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サルト  作者: 岩槻大介
2/19

不良じじぃのカウボーイハット

「父ちゃんはさぁ、ぼくが林田家の子になってもいいの?」

 ぼくは小学生最後の夏休みの、これまた最後の日に、駅三つ離れたところにあるおじいちゃんのうちへ一人で遊びに行った。

 おじいちゃんは近くの川でさわがにの捕まえ方を教えてくれた。

 さんざん遊んだあと、駅まで車で送ってもらい、上り電車に乗ってなずな台駅についたのは、夕方六時をまわっていた。

「なんだ、また言われたのか。うちの子になれって」

「そうだよ。おじいちゃんちの子になれば、ゲームも買ってくれるし、毎日おいしいものをおばあちゃんが作ってくれるって」

 駅のホームにある公衆電話機には、コインでこすったと思われるLOVEという落書きが刻まれている。

「だって食ってくると思ったんだもん」

「食いたかったよ、本当は。今日だってすごいご馳走だったんだよ。でもぼく、父ちゃんがうちで腹すかせて待ってると思って、ちょこっとしか食わなかったんだ」

「食ったんじゃん」

「それを何さ、ひとりで回転寿司なんて」

「え? なぁに、聞こえない」

 運悪く、と言うか父ちゃんにとっては運良く、下りのホームに電車が滑り込んで、ぼくたちの通話を邪魔した。

「もういいよ、父ちゃんのアホ!」

 プハァァーン。

 電車の警笛が鳴ったついでにぼくはそう叫んで、乱暴に受話器を置いた。ピー、ピー、ピー。ちぇっ。

 テレホンカードを抜いて、ぼくは舌打ちしながら階段へと歩き始めた。

 ぼくはこうしてはっきりと言える。「アホ!」と言えるのだ。

 相手が父ちゃんだと。

 でも…。

 あぁ、なんだか目に入る全ての後頭部に石をぶつけたい気分になってきた。

 なんだ、あの刈り上げは。みっともない。

 なんだよあのもずく頭。どうにかしろよ。

 なんだ、なんだ、このカウボーイハットは。いつの時代の人だ。うわっ、つるぴか!

突然の強風だった。ぼくの目の前を歩いていたその老人の頭に乗っていたカウボーイハットが風に飛ばされて宙に舞った。

「あっ」

 不意に露出したつるぴか頭を両手で押さえて、老人が振り返る。帽子はぼくの肩をかすめて、無情にも上り電車の線路内に落下した。

「あぁ、なんてことだ」

 老人はそう言って、今度は両手で顔を覆った。

 あ、こんなトコで何だけど、ぼくの名前は刻人コクトっていうんだ。

 佐藤刻人。

 アホな父ちゃんがつけた変な名前。いつでもリズムを刻んでいる人になれ、ってことらしい。

 でも友達はみんなぼくのことを「サルト」って呼ぶ。

 気付いたらぼくは、確認していた。サルトというあだ名ではない。線路だ。

 上り電車が来る方向、プラットホームから左にずぅーっと伸びる線路。百メートルくらい見渡せる。先っぽの方が夕日と同化して、オレンジ色に光っている。つまり、電車が来る気配は全くない。

