バッドエンドを迎えた悪役令嬢は、崖下に投げ捨てられました。
ぽいっと。
まるで走る車の窓から投げ捨てられるタバコのような気軽さで、疾走する護送車の荷台から崖下に捨てられた。
公爵令嬢であるのに、後ろ手に縛られた上に縄でぐるぐる巻きにされた私は、頭を下にして落ちていく。
人間は頭が重いからその向きで落ちると聞いたことがあったな、と思い出す。
今まさに死のうとしている令嬢の考えることではないな、こういうときは走馬灯を見るのではないかななんて考える。脳裏に浮かぶ顔はひとつある。
死にたくはないけど、涙は渇れ果てたのでもうどうでもいい。だけど痛いのは嫌だな、一瞬で逝きたいな。
というか巻き添えをくったお父様、お母様、お兄様に執事をはじめとした使用人たち、ごめんなさい。
オフィーリアは全力を尽くしたけれど、悪役令嬢の運命を変えることができませんでした。
本当よ。
下働きの悪ガキに、
「性格ブスッ」
と罵られたのをきっかけにして前世の記憶がよみがえり、ここが乙女ゲームの世界で私は悪役令嬢だと気づいてからというもの、みんなを巻き込みたくない一心で性格改善をしてフラグを折りまくり、婚約者に好かれる努力をしつつもヒロインに意地悪もせずに頑張ったのだ。
だけどダメだった。
あのアホ(失礼!)王子はどういう訳か、私を悪女と思いこんで結果として国外追放刑になってしまった。
どう考えてもこの状況は追放刑ではなくて、死刑だけれど。
――というか。いつになったら地面に激突するのかしら。落下時間が長過ぎないかしら。
辺りをよく観察してみて。
おや、と首をかしげた。
落下していないようだ。というより、ふかふかベッドのようなものを背中側に感じる。目に入るのは気持ちの良い青空と高い崖だ。
ちょっと状況が理解できない。
――そうか、夢だ。
この意味不明な展開は、夢だからだ。そうに決まっている。
と。
にょきりと、目の前に巨大な爬虫類の顔が現れた。
パカリと開いた口の中は真っ赤で、鋭く尖った歯が並んでいる。
あ。食べられる。
そう思った瞬間に、
「君はどんな罪を犯したんだ?」と爬虫類から声がした。
「……罪?」
「そう」と爬虫類。
「何もしていないわ。冤罪だもの。それよりもあなたは誰?」
「僕はドラゴンのエタン。ここで罪人を食べるのが仕事。といっても前任者から交代したばかりで君が初仕事、初人間だ」
「……えぇと」
よく分からないけど、私は彼に食べられるということだろうか。
なんだか非現実すぎて、実感がない。
もぞもぞと動いてなんとか半身を起こすと、彼の姿が全て見えた。確かに前世でよく見たオーソドックスなドラゴンだ。緑色で鱗に覆われ、蝙蝠のような羽があり、顔は……トカゲに近いのだろうか。正直、あまり怖くはない。
なによりサイズが。例えるなら象ぐらいだろうか。それに首長竜のような頭部が生えている。
というか……。
「あなた、震えているの?」
ドラゴンの頭が小刻みに動いているのだ。
「ああ、バレちゃったか」と彼はバツが悪そうな声を出した。「僕、こんなに大きな生き物を食べたことがないから心配なんだ。丸ごと食べるのが鉄則だけど、骨があちこちに刺さりそうだし。何でこんな野蛮な食事をしなきゃいけないのかな。できれば小分けにして肉だけ食べたい」
「私を食べないのはどうかしら。さっきも言ったけれど、冤罪なのよ」
「冤罪って何だい?」
なるほど、冤罪を知らないのか!
