戦闘員の非日常10
「うわぁ……」
目の前で、人間がバケモノに変わっていく。
急速に、骨を砕いて関節をあらぬ方向に曲げ、皮膚を貫き触手が伸びる。
救いは、暗がりでその仔細が見えない事。そしてマスクは口元まで捲っておらず、匂いが薄い事だった。加えて言えば、似たパターンならば過去二度、目にしていた事も大きいだろう。違いはグロいか否か、魔物か人か、だ。
「しん……じゃえぇ!」
フレイアの叫びに応じて、研究員だった二人は全身から無数の蔦を吐き出す。そして伸びた蔦は支えに掴まるように身体を満遍なく包み、やがて一回り大きくなった人影と成った。
フレイがふと零した、魔物の変異が《《フレイアの仕業》》であるかという懸念に対する答えが目の前にあった。何がどうなっているのかは知らないが、植物的なバケモノを、フレイアは生み出せるのだ。
シュルルル、バケモノとして包まれた二体が動き出す。腕の先には指だと言いたいのか、一等長い蔦が二条踊っている。
階下で爆発が起き、閃光が屋上までも照らす。顔であった場所には、蔦で覆われた頭部に、目元にだけ一輪、花が開花していた。
『報告っ、フレイアに同行した二名が魔物化したっ。フレイアの能力の物と思われるっ』
マスクの口元を降ろし報告した。どうあがいても交戦は避けられず、無防備な部分を晒す訳にはいかなかった。口先の遅延工作は失敗に終わったのだ。所詮ボッチの話術などこんなものか。
『……なんと言いました』
通信の向こうで流石のスーチも声を強張らせる。しかし俺にとって重要なのはその内容ではない。
『フレイはまだ到着しないのっ? 相手は二体、緊急事態!』
捲し立てる。
スーチの気持ちも解る、仲間だった連中だ。いくら赤の他人を魔物化出来る集団だとしても、仲間となれば揺れ動く感情もあろう。ましてや幾ら普段冷めたポーズを取ろうとも、スーチは少女なのだ。
それはまぁ、エゴと言うか閉塞社会的な感情だと批判出来るかもしれない。が、どうでも良い。今は事態が危機なのだ。
『フレイ様は……恐らくもう付くかと』
またそれか! 叫びたいのを我慢する。スーチを責めても仕方ないし、それを口にする事はスーチ、引いては彼女の仲間からの心象に響く。
理屈では無い怒りが湧き上がってはいる。それを必死に押し込んで、俺は短く『了解』と返した。苦虫を噛み潰した声だったが、それまでは我慢出来ない。
この苛立ちは、せいぜいバケモノにぶつけてしまおう。
「ギィ……ッ」
カトラスを抜き放つ。刀身に熱を灯した。
さてまずどうするか。相手は二体、一片に相手をするのは愚策。なら片方が邪魔になるように迂回。それから懐へ飛び込むか、距離を保ち時間稼ぎに終始するか。
ザッと展開を浮かべて、とりあえず第一案を実行に移す。
シュー、バケモノの腕が持ち上がる。伸びた蔦がゆっくりと俺を求めてうねる。
一つその場でステップ、駆け出す。目標は向かって左。もう一体と対角線になるまで移動、第二案は、突っ込む!