 ぼくはホームからひょいっと線路に飛び降りた。そしてカウボーイハットのつばを右手でつかむと、そのままノンステップでホームに飛び上がった。

 2秒もかからなかった。

 そのくらいの跳躍、ぼくにとってはひざを曲げる必要もない。

「全く刻人の身軽さときたら、サル並みだな」

「ホントだよ。コクトじゃなくて、サルトだよ」

 体育の時間、跳び箱でぼくだけが9段を跳んだ時、ケンさんとヒロタがそんなことを言い出して、クラスのみんなが笑った。担任の陣内先生まで笑っていた。

 ま、そのことに関しては特にうれしくも悲しくもなかった。

 それよりも9段を跳んだことで、翌日から少しは女子どものぼくに対するまなざしが変わるのでは、とこっちの方の心配、というか期待が勝手にふくらんだ。

 しかし、そんなにうまくいくはずもなく、翌日になってもぼくは相変わらず存在感の薄い、やせっぽちの小学六年生のままだった。

 みんなの呼び方がコクトではなく、サルトになったことを除けば。

「はい」

 ぼくは帽子を老人に差し出した。老人は目を丸くしたまま、呆然とそれを受け取った。

 別に超能力で帽子を出現させたわけじゃないんだから、そんなに驚かないでよ。

 老人は何か言いたそうな顔をして口をぱふぱふさせていた。

「こらーっ」

 言ったのはもちろん老人ではない。

 ホームの端っこの方から走ってきた制服姿の駅員は、大声でそう叫びながらぼくの前で止まった。

「こら、はぁ、おまえ、はぁはぁ、見てたぞ見てたぞ」

 なんとかそこまで言って、駅員は呼吸を整えた。

「ダメじゃないか、線路内に降りたりしちゃあ!」

 今度は落ち着いた口調で言って、人差し指でぼくの鼻先を指した。

 それがまた、隣の駅にまで聞こえるほどの大きな声だったので、ホームを歩く何人かの人たちの足が一斉に止まった。

 ぼくは、言葉を失った。迫力に負けたのではない。

「スリルだかなんだか知らないけど、お前みたいな遊びをするやつがいるから、大事故が発生するんだ!」

 え? 待って。違う…。

「ちょっと待たんか!」

 うわっ、びっくりした。

 言ったのはもちろんぼくではない。

「この子はちいとも悪いことなどしとらんぞ。わしの帽子を取ってくれただけだ。それを、犯罪者呼ばわりしおって。何だキミは。ほれ、お前もだまってないで言ってやれ」

 いや、急にふられても…。

「あの、失礼ですが、ご家族の方ですか?」

 駅員のさめた口調が老人に向けられる。

「いや、わしは、そうじゃないけど」

「じゃあ下がっていてください。こういうワルガキにはね、びしっと言っとかないと、またやりますからね」

「あんたも分からんやつだな。だから違うんだって。な、お前はただ、帽子を拾ってくれようとしただけだよな」

「…その……ぼくは…」

 迫力に負けているのではない。

 そんな(絵になる)理由なんかじゃない。

 ぼくは、ダメなんだ。

「ほら、言ってやれ。そんな頭ごなしに決め付けるな、って」

 老人がぼくをせかす。

 分かってるよ。

「ぼ、ぼくは…エヘヘ…」

 でも、いつも、いつだって、ダメなんだ。

「あーん、じれったい。よし分かった。本来なら事務室に行って反省文でも書いてもらうトコだが、ま、今日だけは勘弁してやろう。いいかボウズ、死にたくなかったら二度とこんなバカな遊びするんじゃないぞ」

 駅員は、ぼくの頭を手のひらでぐりぐりしながらそう言うと、ツンとあごを立てて階段を登っていった。

 あとにはあきらめたような静けさだけが残った。

 電車も人もいなくなった細長いプラットホーム。

 そのほぼ中央で、老人はぼくの干からびたニヤケ顔を見ていた。

「バカタレが」

 老人がぼくに言う。頭のカウボーイハットをぼくはチラッと見た。

「なぜ反論しないのだ」

「…」

「あいつはお前のことをワルガキ呼ばわりしたんだぞ」

 あんただってバカ呼ばわりじゃん。

「線路内に侵入するのは確かに違法なのかもしれん。けど、その理由をちゃんと説明したら、あんな一方的な言われ方はしなかったはずだ」

 ぼくは無視して階段を登り始めた。

「いいか、お前はいいことをしたんだぞ」

 老人はぼくの後を追いながら、まだしきりに話しかけてくる。

「それを、遊びって言われた時、違うって思っただろう」

 ぼくは立ち止まった。そしてあごだけでうん、とうなずいた。

「だったら違うって言ってやれよ。自分の意見を主張しろよ」

「そんな、無理だよ」

「無理なことあるか」

「ぼ…ぼくは、しゃべるのが苦手だから、何か言うとみんなクスクス笑ったり、じれったくなって怒り出したり…いつもそうなんだ」

 ふう。そこでぼくは細く息をついた。なんか、一か月分の話す量を一気にしゃべっている感じがしてきた。

「だから、もうぼくのこと…」

「やかましい!」

 うわっ。な、なぜいきなり怒鳴る?

「よし。これからはわしがお前のコーチを引き受けよう!」

「コ、コーチ?」

「言いたいことを言えるようにするコーチだ」

 ってあんた今、ぼくの言いたいことを言えなくさせたじゃん。

「言いたいことが言えないやつは、確実に不幸な目にあうんだ。だからそうならないようにするために――」

 老人は内ポケットからボールペンを引き抜いた。そして、こともあろうに掲示板に貼ってある一枚のチラシをびりっとはがし、その裏になにやら書き始めた。

 全くなんて不良じじぃだ。

「ほれ、これがわしの連絡先だ。不幸な目にあいそうになったら、いつでも連絡して来い。わしが助かるワザを教えてやる」

 そこにはずいぶんと達筆な字で、電話番号と名前が書かれていた。

 夏目雪彦。

 なんて季節感のない名前だ、とぼくは思った。


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