お姫様に憧れて
ドサっと何かが落ちる音がして目が覚めた。外から聞こえる小鳥のさえずりを聞きながらぼんやりと天井を見つめ、何が落ちたのか手でベッドの横を探ると……なるほど、落ちたのは本。私は本を読みながら寝落ちてしまってらしい。落ちた本を拾い上げ題名を目で追う。誰もが一度は読んだことのある童話だ。
ゆっくり体を起こして本棚に本を戻そうとすると、
「起きてるの? 朝ごはん冷めちゃうわよ。」
と、いつものように扉の向こうからお母さんの声がした。ごめんすぐ行く、と返事をして本を元あった場所に戻しササッと着替えを済ませて自分の部屋を出た。
いかにも平凡な女子高生の日常である。でも、今日はいつもよりちょっとだけ機嫌がいい。私がよく読んでいるシンデレラや人魚姫の主人公の可愛いお姫様は、最後は王子様と結ばれてハッピーエンド。私もこんな素敵が恋がしたいと憧れて十数年……高校生になった私は、やっと理想の王子様を見つけることが出来たのだった。今日も学校で彼に会えるのだと思うとワクワクしないでいるなんて無理な話だ。
金色の柔らかな髪に健康的な肌の色、淡い青色の瞳に優しげな目元、昔童話で見たような王子様そのものだというのが彼への第一印象だった。髪の色や並外れた容姿から分かるように、彼は異国とのハーフだそうだ。まさかこんなイケメンが自分のクラスに転入してくるなんてみんなも思っていなかっただろう。クラスの女子たちは彼の一挙一動に見惚れているし、最初こそ妬みからか関わるのを嫌がっていた男子たちもすぐに打ち解けて、彼はあっという間にクラスにとけ込んでいた。そして柔和な外見を裏切らず天然で優しい性格の彼は、数日で学校内のファンクラブができる程の人気者になっていた。ちなみに私は会員番号三番である。せっかく出会えた素敵な王子様だが、まだ私だけの王子様ではない。
§
彼がこの高校に来て暫く経ち、女の子たちの取り巻きに混じって彼と会話することは増えたが、二人で話す機会なんて作れるわけもなかった。学校内では取り巻きの子達みんながお互いを牽制し合っているし、帰りには彼はいつのまにか教室からいなくなってるのだ。
今日も例に漏れず気づかないうちに帰っていた彼。人の少なくなった教室で、いつか彼と二人きりで帰ってみたいなと思いつつ、自分の委員会の仕事に向かった。
委員会の仕事が終わったのは外が暗くなりかけてきた頃で、随分長くかかったことが分かった。急いで教室に荷物を取りに行くと、西日に照らされた教室の中に人影が見える。こんな遅くまで残っているなんて誰だろう。不思議に思いつつゆっくりとドアを開けると、そこには愛しの彼が立っていた。帰ったはずの彼がいるとは思っていなくて驚いて固まってしまった私に、
「どうしたの? 」
と、優しい声で問いかけてきた。彼の声は今までの人生で聞いたことがないくらい透明で、いつも聞き惚れてしまう。
「え……あ、ううん。人がいると思っていなかったから驚いただけ。そっちこそ、どうしたの? もしかして忘れ物?」
そう言う私の方を振り向いた彼は恥ずかしそうに眉を下げながら頬をかき、
「うん、課題で使う教科書忘れちゃって。キミは部活の帰り?」
と、笑いかけてきた。まさか二人きりで話せる機会が来るなんて……夢のようだ。頬がだらしなく緩まないように気を引き締めて返事をした。
「ううん、委員会の仕事が少し長引いたの。」
緊張で上手く会話が続けられないというのは初めての経験だった。私が口を閉じてから少しの沈黙の後、何か会話の糸口を見つけようとして、辺りを見回しながら私が捻り出した言葉は、
「なんだか……世界に二人っきりみたいだね。」
だった。何処の本から影響を受けたんだってツッコミを貰えそうだが、いつもみんなに囲まれている二人きりで話せていると言う事実に舞い上がっている今の私の頭にはこれしか浮かばなかったのだ。だが、彼からの返事がない。怪訝に思って顔を上げると、驚いた顔で私を見つめる彼と目が合った。そんなに驚かれるとは思っていなかったので、引かれたかと思って焦っていると、
「……確かにそうだね。」
と、彼は少し照れたように笑った。初めて見る姿に思わず頬が熱くなる。
