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#1 所以。


愛。


「いつでも連絡してこいよ」


愛。


「とても大切に思っている」


愛。


「好きじゃなかったら、こんなことしないでしょ」


愛。


「今日はあなたの好きなものを作ったのよ」


愛。


「お前ならやれるよ、応援してる」


愛。


「愛してるよ」



・・・愛。

愛って、なんだ。


目に見えたり見えなかったり、言葉にできたりできなかったり。

そんな不確かなものを愛と呼び、人はそれに翻弄される。


私、篠山美月も同じく愛に翻弄されている。

21年間、ずっと。


私が小学三年生の頃、両親は離婚した。

原因は父親が犯した小さな罪だった。


罪と呼ぶにはあまりにありふれていて、30を過ぎた大人がやるには確かな罪だった。

日曜の昼下がり、母とテレビを見ていた時に鳴らされた電話。


母の神妙な顔と、電話の向こうにいるであろう相手に返す言葉から私は異常事態が起こっていること察した。

あぁ、今からこの家庭に何かが起きて、私は決断しなければならないのだろうな。

幼いながらにぼんやりと思った私は、よく大人びてる、しっかりしてると周りから言われる子供だった。


その[異常事態]に対し母はとても冷静で、数日後には情状酌量の余地もないまま離婚を切り出した。

私は9割方決定しているそのことに対し、一応の意見を求められたが、幼い自分にとっては母親の選択についていくことが精一杯の生きるすべであったため反抗はしなかった。


むしろ、両家が揃い最後の話し合いをする際に「美月から何かある?」と誰だったかに会話を振られ、「もう二度と気軽に私の名前を呼ばないで」と父親に吐き捨てるほどだった。


