イリスの根回し
オルムシュタイン魔法学校、図書館。
イリスは論文検索をして、その結果を見ながら考えていた。
検索画面には、王国古代史の中で、当時歌われた歌が数多く集められた歌集についてが2つ。
古代社会学の論文が2つ。
古代宗教学の論文が1つ。
ジブリナ・マーサの名で書かれた5つの論文である。
イリスは、満足気に笑った。
そして図書館から出たところで足を止める。
廊下の先から、可愛らしい雰囲気の女の子と2人の男の子がやってきていた。
女の子は、イリスを見つけると小走りになり近づく。
「イリス様〜!図書館で何してるの?」
「本読んでた」
「何の本?」
「来年の授業選択は何にしようかと思って」
少しずらしながら答えると、男の子2人が苦笑した。
「ファイガ、そう詰め寄るな、イリスが引いてるぞ」
体格がガッシリして首の太いワリーがそう言うと、イケメンなのだがコケシに見えるリンゴがイリスを見る。
「昨日、たまたま通りから見えたんだけど、カフェに一緒に居たのってお姉さん?」
「いや」
イリスは短く答え、じゃっと手を振りながら、研究室が並ぶ方へ歩き出した。
その背に、ファイガが声をかける。
「今日は一緒にカフェ行こうよ〜」
「先生に用事あるから無理」
「待ってるよ?」
「またな」
イリスが構わず歩き続けると、声はもう追っては来なかった。
イリスは、王国古代史のライノア教授の研究室を訪れる。
ノックをし、ドアを開けると、まずコーヒーの香りがした。
そして、かすかな音でジャズが流れている。
か
本がズラリと並んでいるのはどこの研究室も同じだが、レコードが同じように並べられている。
骨董品のようなレコードプレーヤーが窓辺にあり、その側の揺り椅子で外を眺めながら寛ぐ男がいた。
イリスが部屋の中へ足を進める。
「失礼します、ライノア先生」
その声に、ゆっくり振り向いたのは、ガッシリとした体型に、憂いを含んだ瞳がどこかアンバランスな四十代ほど男だ。
「アンドレーエか。どうした?」
ライノア教授の側まで来ると、イリスは親に頼んで書いてもらった推薦状を渡す。
ライノア教授が、その推薦状を読み進める内に、イタズラをしようとする子供のように無邪気な笑顔を浮かべ始める。
楽しそうに笑うと、ライノア教授が頷いた。
「いいな、これ。確かにお前の家の推薦状があれば表立って文句を言う奴もいないな」
イリスは、ホッとして息を吐き出した。
「では、採用されるのですね」
「ああ。そうだな………本当なら俺が預かりたい所なんだが………」
歯切れの悪いライノア教授に、イリスが首を傾げた。
「先生の研究室に在席していたみたいなので、それが1番スムーズかと俺も思いましたが…」
「まあな………」
「………何か問題が?」
イリスが眉を顰めると、ライノア教授が肩を竦めた。
「メンガーがいるだろ?」
「?一般教養の?」
「そうだ」
メンガー准教授は在校生の1年生なら誰でも受ける一般教養の授業を受け持つ。
それがどうした、とイリスは顔に出して、ライノア教授を見る。
「メンガーはマーサを目の敵にしているから、こっちの座学には来ない方がいいとは思う」
「………その心は?」
「メンガーの敵愾心に付き合うのが頗る面倒くさい、だ」
メンガー准教授は、御年50歳を越える女性だが、とても女性的で元気な人ではある。
「………ジブリナは何をしたんです?」
イリスが恐る恐る聞くと、ライノア教授が少し遠い目をした。
「………まだ1年生で、右も左も分からない頃にも関わらず、口だけは素直な阿呆がな………」
「阿呆が」
「俺が録った訳じゃなく、これはあいつの兄から渡されたモノだが」
と、ライノア教授が右上を見るようにすると、どこからか、キンキンと響く声と、苛立ちを隠しもしないジブリナの声が聞こえてきた。
『マーサさん!?ですからアタクシは言っているのです!そのような態度が真面目に授業を受けている学生達の士気を下げるのだと!聞いていますか!?』
『………態度、というのは貴女の印象でしかない上に、授業を進めない責任を私に押し付けられても困るんですが……………エストロゲンの減少でイライラするのは分かりますが、あからさまに更年期ですって意思表示するのは公の立場もある教職としては問題があるのでは?』
イリスはライノア教授と共に遠い目をした。
言わなくていい事を口にし、敵を作る―――前世から何も変わっていない女、ジブリナ。
「まあ、一応あいつの言い分も分からんでもないんだ、一応な?確かにメンガーのヒステリーは相手にしたくないからなぁ」
「分かりますが……まあ、言っちゃうのがジブリナですね………」
「更に面倒な事があってな?」
「………なんです?」
「マーサの兄2人がシスコンだから、例え妹が悪くとも、メンガーに虐められた等と学校を糾弾してくる可能性があるので、できる限り接触させたくないんだ」
「………なるほど。俺が家で聞いたのは、ホーフマイスターが女性の魔法士登用を渋っているので、こちらの推薦状を作ってもらったのですが―――」
ライノア教授が、目を細めて溜め息を吐いた。
「ああ、あの馬鹿か」
心底呆れたように言うライノア教授だが、すぐに首を振った。
「いや、あの馬鹿は一旦置いておこう。考えると何も出来なくなる」
イリスはどういう事か気になったが、ライノア教授に詳しく話す気がなさそうなので、その内分かるだろうと黙っている事にした。
「グリゴアに頼むのがいいだろうな」
魔法実技のグリゴア教授は、イリスはあまり面識がない。
低学年の頃、魔法実技を赤点スレスレで突破したイリスは、高度な魔法実技の授業は選択しておらず、グリゴア教授との接点はなかった。
「俺が連絡しておく。今から話してくるといい」
ライノア教授が陽気に笑いながら言った。
イリスもニコリと笑い、礼を言って研究室をあとにした。