64. 勝利!
「ハ、ハインリッヒ様……」
老齢な執事は、怯えるメイドに微笑みながら頷くと、慣れた手つきで使い古された愛刀を抜き、刃先を足元へ向け静かに構えた。
ブーザは愉快そうに腹を抱え、笑い声を上げた。
「アッハッハッハ! あーあ、騎士でもない、こんな老いぼれ爺さんまで戦わなきゃならないなんて、まさに今、王都に戦力は残ってないって事だね。このタイミングで攻め込んだ俺の判断は大正解だったってわけだ」
「……硬いですなぁ」
呟いた執事に、ブーザは眉を寄せた。
「何?」
ブーザの後ろに控えていた二頭の魔獣が血を拭き出しながら地面に倒れた。
振り返ったブーザは、自身の頬と上腕部が切れているのに気付いた。
「さすが魔物……といったところですか」
真顔になった老人からは、先ほどの温厚さは消え失せ、何故か直視するのが息苦しいほどの気配を纏っているのに気付く。高まった魔力が彼の体から漏れ、全身を包んでいた。
「まさか! お、お前がやったのか? いや、そんなはずない! たかが人間が、そんな速さで動けるわけが……!」
「おや? 見えておりませんでしたかな? 私は魔法の力で、人よりもほんの少し、早く動けるのですよ」
目を細め、口元を引き上げたハインリッヒは、ふてぶてしく笑った。普段の執事としての仮面が外れ、かつて騎士団の長であった面差しに変わっていた。
ブーザは、全身にババッと鳥肌が立つ。
なんだこいつ。
さっきまでとまるで違う。
この俺が、こいつを怖い、だと……?
震える腕を押さえ、ブーザは声を張り上げる。
「や、やれ――!! こいつを殺せ――!!」
魔獣らは雄たけびを上げながらハインリッヒに襲いかかった。
すると、目の前にいたはずの老人の姿が、フッと消えた。
魔獣らはキョロキョロと辺りを見回す。
今度こそブーザは、老人から目を離さなかった。彼の速い動きを目ざとく追った。
しかし、魔獣らには見えていない。
「馬鹿、お前ら、後ろ……!」
言いかけるも、2頭の魔獣が、またも床にドサドサと倒れた。
ほんの少し早く動ける……だと!?
あのスピードはスパーリに並ぶ……いや、まさかそれ以上――!?
「お、お前ら――! 何やってる!? おら、さっさと行け――!」
ブーザが怒鳴るも、ハインリッヒを囲む魔獣らは、彼が発する只ならぬ気迫に足が動かない。
そこへ、ドスドスと大勢の足音が響き、鎧を付けた騎士らが駆け付けた。彼らは剣を構え、魔獣らを取り囲んだ。
「ハインリッヒ殿! ここは我々にお任せを!」
ハインリッヒは剣を構えたまま、メイドと共に後ろへと下がり、魔獣らの前から姿を消した。
騎士と魔獣は入り乱れ、激しい戦闘が繰り広げられた。
お互いに負傷しながらも、徐々に魔物は数を減らしていく。
そして、離れた所からは魔導士が、ブーザの動きをことごとく邪魔をする。
「くっ……人間がここまでやるなんて……! はぁ、仕方ない。ここは一旦、引くか」
ブーザは魔獣らを残したまま、転移魔法を使おうとした。
しかし、何者かの干渉で、出かけた魔法が消える。
「な、何で!?」
「そうはさせないんだからね!」
可愛らしい少女の声に、ハッと視線を向ける。
縦巻きロールの髪を揺らしながら、ベットが胸を張る。
「この……! フィアリーズ、お前の仕業か!」
「転移魔法が使える魔物なんて、やっかいな奴、ここで見逃すわけにはいかないわ! ハインリッヒ、やっちゃって!」
剣を構えたハインリッヒが再び現れた。
「ほっほっほ。ベット様、了解いたしました」
魔力を纏ったハインリッヒが、一歩ずつブーザに近づく。
「くそっ! またお前か!!」
ブーザは手を前に出し、風魔法を放った。
