48. 粋華とダニロ
窓の外をぼんやりと眺めていた私は、背後から聞こえた低い声に、慌てて振り向く。
そこには、穏やかな顔で、ダニロ隊長が立っていた。
うっ、どうしよう~~~
今、眠れたかどうか、聞かれたんだよね?
とりあえず、簡単な挨拶をして、ちゃんと眠れたことを伝えた。
ダニロはたどたどしい粋華の話し方に驚いていたが、粋華でも分かるように、ゆっくりと簡単な言葉で話しかけた。
「その、手に持っている物は……何だ?」
「……えっと、鞘です」
ダニロが手を出すので、粋華は鞘を手渡した。
「ふむ……。これはクラウディオからか?」
っ!!
なんで分かったんだろう!?
超能力者か!?
「うっ、はい……」
嘘をつくのは苦手なので、仕方なく返事をする。
ダニロは鞘を確かめると、粋華へと返した。
「これをどうするつもりだ?」
粋華は受け取った鞘へと視線を落とす。
「……返そうと思います」
ダニロは、ほうっ!と驚いて目を開いた。
「どうしてか、聞いてもいいか?」
どこまで話せばいいだろう……
まだ彼のことは、それほどよく知らない。
こうして会話をするのも初めてなのに、あんまり深く聞かれたくない気持ちがある。
でも、彼はクラウディオさんと随分仲がいい様子だった。
きっと、クラウディオさんの事が心配なんだろうなぁ。
私は正直に話す決心をした。
「私は、石の意味を知りませんでした。だから受け取りました。誤解されます」
うわーん!
片言の言葉しか話せないよー!
いやいや、でも言いたいことが言えるようになったんだ。
これって、大進歩だよね!?
「ふむ。なるほどな。……ということは、あいつの事を好きではないんだな」
粋華は眉を下げて、申し訳なさそうに答える。
「……わかりません」
しょんぼりと肩を落とす粋華に、ダニロは微笑み返す。
「まだはっきりせんわけだな。それを返すかどうかは、好きにするといい。……だが、それは今回の件が終わってからにしてもらえんかな?」
粋華は不思議そうな顔でダニロを見上げる。
「いやぁ、あいつはああ見えて、傷つきやすいからなぁ。いつまでもうじうじと塞ぎ込みそうだ。今回は魔獣らとの大戦が控えてることだし、戦闘に支障が出るかもしれん……」
眉を寄せ、ブツブツと早口で言うダニロの言葉は、粋華には聞き取れなかった。
首を傾げる粋華に、ダニロはニヤリと笑みをこぼすと、大きな手で、ガシッと目の前の小さな肩を掴んだ。
粋華は驚いて、ひぃ!と小さく叫ぶ。
「それでだな! もし、クラウディオが駄目だったら、ファルコはどうだ!? なかなかいい男だと思うぞ!? まあ、うちの息子はどっちもいい男だがな!」
ダニロは豪快にワッハッハ!と笑った。
どっちの息子も?
昨日、夕食時に見た、男の子の顔が浮かぶ。
「いやいや、あの子じゃない。クラウディオとファルコだ。クラウディオも俺の息子だぞ! あいつは孤児院出身で本当の親はいないが、奴の父親のつもりでいる」
ダニロは胸を張って言った。
クラウディオさんが孤児院出身!?
今、確かにそう言ったよね?
平民だっていうのは知ってたけど……
「ファルコは領主になったばかりだが、よく頑張っている。……俺も、手助けできたらと、いろいろ考えてるんだがなぁ。上手くいかんな」
昨日、ファルコに言われたことを思い出してるんだろうか……
ダニロの表情が暗くなる。
「お前がファルコの嫁に来てくれたら、今よりもっと、領民の暮らしが豊かになるだろう! 間違いない!」
……という訳で、嫁に来てくれ! と誘うダニロは正直過ぎだ。
彼は基本、隠し事とか嫌いなんだろうなぁ……
フィアリーズの加護を受けた私が来たら、そりゃあ便利なんだろうね。
マーク達、フィアリーズの力ってすごいもん。
私個人じゃなくて、フィアリーズにいて欲しいって事だよね……
「王様にも、そんなにハッキリとは言われませんでしたが、同じような事を言われました」
頑張ってゆっくり話す粋華の言葉を、ダニロは黙って聞いていた。
「人の役に立つのは、嬉しいし、出来る事なら力になりたいとは思います。……でも、好きでもない人と、結婚するのは嫌です」
すいません、と謝る粋華の両肩をダニロは持ち前の馬鹿力で、バシバシと叩いた。
「いや、いい! すまんかったな! 俺は貴族だから、お前とは結婚観がどうも違うようだ。家の為、領民の為を考えてしまう」
粋華は苦笑いを浮かべ、もう一度、すいませんと頭を下げた。
ダニロ隊長の経歴は、騎士達から聞いて知っている。
彼は国の英雄的存在なんだろう。
そんな彼に、息子の嫁に来て欲しいと誘われるのは、大変栄誉なことだと思う。
でも、政略結婚なんて考えた事ない、庶民の私の恋愛観は、ちゃんと恋愛して、好きな人と結ばれたいという、乙女思考でできている。
「しかし……それを言うなら、どうしてクラウディオは駄目なんだ? 奴は、お前のことをたいそう好きに見えるが……?」
両肩を掴んで真正面に立ち、不思議そうに見つめるダニロの言葉に、粋華の頬は赤くなる。
「い、いえ……、私は……あの、似合わないから……!」
「んん? なにがだ?」
はっきりと言いたくない。
私は、顔の火照りを感じながら、上目遣いでダニロを見た。
王都の町で、赤毛の女性に言われた言葉が、頭の中を巡った。
"彼とあなたって、全然釣り合いがとれてないと思うんだけど、自分でそうは思わない? あなた、彼の隣にいて恥ずかしくない?"