私はそれを丁寧に説明した。すると次にドラゴン――エタンは何故、そんなことになったのかと説明を求めてきたので、私の身に起こったことを、またしても丁寧に説明した。
全てを聞き終えたエタンは首を傾げた。
「僕の仕事は罪人を食べることだけど、これではどうしていいのか分からない」
今度は彼が自らについて丁寧に話した。
昔むかし、エタンの父は人間を食べまくっていたせいで我が国の王に討伐されかかったのだけど、命と引き換えに王の家来となる契約を交わしたそうだ。
ただ、食糧がなくては家来になる前に死んでしまう。そこで王は罪人を与えることにした。これならドラゴンも人間側も双方ハッピーということらしい。
やがて王は死に、王の子供たちも孫たちも死に、家来になるという契約は無効となった。だけど助命してくれた王に敬意を払って、エタンの父は罪人を食べることを続けてきたという。
だけど父も年をとった。歯が弱り、生の人間を骨ごとバリバリ食べることが難しくなってきた。
そこでエタンがこの仕事を引き継いだという。
だけど彼は生まれてこのかた、人間を食べたことがない。好物はよく火の通った鶏か魚、もしくはレモン。
「それじゃあ、震えるのも当然よ」
私は彼の頭をよしよしと撫でた。縄は彼が魔法で解いてくれた。ちなみにふかふかベッドの上に寝ていたのも彼の魔法だ。
「君は優しいね」とエタンが私の手に頭をすりすりする。
なんて可愛い子だ。
――ユーグも一緒だったら、絶対にエタンを好きになったな。
そう思って、胸がツキンと痛んだ。
ユーグは私に「性格ブス」と叫んだ奴だ。孤児で道ばたで空腹で死にかけていたところを、たまたま教会帰りの私が見つけて助けたのだ。しかも下働きとして雇ってあげもした。
彼はとても口が悪いことを除けば非常に優秀で、公爵家に恩返しをするのだと勉学も剣術もがんばって、今では兄の従者だ。一見スマートで理知的な青年だけど、幼少期の野良育ちの精神は消えていなくて中身はかなり荒々しい。
子供の頃はよくトカゲや蛇を捕まえていたし、きっとドラゴンには目を輝かせるだろう。
「オフィーリア。泣いているのかい?」
エタンがちろりと出した二股の舌で、私の涙を舐めとる。
「ありがとう。あなたも優しいのね」
「元気を出して。僕の魔法で助けられるかもしれないから」
エタンはおいでと私を誘って、少しだけ移動した。崖下の世界は日当たりが良く花が咲き乱れていて、小さな泉がひとつあった。
「水面を見ていてね」
そう言ったエタンは何やらブツブツ呟いた。やがて水面に映っていた景色が消えて、婚約者である王子が現れた。傍らにはヒロインである男爵令嬢がいて、ふたりともワイングラスを手にしている。
「これで邪魔者はいなくなった! みなオフィーリアが悪女だと騙されてくれて良かったよ。僕たちは晴れて恋人同士だ」と王子。
「ようやくね。嬉しいわ」とヒロイン。
グラスをかち合わせて乾杯をして、それ飲み干すふたり。
やっぱりというか。
「君ははめられたようだね。ひどい話だ」とエタン。「とりあえず今日はここで過ごして。僕は父に、王族の犯罪を暴く許可をもらうよ」
彼は、南方のリゾート地に隠居した父と、泉を使って魔法通話をするという。
予期せぬ展開に安堵したせいか、これまでの疲れが急激に襲ってきて、私はエタンに寄りかかって眠りに落ちていった。
◇◇
「うわぁ!」
叫び声にはっとして目を開けた。辺りは暗く、いつの間にか夜になっていた。空には薄っぺらくて剥がれ落ちそうな三日月と、無数の星。
エタンと私がいるだけで、他に気配はない。
「今の悲鳴はあなたなの、エタン?」
「うん。これが降ってきたんだ」
そう言うエタンが示したのは、ふたつのボールだった。だけどよく見たらそれは首で、ひとつは婚約者でもうひとつはヒロインだった。
「……あなたがやったの?」
「違う、降ってきたんだってば!」
エタンが崖を見上げる。私もつられて目をやると、人影がちょうど飛び降りるところだった。
ひっと息を飲む。
が、その影の落下速度はすぐに落ち、ゆっくりと地面に降り立った。
「……どうなっているんだ?」
人影が呟く。耳馴染みの声だ!
