どくろギターを弾く父ちゃん
なんだ、このギター。銀色の金属でできている。
大きさは父ちゃんの持っているアコースティックギターと変わらないくらい。でも、木じゃない。ぼくが、ぼくの顔が、映っている。それにああっ、これは、ロックの王様のギターだ。だって…。
「何してる。早く持ってこんか!」
だって、書いてあるもん。ロックの王様、って。ギターの平らなところに。黒マジックで。
ぼくはそれをロッカーから慎重に取り出した。金属だ。重い。
落とさないように、ぶつけないように、右手で抱え、左手でガラスのドアを、あー、父ちゃん…。
「ん? んん? コクト…?」
背中ではなく正面を向いた父ちゃんが、言いながら目をこする。
「お前、なんでこんなところにいるんだ」
「心配するな。こいつはわしに付いて来ただけだ」
付いて来たんじゃなくて、連れて来たんだろ。
「あんたの唄いたい歌が、どうしても聞きたいって言ってな」
そんなこと言ってねーよ。
「佐藤さんのお子さんだったんですか」
デブ教頭がハンカチで汗を拭いながらぼくを見る。
仕方がないので、ぼくは小さくうなずいた。
「さ、これで存分に唄えるだろう。チューニングは合ってるはずだ」
そう言ってじじぃは、ぼくが持ってきたギターを父ちゃんに渡した。
父ちゃんは、それを手に取って目を丸くした。
「ド、ドブロギター…」
どくろギター? なんて不気味な名前なんだ。
父ちゃんがジャラーンと鳴らす。ひやぁ、なんだこの音は。ギターの音じゃないみたい。って言うか、楽器の音って気がしない。
父ちゃんのジャラーンが、次第にジャラーンじゃなくなって、ジャラジャラジャラジャラ、ジャッカジャッカジャッカジャッカ、になって、ズンズジャッカズンズジャッカズンズジャッカズンズジャッカ、になった頃には、みんながだまって、工事の音もだまって、校舎全体がだまって、父ちゃんが目をつぶって、ジャッカジャッカジャッカジャッカ、世界がだまって、そして、始まった。父ちゃんが、始まった。あの歌が、ぼくが聞きたかった、あの歌が始まった。
ぼくらはただ走るんじゃなく、カッコよく走りたいのさ…♪。
父ちゃん、カッコいいよ。アホだけど、アホなりにカッコいいよ。
どくろギターを弾く父ちゃん、すっげーカッコいいよ。
父ちゃんは、アホで、母さんに怒られてばっかで、だらしなくて、なさけなくて、ぼくよりもコドモで、ぼくは…ぼくは…。
食べるものは、母さんがくれた。
着るものも、母さんがくれた。
起こしてくれるのも母さんで、寝かしつけてくれるのも母さんだった。
ぼくは、父ちゃんなんかいなくても生きていけると思っていた。
でも父ちゃんの校歌を聞いているうちに、降ってきた。
雨のように、いろんな思い出が、チャーシューが、降ってきた。
ラーメン屋さんで、父ちゃんは自分のチャーシューを箸でつまんで、ぼくのラーメンの上に乗せた。
「ほら、こうするとただのラーメンがチャーシューメンになるだろ」
ならないよ、2枚じゃ。でも、ぼくはうれしかった。ぼくのどんぶりと父ちゃんのどんぶりの間に、てんてんてんとスープがたれてテーブルを汚していた。
運動会を見に来た父ちゃんは、トラックを行進中の鼓笛隊に分け入ってきて、中太鼓をたたくぼくを大声でまくし立てた。
「コクト、お前だけワンテンポずれてるよ、いいかよく聞け、このリズムだ、タンタタタン、だめだめ、ここ、ここでバスドラとユニゾンでたたかなきゃ、あーんもう、父ちゃんに貸してみ」
陣内先生になだめられてトラックの外に出されると、父ちゃんはしょんぼりした顔でぼくを見ていた。
父ちゃん。なんで父ちゃんは、一から十までアホなの。
父ちゃんのアホは、世界一だよ。だからアホが作る歌は、世界一だよ。
父ちゃんの校歌は、世界一だよ。
ぼく、この校歌を、唄いたいよ。
ジャッカジャッカジャッカジャッカジャーン。終わった。
ぼくの視界のまわりには、なんだかにじんだ額縁が現れていた。
ぱち、ぱち、ぱち。じじぃだ。
その後ろで校長と教頭が、下を向いたままくちびるをかんでいる。
ぱち、ぱち、ぱち… え?
校長じゃない。教頭でもない。
はちぱちぱちぱち、ええっ? いろんな作業服姿の人たちが、ぱちぱちぱちぱち、うわ、何人も、みんなで、にこにこして、ぱちぱちぱち、いつの間に、職員室が、ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち!
父ちゃん。
本当に言いたいことって、こうやって言えば伝わるんだね。
そしたらみんな、分かってくれるんだね。
大丈夫。しょせん言葉なんて、世界なんて、ケツメドボンバーさ。
いつしかぼくの視界は、全部額縁になっていた。
「校長、早速明日、レコーディングだ!」
やっと拍手するのを止めたじじぃが、突然でかい声を張り上げた。
「レ、レコ、って、もしかして、今の…」
「そう。我が校の、校歌のレコーディングだ」
口をぱふぱふさせたまま、校長と教頭が顔を見合わせている。
それを鼻で笑ってから、じじぃは父ちゃんの肩をポンとたたいた。
「相変わらずのロックンロール・スピリットだな。うれしいよ」
父ちゃんは照れ笑いしながら自慢のモミアゲを指でこすった。
「サンキュ。俺には、これしかないから」
出たっ、父ちゃんのキメゼリフ。
じじぃが笑う。どうやら校歌の正式決定のようだ。
父ちゃん、プロの仕事、やったじゃん。
「ところであんた、何者?」
父ちゃんは、どくろギターとじじぃを交互に見て言った。
「おう、すまんすまん。自己紹介がおくれたな。わしはこういうモンだ」
じじぃは首からぶらさげたがま口から、一枚の名刺を出した。
「――理事長、夏目、ゆ…」
声に出してそこまで読んだ父ちゃんは、なぜかいきなり固まってしまった。
「な、夏目さん?」
今度はじじぃが少し照れた顔をして、ニヤッと笑った。
「久しぶりだな。スネークスのDAISUKE」
どくろギターに窓の外の景色が映っていた。
逃れようのなさそうな、秋の空が映っていた。