H先生に裏切られた約束
気づいたとき、僕は何の権限も持っていなかった。ということは以前話した。
僕はトータルで1年半ほど病棟の病室に居た。その半分ほどは、先生が同じ事を繰り返し言い、看護士に統合失調症の薬を毎食後に与えてもらい、特に何もせずに療養に徹するという内容だった。
僕は本が読めなくなっていた(難読症)が、以前読んだことのある本ならばなんとか読めた。また、自分で書いた文章ならば読み返せた。しかたがないので、僕はこの統合失調症の発症の前後に書いた自分の文章を読み返した。何度も、何度も。時間だけはたっぷりあったから、僕は自分の作品に少しずつ追記もしていった。要するにアウトプットはできるのだ。だからこのとき僕は、小説が読めないなら、小説家になろうと思っていた。
小説家になろうで連載されたファンタジー小説「地底世界のアルシャマ・マレタ」は、ちょうどこの時期に書かれたものだ。統失の発症前後の変なカキコミは削除してあるが、興味のある人は読んでみてほしい。
年末――クリスマスになったら一時帰宅できる。そう言うH先生の言葉に対し、僕は希望を持っていた。地元である栃木の実家に戻ったら、たくさんのノートやメモなどが見つかると思っていたのだ。そうすれば統失の発症と治療によって失われた僕の人格も補完できるだろうし、ネットにも接続できる。
ケータイでしか接続できなかったネットの世界に、もう一度復帰して、人間関係を再構築し、仕事に復帰することもできるかもしれない。そんなふうに楽観的に思っていた。
だが、僕はその思いを、実際の行動に移すことをしてこなかった。ただ漫然と与えられる食事を取り、薬を飲む入院生活。能動的にやることといえば、ノートパソコンに向かって、日々の日記をつけ、失われた過去を振り返ることだけ。
先生たちの側から見れば、僕は、生きる意欲を欠いているように見えたのかもしれない。それでも、クリスマスが近づくにつれ、やっと帰れるという思いが強くなっていったことだけは確実だった。
だが、クリスマス前夜になっても、母からの連絡の一本も無い。さすがにおかしいと考えて担当医であるH先生に聞くと、クリスマスの帰宅は許可制であり、申請が無かった僕のようなケースでは許可されないということがようやく判明した。
もちろん僕は怒った。怒って、今後一切H先生の言うことを聞かないと言い張った。病院側にもまあ確認の漏れという落ち度があったわけで、先生たちはこれを大きな問題にまで発展させることは望まなかったらしく、後日担当医の変更が行われて一件落着となった。
僕の担当医は副担当であった若手のS先生へと変更された。だが、まだ治療途中と判断されたためか、入院自体は継続された。




