コーヒーで脳をクラックする画期的な方法
この話はTwitterからの転載です。
いま何をするべきか選び損ねている気がする。
サイケデリックな色彩を投影するプロジェクションマッピングによって風景に溶け込みながら、俺は真実とは……愛とは……といった古臭い禅問答に現を抜かしている。
この人生は有限で、どれだけ時間を投資したかで未来は変わるの。そんなビジネス書じみた文句で生きていくには、この世界は苦しすぎる。
俺はいつものようにコーヒーを飲み、カフェインと糖分のカクテルによって脳をクラックし、眠気を飛ばすことで処理能力が上がったと朝三暮四のサルのように無様に錯覚しながら、自分自身の葛藤をノートパソコンに叩き付ける。
くだらない、ありふれた文脈。文芸になんてまるでなっていない凡人の火遊び。
それでも魔法のように未知の何かが起きて世界がガラリと変わるんじゃないかと震え祈りながら、エンターキーを俺は強く強くターンと叩く。
比喩だ。パンタグラフ式のクソみたいなキータッチのノーパソでエンターキーを強く叩いたりしたらそれはただのバカだ。でも俺はバカになれる奴らを尊敬している。
バカなことを突き詰めて人生のバグ技みたいなのを見つけてアホみたいなサクセスストーリーを成し遂げる奴は嫌いじゃないしそうなりたいと願っている。
町中に音楽が流れなくなって久しいけれど、俺は音楽で一山当ててやろうという奴らを本当に尊敬してたし今もしている。文芸だって同じだ。尊敬してる。
ピーナッツの作者が言ってた。僕は凡人だったから下手くそな漫画で食っていくしかなかったんだって。本当なら小説家として名だたる賞を総なめしてやりたかったけど、いつも決まって書き出しは「暗い嵐の夜だった」から無理だったんだって。
でも、スヌーピーはすごい人気だし、ウッドストックは神だ。
総体としての人類はクソだけど見習うべきところはある。的な結論に持っていくのは簡単だけれど、今の俺はコーヒーによって駆動されていて結論など欲しくはなくなっている。
要するに優柔不断さがゆえに、俺は目標である、天才プログラマー兼作曲家兼小説家兼画家兼部隊サッカーとかになれないのである。




