これまでのあらすじ 後
中学校には、音楽合唱部が無かったから、僕は諸事情で運動部を避けて美術部の部員になった。美術部の太った女先生は優しく、人気があった。美術部にはもちろん女性が多く、一見男にとってはハーレムのように見えたが、僕はそういうのは好きではなかった。部員が一致団結して、賞の締め切りまでにポスターを仕上げることが一つの目標になった。
当時は、デジタル化など全く進んでいない時代である。美術部は全てがアナログだった。鉛筆によるデッサンと水彩絵の具での着色、ポスターカラーによるポスター作成が行われた。マンガ文化に毒された層が美術部に流入してくるのは、僕が中学校を卒業してからの話である。
さて、中学生という多感な時期にあって「何になりたいか」という質問には困り果てた。
そのとき僕は将来に対する漠然とした情報と感情しか持っていなかったので、とりあえずホワイトカラーを目指すくらいの判断しかできなかった。自分の能力的に大学には行けると思ってはいたが、さりとて大学を出てどこに就職するのかという段になると、その考えは途端に怪しくなった。それに、詳細は省くが、僕は左足首が悪くなってきていた。すると立ち仕事は無理だ。一日中座り仕事ができること。ホワイトカラー。これは大前提である。
僕は考えた末、商業高に入って事務屋か公務員を目指すということにした。ただ実際のところ、男の事務屋というのは狭き門ではあった。
高校では簿記部に入り、一年目で日商簿記二級の試験に受かった。二年目以降は日商簿記一級の合格を目指した。しかし幾度か受験するも、点が足りず、合格は叶わなかった。それで僕の会計士への道は絶たれた。僕は三年生のぎりぎりの段階になって、先生に再び問われた。
「君は何になりたいのか?」
その時の僕には、会計士になれないなら公務員という選択肢が一番マシに思えた。実は僕の家の近くには町役場がある。なんとかして内定を取れれば、通勤は楽だし、将来は安泰だ。僕は公務員採用試験に向けて勉強を開始した。結論から言うと、一次試験(筆記)は簡単に通った。しかし面接で大きなヘマをやって落ちた。僕が、本質的に、公務員というものを理解していなかったのが失敗の原因だった。
高校の就職担当の先生は焦った。当時は、今もかもしれないが、就職氷河期だったのだ。公務員試験に落ちた高卒者に割り振れるような、都合のよいホワイトカラーの職業は存在しなかった。かといってブルーカラーは論外だった。身体障害者とまでは言わずとも、左足首が悪くなっているという現実が、僕の就職先を大幅に狭めていた。
「じゃあ、僕はプログラマになります」僕は先生にそう言った。
図書室にあった「岩波講座 ソフトウェア科学」シリーズは読んだことがあった。分厚かったが、別段理解できない内容でも無さそうだった。僕はそれを図書室で読み返して、プログラマになるための心の準備をした。
そして両親の猛反対を押し切り、数万円分の本とパソコンを買ってきてプログラミングを独学して、僕はプログラマになった。
数年ほど栃木で派遣の仕事をやった。CやJavaなどを書いた。大きなプロジェクトというものを経験し、同僚と切磋琢磨して実力をつけた。そして会社の都合で、東京に移り住むことになった。偶然にも新築のレ○パレス物件があったので、僕は北千住に居を構え、東京の会社でさらに数年働いた。給料はそんなに良くなかったが、特に欲しいものは無かったので、お金は貯まっていった。何の問題も無い一人暮らし。全ては上手くいくように思われた。
だが。