雨に匂いは消されども
「……こんなに…天気が良いのに………何故私は家にいないのか……」
ニートに人権はない強硬派であるイリスに連れられてオルムシュタイン魔法学校に来たからである。
ジブリナの両親2人は、ジブリナの就職決定に狂喜乱舞した。
「帰りたぁい帰りたぁい帰りたぁい帰りたぁい帰りたぁい」
しつこく繰り返すジブリナを、イリスは呆れて見ながらも、その腕は決して離さず、グリゴア教授の研究室へ向かっていた。
研究棟もあと少しという所で、2人の前にザッ!と音を立ててファイガが立ち塞がった。
「イリス様!やっと捕まえた!もう、どこに行ってたの?!すごく探したのに!」
「それは知らなかった。じゃ!」
頬を膨らませた可愛らしい女の子を軽く受け流したイリス。
イリスに引きづられながら歩くジブリナはイリスに向かって首を傾げた。
「何か用事があるみたいだけど?」
「大した用事じゃないだろ」
こともなげにスルーするイリスは、チラッとジブリナを見てから、少し溜め息を吐いた。
「相変わらず自信家なのか鈍感なのか分からんな……」
「なに?」
「なんでも」
イリスは首をふった。
ファイガが、歩き続ける2人に追いつく。
「イリス様!どこに行くの?」
「ワリーはどうした?」
「えっと、グリゴア先生のとこに行くって」
イリスは嫌な予感がした。
ファイガはジブリナにどう声をかければ効果的にイリスが自分を見てくれるのかを考えていた。
ジブリナはイリスとファイガを交互に見て理解するのを放棄し、窓から綺麗な空を眺めた。
「失礼します、連れてきました」
「おう、実技教室行くぞ」
グリゴア教授は軽く机に腰掛けていたが、その手の資料を机に置くと、さっさと研究室を出て行く。
イリスもジブリナを連れて研究室に入りもせずに歩き出す。
「もう実技教室に直接行っていいんじゃないかなぁ」
ジブリナがぼやくと、イリスが笑った。
「ま、そう言うな。行くぞ」
研究室の中にはワリーが居たが、ファイガと共に先に行く3人の後を追って行く。
実技教室に入ると、ワラーが期待に満ちた顔で待ち構えていた。
「帰りたぁい帰りたぁい」
ジブリナが小さく喚く声を黙殺して、イリスがジブリナの腕を離してその背を少し押す。
グリゴア教授がジブリナを振り返る。
「今日はラープと戦ってみてくれ」
「嫌です」
ジブリナの抵抗は黙殺されるようで、グリゴア教授もイリスも何も言わずに2人で離れて行く。
「グリゴア先生!私も戦ってみたいです!」
「俺もお願いします!」
ファイガとワリーの2人が勢い込んで言う。
少し考えたグリゴア教授だったが、頷いた。
「3人まとめて戦うか。いいな、マーサ」
「良くないです」
やはりジブリナの抵抗は黙殺され、ワラーとワリー、ファイガと対峙することになった。
ファイガが、ジブリナを見据えて口を開く。
「初めまして!ファイガ・ファイトでs―――」
「ワリー・リームですよろしくお願いいたしますこの時を心待ちにしておりましたぜひ貴女の手にかかり新たなる境地へ向かいたく―――」
「2人とも!ジブリナ・マーサは聞いてないぞ!」
ワラーがファイガとワリーを止めるのを、ジブリナはぼんやりと見ている。
そして、そっと首を傾げた。
「よろしくお願いします?」
グリゴア教授が、手をさっと上げた。
ファイガとワリーはそれぞれ構えを見せた。
ワラーは呼吸を整える。
ジブリナは、辺りを見渡し、グリゴア教授がイリスも含めて保身結界を張っているのを確認した。
グリゴア教授の腕が振り下ろされ始めると、焼き菓子のような甘い匂いが室内に充満した。
ファイガとワリーは身動きできず、その場に立ちすくむ。
ワラーは風雲魔法でジブリナへ毒霧をまとわりつかせようとしたが、発生させはしたものの、ジブリナに届く前に霧散した。
この間、ピアノの音が軽快に駆け上がる様な旋律が流れたが、すぐに止むと対ジブリナの3人は動きを止めた。
グリゴア教授がパンッと手を合わせて音を出すと、3人はタタラを踏みながらその場に何とか踏みとどまった。
