金貨と贐の言葉
翌日の早朝、わたしは帝国が用意した馬車で、マルタン王国に向けて出発する事になった。
人目に付きにくいうちに出発させたい考えだったようで、わたしもその方が良かった。
「マルタン王国の国境まで、私共が責任をもってお送り致します」
そう言って深く頭を下げたのは、アレクシ様の側近のフォーレ卿だった。
アレクシ殿下より五歳年上で、幼少の頃からお仕えしている方なので、わたしもよく知っている人物だ。だから、
「あの……アレクシ殿下は、何か仰ってませんでしたか?」
つい、尋ねてしまった。
「あ……その……」
ハッとした表情でわたしを見た後、言葉を濁す。
「……すみません、フォーレ卿。くだらない事をお尋ねしてしまって」
「いえ。申し訳ございません」
何も言わなかったか、もしくは清々するとでも言ったか……。
昨日、帰還の挨拶で会った時の、アレクシ様のなんともいえない微妙な笑顔を思い出した。
『無事で良かった』とは言っていたけれど、目線は合わず、ソワソワしていた。
わたしをおとりにして、自分だけ逃げた事に対する罪悪感からかと思っていたけれど、あの時すでに、わたしのマルタン行きは決まっていたのだろう。
そういえば、
「フォーレ卿、実は昨日アレクシ殿下からわたくしに、今回の働きに対しての報奨金がいただけると聞いたのですが」
「あ……それは……」
……これも、聞いてはいけなかった事のようだ。
「……実は、ルロワ侯爵に既に支払っておりまして……」
「……そうですか……」
見送りにも来ないどころか、今朝挨拶へ行ったのに、執事を通して面会を断られた。
そのくせ、報奨金は既にもらったと?
……婚約者にも父親にも期待はしていなかったけれど、それ以上の仕打ちをして下さる。
「申し訳ございません、エリス様」
「いえ、フォーレ卿には何の落ち度もございません」
「あの……失礼ながら、これを……」
そう言ってフォーレ卿が、そっと小さな巾着袋を渡してきた。
中を見ると、数枚の金貨が入っている。
「これを、エリス様に……」
「まあ! もしや、フォーレ卿が用意して下さったのですか?」
「はい。こんなはした金しか用意できず申し訳ないのですが……」
「とんでもない! 感謝致します」
袋を受け取り、わたしは少し離れた所に立っていたローラに駆け寄った。
「ローラ、これをあなたに」
「えっ? 何でしょうか……エリスお嬢様! こんな大金いただけません!」
中身を見たローラは、慌てたように袋を返してきたが、
「もらって欲しいの、お願い」
わたしは、ローラの手に袋を押し付け、上から両手でギュッと握った。
「ローラ、わたしの見送りをする為に、侯爵家の侍女を辞めたのでしょう?」
執事から、わたしの見送りはしないでいつも通り仕事をするようにと使用人達に指示があり、ローラはその場で辞めたと、こっそりと別れを言いに来た侍女達から聞いた。
突然の事だし、当主の指示に背いての事なので、退職金も出ないと言われていたそうだ。
「どうしても、ローラに受け取って欲しいの。本当に、これまでありがとう」
「エリスお嬢様……」
「今はもう、あなたが幸せに暮らしてくれる事だけがわたしの望みよ。さようなら、ローラ」
「お嬢様……」
ボロボロと泣く彼女の背中をさすってから、わたしは馬車の前に戻った。
「お待たせして申し訳ございません、フォーレ卿」
「……あの者に、さっきの金貨を?」
「ええ。フォーレ卿のおかげで心残りが消えました」
「……国境にて、マルタン王国の使者にエリス様を引き渡す事になっています。王都までは数日かかるでしょうし、その際、使いの者に渡すなりしていただけたらと用意したのですが……まあ、エリス様らしいですが」
そう言って、苦笑するフォーレ卿。
「死にゆく者です。最後の数日、扱いを良くしてもらうより、これから生きる大切な人に使ってもらいたいです」
「そうですか……私は、そういうお考えの貴女に、これからもお仕えしたかったです」
「贐の言葉、感謝致します。今後、妹の事をよろしくお願いいたします。どうか、正しい道を進むように」
質素な馬車に乗り込む。
護衛兵二名と責任者のフォーレ卿が馬で同行し、わたしはマルタン王国へ向かった。
父親、最低。