ハインリッヒはそれを容易く避けると、素早い動きで剣をブーザの胸に突き出す。
「ぐっ、危ないとこだぜ……!」
ブーザは剣を素手で握って止めていた。手の平からは血が滴り落ちたが、余裕の顔で笑った。
「このまま、へし折ってやる! ハハッ! 俺の勝ちだ!」
ギリギリと拳に力を込める。
「いいえ、チェックメイトですよ」
ブーザの喉元がスパッと切れた。
「な、なんで……」
首から大量に出血したブーザは床に倒れ、ついに今度こそ絶命した。
「動きを止めていただき、助かりましたよ。ご苦労でした、ハインリッヒさん」
バシリーが血に濡れたナイフを拭いながら姿を現した。
「ホッホッホ。お役に立てて、何よりです」
丁寧に頭を下げたハインリッヒは、優雅な手つきで剣を鞘に戻す。
「あなた、現役を引退するのは早すぎたんじゃないですか?」
「いえいえ、老婆心で、ついしゃしゃり出てしまいました。失礼いたします」
もう一度頭を下げ、背筋を伸ばし去っていく後ろ姿に、バシリーは呆れた目を向ける。
「なるほど……“幻の虎”ですか。確かに、あの速さを人の目で捉えることなど、出来ないでしょうね」
残った魔獣を、騎士らはやっとの事で殲滅した。
バシリーはそれを見届けると、王の元へと向かう。
「さて、あちらもそろそろ終わる頃でしょうか」
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「みな、よくやった! 我々の勝利だ――!!」
高台に立ったヨドーク将軍とゴッツ隊長は、エアール国騎士団の完全勝利を告げた。
美しかった草原には、魔物と魔獣の躯が転がっている。人間側も大勢の負傷者を出したが、命を失ったものは僅かだった。
北の砦所属の治療魔法の使い手イザベラがいたこともあるが、多くは、マリアやシェルのお陰であった。
ヨドークの指示のもと、騎士らは王都へと転移魔法で戻っていく。
「よう! お疲れさん!」
片手を上げながら、笑顔のダニロがクラウディオに声を掛けた。
「お互い無事で良かった! お前の大事には、また駆けつけるからな! 王都からは遠いが、便利な乗り物や、転移魔法なんてのも出来たからな! いつでも遊びに来るがいい! いや、もしかしたら、次に会うのは結婚式かもしれんな!」
粋華とクラウディオを交互に見て、ダニロはニヤニヤと笑った。
私は黙ってシラ~とした目で返す。
全く、この人は……
すぐ私を誰かとくっつけたがるんだよなぁ。
「何を……」
クラウディオは不満気な顔で、もごもごと口ごもった。
ダニロはそんなクラウディオの肩をバシンバシン!と叩く。
「ではな! 王都の騎士団諸君!」
豪快な笑い声を上げながら、北の砦一行は転移魔法で帰っていった。
ホレスら討伐部隊のメンバーが粋華の元へと駆け寄る。
「ああ、もう! 心配かけんなよな! 死んじまったかと思ったじゃないか!」
「スイ! 無事だったんだな! はぁ、良かったよ」
私を取り囲み、みんなして頭をポンポンと叩いてくれた。
私は申し訳ない気持ちで、苦笑いを浮かべる。
「実際、一回死んだんですけどね」
「「「は!?」」」
「あ、いや……。みなさん無事で良かったです!」
生き返ったなんて、信じてもらえなさそうだし、別に言わなくてもいいよね。
薄汚れてはいたけれど、ホレスさん、フリッツさん、アルフ、ロイさん、みんな無事な様子だ。
私はホッと胸を撫で下ろす。
足元では、子犬の姿に戻ったオオカミ達が、褒めて褒めて!と纏わりついていた。
私がオオカミ達をわしゃわしゃと撫でると、喜んで仰向けになって見悶えた。
はぁ、癒し。
そして、いっぱい頑張ってくれたフィアリーズ達と抱き合った。
