ひと時の幸せ
辺りは陽が暮れてもう既に暗くなっていた。しかしこのことは自分たちの逢引きにふさわしいとアース王子は思った。リリス姫に約束の場へ向かう王子の足取りは軽やかだった。スキップでもしたい衝動に駆られたが、次期王ともなろう者がそんな軽薄な行動をとっているところをもし部下に姿を見られようものなら自分の威厳が損なわれるのではないかと、実は誰も見てはいないのに威厳ある足取りはこうだろうかと歩き方を試してみる。顔の表情も威厳を持たなければと引き締める。
「アース王子様っ!」
バルコニーからリリス姫が身を乗り出して手を振ってくる。
満月の光に照らされたリリスの顔を見るとアースの表情は自然とほころぶ。
バルコニーのそばに立っている木の枝に足をかけるといつものように軽やかにリリスのもとまで登りきる。バルコニーの手すりも難なく飛び越える。
「姫っ!」
「アース王子さまっ!」
ふたりは抱き合った。このバルコニーは王族以外立ち入ることが禁じられているのだが、リリス姫にはバルコニーの鉢植えの花の世話をするという名目で、王子は入場許可証を発行していた。今の時間帯だと二人の恋を邪魔するものはなにもなかった。
「なにかいいことありましたの?顔が輝いておりますわよ」
「ああ・・・」
王子は肯定の返事をしたものの王位継承式のことは国家の機密事項であるのでリリスに自分が間もなく王の位につくことを話せないもどかしさを感じていた。
「おしたいしております」
リリスは王子を抱きしめる。
「どんなことがあっても君はボクについてきてくれるね」
「もちろんですわ」
王子を見上げるリリスの瞳はうるんで見えた。
二人の愛は秘せられたものだった。
リリスは姫とは言われてはいるのだが、敵国に自分の王国を攻め滅ぼされてマーベル王国に裸同然で落ち延びてきた亡命王族の娘だった。一応国の客人として迎え入れられてはいたのだが、実質は他の貴族のいる手前ダンバー王はリリスの一族ばかりをえこひいきするわけにもいかないので、彼女たちは下級貴族の地位に甘んじるより道はなかった。リリスの父親はマーベル王国のもと王国再興を模索してはいたのだが自国は敵に占拠されたままで未だ打つ手はなくただ無駄に時は過ぎていた。
リリスは幼き頃王女としての品の良い物腰が目に留まり、幼きアース王子の遊び相手の一人として宮廷に取り立てられた。一歳違いの二人は幼馴染を経て、思春期を迎えなるべくして恋に落ちたのだった。
深い愛は身分の違いも簡単に飛び越えてしまう。王子は王位継承式の前に父王に、リリス姫との関係を告白して二人の結婚の許可を得ようと心の中で決意を固めていた。父なら快く許してくれるだろう。
アースはリリスの前で人差し指を立てる。
「見ててご覧!近いうちに姫がびっくりするようなことを起こしてみせるよ」
「え・・・・なにかしら」
リリスは期待に胸を膨らませる。
「今は内緒たけどね。自信を持ってかならず起こすって約束するよ!」
王子は自慢満々に胸を張って答えるのだった。自分には不可能って無いとこのときは思えた。
たしかに近い将来二人にとって確かにびっくりすることがおこるのだが、二人が意図したこととは全く違うことなのだった。しかし幸せに浸る今の二人はこのことを知る由はなかった。