56. 粋華の死…?
「マーク! 粋華さんは!?」
稜はゆっくりと近づいてくるクラフティから逃れながら、粋華の傍で静かに浮かぶマークに問うた。
しかし、マークの耳には、稜の声は聞こえていない。
稜はクラフティへと銃を放つ。
だが、やはり弾丸は激しい音を立てて跳ね返った。
アージルはスピードを生かし、ドラゴンの顎へ拳をぶつける。何発もの拳が当たるも、衝撃に少し立ち止まるだけだ。
イスメーネは離れて遠距離から氷魔法で攻撃をしかける。クラフティはそれを避けることもせず、真っ直ぐに稜を見つめたまま進む。
その気になれば、すぐに捕まえられるのを、わざわざ攻撃を食らいながら稜を追い詰める。観念して、自ら協力するよう仕向けるように。
スパーリとブーザは、クラフティに呆れた目を向けていた。
逃げる稜は、息を切らせながら、もう一度、マークと粋華のいる方へと振り返った。
稜は、驚きで目を見開いた。
マークの体からは、真っ赤な炎が立ち昇り、激しく揺らめいていた。
懸命に自我を保とうと頑張ったマークだったが、ついに溢れ出る自身の魔力に飲み込まれてしまっていた。
「マーク!? おい! どうしたんだよ!?」
炎に包まれたマークは、もういつもの可愛らしいフィアリーズには見えなかった。真っ赤な炎を纏った姿は、炎の精霊イフリートのようでもあったが、もっと邪悪な、地獄から湧き出でた悪魔のようでもあった。
クラフティは肌に突き刺さるビリビリとした魔力の気配に、足を止め、核となっているマークを、訝し気な目で捉えた。
「なんだ!? あれは……!?」
魔物であるクラフティ達でさえも、突然に目の前で、小さなフィアリーズがこの異形な姿へと変化したことに、驚きと薄気味の悪さを感じていた。
しかも、辺りに漂うピリピリと肌を刺すような不穏な空気は、背筋が凍るような寒気をもたらしていた。
「俺……ちょっと、やばい感じがするんだけど……」
炎の化身と化したマークから距離を取るように、ブーザはじりじりと後ずさりを始めた。
しかし、クラフティとスパーリは、マークを鋭くを睨んだまま、その場で臨戦態勢をとった。
イスメーネはマークのあまりの変わりように驚きながらも、若い頃に読んだ古い記録書に書かれていた事件を思い出していた。それは、昔、一人のフィアリーズが起こした災厄に関しての報告書だ。
怒りに狂ったフィアリーズがたった一人で、王都の中心街を破壊しつくし、多くの人々が怪我を負った、痛ましくも、誠に珍しい事件だった。
その記録書を読んだ当時は、平和を愛し、人々を慈愛の精神で見守るフィアリーズが起こした事件だとは、にわかには信じられなかった。
災厄を起こしたフィアリーズの名が、“マーク”だったとの記述はなかったが、今、悪魔の姿と化した彼を見て、それは、この者の事だったのではないかと思い至った。
「……とりあえず、このままここに居てはまずいな」
イスメーネは稜を呼び寄せ、倒れた粋華の元へと移動する。
粋華の首に指を当て脈を確認したイスメーネは、眉間に深い皺を寄せた。
まだ脈はあるものの、それはかなり弱く、動かすのは危険な状態だった。早く治療を始めなければ、長くは持たないだろう。
王都へと転移で移動したいところだが、先程続けざまに転移魔法を使ったせいで、イスメーネの魔力はほとんど底をついていた。
まだ開発したての転移魔法は、膨大な魔力を消費するのだ。まだ燃費が悪く、もう少し少ない魔力で使えるようにするのが今後の課題だ。
『スイ様ー……』
アージルはどんどん顔色が青白くなる粋華にすり寄った。
『嘘やろ……スイ……』
ライディとミントは、小さくなっていく粋華の魔力に気づき、茫然としていた。
『うわーーーーーーー!!』
マークの声とは思えない、低い大きな叫び声と共に、彼を中心として、空気が波紋のように波打って震えた。
いよいよ暴走が始まった。
荒れ狂う嵐の中のように、激しい風と、空気を切り裂くような強烈な痛みが近くにいる者みんなを襲う。
「お前らも早くここへ来い!!」
イスメーネは新しい体を得たばかりのフィアリーズ達を呼んで、周りに小さな結界を張った。
結界の中は、激しい風は防げたが、空気の振動からくる痛みを完全には防げなかった。
苦しさに歯を食いしばり耐える。
「!!」
クラフティは激しくぶつかる風に、マークとの距離を詰めるのは不可能に感じた。風に傷つけられることはなくとも、体が飛ばされてしまう。
スパーリは、水色と桃色のフィアリーズに匹敵する魔力を感じ、悔しさで歯噛みした。
