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サルト  作者: 岩槻大介
14/19

すげぇ女だった母さん

「三段階目についてだが」

 走る車の中でじじぃはそう切り出した。

「どうやら心配なさそうだな」

「え、どういうこと」

 月曜の昼前だけあって、それなりに道は混んでいた。だけどこのタクシー運転手、おもしろいようにうまく車と車の間をすり抜ける。なかなかの運転技術だ。でもその都度小声で「いやぁ」とか「きゃあ」とか声をもらすのはやめてほしい。

「親父の血がお前にちゃんとかよっている限り、大丈夫だ」

「じじぃ、うちの父ちゃん、知ってるの?」

「あぁ、ちょっとな…。つっても、お前が生まれる前の話だ」

「へぇ」

「若い頃のお前の親父は、ありゃ立派だった」

「モミアゲが?」

「そう」

「そうなのかよ!」

「なに、ひょっとして、今でもあのままなのか、モミアゲ」

「どのままなのかは知らないけど、もう少しで館山が鼻毛だよ」

「―よく分からんが、そうかそうか。今でも、ほっほっほ、そうか」

 じじぃはそう言って気色悪い声で笑いながら、窓の外に目をやった。

「ところでお前、親父のこと好きか」

「えっ?」

 いきなり好きか、って聞かれても、うーん、はっきり言ってビミョーだし、なんて答えようか。参ったな、うーん、到着するまでに答えないと…。

「はーい、着きましたぁ」

「近っ」

 ぼくは料金を払っているじじぃに向かって小さくつぶやいた。

「嫌いじゃないけど、ついていけない」

「ふむ。分かる気はする」

 答えを聞いたじじぃは、なんだかうれしそうだった。

 なずな台学園高校は、県営団地と用水路にはさまれた広大な敷地の中にあった。意外とうちの近くだ。

 ぴかぴかの校門は虹のようなアーチ型になっており、校舎へ通じるスロープの両側には、中途半端に植栽された花壇が続いている。

 作業服を着た人が電線管の束を肩から下げて校舎から出てきた。

 ぼくはその人から無意識に顔をそらしていた。土器を盗もうとして追いかけられた時のことを思い出してしまったのだ。そうだよ。こういう作業現場に勝手に入ると、こっぴどく怒られるんだぜ。じじぃ、分かってんのかよ。

 作業服の人はぼくらを見つけると、足早に近寄ってきた。ほらぁ。

「お疲れさまです!」

 言ったのはじじぃでも、もちろんぼくでもない。作業服の人はそう言ってぼくらに深く頭を下げた。

「ごくろうさん」

 じじぃが言った。なんだよ、そういうことか。

「じじぃ、高校の先生だったのか」

 ぼくが言うと、じじぃは鼻で笑ってから手ぬぐいを結び直した。

「わしがそんなガクのある人間に見えるか」

 見えない。

 そして何やら気合を入れてから、じじぃは持っていた鎌で花壇のまわりに生えた草を刈り始めた。

「じゃあ、用務員のおじさんか何か?」

「んー、ま、そんなトコだ」

 なんだ。確かにこうしてみるとその風貌は、まさに用務員だ。

 そんなことより…

「ねぇ、じじぃは父ちゃんとどういう知り合いなの」

「だから言っただろ。ずいぶん昔に、ちょっとな…」

「昔って、もしかして父ちゃんがバンドやってた頃?」

「そうだ」

「へぇ」

 そんな貴重な人間だったとは。だって父ちゃんが音楽やってたなんて知ってる人、いや、覚えてる人、この世に何人もいないはずだ。

「お前の親父はとんでもないやつだった」

「今でも、そうだけど」

 そうなんだけど、でも、なんつーか、他人に言われるとむかつく。

「音楽家としての才能はゼロだ」

「知ってる。だから一年でクビになった」

「でもな、ロックンローラーとしての才能は、おそらく日本一だ」

「え、どういうこと」

「和製プレスリーと言われつつも一年でクビになったのはな、売れなかったからじゃない。事務所がクビにせざるをえない理由があったからなんだ」

「ぷれ…?」

 って誰だよ。

「当時の若いバンドのやつらは、デビューするとすぐにカッコいい服をあてがわれて、テレビで唄わされた。レコード会社が欲しいのはバンドじゃない。バンドのファンというファッションに身を投じる女どもの財布の中身なんだ。疲れた。代われ」

 なんだかちょっと難しい話になってきたので、ぼくは分かったような分からないような返事をしようと思っていたら、え? え?

