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サルト  作者: 岩槻大介
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六時間目の悪魔

 タイムマシンが目の前にあったら、ぼくは何百年か前のアテネに行って、走り出そうとしているやつのことを必死で止めてやる。

 だって、そいつが(そいつらが、かな)走っちゃったから、マラソンなんていう競技が生まれたわけでしょ。

 ぼくは国語や算数みたいに座ってやる科目は苦手だ。

 もうこればっかりは遺伝なのだから、仕方がない。と、勉強ができないのはとりあえず父ちゃんのせいにして、マラソンの話。

 自慢じゃないけど、あ、うそ、自慢だけど、春に行われたスポーツテストでぼくはクラスで1番の記録を出した。

 反復横とびで。

 まぁ確かに50メートル走やソフトボール投げに比べると、自慢されてもちょっとビミョー、ってカンジの種目だけど、でも1番は1番だ。

 考えてみたら反復横とびって、ぼくのためにあるような種目だ。

 でもね、50メートル走のタイムだって、ぼくはクラスで4番目か5番目だったんだ。

 短距離は、やっぱり鍛えてるやつにはかなわない。なんだかんだ言って結局少年野球チームのエースとか、サッカーチームでフォワードやってるやつらが上位を占めるんだ。なんであいつら、ぼくと同じクラスなんだよ。って、一クラスしかないから仕方ないか。

 要するにぼくは、勉強はできないけど、運動ならそこそこいける、ってことが言いたかったのだ。

 そんな体育人間のぼくが、どう転んでも1番になれそうにない種目がある。

 持久走だ。

 この種目に身軽さは要求されないらしい。陣内先生に言わせると、マラソンに要求されるのは気力と、持久力と、根性だそうだ。

 ぼくにない3つだ。あーあ、ダメじゃん。

 先生、あなたの正体は、悪魔ですか。

「はーい、みんなよく聞け」

 六時間目のチャイムが鳴った時、悪魔は突然そう言った。

「来月の8日は待ちに待った開校記念日で学校は休みだ。月曜日だからなんと三連休になる。そして今から約束しておく。先生、その週は宿題を出さない。みんな精一杯、からだを動かして遊ぶように」

 わぁ、先生。あんたは悪魔じゃない。天使だ。

 みんなやったぁ、とかラッキー、とか言って手をたたいた。

「なぜかと言うと」

 え? なんか続くの?

「翌日の9日は、我が校のマラソン大会だからだ!」

 えー。

 えー。

 えー。

 奈落に落とされたみんなの嘆き。

 なんだかしてやったり、という表情の陣内先生の顔。

 気が付いたらぼくは、その顔に向かって小さくつぶやいていた。

「この悪魔め…」

 その日、うちに帰るとまた父ちゃんのカン高い声が、作業場から響き渡っていた。

「だははは、そうっすよね、やっぱ歌詞って大事っすからね。はい、はい、そりゃもう、心得てますです、はい」

 父ちゃんは、なんか気楽でいいなぁ。

「わっかりましたぁ。じゃあ今週中に直してお届けに上がります、はい、はい」

 ぼくは台所にランドセルを置いて手を洗い、コップで水を飲んだ。

 もう9月の終わりだというのに、水はまだまだ生ぬるく、おじいちゃんんちの歯磨き粉みたいな味がした。

「そんなぁ、そう言ってもらえるだけで、光栄であります。かなりマジで、ありがとうございますです。そんじゃ、失礼しまーす」

 がちゃ。

「変な敬語」

「どわっ」

 父ちゃんは大げさにのけぞった後、ぼくの頭をぺしっとたたいた。

「ばか。驚かすな。ただいまくらい言え」

「言ったけど、父ちゃん電話中だったから」

「ん? どうした、元気ねぇなぁ。しょんべんでも漏らしたか」

「しょんべん?」

 あまりのばからしさに、ぼくは答えるどころかあきれてしまった。

「父ちゃんは、元気そうだね」

「あったりめぇだ。父ちゃんはミュージシャンだからな。今、校長先生もおっしゃってたけど、校歌って学生時代だけのもんじゃなくてよ、卒業してからもずーっと残るもんなんだ。そんなすげぇ歌を、俺は作ってるんだぜ。最初からスタンダードナンバーになることが約束されてるわけよ。そんな曲、永チャンだって作ってないぜ」

「父ちゃん、実は来月にマラソン大会があってね」

「そうか、がんばれよ。そんで俺の歌が注目されれば、他の学校からも校歌をこしらえて欲しいなんて依頼がくるかも知んねぇ」

「がんばれって、それだけかよ」

「なに、他に何か言って欲しい?」

「いや、別にいいけど」

「そんなことよりも、どうする? 俺が世界初の校歌ミュージシャンとして有名になっちゃったら。うおぉ。再デビューも夢じゃないな。そっかぁ、俺にはやっぱ、これしかないんだよ。どうしよう。どこのレコード会社にしよう」

 だめだ。父ちゃんに言っても始まらない。

 ぼくはあきらめた。

 どーしよっ、どーしよっ、なんて唄いながら父ちゃんはギターを肩に掛け、じゃかじゃか鳴らし始めた。なんか、全然どうしようって顔じゃない。バカみたいに首を振り、千葉県モミアゲを上下させて白い歯を見せている。

 悩みも聞いてくれず、おまけに騒音をまきちらすぼくの父ちゃん。

 アホで、単純で、大人らしいところが一つもないぼくの父ちゃん。

 これが親だと思うと、なさけなくなってくる。

 どーしよっ。どーしよっ。

 まだ唄うか。

 …あれ。でもなんだかいつもの怒りが沸いてこない。なんでだ?

 父ちゃんはギターを鳴らしながらお尻をくいっ、くいつ、っと振っている。

 そうだよな。確かに、がんばればいいんだよ。

 それだけだよ。

 ぼくとしてはすごく不本意だけど、なんか、やる気が出てきた。

 ぼくは本来、体育が得意なんだ。って言うか、ぼくにはそれしかないんだ。うわ、なんかカッコいいセリフじゃん。アホの父ちゃんだけに言わせておけるか。

 よーし、小学生最後のマラソン大会だし、とりあえずがんばってみるか。

「いてててて」

 突然父ちゃんが腰に手を当てて顔をしかめた。

「振りすぎなんだよ。トシを考えろ」


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