この屋敷にわたしの物は無い
久し振りに戻った自室の扉を開け、わたしは思わず息を呑んだ。
……何も無い……。
いえ、何も無いというわけではないけれど。ベッドと机は残っているけれども。
「……わたしが、もう戻らないと思ったんでしょうね」
言葉にしてみると、酷く、胸が痛くなった。
棚に並べていた本も、人形も、装飾品の入ったチェストも無い。
隣の衣裳部屋にたくさんあったドレスも靴も帽子も無くなっていた。
「……もう少し、待てなかったのかしらね……」
父上は自室に戻って用意しろと言ったけれど、用意も何も……持って行く物が無い。
着替えも無いかもしれない。
部屋着でもなんでもいいから、少しどこかに残っていればいいけれど。
今日、戦から戻って直接宮殿に行ったけれど、皇帝陛下やアレクシ様とお会いする前に身支度を整えさせてもらえて良かった。
この様子じゃ、お風呂も入れそうにないから。
もうこの屋敷に、わたしの居場所は無いのだ。
きっと食事も用意してもらえてないだろう。
でも、何か食べないと。
ここ数日、あまり食べる事ができなかったし、明日マルタン王国へ出発するけれど、まともに食事を与えられるかわからない。
『食べられるときに食べておく』
戦場に行って、学んだ事だ。
『感情に振り回されず、生きる為に何をすればよいかを考えろ。たとえ……』
「……たとえ、明日死ぬとしても……」
剣の師匠に教わった言葉を呟き、わたしは厨房へ向かった。
「今日は、大掃除をするようにと奥様に言われまして、既に火を落としてしまったんです」
大鍋を磨きながら、料理長が言う。
「夕食の準備が終わったらすぐに火を落として、残り物も始末しろと言われて……」
「じゃあ、何も残っていないの?」
「そう、ですねぇ……申し訳ございません」
徹底している。
お義母様は、わたしの事が憎くてしょうがないのだろう。
もう今日で、ここを去るというのに……。
諦めて部屋に戻ろうと思ったとき、調理台の上に直においてあるパンが目に入った。
「ねえ、あのパンは?」
「あれは、昨日の残りで……明日、鶏のエサにしようかと……」
「そう。じゃあ、それを頂戴。あと、お茶……は無理だろうから、水でいいわ」
カサカサに乾いたパンと、厨房で使われている装飾が全くされていないカップに水をもらい、わたしは部屋に戻った。
せっかく帰ったというのに……。