腰に添えた手が、なんとか歩幅を合わせられるように導いてくれる。

 正直、ぎこちない。わたしは日本でフォークダンスみたいな簡単なステップしか経験がないから、貴族の正式な舞踏会での踊りなんて知らない。でも、殿下はそんなわたしを支え、転ばないように配慮しているのが伝わってくる。


「……王子でも、こういうことはちゃんとするんですね」

 恥ずかしさを隠すように、小さく呟くと、殿下の瞳がすっと細まる。

「子供の頃から叩き込まれた。王族の義務だからな。……無駄に体裁だけは整えなければいけないのが、この王宮の常識だ」


 その言葉には、どこか棘が混じっているように思える。殿下はこの華やかな舞踏会の裏にある、不自然なまでの偽りの調和に嫌気がさしているのかもしれない。

 ……そう考えると、ちょっと切なくなる。わたし自身も慣れない舞踏会で居心地が悪いけど、殿下もきっと同じ、あるいはそれ以上に息苦しい環境でずっと育ってきたのかもしれない。

「……大変なんですね、王族は」

 小声でつぶやくと、彼はちらりとわたしの顔を見る。そのまま口を開きかけた……ように見えたけれど、すぐに周囲から小さな悲鳴が上がり、わたしたちはそちらに視線を向ける。


「お花が……枯れてるわ!」

「もしかして、“呪われた娘”が原因じゃ……」

 視線の先には、大広間の中央付近に飾られていた美しい花束が、なぜか茶色く萎れてしまっている姿がある。まるで一瞬で枯れたかのような異様な光景に、貴族たちがざわめき始めるのがわかる。

(……絶対に仕組まれた罠だ)

 そう直感する。こんなタイミングで、突然花が枯れるなんて不自然すぎるし、わたしが踊り始めた瞬間に合わせるように起きている。宰相派かリリアナが用意した細工に違いない。

 周囲がわっと騒ぎ出す。中にはわたしを指さして「やっぱり呪いだ!」と叫ぶ人もいる。


「違う、わたしは触れてもいないのに……!」

 必死に弁解しようとしても、声はかき消される。人々の恐怖や不安が、わたしへの疑念となっていっそう強まっているのだ。

 曲が急に止み、ダンスも中断。レオナール殿下はわたしをすばやくかばうように立ち、貴族たちに向かって冷ややかな視線を向ける。


「落ち着け。これは何かの悪戯か、偶然にすぎない。彼女は花束から離れていた」

 けれど、その言葉が火に油を注いだのか、宰相派の誰かが声を張り上げる。

「ですが、呪いなら離れていても作用するかもしれません! 破滅の呪いというからには、国全体を覆う恐ろしい力を持っているという噂です」

 まことしやかな言葉に、他の貴族たちも不安げな表情を浮かべる。わたしはやるせなさに震えそうになる。どうしてこんな根拠のない噂に、皆が操られてしまうのか……。


 リリアナが、まるで勝ち誇ったように微笑みながら、そっと口を開く。

「王子様、冷静になってください。もし本当に呪いがあるなら、王宮に危険が及びます。あなたがこれ以上、彼女をかばうのは得策ではありませんわ。……私たちを守ってくださらないと」

 まるで“善意の諫言”を装いながら、明らかに殿下を挑発している。わたしは唇を噛むしかない。踊りの輪が崩れて、会場が徐々にわたしたちを取り囲むような形になっていく。

(このままだと、本当にわたし……追放されるかもしれない)

 そんな恐怖が頭をよぎる。舞踏会を利用して、わたしを陥れる計略……しかも、これに乗せられた貴族たちがいっせいに「呪いを証明しろ!」と叫び始めたら、さすがのレオナール殿下でも止められない。

 だが、そのとき——。


「黙れ」


 低い一声が、ざわめく空気を真っ二つに裂く。レオナール殿下の鋭い視線が、宰相派の貴族たちを射すくめる。まるで氷の刃が投げつけられたように、会場の温度が下がった気さえする。

殿下はわたしの手を掴んだまま、けれどまったく揺るがない態度で言う。


「これ以上、俺の女に侮辱を浴びせるなら、容赦しない。……ここまで言ってもわからないなら、思い知らせてやるしかないな」


 “俺の女”——その物言いに心臓が大きく跳ねる。今はその表現に対してどうこう言っている場合じゃない。わたしはただ、殿下の横顔を必死に見上げる。そのとき、彼の青い瞳が一瞬だけ柔らかな光を帯びた……ように思えた。

 すると殿下は勢いよく振り返り、王妃や貴族たちが見守る中で衝撃的な発言を放つ。


「彼女が呪われているというなら、俺も同じ呪いに染まっているはずだ。……だが、それはありえない。なぜなら、俺はこの女を——」

 一拍置いて、はっきりと宣言する。

「——俺の妃にするからだ」


 その場にいた全員が、一瞬時が止まったように息を飲む。わたし自身も耳を疑う。え、いま何て……?

