Oとの対話
起きるのが遅く、朝食はもうさげられてしまったということで、僕は空腹であった。とはいえ、まだコンビニに一人で買い物にいく権利はもらっていない。看護士さんにお金を渡して、おにぎりを買ってきてもらうことにする。
レクリエーションの無い曜日は、基本的に暇である。ガラケーから某巨大掲示板に書き込むこともできるが、過度のインターネットは控えるようにと担当医からお達しが出ている。僕はテレビのあるロビーにまでやってきて、本棚から本を選んだ。オカルトや宗教に偏った本の中から、ゴルゴ13の本を二冊手に取り、椅子に座って読み始める。しばらくすると、アロハ姿のO氏がやってきた。ハイビスカスの赤が映える。
「俺は、末期ガンなんだ。リンパのほうがやられちまってな。兄ちゃんはなんの病気だ?」
頼まれてもいないのに、O氏は自己紹介を始める。僕は答えて言った。
「統合失調症です。もう陽性期は過ぎて陰性期に入ったらしいので、安定するまで薬を変えて様子を見てから、退院することになりそうです」
「そうか。統失なら命までは取られることはねえ。いいことだ」
いいことだ。そう繰り返すO氏に、僕は思い切って聞いてみる。
「末期ガンってのはどういう気分なんですか」
「そりゃ、怖いよ。死んだらどこいくか分かんねえからな」
「天国とか、地獄とか?」
「いやそうじゃねえ。あの世ってのがあるかないのか、そこが俺みたいな俗物には分からねえ。寺の僧侶はあの世はあると言うが、科学者ってのはあの世は無いと言う。医者は答えをはぐらかす。俺はそれが怖い」
僕は本棚を見上げる。そこには、過去に居たであろう入院者の遺物が大量に残されている。この本棚の古さ、本の古さから考えて、この本たちは病院によって管理されていない。タイトルが偏っているのは、もう治らない病と格闘していった人々の痕跡である。
「オカルト……宗教……色々な本がありますよね」
「ああ、俺は本は読まねえんだ。ありがたい言葉が書いてあるってのは知ってるんだが。どうにも老眼がつらくてね」
嘘だ。と直観的に思った。O氏はたぶん、本が読めないのだ。いまの僕が、マンガを読むのに四苦八苦しているように、O氏にとって読書は本当に苦行なのだろう。そういう人は確かに存在する。
「あの世は、あると思いますよ。それにもしあの世が無くても、Oさんのことは僕が覚えておきます」
「そうかい……兄ちゃん、何かあったらいつでも言いな。必ず俺の組がなんとかしてやるからよ」
アロハ姿のO氏は、背中のハイビスカスを真っ赤に燃やして、病室に帰っていった。