転入生は絶世の美少女
転入生が来るらしいということは、風の噂で知っていた。「とんでもなく可愛い女子が、新しく転入してくるらしい」と、周りの男子たちが気持ち悪いくらいにそわそわしていたからである。
とはいえ、誰かが転入生の顔を見たわけでもあるまい。あくまで噂なのだから、どうせ「可愛い子だったらいいな」という男の願望にいつの間にか尾ひれがついて、「絶世の美少女」などという眉唾物の表現に行き着いたに違いない。むしろハードルが上がりすぎて可哀想だと、まだ見ぬ転入生に同情すら覚えていたところである。
「上坂。上坂絢星といいます。よろしくお願いします」
しかし、彼女――上坂と名乗る転入生は、その高すぎるハードルを軽々と超えていったのである。腰まで伸びた黒髪は、丁寧に手入れされていることがうかがえる。窓からこぼれる日の光に照らされると、わずかに青くきらめいているようにも見えた。その完璧なまでの美貌に、クラスの誰もが目を奪われている。
そう、つまりは、噂に違わぬ絶世の美少女だったのである。
「ええと、じゃあ、どこの席に座ってもらおうか……遠野の隣が空いているな」
突然自分の名前を呼ばれ、思わず肩が跳ねた。確かにクラスの人数の都合上、俺の隣はずっと空席だが……マジかよ。よりによって。頬杖をついていた右手で、俺は無意識に顔面を覆った。クラスの奴らの顔、見たくないんだけど。
「遠野! 手をあげろ」
「……っす」
「上坂。あそこの、今挙手したのが遠野だ。その隣が空いているだろ? とりあえず、あの席を使ってくれないか」
「はい。わかりました」
指と指の隙間から、クラスの男子たちの視線を痛いほどに感じる。そりゃあ、せっかくレベル違いの美少女と同じクラスになれたっていうのに、たまたま隣が空席だったという不公平な理由だけでスタートダッシュに差をつけられたら、たまったもんじゃないだろう。
でも安心して欲しい。俺はこの転入生とどうにかなろうとか、そんなことは微塵も考えていないから。つうか、相手にされないだろ、俺なんか。
「えと、遠野、くん? よろしくお願いします」
「あー、うん……」
転入生――上坂は軽く俺のほうを覗き込んでから、隣の空いた席に座った。俺もぎこちなく挨拶を返す。
それにしても、本当に芸能人みたいな美人だ。一瞬見入ってしまったが、初対面の異性にジロジロ見られるなんて良い気分はしないだろうと、慌てて視線を前に戻した。クラスの奴らは、未だに上坂の方を見ながらざわついている。
――可愛い!
――アイドルか何か?
――クソッ、遠野のやつ、羨ましいな……。
耳を澄ませなくとも、そんな声が四方八方から聞こえてくるのがわかった。
「おい、話しかけたいのはわかるが、授業が終わってからにしろよ-」
担任の一言により、ざわざわとしていた奴らも渋々静かになり、次第に授業の準備を始めた。一限目は確か……数学だっけ。俺も用意しないとな。
引き出しに手を突っ込もうとして、ふと隣にいる上坂が目に入った。なにやら、少し困っているようすだった。
「……どうかした?」
思わず、声をかけてしまった。この転入生と絡めば絡むほど、男子の反感を買いそうで、あまり話したくなかったのだが。何より目立っちまうし。けど、明らかに困っている女子をシカトし続けるというのも、なんだか居心地が悪かったのである。
「ああ、ええと……教科書、少し手違いがあって、まだ届いていなくて。一応、前の学校のものを持ってきたけど、ここの学校のものとは違うみたいね」
「……なるほど」
それなら、と席を立ち、俺は机を持ち上げた。そのまま上坂の机とくっつけると、引き出しから教科書を引っこ抜いて、見やすいように真ん中に広げた。
「俺ので良ければ、一緒に見ればいいよ」
「え……いいの?」
「これくらい別に……。だって、そうじゃなきゃ上坂……さん、困るだろ」
この程度、人助けとすら呼べない。俺じゃなくたってみんなそうすると思うが、彼女はとても嬉しそうにしていた。これだけ可愛ければ、下心の有無はおいといて、親切にされることには、それなりに慣れていそうなものだが。まあ、転入初日で気を張っていただろうから、緊張の糸が解けて表情が緩んでしまっただけかもしれない。
「ありがとう、遠野くん」
「いや、別に、大したことはしてないよ」
「ねえ、遠野くん、よかったら――」
上坂が何かを言いかけたタイミングで、教室のドアが開いて数学教師が入ってきたため、その続きは聞きそびれてしまった。