30. 魔導士長イスメーネ
魔導士たちの住居兼仕事場である湧魔棟の1階には、庭に面した一角に、かなりの広さを持つ談話室が設けられている。魔導士たちが仕事の合間にこちらでお茶を楽しんだり、研究の議論を交わしたりと、親しまれている場所だ。
そこは部屋全体がアンティークのような古めかしくも趣のあるダークブラウンで統一されたシックな雰囲気となっており、大きな窓からは、よく手入れされた季節の花々が楽しめる。
大きなテーブル3つと、それぞれに椅子が4脚ずつ置かれており、そこに粋華たちは連れてこられた。
お茶の時間であれば、メイドがお茶やお菓子を用意してくれるところであるが、あいにく今は夜である。外は真っ暗で、当然、庭の景色も楽しめない。
「ほう……お前が噂の異世界人か。悪いな、私は聖女様などと言って、跪いたりはせんぞ。……それで、お前の部屋に連れて行く事が、どうしてブレージの為になるんだ?」
たゆやかな茶色の髪を下ろしたイスメーネからは、普段の仕事の鬼のようなピリピリした雰囲気は薄れていたが、それでもこのような時間に魔導士長である彼女の手を煩わせている事が、部下である魔導士たちを委縮させていた。
そんな空気を感じ取り、小心者の粋華もまた、緊張の面持ちで彼女の問いに答える。
「あ、はい。私を守護してくれているフィアリーズのマークがいるんですけど、彼ならブレージを助けてくれるんじゃないかと思ったんです。えっと、前にマークがみんなに声を聞かせた時に、クラウディオさんがフィアリーズの声が聞こえるようになったって言ってたので……」
「はぁ、そういう事か……」
クラウディオは小さく頷いて息を吐いた。
先程まで裸だった彼は、今はちゃんと服を着ている。寝る前だからか、普段とは違ってゆったりしたラフな格好だ。急いで服だけ着てきたようで、髪はまだ濡れていた。
あんな、裸同然の姿を見てしまって、気恥しいったらない!
まだ胸がドキドキしている。
「ほう……そんな事が。しかし、夜でなくても良かったのではないか? それで、この男が変な勘違いをしたんだからな」
イスメーネはニヤニヤした笑いをクラウディオに向けた。
クラウディオはわずかに赤くなって目を逸らした。
「すいません。ちゃんと説明すれば良かったですね。早くしないとマークが寝ちゃうと思って焦ってしまって……ごめんね、ブレージ」
ブレージは私をチラッと見ると、首を横に振った。
さっきまでと違って、とても大人しい。
「それで、レオン。揉めているこいつらを止めるでもなく、ベット様と二人で食べていた、これは何だ?」
彼女の目の前には、私が持ってきたバスケットが置かれている。
「あの……スイがくれたお菓子です」
レオンが小さくなって答えた。ベットもその横で小さくなっている。
イスメーネは一つつまむと、パクッと大きな口で食べた。
「むぐむぐ……ほうほう、なるほどな……」
彼女はまた一つ取ると口に入れた。
「これは、むぐ、お前が作ったのか?」
「あ、はい。そうです」
私は頷く。
「よし! では、お前に頼みがある。明日から毎日、私の所へ菓子を作って持って来い。もちろん金は払う。……そうだな、一回6,000ペリでいいか?」
「え!? 6,000ペリ!?」
ペリというのは、この国の通貨の単位だ。6,000ペリというのは、日本円にすると、だいたい5,000円といったところだ。
「高すぎます! 材料だって、お城の物を使っているのに……」
焦る私を見て、彼女はアッハッハ!と豪快に笑った。
「お前は本当に異世界から来たんだな。私がその位払えないと思っているのか? だいたい、魔力回復薬は貴重だからな。戦時中でもなければ使わせてもらえないんだ。私の研究は魔力の消費が激しくてな。これがあれば一気に完成に近づく!」
そう言って、また一つ口に頬張った。
「あの……それは僕の……」
恐る恐る口を開いたレオンを、イスメーネは目を細めて見た。
「んん? 何か言ったかレオン?」
「い、いえ! 何でもないです!」
レオンはブンブンと首を横に振った。
「分かりました。では、明日から持ってきますね。お代は、3,000ペリでお願いします。材料を自分で用意するようになったら、6,000ペリにします。それでいいですか?」
「よし、分かった。よろしく頼む」
話が終わり、私達は談話室から出た。
「おお、レオン! ここだったのか!」
ソイルが焦った様子で飛んできた。
「あ、ソイル! 今日はありがとうね! お礼を渡そうと思ったんだけど……なくなっちゃったから、また明日持ってくるよ。レオンを危ない目にあわせちゃってごめんね」
「いや、結局マリアに助けてもらったのだから、スイに世話になったようなものだ。気にするな」
ソイルは相変わらず男らしい。
私は空になったバスケットを持って、客室棟へと向かう。
その時、誰かが服をツンッと引っ張った。
「ま、待って!」
先程、大人しかったブレージだ。
「僕も……フィアリーズが見えるようになるのかな……?」
「うーん、分からないけど、やってみる価値はあるんじゃないかな?」
ブレージは私の顔をジッと見つめて、少し嬉しそうに頷いた。紫の珍しい色の瞳がキラキラと輝いている。
「じゃ、明日行く! よろしくな!」
彼は軽やかに駆け出し戻っていった。
ふふっ、子供は可愛いなぁ……
「スイさん、嬉しそう……ああいう子が好みなの?」
ベットがニコニコして私を見ている。
マリアさんにも誤解されがちだけど、あくまで私は子供好きなだけだ!