「えっと……」
どう言おうか言葉に詰まる私は、だんだん目頭が熱くなる。
粋華の答えを、ダニロは辛抱強く待っていた。
「何をしている!?」
硬い声が、静かな廊下に響いた。
ハッとして声の方を見ると、クラウディオが厳しい顔で、こちらを見ていた。
振り向いた粋華の目には、涙が滲んでいる。
クラウディオは粋華を背にし、ダニロと粋華の間に割って入った。
「どうかしましたか?」
ダニロは、ふむ……と顎に手をやり、何やら考え込んでいる。
「……んん? いやな、今、ファルコの嫁にと誘ったんだが、見事に断られてしまったところだ」
クラウディオの眉間の皺が深くなる。
「無理強いは止めてください」
「ああ、悪かった!」
ダニロはクラウディオの肩をバシン!と叩き、ワッハッハ!と豪快に笑うと、粋華の部屋とは反対側へ歩いて行った。
「大丈夫だったか……?」
心配そうに私の顔を覗き込むクラウディオの視線を浴びて、いつもとは違い、居心地が悪く感じてしまう。
さっきまで、彼からもらった鞘を返そうかと悩んでいたところだ。
ダニロ隊長に言われたから、今はまだ返すのはやめようと思う。
彼に対する気持ちに気付かれるのが嫌で、手に持った鞘を、そっと背中に隠す。
そして、誤魔化すように、微笑んで顔を横に振った。
「大丈夫です! 無理強いはされてません!」
クラウディオは驚いて粋華を見た。
「お前、言葉が話せるようになったのか!?」
ああ……そういえば、クラウディオさんは知らないんだ。
「練習したので。まだ下手ですけど……」
「いや、それだけ話せれば大したもんだ! 頑張ったな!」
クラウディオは興奮して、嬉しそうに目を細めた。
こんな顔は初めて見たかもしれない……
この前から見せてくれる笑顔は、もうちょっと、作り笑いのような感じだったし……
「そ、そうですね! 頑張ってますから!」
頬が熱くなるのを感じて、急いで顔を逸らした。
「では、また朝食の時に!」
そう言い残し、急いで部屋へと戻った。
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朝食を終えると、すぐに王都へ向けて出発だ。
領主の館の庭先には、領主のファルコやダニロ隊長、ベルマン婦人らが見送りの為集まっていた。
その中には、昨日知り合ったイザベラや彼女の侍女のネリー、見習いのトビアスやナターシャの姿もあった。
領主やダニロの後ろに控える彼等は、何か言いたげに粋華に注目し、口をパクパクと動かしていたが、粋華はあえてその意図に気付かぬ素振りで、彼らに向かって微笑んで、ペコリと頭を下げた。
ダニロはクラウディオを抱きしめ、「またすぐに来いよ!」と彼の耳元で大きな声を出し、クラウディオはしかめっ面で、耳を押さえた。
ファルコは粋華に歩み寄ると、微笑んでお礼を述べた。
「昨夜は、フィアリーズのマリア様より、素晴らしい治療を受けました。ありがとうございます」
今朝のファルコの顔色は、昨夜よりも良くなっている。マリアさんの治療のおかげか、目の下のくまも薄くなっていた。
「いえ、お役に立てて良かったです!」
「もちろん、それだけではなく、騎士達の治療も、王都からの物資も……」
身を乗り出して感謝を述べるファルコの言葉を遮って、ダニロがファルコの肩を掴んで後ろに下がらせる。
「まあまあ、長話はもういいだろう! それより、……なあ、ファルコ。スイの事をどう思う?」
「は?……どうとは?」
ファルコは眉を寄せ、不審そうに父親を見る。
「こいつは不細工か? それとも、可愛いと思うか? ちんちくりんな子供か?」
ええ!? ちょっと、なに? 私の悪口!?
ファルコは父親の言う意図が読めず、眉間に皺を寄せる。
「正直に言ってみろ。誰も怒らんから」
……いや、待ってよ。私が怒るよ?
ファルコはしばらく悩んだ末に、粋華を真っ直ぐに見て、口を開いた。
「私は……スイさんの事を……可愛い人だと思います。まだ幼くは見えますが……」
「そうか……」
ダニロはうんうんと頷いた。
「そういう事だ。似合う似合わないは、人が決めることじゃない。美醜の基準も、人それぞれだ。……ちなみに俺は可愛いと思うぞ。早く娘に欲しいもんだ!」
ワッハッハ!と高笑いを始めたダニロの頭を、ベルマン婦人が扇子で殴った。
「ごめんなさいね、スイさん」
「い、いえ。気にしてません!」
粋華はブンブンと顔を横に振った。
いたた……と頭を押さえるダニロに、ペコリと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
本人を目の前にして、もちろん本音は言えないだろう。
でも、ダニロの気遣いを感じられて、私の心は温かくなった。
「ああ、気をつけてな!」
「はいっ!」
今朝は、昨夜の天気とは打って変わって晴れ渡り、明るい太陽が輝いている。地面に積もった真っ白な雪に反射して、領主の広い庭は、眩い光に包まれていた。
そんな中、5色に輝くジェットコースターに乗り込んだ討伐部隊は、領主の館を後にした。