 じじぃ、いつしか鎌をぼくに持たせて花壇に座り込んでいやがる。

「な、なんでぼくが草刈りなんかしなきゃなんないんだよ」

 じじぃは答えずに手ぬぐいで汗を拭き、なんとウンコ座りでタバコに火をつけた。

 きえー、この不良用務員! この高校もおしまいだ。

「金儲けをたくらむやつは、みんなしてエサをまかせるんだ」

 そう言ってじじぃはポッケから花の種らしき粒を出して、乱暴にまき始めた。

「エサ?」

「そうだ。意味もなく、愛だの恋だの夢だのって歌詞を唄わせておきゃあ、バカどもはだまってても食いついてくるからな」

「へ、へえ」

 ぼくはそういう歌詞の歌、好きだけど…。

「でもお前の親父は、いくら言ってもそういう歌を唄わなかった」

「作る才能がなかっただけだよ」

「そうかも知れんな。面白くもないてめぇの生い立ちとか、町歩いててむかついたことなどをだらだら歌詞にして唄ってたよ」

 うちに一枚だけあるスネークスのCDには、確かにそんな歌ばかりが収められていたような気がする。

「で、ある日、事務所の社長がお前の親父を呼び出して、ちっとは“愛”が唄えるってトコを見せてみい、と怒鳴ったそうだ」

「ムリだよ、父ちゃんには」

「その通り。愛を唄うなんて無理な話だった。でもその代わり、お前の親父は“愛”そのものを見せやがった」

「なにそれ」

「社長室の机の上に、バン、と広げたんだよ。一枚の紙切れを」

「紙切れ?」

「婚姻届だ」

「コン…」

「さっきも言った通り、音楽業界の最大のカモは、女どもの財布だ。でも、お目当てとするバンドのボーカルが結婚してるとなったら、やつらは食いつきもしねぇ。偶像にもなんねぇってわけだ」

 …。ぼくは、とりあえず草を刈った。

「お前に言っても分かんねぇか」

「わ、分かるよ。バカにすんな」

「じゃあ、偶像ってなんだ」

「それはその、たとえばにぎった拳の銅像、とか…じゃなかったら、そう、ガッツポーズをした人の…」

「もういい」

 ガッツ!

 そしてぼくはだまって草を刈る。

 ってこれじゃぼくが用務員じゃん!

「事務所の社長は説得にかかった。結婚だけはやめてくれ、ってな。それで最後は、結婚なんかしたら、この業界にはいられなくさせてやる、なんておどしみてぇなことを言い出した」

「みたいじゃなくて、おどしだよ、それ」

「そういうのは分かるんだな。お前ひょっとしていじめられっ子?」

「ま、まさかぁ」

 と言いながら、ふいにその社長の顔がケンさんの顔とダブった。

「まぁ、あの業界じゃこういった話はつきものだ。そんでたいていは事務所がもみ消すか、あるいは結婚のことをひた隠しにして、ほとぼりが冷めた頃に発表する、ってケースがほとんどだ」

「へぇ、そうなんだ」

「でも、お前の親父にはそんなの通用しなかった」

「だろうね」

「こんなバカなことを言う事務所に俺の歌が分かってたまるか!」

「うわ、父ちゃん言いそう」

「ロックンロールを唄いたいんじゃないわ、ロックンロールになりたいのよ、この人は!」

「なんでいきなりカマ口調になるの。って言うか、この人? 誰、誰が登場したの」

 じじぃはタバコをレンガのへりでもみ消して、静かに言った。

「お前の、母親だ」

 母親、って、母さん…?

「ほとぼりが冷めるまで耐えるどころか、事務所に乗り込んできやがった。すげぇ女だ」

 鎌を持つ手が震えた。なんだか白昼の殺人鬼になったみたい。

「お前の両親みてぇに、偉そうなことを言う大人に対して真っ向から勝負を挑む、ってのが三段階目だ」

 なんだかすごい話のもどり方だ。

「でも、ぼくはまだその三段階目は…」

「クリアした」

「え?」

「わしに向かってじじぃ、と言うなんざ、たいした度胸だ」

「そんな、だってあんたはホントにくだらない用務員のじじ…」

「ああっ、り、理事長、いらしてたんですか!」

 うわっ、突然のでかい声、うわっ、校舎の二階の窓から背広姿の偉そうな人が二名、こっち見て、頭下げて、り、理事長?

「おう、校長に教頭。おそろいで元気そうだな」

 理事長? じじ長? ぼくは、何がなんだか分からなくなって、もう、もう、ひたすら草を刈るしかないわけで、えっと、えっと。

「あの、そちらのお子さんは?」

 なんだか気味悪いくらい、恐る恐る校長がぼくを指して言った。

「あぁ、こいつは用務員の見習いだ」

 こんにちは、用務員の見習いです。いやぁ、草刈はしんどいなぁ。っておい!

 


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