「ギィッ!」
顔の辺りを目掛けてカトラスを振るった。ビュン、葉が飛び散り、カトラスが蔦を掠めた。更に一歩踏み込み、手首を無理やり捻り逆袈裟、振り上げる。
ヒュバヂ! 幾本もの蔦が焼き切れた。
蔦に覆われた中がどうなっているのかは、考えたくなかった。だが、そんな考えがあったのか、切込みは浅かった。
取り敢えず先制攻撃は成功、バックステップ。しかしいつの間にか右足には蔦が絡みついており、蔦が張ると同時に俺の身体は屋上の床に叩き付けられた。
「ギッ……」
背中に走る痛み。腰が悲鳴を上げる。だが相対するバケモノの背後では回り込もうとする姿が見える。更に目の前には俺を捉えようと幾本もの触手が伸びてきていた。
「っ」
慌ててカトラスを振り回す。単純な切断だけではなく高熱を放つブレードが、蔦を切り落とし、また焼いた。左足で右足に絡まった蔦を削ってみたが旨くはいかない。何とか目の前をスルーして足元の蔦を切り落とさねばならなかった。
「ザコが!」
うっせババア。
フレイアにはもう罵詈雑言浴びせても良いだろうか。
「ギッ……ギャッ」
右に身体を転がし蔦の接近から軸をずらす。身を持ち上げ左でを足へ、蔦を掴み、カトラスを振った。切り落とし、巻きついた部分を掴み捨てる。
気がつけば俺を追っていた蔦が再び眼前まで迫っている。尻もちをついた体制、カトラスを振るい手と足で下がる。多少の距離を確保したら一気に身体を起こし、更に一閃、今度は左へ身を滑らせる。
二体目が確実に回り込んできている。再度軸を移動しなければならない。幸いな事に二体のバケモノは動き事態は緩慢であった。
短い攻防ではあったが、バケモノと一人で対峙するのは初めてだった。少々ヤケになりハイであったが、それだけでは激しい緊張から来るストレスには抗えなかった。
肩で息をつく。
「ああもう、所詮人間じゃ《《花》》にはなれないのね! 使えないったら!」
階下で爆発が起こる。下で戦う魔物がやられたのだと思った。残りは二体。
それが終われば連中は恐らく昇ってくるだろう。目の前の二体を相手にしてくれる分には助かるのだが、巻き込まれて殴られる危険性やフレイアの確保が難しくなる事を考えるとあまり歓迎も出来ない。
「ああああああああああああ! っかえない!!」
頭を抱え振り乱すフレイア。それどころでは無いが奇行に集中が乱される。
ダンダンと足を踏み鳴らす。まるきり癇癪を起こした子供であった。
意識を振り払って再度詰め寄る。やたらめったらに振り回しても、いずれかの蔦を叩き落とす事が出来る。逆を言えばそれは、蔦の数が膨大である証拠で、それはいつ尽きるかも定かではなかった。
堂々巡りを繰り返しても進呈は望めない。こちらは、たった一手、フレイアが俺を操った時点で詰みなのだ。フレイの足取りも不明な状況で希望的観測など取らぬ狸の皮算用に等しい。最悪なケース、俺一人で何とか事態を好転させる為の行動が必要なのだ。
本当、どうしてこうなった。
「ギュシャッ」
ヤクザアタックでカトラスの刃を突き出す。曲刀であるカトラスの用途としては不正解だが、素人の刺突の最適解である。また、カトラスは過熱による溶断が用途であり、刃先を当てるだけでもそれなりの効果は見越せる。ましてやこの植物型のバケモノは強度に関しては然程でもなかった。
「ギッ――ギャガッ」
必殺の突撃でカトラスの刃先を胴体に潜らせる事に成功。力いっぱい縦に押し込み身体を引き裂いていく。ブシュッ、と液体が跳ね、蒸発していった。
シュルルルル
音がして、
「ギャ……!?」
見れば蔦はカトラスを握る両手首と胴、足。しっかと纏わりついていて、
「ギッ! ギギギャ……ッ」
俺の身体はゆっくりと締め上げられた。
カトラスをバケモノの身体に残し、引き剥がされる。次々を絡みついてくる蔦が次々と纏まり、両手足の拘束を強めていく。
骨が、軋む音を聞いた。
床上僅かに持ち上げられ、吊るされる。眼前のバケモノの頭部、僅かに開いた花が蠢くと、中から押し広げるように牙を剥いた口が姿を現した。
それと同時に、濃緑色の液体が吐き出され、俺の胸元で弾けた。
このパターンはどう見ても溶解液の類だ。スーツに化学物質耐性があるのか解らないが最悪の場合あまりに惨たらしい死に様となる。
身を捩り両手両足にあらん限りの力を込めた。
「ギ……ギュガアガガガッッガギャギャギィ!」
が、ムダであった。
液体は俺の胸元を斜めに溶解し、中の肌着等ボロクズ同然であったろう
――肌を焼いた。
痛みに全身を震わせたかったが、拘束されていないのは頭だけで、それを前後するしか無かった。