「なんでだ!? たかがフィアリーズが、どうしてこんな魔力を出せる!?」
防御魔法で身を固めるクラフティと違い、スパーリの体はみるみる傷つき、体が赤く染まる。
不本意ながらも大きく跳んで、マークから距離を取らざるを得なかった。
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魔物たちを逃がしてしまったクラウディオは、青い顔で魔物が消えた場所を呆然と見ていた。
「……クラウディオ様! 聞いてますか!?」
青年魔導士ハンノの声で、ハッと我に返る。
「あ、ああ」
「我々も後を追いましょう」
「いや、しかし……」
人の足で追いかけても、到底追いつかないだろう。
「大丈夫ですよ。一回くらいなら、転移魔法が使えます!」
ハンノは胸をドンと叩いた。
魔導士らは円形に集まり、その中心に討伐部隊やフィアリーズが入った。
「転移魔法が完成していたのですか」
「ええ。つい昨日ですけどね」
討伐部隊の面々は、やっと納得いったという顔だ。
問う暇がなかったが、どうやって彼らがここまで来たのか、ずっと疑問に思っていたのだ。
「では、お願いします」
「……ちなみに、行き先はスイ様の所でいいんですよね。一旦、王都へ帰って、増援部隊を呼んで来るという手もありますが……」
「いや、そんな時間はない。すぐに後を追おう!」
ハンノはクラウディオに頷くと、魔法の詠唱を始めた。
黄緑色の魔法陣が現れ、彼らは光に包まれる。そして、粋華らがいる草原へ、無事に転移が完了した。
「これは一体、どうしたことだ!?」
何もない静かな草原地帯は、先程ここを訪れた時とは、様子が全く違っていた。
激しい嵐が起こり、肌が切り裂かれるように痛い。
「魔法の干渉を察知したので、少し離れた場所へ転移しました」
ハンノの言葉に、クラウディオは無言で頷いた。
こんな嵐の真ん中へ移動していたら、大変な事態になっていた。
その時、レオンの傍らに浮かんでいたフィアリーズのソイルが声を上げた。
「これは……! マークの暴走だ!!」
「なに!?」
魔導士らは、一斉にソイルに注目した。
「前にもこうして暴走して、王都を破壊したことがあるんだ! 彼の守護していた女の子が亡くなって!」
ソイルの言葉に、クラウディオは表情を固くした。
まさか……! スイが!?
『……そんな、スイ様!?』
マリアはオロオロと草原の中に粋華の姿を探すが、激しい風で視界がきかない。
「とにかく、マークの暴走を止めるぞ!」
ソイルの言葉を合図に、フィアリーズ達は嵐の中心へと突入した。
シェルの防御魔法のお陰で、防御力は上がっているが、激しく吹きすさぶ風に苦しめられる。
体が軽いマリアやソイルは、ジェットコースターにつかまって、やっと中心部まで辿り着いた。
真っ赤な炎を身に纏ったマークは、現れたフィアリーズ達に気付かない。
目を大きく見開き、いつもの彼からは想像できない、凶悪な魔力を発していた。
『マーク様! スイ様はどこですの!? 何があったのですか!?』
問いかけるマリアの声にも反応がない。
変わり果てたマークの姿に、ソイルは拳を握りしめる。
まただ! またもこいつは魔力を暴走させやがった!
ソイルはギリリと歯を食いしばり、握った拳で思いっきりマークの頬を殴った!
「ばっかやろーーーー!!! もう二度と暴走しないんじゃなかったのかよ!? お前はまたも大事な奴らを傷つけるのかーーー!!!」
マークはハッとして、目の前に浮かぶフィアリーズに気付いた。涙を浮かべ、怒りに燃えるソイルの姿が目に映る。
「あれ……ソイル?」
マークを覆っていた炎が、小さくなって消える。それに伴い、激しい風も、空気の振動も収まった。
キョロキョロと周りを見回すマークに、ソイルが冷たい声を掛ける。
「お前はまた、魔力を暴走させたんだ」
あっ!と声を上げたマークは、粋華の姿を探す。
フィアリーズが固まる一角の中心に横たわる粋華の姿を見つけると、急いで飛んでいく。
「ごめんね、スイ! また、僕……!」
そこには、グッタリとして苦しそうなイスメーネと稜がいた。
「ご、ごめんなさい……。大丈夫?」
イスメーネと稜は、意識はあるものの、苦しい息を出すだけで返事が出来ないようだ。
『大変ですわ!?』
慌てて稜の体に手を当てたマリアを、稜の手が払いのける。
「うっ……俺よりも、早く……粋華さんを!」
マリアが目を向けると、静かに横たわる粋華の姿があった。
しかし、その体からは、魔力の気配を全く感じなかった。