「ねぇ、キミは、ボクと世界に二人きりって嬉しいと思ってくれる?」
と、少し寂しそうにそう聞いてきた彼に私は少し首を傾げながらも、彼と二人きりの世界を想像してみた。……きっと、彼の隣を歩いていても何も言われないし、女子からその事でいじめられることもない。それに、優しくてカッコいい彼を独り占めできるなんて幸せに決まっている。
「嬉しいし、貴方の二人きりの世界は幸せだと思う。」
私はそう言って、少し不安そうな表情の彼を安心させようという意味も込めて自信満々に頷いてみせた。
「本当? そっか……ありがとう。ボク、キミと二人だけの世界なら興味あるかも。」
彼の言葉で一瞬時が止まった。反芻してようやく意味が飲み込めたが、彼の言葉を信じるならば彼も私と二人きりになりたいと思っているということなのだろうか。
「ねぇ、キミの誕生日はいつ?」
子供のように楽しそうな表情で私の顔を覗き込む彼に、
「……あ、えっと、明日だよ……。」
と返すのが精一杯だった。初めて二人きりで話してわかったが、彼は案外気持ちが表情に出やすいタイプらしい。どんどん私の知らない彼が姿を見せるので鼓動が全然鳴り止まない。
「明日!? じゃあ早速準備しないと……ボク先帰るね。」
そう言いながらギュッと抱きしめられた。生まれてこの方好意を抱いた男の子に抱きしめられたことがなかった私の思考回路は完全にショートしてしまった。
その後どうやって家に帰ったのかも記憶にない。ベッドの中でも彼の言動が頭を占めてぐっすり寝ることなんてできやしなかった。
『明日楽しみにしててね? 忘れられない誕生日に出来るように頑張るから!』
彼が教室を出る時に満面の笑みで言った言葉がパッと頭をよぎる。あぁ、もしかして明日、改めて告白してくれるんだろうか。明日の誕生日に想いを馳せながら、高鳴る心臓をおさえるようにそっと深呼吸をして目を閉じた。
§
ゆっくり目を開けるといつもの天井がうつる。彼のことを考え過ぎてあまり熟睡できなかった気がする。なんだか、いつもとは違う朝だ。グイッと伸びをしてベッドから降りると、コツンと窓に何か当たる音がした。不思議に思ってカーテンを開けると、何と外に彼が居たのだ。急いで窓を開けて、
「えっ、どうしたの!?」
と叫んでしまった。我に帰って、近所迷惑だと思った私は彼にすぐ行くから待っててとジェスチャーで告げて、パジャマのまま玄関の外に飛び出した。
「こんな朝早くからどうしたの……? それに私の家……」
「早くキミのことを祝いたくて……お誕生日おめでとう。」
優しい声でそう言われニッコリと微笑まれれば何も言えなくなってしまう。それに、一番に祝いに来てくれたのは純粋に嬉しい。
「これ、キミにプレゼント。」
と、腕を広げてみせた彼に首を傾げた。ハグってこと? それとも彼自身がプレゼント……なんて。照れながらもそっと彼に抱きつくと、彼はキョトンとした顔をして目を瞬かせた。違ったのかな、と思いつつ彼に笑いかけると、彼は合点がいったという顔をして私を抱きしめ返してくれた。
「あぁ、喜んでくれたんだね? 良かった。昨日の夜から徹夜で準備したんだ……。」
「え、何を準備したの?」
確かに彼の目元にはクマがあるが、ハグがプレゼントなら何を準備したのかよく分からない。すると彼は子供のように無邪気に微笑んでこう言った。
「キミとボク二人きりの世界だよ?」
「結構大変だったんだ……地球の女の子は結構スケールの大きいこと言うんだね。他の星から来たボクでも一晩かかっちゃった。」
「……あれ……キミ泣いてるの? そんなに喜んでくれるなんて思わなかった……ねぇ、忘れられない誕生日にできたかな? 」
彼の声から何も悪意がないことは分かっていた。でも、このよく分からないグチャグチャした気持ちはどうやら消えそうにない。私の恋した人間離れした優しい王子様は、どうやら宇宙からやって来たらしい。こんなことを告白して欲しかったんじゃないのに。私だけの王子様になった彼は、代償として私の大事な全てを奪っていってしまった。
――あぁ、今すごく母に会いたい。
私に向けられた彼の透明な声は、行き場を見失って空に溶けていった。