父ちゃんが作った最初の校歌
日曜日。
ぼくはアコースティック・ギターの音で目を覚ました。
ぼくのうちは築二十年の木造二階建て一軒家だ。
二十年もたつと、さすがに家のあちこちがかたむいてくるみたいだ。昨年、下水道工事でやってきたお兄さんに、ずいぶんかたむいていますね、と言われた。そんなことあるか、とくってかかった父ちゃんに、お兄さんは巨大な温度計みたいな機械を玄関の柱に当てて見せた。よく分からないけど、目盛りが片方にぐんとななめになっていた。ドアのしまりが悪いのはそのせいらしい。
そしてもっとおどろいたことに、父ちゃんも僕も、うちがななめになっていることに気付きもしなかった。
この家はもともと母さんのお兄さん、つまりぼくの叔父さんの持ち家だった。しかし、十年前、ひょんなことからうちの両親が安く譲り受けることになった。
叔父さんは洋服の裁断や寸法直しの仕事をしていた。昔はこのうちにミシンがズラッと並んでいたらしい。
でも時代の波には逆らえなかったみたいだ。年々仕事量が減っていき、ついにはここを引き払うことになった。今、叔父さんは大阪のある大手服飾メーカーで働いている。腕を買われた、ってやつだ。
大変だっただろうけど、なんだかかっこいい。
その叔父さんが仕事場として使っていた一階の部屋の入口には、小さな四角い金属プレートがかかっている。塗装が半分以上はげ落ちているが、そこには「テーラー林田」の文字が十年以上経った今でもかろうじて読み取れる。
いや、読み取れない。
え? なんだ、なんだ、このマジックで書かれた文字は。
林田、の文字が二本線で消され、佐藤、に変わっている。
そしてテーラーの、テも消されて、その上にロックンロ、という文字が真新しいインクで書き足されている。
ロックンローラー・佐藤。ふぅ。父ちゃん…。
全く、まるで、コドモだ。
それにしても、うるさいよ。日曜の朝くらい、もうちょっと寝坊させてよ。ぼくは目をこすりながら、ロックンローラー・佐藤の作業場のドアを開けた。
父ちゃんは、ギターを弾いていなかった。音は、でかいばかりで安物と一発で分かる、年代物のラジカセから鳴っていた。
「おう、寝坊助、起きたか」
「起こされた、って言って欲しいなぁ」
「まぁ聞け。できたんだ、校歌」
そう言った父ちゃんの声に、父ちゃんの唄う声がかぶさった。
ぼくが寝ている間に録音まで済ませたらしい。
どちらも父ちゃんの声だけど、ラジカセから聞こえる方は、父ちゃんの本物の声を甘口のめんつゆに浸したような声だった。
で、問題の歌はと言うと…。
率直な感想。
実に、なんか、想像していたよりまともだった。
つーかいい歌だった。
父ちゃんがそんななので、ぼくは物心ついた時からギターの生音が近くにある環境で育った。しかし年を重ねるごとにその音色が我が家に響く機会が減っていった。そして母さんが死んでからは、考えてみたら父ちゃんはほとんどギターにさわらなくなっていた。
父ちゃんはエレキギターとアコースティックギターを一本ずつ持っていたが、エレキの方はもう何年も押入れの奥にしまわれたままになっている。
で、父ちゃんがたまにギターを弾きながら唄う歌は、
♪海辺を飛ばすぜハイウエイ〜♪ とか、♪いかしたあの娘はポニーテイルがどうのこうの〜♪ だとか、ぼくにとってはうわごとにしか思えない内容の歌ばかりだった。
それが、その父ちゃんが…。
メロディーは単調で、曲の構成は飛ばすぜハイウエイ、と同じようなものなのだが、あんなにテンポが速くないぶん、なんていうか、あったかくて、ぼうっとしていても自然と耳の中で溶けて広がり、ちゃんと日本語の言葉になって心まで届く、みたいな…。
あぁ、だめだ。説明できない。
とにかくいい歌だったのだ。
歌詞も、ぼくの心を打つものだった。
ぼくらはただ走るんじゃなく カッコよく走りたいのさ
何かにつまずいたとしても カッコよく転んでやるさ
怒りがこみ上げてきたならば カッコよく叫んでそれを伝え
涙が頬をつたったら カッコよく大地に染みこませてやろう
咲くがいい 花たちよ その水分を糧にして
育つがいい 花たちよ なずな台学園 高等学校で
歌が終わってからしばらく、父ちゃんは何も口に出さなかった。
なんとなくぼくの感想を怖がっているようにも見えた。
「いい歌じゃん」
「そ、そうか」
「うん。ちょっと分かりやすすぎて校歌っぽくないけど」
そう言うと父ちゃんは、照れくさそうに千葉県モミアゲをなでながら少しだけ笑った。
ぼくは、机の上に置いてあった例のチラシを見た。
――応募方法●MDまたはカセットテープに録音して、下記あてに郵送してください――。
外では蝉がカッコよさを競うように鳴いている。
とりあえずぼくは居間に行って、タンスの引き出しをあさった。
封筒は、確かここだった。




