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サルト  作者: 岩槻大介
18/19

世界中の自動ドア

 橋が見えてきた。

 ぼくはリズムに合わせて呼吸をしながら、腕を大きく振った。

 はっはっはっはっ、パッキャマラドパッキャマラドはっはっはっ。

 この際、足の痛みは忘れることにした。ぼくは自分のスピードを目と目の間で感じることだけに神経を集中させた。

 風が開く。

 ぼくの目の前で、風が自動ドアのように、ウイーンと開く。

 これだ。この感覚だ。

 風はきっと、世界中の自動ドアによって作られているんだ。

 橋の手前で土手のランニングコースは枝分かれする。左側に折れると、ゆるやかな傾斜が下の河川敷まで続いている。車が走れる広い道路と合流する所に一人の先生が立っている。折り返し地点だ。

 下まで降りたら、今度はその広い道路を逆方向に走る。土手の上に、今まで走ってきたランニングコースが見える。びりっけつ集団が、自転車に乗った陣内先生に後ろからハッパをかけられている。

 あら、その中にはヒロタの姿も。あいつ、頭はいいけど運動はだめだもんなぁ。

 ぼくは快調に飛ばした。

 クラーリネットの歌を一回唄うたびに5人は抜かした。

 疲れは全く感じない。呼吸の乱れもない。はっはっはっは、空気は朝の冷たさを適度に残している。ぼくの大好きなクラーリネット、パパからもらったクラーリネット。よし、リズムを刻め。大丈夫、ぼくはなんつったってリズムを刻む人だ。

 そして残り一キロの地点で、ぼくの視界はとうとうとらえた。

 おぼれかけた水牛みたいにあごが上がった状態で、みんなに抜かされていくケンさんの姿を。スタートダッシュのツケが完全にまわっている。あの走り方じゃ、歩き出すのも時間の問題だ。

 かわいそうに、ケンさん。やっぱりもたなかったね。

 ぼくのことも殴れずに、つーか恐れられもせずに、ぼくに抜かされていくケンさん。なんとなくバツが悪いから、そーっとすばやく抜かすとするか。

 ぼくは道路の端っこを、なるべく音を立てずに加速して、一気にケンさんを抜き去ろうとした。

 視界の一番端っこに、水牛ケンさんのかたまりを感じる。

 よし、このまま……いてっ。なんだ? やべっ。

 転びそうになった瞬間、よりによってケンさんと目が合ってしまった。

 なんだ、なんだ、いてーじゃねーか。なぜ急に痛む? 足の小指。くわっ、ケンさんすごい形相でぼくをにらんでからに。

 ぼくはあわてて視線をそらした。早く、早く、あれ、足が、足が、今まで快調に飛ばしてきた足が、足の小指が、痛いよう、ああー、まじすっげーいてぇ。

 なんで? ひょっとしてケンさんの怨念? 見えないパンチ?

 ケンさんは水牛でスピードダウン。

 ぼくは激痛でスピードダウン。

 思いがけず再びケンさんと併走するぼく。状況としては、二人でスタートダッシュした時と同じ。ただ違う点が二つある。今は逆にみんながぼくらを抜いていく。そしてあの時は一度もぼくを見なかったケンさんが、うわぁ、またにらんでる。本当につらそうな水牛状態のまま、にらみをきかすので、それはそれは恐ろしい悪魔の形相。逃れられなくさせているぼくの足の小指の痛みは、きっとその魔力の仕業だ。

 くそう。

 せっかく抜いたやつらに一人、また一人と抜かされていく。

 くそう、足が、弾まない。唄っても、歌にならない。

 ケンさんは、相変わらずしゃべらない。しゃべれる状況じゃない。

 ぼくたちは無言のまま、それぞれの苦しみと並んで格闘した。

 それでもケンさんは、ぼくよりも前に出ようと必死で腕を振るう。ぼくだって、ケンさんだけには負けるわけにいかない。なんつったって、スタート直前にあんな大見得きっちゃったんだ。ここで負けたら一生言われる。お前は普段ニヤニヤして口ごもっているくせに、たまにでかいことを言ったと思ったら口だけだった、と。

