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花シリーズ

紫陽花

作者: 東京 澪音

普段は緑一色のこの場所も、梅雨の時期になると色鮮やかな花々が初夏の訪れを知らせてくれる。


開成町。

紫陽花以外は何の特色もない町だけど、僕はこの町が大好きだった。


六月の小雨が降りしきる中、今年もこの水田地区を紫陽花が色とりどりに咲き誇る。

紫陽花の里としてその名は段々と浸透していき、年々ここを訪れる観光客も増えてきている。

週末はお祭りなんかも催されているから、静かにその姿を愛でたいと思うのなら、土日は避けた方がいい。


僕も毎年平日を狙ってここには訪れる。

朝露に濡れた紫陽花なんかも絵になるのだが、僕は午後15時頃から日が沈む18時頃までの時間帯が好きだ。晴れていれば夕暮れに染まる空と紫陽花が、日が落ちてからは灯篭の灯りに照らされた紫陽花が、それぞれ違った顔を見せてくれる。


農道や水路に植えられた5000株の紫陽花を眺めながら、小さな公園のベンチに腰を下ろす。

少しだけ汗ばむ陽気になりつつある為、小一時間ほど歩き回ると額に汗が滲み始める。


途中自販機で買った足柄茶を口に含み、オレンジに染まっていく松田山を見つめていると、隣に人の気配がある事に気が付いた。


白のワンピースとカンカン帽。

その姿はこの町の田園風景と見事にマッチしていた。


「紫陽花はお好きですか?」


誰に向けられて発した言葉なのか?一瞬戸惑いもしたが、すぐにそれが僕に向けた言葉だと分かった。


「一雨ごとに蕾は大きくなり、この時期だけに優しい色の花を咲かせます。上品さを醸し出す初夏の花ですが、僕の目にはとても可愛く映ります。どこか乾いたこの心を潤してくれるような・・・。僕の中では随分と特別な花なのかもしれません。だから答えはYESです。」


そう答えると、彼女はとても素敵な顔で笑った。


「色を変えながら枯れて行く様を、ころころと態度を変える人に例え、移り気なんて花言葉が有名ですが、色別に花言葉がるんですよ。例えば青。忍耐強い愛とか、辛抱とか。ピンクは元気な女性。がく紫陽花は家族の結びつきって花言葉があります。その中でも私が一番好きな花言葉は白の紫陽花の花言葉。何色にも染まらないその姿にピッタリな言葉で、”寛容”と言います。常に私もそうありたいと思っています。」


彼女はとても誠実な人なんだ。

白のワンピースを纏った意味が分かった時、彼女がどんな人間なのか理解することが出来た。


それから色々な話をした。

紫陽花の種類。元々、原産国は日本。その固有品種のガクアジサイから様々な品種へと広がり、その数は50種以上とも2000種以上とも言われている事や、様々な品種について。アナベルやシュガーホワイトと言った特徴のある白く美しい花の事やダンスパーティーと言った耳を疑ってしまう名前の紫陽花の話なんかもした。


話に花が咲くとはこういう事なのかもしれない。

気が付くと辺りは随分と日が暮れて、所々に設置された灯篭に明かりが灯っていた。


「もしあなたが今日の事を忘れずにいてくれるのであれば、また来年もここでお会いしましょう。私はこの出会いを偶然で片づけてしまうには、少し惜しい様に感じます。でもそれをもしも忘れてしまって、お会いすることが出来なかったとしても、それはそれで構いません。そういう運命だっただけなのですから。」


口には出さなかったが、僕も彼女と同じ気持ちだった。

こんなにも話が合う人間に出会った事なんて今まで一人もいなかったからだ。


今日の日の事と、交わした約束を違える事ないよう、僕らはまるで子供の様に指切りを交わした。


「あかねさす 昼はこちたし あさがおの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな」

どういう意味か?僕は彼女に尋ねてみたが、優しく微笑みかけるだけだった。


それから夏が過ぎ秋になり、冬の寒さにじっと耐えて春の訪れを待った。

もうじき約束の季節がまた来る。この頃毎日を指折り数えてその時を心待ちにしている。


そう言えば、別れ際の彼女の言葉がとても気になって、僕は片っ端からあの時の歌を探した。

初めは有名どころで万葉集。

確かに紫陽花を歌った詩は見つかったが、お目当ての歌は見つからない。

それから紫陽花に的を絞り検索してみると、意外と早くそれを見つけることが出来た。


”あかねさす 昼はこちたし あさがおの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな”

つまり、昼間は人のうわさ話がうるさいので、紫陽花の花びらが4よひらであるように、よひになったらまた逢いたい。


僕の解釈が合っているのか間違っているのか?

つまり、簡単に言うと昼間の雑踏の中でなく、二人静に語らえる時間にまた逢いたいと言いたかったんだと思う。


その意図が分かった時、過ぎてゆく一日の時間の長さに苛立ちさえ覚えた。


ちょうど一年の月日が流れて、今日はあの日と同じ日。

僕は彼女に会うべく、開成町に足を向ける。


そこに向かう途中、色々な事を考えた。

逢ったら何を話そうか?開成町に新しい品種の紫陽花が出来た事やその花の名前。それよりも本当にもう一度会う事が出来るのか?


不安や期待が頭の中をぐるぐると回りだす。

バスを降りると雨が降っていた。時間は夕方の17時。この天気が災いしてか、今日はやけに薄暗く感じる。いつもはバスを降りると、紫陽花を愛でながらのんびりと歩いて回るのだが、今日はそんな余裕がない。一刻も早く彼女に会いたい。どんな事を話すかなんて、大した意味もないしその時考えればいい。


この薄暗さでは、遠くまで見渡すことが出来ない。

ましてや町灯りが殆どないこの農道だ。次第に僕の歩く速度は少しづつ早くなっていく。


一秒でも早く彼女に会いたい。

水田地区の一番真ん中の通りに差し掛かったところで、遠くに灯篭が見えた。

そこは僕たちが初めて会った公園だ。


目を凝らしてその公園を見ると、この雨の中青い傘を咲かせて立つ女性の姿が見えた。

カンカン帽に白のワンピース。間違いない彼女だ。


僕は大きな声で彼女に声を掛けると、こちらに気が付いた彼女も小さく手を振って答えてくれる。


あの時彼女が言った紫陽花の花言葉。

”寛容”確かに彼女にピッタリの言葉かもしれない。でも元を辿ればガクアジサイが原種であることから、”謙虚”と言う方が彼女のイメージにはよりピッタリな気もする。


それはまるでこの雨の中でつつましく花を咲かす紫陽花の様に。

僕らの恋はこれからどうなっていくかはまだ分からないけど、良ければ一度この町に紫陽花を見に来ませんか?少なくともその心を優しくしてくれる程の価値があると思いますよ。


では、来年の紫陽花の時期に、この場所でお会いしましょうね。


”あじさいの八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ”






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