ワラーは悔しそうにしているが、ファイガとワリーは何が起こったのか分からず困惑している。
グリゴア教授が、ふむ、と少し考えた。
「ハンデをつけるか。魔法発動妨害と身体活動妨害はナシだ、マーサ」
「えっめんどくさぃ」
「なるべく苦しませるなよ」
「えっどんな事すると思われてるの?」
「よし、始めるか」
グリゴア教授はジブリナが何か言う度にスルーし、腕を上げたが、ファイガとワリーには怯えが、ワラーには戦闘に対する狂気的な喜びが。
グリゴア教授の腕が降ろされると、ワラーが風雲魔法を発動すると同時に、またピアノの音が軽快に鳴り始める。
毒霧はジブリナに届かず掻き消えたが、同時に発生していた雲から麻痺性雨が降り注ぎ始めた。
ジブリナは防いだが、ファイガとワリーは保身結界を張るも強度不足で雨漏りし当たった所が麻痺をした。
慌てて2人が再度保身結界を張り直し麻痺性雨から逃れる。
そこで焼き菓子のような甘い匂いが和らぎ、何かを調整する様に指を動かし続けていたジブリナが眉を寄せた。
ワラーは、好戦的に笑うと随分と厚くなった雲から吹き付ける強風と雨に指向性を持たせジブリナを襲う。
そこへ、ファイガが燃焼魔法で、ワリーが水文魔法で火と水の魔法をそれぞれ放つ。
互いの威力を落とさずジブリナへ向かうが、その前で、やはり掻き消える。
ジブリナが少し苛立ったような顔でグリゴア教授を見る。
「魔法を構築し直すの面倒くさいから、もうこのハンデ止めてくださいよ、グリゴア先生!」
「さてな。ウツワを増やしただけだろう?」
「……」
グリゴア教授がニヤリと笑うと、ジブリナは渋い顔をしたが、イリスが心配そうに自分を見ているのに気が付くと笑顔になった。
「イリス!大丈夫よ!」
この間にもワラー、ファイガ、ワリーの攻撃は続いていたが、ジブリナに阻まれ、やはり消えてしまっていた。
ジブリナが、よし、と1つ頷く。
ジブリナは相変わらず何もしていないように対峙する3人には見えた。
だが、一際甘い匂いが強くなった事は分かった。
ワラーは、しまった、という顔で無理矢理自分が放った魔法を終了させ回避。
ファイガとワリーは自身が放った魔法に、絡みつくように逆流してくる蜂蜜のようなものを見た。
蜂蜜は2人にまとわりつき行動不能、気絶させ、ここで2人が脱落、ワラーはジブリナを注視したまま動けずにいる所でピアノの音が止んだ。
グリゴア教授が、そこで声をかける。
「終了!おつかれさん」
ワラーは力を抜き、大きく深呼吸をする。
ジブリナは、少し腕を持ち上げると、指先で何かを調整し始めた。
イリスが心配そうにジブリナに近付く。
「怪我してない?」
「ん?大丈夫!ちょっと待っててね、さっき作ったウツワをもうちょっと直しとかないと……」
グリゴア教授が、ファイガとワリーを保身結界で体調を整え、2人の目を覚まさせる。
ジブリナが魔法の調整を終えると同時に、甘い匂いが消えると、イリスが不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
「いや………ジブリナは基礎魔法じゃないものを使ってるよな?」
「まあ、そうなる、かな?」
「グリゴア先生も、ワラー先生もそうだよね?」
「まあ、そうかな」
「ファイガとワリーは強力な力だって聞いてたんだけど、燃焼と水文だから基礎だよね?」
「そうね」
「ジブリナは何の魔法なの?」
「秘密ゥ」
「何で?」
「対策されるから」
「俺は出来ないよ」
「俺らが、だな」
グリゴア教授がジブリナの代わりに答える。
ジブリナとイリスが振り返る。
グリゴア教授の後ろにはワラー、ファイガ、ワリーが立っている。
ジブリナはニコーッと笑った。
「帰っていいですよね?」
グリゴア教授もニコーッと笑う。
「次は俺だ」
「いやぁあああああ帰るぅ…!」
「ははははは!楽しいなァマーサ!」
嬉しそうに笑うグリゴア教授と、嫌がるジブリナ。
ジブリナに負けた3人は疲れた表情で立つ。
イリスは、このままなし崩しにジブリナが出勤させられそうでニンマリと笑っていた。