 わぁ、やだやだ、そんなこと絶対に言われたくない。

 ぼくは痛みをこらえながら、夢中で足を高く上げた。はっはっはっは、よーし、スピードを、スピードを、上げるぜぃ。

 オー、パッキャマラドパッキャマラド、ずわっ、付いてくるよ、ケンさん、ぼくがスピード上げても、付いてきて、わぁ抜かした、くそっ、抜き返してやる、あ、また抜かされた、ちくしょう。

 てな具合で半分ヤケになったぼくらはヤケクソのペースがどんどん上がり、またもやみんなを抜き始めた。全くなんてレースだ。

 二人とも、なんだかもう意識から煙が上がっちゃって、まわりがよく見えない。とにかく、負けてたまるか。その気持ちだけが、ぼくらを走らせた。

 そして、見えてきた見えてきた。

 意識の煙にかすんだずっと向こうに、ちんけな手製のゲートが見えてきた。

 ゴールだ。

 あと数百メートルだ。

 ケンさんの巨体から繰り出される足音は、ぼくのすぐ脇で風景全体を揺らしている。うっすらと女子どもの声援も聞こえる。

 くおー、ぼくは文字通り最後の力を振りしぼった。

 汗が流れて首筋を冷やした。

 ケンさんは、あらすごい、顔面がしぼる前の雑巾だよ。半そでの体操服が肌とぴったりくっ付いちゃって、そしてぼくから離れない。

 くそ、ダッシュだ、ダッシュするぞ。

 近づいてきた、ゴール、の文字、はっきりと見える。

 ぼくは歯を食いしばり、必死で腕を振った。

 ケンさんも、ぼく以上に必死だった。

 とにかく負けてはならぬ、負けてはならぬのじゃあ! 

 と、その時、なんだ! そんな、死を覚悟したデットヒートを演じるぼくらの間を、さらに死を覚悟したすんごい表情で走り抜けていく一人の少年。わぁ、わぁ、うそぉ。

 ヒロタだぁ。

 それを見てケンさんが思わず口を開いた。

「うっ、くそっ、ヒロタめ!」

 …。

 え?

「ケンさん、はぁ、はぁ、今、なんつった?」

「はぁ、はぁ、ヒロ、タ、はぁ、俺も、そう、呼ぶことに、はぁ、した、ワリぃか」

「いや、悪く、ないけど」

「それと、はぁ、俺を、呼ぶ時」

 ケンさんはぼくと、ヒロタの背中に向かってこう言った。

「今度から、さん、を付けるな、はぁ、はぁ」

 ヒロタのペースがダウンする。

「言ってみろ、サルト」

「えぇ?」

「言って、はぁ、はぁ、みろ!」

「…はぁ、ケン…」ぼくは言った。

「そうだ」

 ケンさんは、なんだかうれしそうな表情をしていた。

 ぼくもなんだかうれしくなった。足の痛みがすぅっと引いていくのが分かった。

「ぼくは、はぁ、サルトの、ままなんだね」

「ワリいか」

「ぜんぜん」

「待て」

「え?」

「はぁ、はぁ、こら待てぇ、ヒロタぁ!」

「あっ、ちょっとズルいよケンさん。じゃなくて、ケン!」

 沿道でクラスの女子たちが、ぼくを不思議そうに見ている。

 ケンさんがヒロタの背中を追いかける。

 その背中をぼくが追いかける。

 ゴールまで数十メートル。

 ケンさん、いや、ケンがヒロタをとらえる。

 その二人を、ぼくがとらえる。

 三人が横に並ぶ。譲らない。三人とも頭の中に同じ言葉。

 一歩、一歩でいいから、リードするんだ…。

 はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ。

 ゴオォォォール!


 ぼくとヒロタは、こうして反対側からケンとの約束を果たした。

 川の方から照れくさい風が、ぼくらを吹き逃げしていった。


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