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Hole 3~小満の夕方、思わぬところで過去に追われる(その1)

 校庭に出ると、他の部員たちは既にスポーツウェア姿で準備運動を始めている。先週と明らかに違うのは、その中に珠子先生が加わっていることだ。

 一昨日の土曜日、おれと舞の説得と脅迫に負けた珠子先生は、フットゴルフ部の顧問になると同時に、英語教師としての仕事に影響を及ぼさない範囲で部活に顔を出してくれることに同意してくれた。月末に開催される関東大会に向け、もう一人の経験者の指導を受けることが出来るのは心強い限りだ。

「ところで舞ちゃん、今はどんな練習メニュー組んでるの?」

「ええっと、メニューは温香ちゃんに任せてるんだけど、ストレッチにランニングをしたら素振りをするって流れかな」

「それから、土日は打ちっ放しに行って打ってます。校庭でボールを打ったら危ないんで」

 舞の説明に温香が補足をする。

「確かにこの現状じゃそうね。予算が承認されて、ケージを注文したとしても、実際に設置できるのはもう少し先だろうし。でも、少しでも実践に近い練習もしたいわよね……」

 珠子先生はこくこく頷きながら答える。

「あのう、これはおれからの提案なんですけど、行政道路の北中きたなか小学校の近くにキリンゴルフっていう練習場あるの知ってます?」

「ああ、あそこね」

「ええ。存じ上げています」

 生まれも育ちも所沢の珠子先生と、新座から通学している百合は大きく頷く。長野出身でまだこの近辺の地理に明るくない温香は頭上にクエスチョンマークを浮かび上がらせている。

「ああ、ごめん。ここから二キロほど離れたところに、四階建ての打ちっ放しがあるんだ。これから大会までの間、雨でも降らない限りそこに通って練習するのはどうかなって思ったんだけど。ほら、行き帰りは走って行けばいいウォーミングアップやトレーニングになると思うし」

 おれは温香に補足する。

「って言うか、そんな近くにあったんだ」

「これで当座の練習メニューは決まったね」

「うんっ」

 おれと温香と百合は、今後の方針について合意する。

「それじゃみんな、行くよ」

 いきなり舞がおれたちに声を掛ける。

「へっ? どこに?」

「どこにって、キリンゴルフに決まってるじゃん。走って行けば十分ほどで向こうに着くでしょ。言い出しっぺが何言ってるの? ほら、行くよ」

「今からかよ。でもまぁいいや。ただ、一旦部室に戻って、使えそうなデイバッグを探してからだぞ」

 おれは明日以降の話をしたつもりだったのだが、明日から頑張るより今から頑張るほうがいいかと思い直し、出かける準備をするべく全員と部室に向かった。


「それじゃみんな、準備できた? 先端に付けるのは七番アイアンだよ」

 温香の呼びかけにおれたちはこくこくと頷く。

 学校から二キロほど離れた県道所沢入間線、通称行政道路と呼ぶ道路沿いに建つキリンゴルフの四階で、温香を指導役に見立てたショットの練習が始まる。奥から奈穂美、舞、百合がそれぞれの打席に入り、おれと温香は同じ打席に立っている。利用客の少ない平日の夕方。四階の打席を希望する奇矯な一般客は誰もおらず、おれたちだけで四階を占有している状態だ。珠子先生にも声を掛けたのだが、先週の研修の報告書を書かなければならないとかで、二号棟外国語学科の教科準備室に引き揚げてしまった。

「それじゃ、ユーイチくん以外は各々練習を始めて。ユーイチくんは私と一緒に練習しよっ」

 温香はおれに近付くと、中腰になっておれの顔を覗き込む。学校からキリンゴルフまで走って来たせいか、温香の身体から蒸発した汗とともに、女の子独特の甘いにおいがおれの鼻腔を刺激する。

「う、うん……」

 おれは自分の顔が熱くなるのを自覚しつつも、心の奥底にある邪な気持ちを悟られまいと、出来る限りのポーカーフェイスを決め込む。

「先日貸してあげた本で予習してくれたなら分かってると思うけど、競技の名前はフットゴルフとは言っても、すべてのショットを足で打つ訳じゃ無くて、ティーグランドでの第一打だけはゴルフボールを遠投、すなわちティースローするんだけど、高度なテクニックが必要だから実際のコースに出た時にお話しするとして、実際に足で打つのは第二打以降なんだよね。ま、私があれこれ言うよりやってみた方が早いから、ボールをティーアップせずに直接人工芝の上に置いたら、サッカーのフリーキックの要領で蹴ってみて」

「分かった。やってみる」

 おれは人工芝の上にボールを置く。一旦打席後方に下がり、勢いをつけると、右足でゴルフボールを思い切り蹴り上げる。その瞬間、身体中の骨に強い刺激が走ったかのような痛みが駆け巡る。しかし痛みに絶叫する暇も無く、つんのめってしまった身体に辛うじて急ブレーキをかけると、眼前には高さ十メートル以上はある人工の崖が広がっている。もしここから真っ逆様に落ちてしまったら、十中八九で命を落とすところだろう。一方、ボールは五十ヤードの標識を少し超えたあたりと、想定の半分以下しか飛んでいない。