熱い。痛い。内蔵が灼ける。血が沸騰している。
不思議と心のどこかが冷静だったが痛いものは痛い。
――嗚呼、これで死ぬのか。諦めに似た達観を感じた。だがやがて身体の奥底から噴火するように怒りがこみ上げ、痛みも何もかもを飲み込んだ。
「ギャガアアアアアア!」
殺す。
殺意を明確に抱いた。
全部殺す。手始めにてめぇを惨たらしく刻む。絶対だ。その花弁をもいでそこをほじくり回して踏みしだいてやる。それから一本一本刻んで何度も胴体を貫いて踊らせる。飽きたら燃やして中身引っ張り出したらそれからもっかい刻む。
身体より思考が動くタイプなせいもあって、頭が高速でヤりたいことをピックアップしていった。当然、とは言え身体能力が上がる筈もない、未だに吊るされたままである。
だがそこで、バケモノの胴体に残したカトラスが炎を上げた。
カトラスはトリガー構造ではない。手を離した所で過熱は止まらないのだ。それが
バケモノの発火点を越えたのだろう。火は見る見るバケモノの身体を駆け上がり勢いを増していった。
手足の拘束が緩み、蔦が引き下がっていく。
そんな事しても火を消せる筈もないのに。
思いながら床に叩き落とされる。
まだ心に燃え残る怒りのまま、身体を起き上がらせる。怒りが収まる筈もない。とりあえず一撃蹴りを食らわせてやりたかった。
だが既に目の前のバケモノは火だるまで、一つの巨大な火炎であった。もう一匹のバケモノももたもたと距離を取っている。
どうするか。
ふと思いとどまる。恐らく目の前のヤツはこれで片付くだろう。となればストレス発散の矛先はもう一匹で晴らしてしまっても良いのではないか。いや、怒りに身を任せても勝てる見込みは元より薄い。ならば燃えてるヤツをけたぐり延焼させるのが効果的ではないか。殴ったり蹴ったり切りつけたり、直接ヤれないのが不満だがそれはフレイアに向けてしまえば良い。
脳内会議で決議し裁決。木槌が鳴った。
胸元では未だ細い煙が立ち上り、グジュ、ジュグ、と内臓の動きに合わせ体液が気泡を弾けさせている。
「……ひっ、ひぃぃぃ」
背後に聞こえる嗚咽。次はてめぇだ。
身体は流石に重かった。
当然だ。胸に大きな穴が空いている。
色は解らないが体液は既にリットル単位で漏れた。
アドレナリンで誤魔化した痛みも長くは消せない。
ゆっくりと燃え盛るバケモノと、もう一体を一直線に捉える位置へ。急がないと、もう一体が確実に距離を図ってしまっている。
「ギギャガ!」
辿り着き、俗に言うケンカキック。正面まっすぐに押し出すように放つ。
重い。威力が足りず吹き飛ばすに至らない。だが知った事じゃない。そのまま伸び切らない蹴り足に、力を込め続ける。
「ギャギア!」
伸ばし切る。燃える自身の身体に暴れるバケモノの身体はバランスを崩し、狙った方向とはズレたが、傾いていった。
足に火傷の痛みは感じない。いや、感じていないだけかもしれない。だが何にせよまだやりようはあると言う事だ。
カトラスを取るか、逆に無事な方を蹴って火に蹴り込むか。
気がつけば俺は右手を燃えるバケモノに伸ばしていた。
カトラスの回収を脳内が勝手に決議したのか、身体がそうしていたのだ。
見ると、やたらめったら暴れる蔦の一つが、もう一体の足元に伸びているのを視界に捉えた。
――いいぞ、足を掴んで燃やしちまえ! 道連れにすんだよ!
最早俺が別人になった気分だった。よくよく考えれば大人になってから暫く、こうやって素直にキれる事は少なかった。我慢出来ていたし、ストレスを流し、霧散させる手には事欠かなかったからだ。
そして、俺の期待に応えてか、火は伝わった。
ついにフレイはやってこなかった。ファックだ。
一体が燃え尽き、もう一体が炎に包まれ、
俺は改めてフレイアに向き直った。
「ひぃぃいぃいぃ……」
再度燃え尽きたバケモノに視線をやる。骨盤部分だろうか、残されたカトラスは黒くススけている。
使い物になるか怪しかったが、形状を保って居るのだから期待は出来た。近づき、引き抜く。刃にもススが付着していたので、床に擦りつけると刃は灼熱の輝きを取り戻した。
さて、第三回目脳内ブッ殺す会議である。
普段の自分からは想像出来ない程、今の自分は己の力量なんぞどうでも良い気分になっていた。弱かろうがぶん殴る。それもしこたまに、顔面が良い。
カトラスのグリップを握り直す。大丈夫、滑らない。
溶解が収まったのか、胸元に吹く夜風が快感である。
歩く。
いや、あの手を翳されるモーションをされたらお終いだ。やろう。すぐやろう。いますぐやろう。
駆け出した。