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血友病

この話は2015年正月に書いたブログからの転載です。時系列がズレているのでご注意ください。

 私は血友病ヘモフィリアAという先天性の難病(特定疾病)を持って生まれてきた。血友病というのは普通の人と比べて、血が止まりにくい病気である。止血に関わる第八因子が欠けているために、止血プロセスが正常に機能しない。したがって出血が起きた場合、注射キット(最近は技術の進歩でひとまわり小さくなった)で第八因子を血中に補充しなければならない。さもなくば死ぬ。


 いきなりネガティブな面から自己紹介を始めるのは自己アピールや面接術としては愚行だと言われている。でも今の私を形作る上で欠かせないもの、それは病気の話なのである。私はこの病気と共に生きてきたし、これからも生きていくだろう。したがって、私としては、血友病について、あらぬ誤解を抱かれては困るのである。 


 色々な点で、私は非常に恵まれている。まず、血友病というのは、世が世なら最初の怪我で出血(または内出血)して即死する病気である。生まれてから早いうちに病名を特定できたのは幸せだったといえる。次に、補充療法である血液製剤(のちに非血液製剤に移行)が存在していたことが挙げられる。最後に、親や教師に理解があったため、普通の学校に通い、学校のクラスメイトに対して病気をカミングアウトすることができた。これらの点を総合して、私は非常に恵まれていると考える。


 音楽合唱部や美術部に籍を置き、いかに過度の運動を避けたとしても、子供時代は、足首をくじきやすい。その都度、私は保健室の冷蔵庫から製剤を取り出し、自己注射することになった。左足首をくじくとそれをかばって右足首も痛くなる。そういう負のスパイラルに陥ることを防ぐため、何日も注射を打ち続けた日もある。なんだか面倒くさいな、というのが当時の感想であった。


 先天性というキーワードで察した方もいるだろうが、血友病は遺伝性の病気である。世が世なら、若くして死んでもおかしくない。だが不思議と、両親を恨む気持ちにはならなかった。先ほど述べた通り、私は十分に恵まれている。五体満足に産んでもらったことを感謝せずに、たかだか血液の不調のために、親に文句ばかり言うのは非生産的だろう。そして私は非生産的なことが嫌いな子だった。


 私が好きな思考法の中に、「消去法」というのがある。まず全ての可能性を列挙し、そこから不可能なものを消していくというものだ。そうやって、野球がダメなら合唱を、サッカーがダメなら美術を頑張ればいいと割り切った。バスケがダメなら勉強でトップになればいいと結論した。


 そして、おそらくそれが私の基本的な哲学になったのだろう。もし、何らかの理由で、無数にある可能性のうちの何割かがダメになってしまったとしても、それでも私は決して諦めない。大切なのは、人生というゲームで、常に最善手を打ち続けて幸せを掴むことだと考えている。


 神様がいるかどうかは知らない。運命があるかどうかも知らない。けれども私の生き様はきっと、神や運命への挑戦なのだろう。2015年、正月。

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