S先生と緊急退院
目元が少し特徴的なS先生は若く、いろいろなことを学ぶ姿勢を持ち、静かな情熱に燃える方だった。僕の抱えるたくさんの悩みを聞いてくれたし、僕が書いた小説も読んでくれた。以前、約束を破ったH先生ほど、悪い先生ではなかったのだろうと思う。
だが、実質的な治療方針を決めているのは、若手のS先生個人ではなく、その先生を含む医療チームであることは明白で、僕が望んでいたような大きな変化は無くまた数カ月が過ぎようとしていた。
隔離入院から1年半後、僕はいちいち担当医のS先生に外出の許可をもらう生活にうんざりしていた。そして、ある時躁状態になり、病院から脱走した。これは医学的には遁走とか徘徊とか呼ばれる行為で、いきなり計画性無く、長距離を移動してしまうものだ。
同じ病室のKはやせ細っていた。末期がんだったOさんは居なくなった。空気を読まないTによると、僕の寝ている間に死んだのだという。それに合わせてというのは変だが、僕のほうも現状を変えなくてはならないという思いが非常に強くなってきていた。退屈によるストレスが限界を迎えていたというのもあるし、自分の手の届く範囲で人が死んだという現実に打ちのめされたのもある。
統合失調症はうつ病とは違って、基本的に治らない病気である。医者のいいなりになって、毎日同じ薬を飲んでいる限り、残念ながら病状が激的によくなることは無い。それは、入院中に医学書の類を読んで理解していた。つまり、自分から何かの行動を起こさない限り、本質的には病状は何も変わらない。
若いなりに努力したであろうS先生には気の毒だが、僕は普段着に着替え、お小遣いでバスと電車に乗り、病院から抜け出してU市にまで移動してきていた。そして、U駅付近から病院に電話をかけ、現状の治療に全く満足していないこと。通院などの別の形態での治療を望んでいることを通告した。
この時点で、病院は患者の遁走という失態を演じていた上に、僕が何をするか分からないという圧力もあったのだろう。病院側は折れ、あるいは妥協し、再び担当医を変えるか緊急退院という扱いにするかの二択を迫られた。
しばらく(もしかしたら母も交えて)協議した結果、緊急退院という扱いにして、通院治療するという治療方針に切り替えるという運びになった。
倫理的に正しい行動だったのかは分からない。けれどもその日、僕はなんとか人生の主導権を、行動の自由を勝ち取ったのだった。