「みんな、ありがとう! みんなのおかげで助かったよ!」
みんなは笑顔で私に答えた。
合体ロボは合体を解除して、バラバラの姿に戻った。
ゾウになったマークの大きな頭を、よしよしと撫でながら、私は申し訳ない気持ちになった。
「マーク……、ゾウさんになっちゃったね。ごめんね、嫌がってたのに」
『あ……いや、それがさぁ……』
マークは粘土のゾウから、すうっと抜け出した。
「出入り自由だったんだよね!」
マークは元のフィアリーズの姿で、私の周りをくるくると飛び回った。
「へ!?」
『あら、マーク様、知りませんでしたの?』
『ワイらも、抜け出そうと思ったら、いつでもここから出られるで』
「ええっ!? そうなの!?」
「へへ……、僕も知らなかったんだ。だって、みんな粘土から出ようとしないし、一度入ったら、もう出られないと思ってたんだ。知ってたら、すぐに入ってあげたんだけど……。ごめんね、スイ」
マークは申し訳なさそうに眉を下げた。
『うん。気持ちいいから、粘土から出たくないだけだよ』
ミントも同意して、ふわりと空中に浮かんだ。
なあんだ、そっかぁ。
じゃあ、また必要な時には入ってもらえばいいんだね。
ふぅ。よかった、よかった。
肩の力が抜けて、ガクンと脱力した。
そこへ、スライトが焦った様子で、フィアリーズらを掻き分け、私の元へやって来た。
「ねぇ、ねぇ! 俺のお願い、ちゃんと覚えてる!?」
あ、そうだった。
スライトはその為に頑張ってくれたんだもんね。
……と、いうことは、彼を王都へ連れて行かなければならない。
もちろん、いいですよね? と、隣にいるクラウディオさんを見上げた。
クラウディオは少々不機嫌な顔をしながらも頷いた。
「王に許可をもらってこよう」
私達に待ってるように言い残し、一足先にクラウディオは騎士らと共に王都へと戻る一団の中へと入り、転移魔法の順番を待つ。
「私も王へ報告に行かねばな。先に戻る」
イスメーネは一団からクラウディオを引っ張り出すと、さっさと転移魔法を使って王都へ戻っていった。
「あ、コーリンさん!」
私は額の汗を拭う美しい魔物の元へと駆け寄った。
「コーリンさんにも、私の作ったお菓子を食べてもらいたいです! 一緒に王都へ行きましょう!」
コーリンは粋華を抱き寄せると、頭を撫でた。
「ありがとう。とっても嬉しいよ。……でも、私は止めておくよ」
「え!? どうしてですか!?」
私は驚いてコーリンさんの服を掴んだ。
「私は元々、お礼が欲しくて人間の味方をした訳じゃないんだ。……それに、魔物らの様子を見るに、スイが作ったお菓子には特別な力があるんだろう? 私は自分が変わってしまうのが怖いんだ。それに、そんな物を食べなくても、私は充分、あんたの事が好きだからね。お菓子目当てで助けたなんて、思われたくないのさ」
「コーリンさん……」
「ふふっ。そんな事しなくても、私は何度でもあんたを助けてやるよ」
コーリンさんは私をもう一度ギュッと抱きしめると、手を振って帰っていった。
「か……かっこいい……!」
颯爽と帰っていくコーリンさんの後ろ姿に、私は両手を握りしめ、ポーッとなったまま見送った。
ど、どうしよう……未知なる扉を開いてしまいそう……!
「スイ~、まだ~?」
私の横では、大きな子供が駄々をこねている。
小さくため息をつくと、スライトを見上げた。
「もうちょ~っと待っててくださいね~」
どうどうと、小さい子に言い聞かすようになだめる。
「ああ、もう! 早く、早く~~~!! 早く食べたいよ~~!」
スライトは握った拳をブンブンと振った。
「はぁ……兄さん……」
ミラは、実の兄を残念そうに見つめた。