断じてショタコンじゃない!!
はぁー……と、ため息をつきながら部屋へと向かった。
部屋に戻ると、マークの姿はすでになかった。
マークは寝るのが早いからね。
……はぁ、やっと休める。
ぬるくなってしまった湯につかり寝支度をすると、倒れるように眠りについた。
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翌日、まだ朝食を食べている真っ最中に、ブレージは息を切らせてやって来た。
まだマークはいない。
言葉に自信がない私は、簡単な挨拶だけすると、マリアさんに代わりに説明してもらう。
ブレージは珍しそうに粘土の体に入ったフィアリーズ達を見ていた。
「おはようスイ! 今日もいい朝だね!」
マークがいつもの様に、スッキリした顔でやって来た。
「おはようマーク! 待ってたよ!」
私が挨拶すると、ブレージの体がギクッと固まった。
「ブレージ……?」
「そ、そこにフィアリーズがいるのか?」
何だか緊張してるみたい……
ま、そうか。
彼にとってはフィアリーズが見えるか見えないかは、すごく重要な事らしいからね。
「うん。ちょっと待っててね」
私はマークに事情を説明した。
マークはブレージをジロジロと眺めると、うんうんと頷いた。
「確かに魔力は多めだね。早速やってみよっか!」
目を閉じたマークの体から、魔力が膨れ上がっていく。
「あれ? そこに魔力を強く感じる……」
ブレージがマークのいる所を凝視した。
「初めまして。僕がフィアリーズのマークだよ!」
「うわっ! これがフィアリーズの声!?」
ブレージはうろたえながらも、マークを見ようと、必死に目を凝らしている。
何とか見えるようになればいいけど……
私も祈るように両手を組んだ。
「君に、ちょっとだけ僕の魔法を当ててみるね。そのままじっとしていて」
マークはブレージに手をかざすと、優しい風を体にぶつけた。
「こ、これがフィアリーズの魔法……」
ブレージは目を閉じて、風に集中している。
「ふふっ、そんなに緊張しなくてもいいよ。力を抜いて」
マークに言われ、強張っていた体を緩めた。
彼の額からは汗が出ている。
どんだけ緊張してるんだ。頑張れ、ブレージ!
他のフィアリーズのみんなも固唾を飲んで見守っている。
「ふぅー……力を抜く……」
律儀にマークの言ったことを復唱している。
ゆっくり目を開けたブレージは、ハッと大きく目を見開いた。
「……見える。これが、フィアリーズか……!?」
「え!? 見えるの!? 本当!?」
詰め寄る私には見向きもしないで、彼はマークを見つめていた。
「ありがとう。もしかしたらって、ちょっと期待してたけど……本当に見えるようになるとは思わなかった。昨日は変な事いろいろ言ってごめん」
ブレージは私に向かって頭を下げた。
「マーク様もありがとう。本当にすごい力ですね」
マークは得意そうに胸を張った。
「まあね! こう見えて、アソシエ地方の王だから!」
あ、そういえばそうだったね。
忘れてた。
「スイ、今何か失礼な事考えた?」
私はブンブンと首を横に振った。
「ううん。何にも」
油断すると、すぐに思ったことが顔に出ちゃうんだよね……
気を付けよう。
ブレージの件は解決したし……と、私は次の要件の為、厨房に来ていた。
しかし、いつも使っている古い厨房とは違う、王宮のコックたちが使っている現役の厨房だ。
入り口から覗くと、後片付けをしている数名の人がいた。
「あのー、すいません。デザートを担当している方は見えますか?」
みんなが一斉に振り返る。
「おい、誰だよ。こんな所に子供を連れて来たのは」
「お嬢ちゃんは、どこの子だい?」
あー……しまった。
ハインリッヒさんについて来てもらうんだったかな……
粋華は渋い顔で頭を掻いた。
「あら、スイ様。こちらに何の御用ですか?」
通りかかったメイドのドーラさんが私に気付いてくれた。
「ああ、ドーラさん……!」
私はコックたちとドーラさんに事情を説明した。
「……という訳で、今日からイスメーネさんに毎日お菓子を作って持っていかないといけないんです。でも、私が作れるのは少ししかなくて……。こんな事、プロの方々に頼むのは申し訳ないんですが、簡単なお菓子の作り方を教えてもらえませんか? お願いします!」
私は深く頭を下げた。
「まあ、スイ様。私に先に相談して下さればいいのに……」
ドーラさんは頭を上げさせようと、両肩に手を乗せた。
「も、申し訳ありません! あなたがあの聖女様とは知らず。どうかお許しください……」
コック達は、ぺこりと頭を下げた。
「あ、いえいえ! そんな事はいいんですが……教えてもらえませんか?」
コック達は互いの顔を見て困っている。
はぁ……やっぱりそんな面倒臭いこと嫌だよね。
「すみません、無理な事を言ってしまって……」
「スイ様、大丈夫ですわ! 私とベッティが付いています。私達がスイ様のお手伝いをいたしますわ」
「ドーラさん? お菓子作り、出来るんですか!?」
粋華はパアッと顔を輝かせた。
ドーラさんもベッティさんも貴族のはずだ。王女様付きのサリーもお菓子を作った事ないって言ってたから、てっきり出来ないとばかり思っていた。
「……今は出来ませんわ」
「え?」
私はキョトンと背の高いドーラさんを見上げた。
「でも、何とかいたします! お任せください!」
そう言うと、ドンッと胸を叩いた。
……あれ?