私は父の犯した罪をきちんと理解はしていたが、それに対し怒りもなければ憎みもなく、父親のことを嫌いにもならなかったしむしろ好きなままだった。


しかし10もいかない幼い子供は、少しでも母に好かれようと必死だったんだと思う。


父親が不在のまま約10年を過ごした。

明らかに家庭内に欠如した父性。


私の家系は離婚家系で、母は3代目の離婚者だ。

男に運がないのか、そういう家系なのか。


母は私を育てるために日夜働きに出た。小3で鍵っ子。まだ携帯もそんなに普及していなかったため、今の鍵っ子とはまた感覚も違うだろう。


思えば家庭の記憶があまりない。

離婚前も、父親は仕事が忙しく休みの日は1日眠るような人だったから、家族で出かけた記憶もあまりない。


私がとても幼い頃。3人で居酒屋に行き、暇な私はテーブルの隅に置かれたボタンで店員を呼ぶのを大層面白がっていた。

それを見た父親が耳元で「ビール!」と囁き、私が店員に無邪気に「ビール!」という。

母はそれを止めたが、私は面白がって何度も繰り返す。

父親は仕方ないなぁと言いながらも、大量に、そしてコンスタントに運ばれてくるビールをご満悦で飲む。


呆れて笑う母と、なぜか褒めてくれる父と、楽しくて仕方ない私と。

小学生前の記憶だろうが、とても温かな時間で、私にとっての思い出だ。


家で3人でご飯を食べた記憶はあまりない。

一緒に遊んだ記憶も少ししかない。


所謂家族、というものとは少しずれた家庭だったが幸せだったと思う。

しかし、母親が仕事に出てからというもの、友人とそこまで活発に遊ぶわけではなかった私は一気に孤独を感じていた。


祖母が心配して遠くからよく車で来ていた。

一緒に遊んでくれる人。私はわざと時計を隠して、少しで長く遊んでもらえるよう必死だった。


お小遣いをあげよう、そう言われて、百円玉と五百円玉を差し出され、どっちがいい?と祖母は尋ねた。

面白がってやったのだろうが、嫌われたくなくて、もう誰にもどこにも行って欲しくなかった私はそっと百円玉を選んだ。

慎ましい子だねぇと祖母は私を褒めた。


母は褒めることが苦手だったから、久々に褒められた私はそれ以来ずっと欲しかった五百円を我慢し続けた。

我ながら侘しいと思う。


一度だけ母に褒められたことがある。宿題を言われる前に全て終わらせたことだ。

それを不器用な母は褒めてくれて、嬉しくて嬉しくて、それ以来宿題を言われる前にやらなかった日はない。

我ながらいじらしいと思う。


言葉で褒められることはそうそうなかった。

だから、褒められるためにいろんなことをやった。


抱きしめてもらったことはなかった。

だから、たまに祖母が抱きしめてくれるとなんだかこそばゆくて、同時にとても泣きたくなった。


私の孤独と母親の体力を心配した祖母は、自分の家に一緒に住むことを提案した。

熟考の末、一緒に住むことになった。


私はこれで母が全て家のことをやらなくても済むし、家の中に人はいるし、幸せだ!なんて簡単に思っていたが実際はそうでもなかったらしい。


家に入ると祖母の再婚相手がいた。

私にとって義理の祖父。その人は私におじいちゃんと呼ぶよう再三言った。私はその人が嫌いではなかったが、本当の祖父のことを考えるとなんだか素直に呼べなくて、おじ、おじ、と微妙な呼び方で済ませていた。


呼んであげればよかっただろうか。今となって思っても、もう今更変えることなどできなくなってしまった。


おじ、は私を大層可愛がってくれたが少し難しい人だった。

祖母とよく喧嘩し、(と言っても祖母が一方的に暴言を吐きそれを黙って聞き流すだけだったが)その度に私は二人の間に入っていた。


おじと仲良くしすぎれば、祖母はあいつはあんたを甘やかしすぎ、と言い、祖母ばかりといればおじは寂しそうにしていた。

どうして人はみんなで仲良くできないのだろう。そう思いながら日々を過ごしていた。


母は相変わらず私のために仕事に出ており、休日は憂さ晴らしのように遊びに出ていた。

休日は遊んで欲しかった。私と一緒にいて欲しかった。でも母もいろんなことを我慢して私を育ててくれているのだからと言い聞かせ、部屋にこもって勉強をしていた。


それもあってか、次第に母と祖母の仲は悪くなり、部屋にいても祖母の怒鳴り声が響き、母も応戦するように殺気立ち、おじはそれに嫌気がさしたのかよく外に出かけていた。


こうして私は祖母と母の間にも入るようになっていた。

どうして親子なのに仲良くできないのだろう。そう思っていたが、大きくなった今、親子ゆえに色々あるのだろうとやっと少し理解できた。


板挟みになる日々。

小・中学生の子供が大人の間に入り、挟まれながら、両方の機嫌を取ろうとすることはいささか苦しいことだった。


嫌気がさして、外に出かけるおじによくついて行っていた。家の外は少しスッキリした。

ペットショップを見たり、ホームセンターを見たり。欲しいものはなかったが、じっくり見ると面白い場所で好きだった。

中でも好きだったのがモデルハウスの展示場だ。こんな家いいな!綺麗だな!と心を躍らせながら家を見た。


中学生になっても自分の部屋がなかった私は、新築で子供部屋がある展示場の家たちが羨ましくて仕方なかった。

キラキラと家を見つめる私を見たおじは、家を建て替えるか、と決めたらしい。


家が建て代わり私の部屋ができた。

広く綺麗で、やっとできたプライベートな空間。


しかし家が建て変わってからも母と祖母の仲は悪く、部屋に閉じこもってドアを閉めても怒号はよく聞こえていた。

現実を見るのが嫌で、二次元の世界に逃避した。

どっぷりと中二病となり二次元にはまり込んでいたが、今思えばそこが私の精神的逃げ場だったんだろう。


そうしてしばらく時間が過ぎ、お金のこと、今後のこと、土地の相続など様々なことで家の中はもめていて、ある日祖母は「あんたが自分の部屋を欲しがって、そそのかすから、こんなことになったんだ!!」と言った。


どうやら家の中のいざこざや不仲は私の言動が原因だったらしい。

好きだった祖母に面と向かってそう言われた私はショックで、部屋に戻って泣いた。


声を殺して泣いて、泣いて、そして自分が原因でいろんなものを壊してしまったらしいことに絶望した。

頼れる人はいなかった。


結果、家を出ていくことになった。建て替えの費用に母もお金を出していたことを聞き、あぁ私が余計なこと言ったから、したから、母は無駄なお金を払ってこんなことになってしまったのか、と自分を責めた。


いつからか私は自分を責めることをよく行なっていた。


母と二人暮らしに戻ってからは、なんとか平穏な日々が続いた。私ももう高校生になっていて、ある程度自分のことも周りのことも落ちついて見れるようになっていた。


こうして片親となった私は、なんとかここまで成長したものの幾つかの感情が欠落して育ってしまった。

その中でもひときわ目立つのが、愛。


何より異性からの愛である。

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