(……妃? 妃って、つまり結婚相手、ですよね?)


 当然、どよめきは凄まじい。王妃も驚いたように口元を押さえるし、リリアナはあからさまに顔色を変えている。宰相派の誰かが「ば、ばかな……!」と声を上げるが、殿下は一切動じない。

「文句があるなら言え。ただし、俺がこれから握る権力と、お前たちが守りたい地位……どちらが大切か、よく考えろ」

 周囲は騒然とする。わたしの頭も白くなりかけている。でも、それでもわかる。この状況では、この“婚約宣言”こそが宰相派の追及を強引に黙らせる唯一の方法なのだ。どんなに呪われた娘だと騒がれようが、第一王子の正式な花嫁候補となれば、あまりに危険な手は出しづらいだろう。


(でも……それなら、わたしはこれからどうなるの?)

 混乱の中で、殿下はわたしの手を放そうとしない。彼の指先は冷たいのに、そこからは確かな“守ろうとする力”が伝わってくる。

 だけど、その守りの裏には、きっと別の思惑もある。国を動かすための駒として、わたしを手元に置く策……。喜ぶどころか、むしろ心が痛い。

(偽りの婚約……なんだろうな)

 そう思わずにはいられない。周りの喧騒の中で、レオナール殿下はまるで勝利を確信したかのように瞳を細めている。今のわたしを取り巻く空気は痛いほど刺々しいのに、彼の隣だけは嘘のように静かだ。


 ふと目が合う。すると、殿下は唇を少しだけ動かし、誰にも聞こえないような小さな声で囁く。

「……おとなしくしていろ。俺が何とかする」

 その言葉に、なぜか胸がきゅっと締めつけられる。どうして、こんなシチュエーションでも彼を頼ってしまうのだろう。

 周囲の視線は依然としてわたしに敵意や嫉妬を向けている。でも、同時に殿下が放った言葉——「この女は俺の妃にする」という衝撃発言が、彼らを一瞬にして黙らせているのも事実だ。


 こうして、舞踏会はわたしへの糾弾から一転、殿下の衝撃的な婚約宣言で幕を下ろす形になってしまう。宰相派の面々がどんな次の手を考えているか……考えただけでもゾッとするけれど、今はただ、この場を乗り切るしかない。

(……どうしてこうなっちゃったんだろう)

 呪いを理由に追放される危機から救われたはずが、今度は“王子の婚約者”という新たな立場を押し付けられそうになっている。しかもそれが、真実の愛なんかじゃなく、「政治的な契約」である可能性は高い。

 それでも、わたしは生き残らなきゃいけない。宰相派に屈するわけにはいかない。……ただ、どうして胸がこんなに苦しいのか、自分でも説明がつかない。

 殿下とわたしの間には、まだ大きな身分の壁と“破滅の呪い”の噂が横たわっている。けれど、この偽りの婚約が、後戻りのできない運命の始まりになるだなんて——。


(ここまで追いつめられたら、もう前に進むしかないよね)

 会場の熱気を背中に受けながら、わたしはぎゅっと拳を握りしめる。王宮の経済改革を進めるのも、この呪いの濡れ衣を晴らすのも、結局はわたし自身がやり遂げるしかない。

 そして、この意志を抱えたまま、殿下との“仮初めの婚約”が今まさに動き出そうとしている。


(……偽物でもいい。利用されるだけでもいい。生き残って、絶対に変えてやる)

 自分にそう言い聞かせながら、揺れる胸の痛みを抱きしめるしかない。宰相派との戦いは、これからが本番だ。わたしはきっと、もう引き返せない場所に立ってしまった。


 ——すべては、あの冷徹な王子が放った「妃にする」という宣言によって。


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