「ユーグ!」
彼の名前を呼んで駆け寄る。
「オフィーリア様!?」
そばに寄ると、はっきりと彼の顔が見えた。
「何をしているのよ、ユーグ!」
「オフィーリア!」
カランと何かが落ちた音がして、涙を浮かべたユーグがぐいと私を引き寄せ、抱き締めた。
「守れずにすまなかった! たとえあなたが幽鬼でも、また会えるなんて」
心臓が壊れそうなくらいに早く動いている。ユーグは、口が悪い兄の従者だ。ずっとそれ以外の何者でもなかった。その彼が、私を抱き締めている。
「……幽霊ではないわ。エタンが助けてくれたのよ」
そう言うと彼は、ちょっと身を離して私を見た。
「ドラゴンよ。ほら」
後ろで静かにしている彼を紹介する。
「エタンです。はじめまして」
「……はじめまして。え? ドラゴン?」
きょとんとしているユーグに、エタンとの出会いから全てを話し、ユーグは私が拘束されて以降のことを教えてくれた。
それによると彼と兄とで私の冤罪の証拠をみつけて王子に直談判したものの、彼はそれを握りつぶしたそうだ。それで黒幕が彼と男爵令嬢だと分かったけれど、時はすでに遅しで、私が崖下に捨てられたあとだった。
だからユーグは。
敵討ちをしてその首を私に捧げ、自分も私の元へ来ようとしたらしい。
崖の上に沢山の篝火が見える。きっとユーグを追ってきた兵たちだろう。
「ユーグ。私はあなたを巻き込みたくなかったのよ!」
そのために記憶がよみがえった日から、がんばってきたというのに。
「あなたは公爵令嬢だから」と彼は目を伏せた。「俺は何も言えません。だけど俺が何もかもを死ぬ気で頑張って一人前の従者になったのは、少しでもあなたの役に立ちたかったからだ。なのにあなたを救えなかった」
「バカね! 一介の従者のあなたが王族に勝てる訳がないじゃない。私よりもあなた自身を大切にしてほしかった!」
抱き合ってわんわん泣いているうちに、いつの間にかエタンは飛び去り、夜は静かに更けていった。
◇◇
目が覚めるとすでに朝で、傍らにはユーグがいて、頭側には二頭のドラゴンがいた。エタンと、エタンの倍のサイズのドラゴンだ。
「エタンの父だ」と大ドラゴン。
「はじめまして」とユーグと私は挨拶をする。
「昨晩はお楽しみのようだったので、朝まで待っていた」と父ドラゴン。「王子たちの悪行は王と国民に見せてきた」
「昨日の泉で見たものをね」とエタン。
「オフィーリアの冤罪は晴れた」と父ドラゴンが続ける。「そちらの君のしたことを咎めない言質もとった。国王が公爵家に正式に謝罪をするそうだ」
ユーグと顔を見合わせた。
「なんてお礼を言えばよいのでしょう!」
ふたりでドラゴン父子に深く頭を下げる。
「いや。私が敬愛した王の子孫がアレかと思うと、我慢がならなかったのだ。君たちのためにしたわけではない」と父ドラゴン。
気のせいだろうか、緑色の鱗の頬が赤らんで見える。
「罪人を食べる仕事もやめることになったよ」とエタン。「ラッキー!」
父ドラゴンが太い尾で息子の頭をポカリと叩いた。
「で、君たち。屋敷に帰るなら送ってゆくぞ。この崖は人には登れん」
私たちは再び顔を見合わせた。
今回のことが王子たちの自業自得だとしても、私はあれこれ噂をされるだろうし、ユーグはもっと後ろ指を指されるだろう。
私は彼の手を取り握りしめた。
「……どこか遠くへ行きましょう」
だけれどユーグは首を横に振った。
「いずれ行くとしても、まずは一度帰る。旦那様にあなたをもらいたいと許可をいただかないとな」
「もう、もらったんじゃないの?」とエタン。
再び父ドラゴンのしっぽがげんこつ(?)をくれる。
「よし、では公爵邸行きだな。背中に乗りなさい。くれぐれも落ちないように」と父ドラゴン。
「落ちたら僕が拾うよ」とエタン。
「ねえ、ユーグ。お父様が許してくれなかったら、どうするの?」
「その時は、駆け落ちしてくれるか?」
もちろんよと答えようとしたら、父ドラゴンが
「私の住んでいる南の島はいいぞ! ぜひ来たまえ」とご機嫌に言って、息子に
「父さんだって余計なことを言ってるよ」
と叱られた。
そうして谷に私とユーグの笑い声が響き渡ったのだった。