「痛たたた……そしてあっぶねぇ……あとちょっと止まるのが遅かったら、今頃死んでたな」

「うーん、やっぱ最初はこんなものか……」

 温香は右手を自分の顎に当てながら首をかしげている。

「はるちゃん、これってボールがスイートスポットにちゃんと当たっていないからこうなるんだよな?」

「おおっ、さすがゴルフ経験者。ちゃんとスイートスポットに当てることが出来たら変な衝撃は無くなるし、フェースをボールのどのあたりにヒットさせるかによってスライスやフック、あるいはスピンを自在に操れるようになるけど、まずは基本的なフォーム固めをして、真っ直ぐに飛ばすことが出来るようになってからだね」

 おれの言葉に温香はうんうんと頷く。

「それからね、ちょっといーい? ボールを打つ時の視線はね、最後の最後までボールの方に集中した方がいいんだよ」

 温香はおれの背後に回り込むと、右手でおれの右ふくらはぎを、左手でおれの後頭部を軽く掴み、スローモーションでスイングを再現する。しかしおれの感覚神経は、自ずと二つの柔らかい感触を得た背中に集中してしまい、スイングどころでは無くなってしまう。

 おれは気を取り直し「大丈夫。頭をぶれさせないよう意識しながらもう一回やってみるよ」と言って温香から離れる。

 もう一度人工芝の上にボールを置くと、今度はスイートスポットと、視線をボールから離さないことを意識しながらボールを蹴り上げる。ボールは先程とは打って変わりぐんぐんと距離を伸ばし、百ヤードの標識手前で止まる。最初と比べ、右足に走る衝撃は少なくなっている。

「すごいすごい。ちょっとアドバイスするだけでここまで劇的に上手くなる子って初めて見たよ。ユーイチくん、もしかしたら今度の大会、そこそこいいところまで行けるんじゃない」

 温香は中腰になっておれの頭を撫でる。おれの背が小さいせいか、おれを子ども扱いしているようにも見えなくも無いが、折角褒めてくれているので、ここは敢えて何も言わないでおく。

「そう言えば、中学の時にフットゴルフ始めたって聞いてるけど、どのへんまで行ったの?」

「『どのへん』って?」

「ほら、県大会まで行ったとか、全国大会でベスト4まで行ったとか」

「ああ、フットゴルフ部がある学校はまだ少ないからいきなり甲信越大会からだったけど、そこでは三年連続団体と個人で優勝したものの、全国大会では一年と二年の時の団体戦で一次ラウンド敗退で、三年の時にようやく全国三位になったんだ。でもね……」

 温香は数秒間だけ顔をうつむかせるが、気を取り直すかのように再び顔を上げ、話を続ける。

「中学最後の大会が終わった後、親の仕事の都合でこっちに引っ越すことが決まっちゃって、それに、全国一位になれなかったし、これが潮時かなぁって、絵に専念しようって思ったら、舞ちゃんから声を掛けてもらってね。思わぬところで復帰することになっちゃったってわけ」

「それじゃ、絵の方は……」

「それは大丈夫。授業とかでたくさん描いてるし、そもそもうちの学校、美術部無いじゃない。だからね。私は舞ちゃんに感謝してるんだ。下手したら私もこの間のユーイチくんみたいにドラフトにかけられるところだったんだもん」

「えっ、ワタシがどうかしたって?」

 奥の打席から、舞の大声が聞こえてくる。

「何でも無いよ。いいから続けて。さっきから見てるけど、フォーム崩れてきてるよ」

「えーっ、そうかなぁ?」

 舞は首をかしげながら右足を前後に揺らし、再び自分のフォームを確かめ始める。

「大会まであまり時間は無いけれど、基本的なフォームを徹底的に頭と身体に刻み込んでね」

「うん。分かった。分かったんだけど、あのフォームはフットゴルフ的にOKなの?」

 おれは隣の打席でボールを蹴らんとする百合に視線を動かす。おれは勿論のこと、舞や奈穂美は温香に教わった通りのフォームで蹴り上げているが、百合は打席後方から一切助走をつけず、左足を軸にして自身の身体を時計回りに大きくひねらせると、身体が元に戻らんとする力と、右足の遠心力を巧みに利用し、百ヤードを超える飛距離のあるショットを次々と繰り出している。その姿はまさにトルネードだ。

「不思議だよねぇ。あんなフォームで距離出せるんだもん。あんなの今まで見たことが無いよ」

 温香は右手で顎を撫で、感心したと言わんばかりに百合のフォームに見入っている。

「素朴な疑問なんだけど、ユリさんのフォームを直そうとは思わなかったの?」

「最初は直そうと思ってたんだけど、いざ直そうとすると飛距離が落ちちゃうんだよね。だったらこのフォームを生かして伸ばした方が、大化けするんじゃないかなって思ってね。これはちょっとした賭けだったりするんだけど」

「賭け?」

「だって、どう見たって普通のフォームより身体に強い負担がかかってるじゃない? もしかしたら思わぬ怪我をすることだってあるし。ま、ユリさんが言うにはこのフォームの方がしっくり来るらしいから、しばらくはこれで様子を見ようってユリさんと話し合ったんだ」

 百合は高い集中力で次々と強いショットを打ち放っている。これでフットゴルフを始めてから僅か一ヶ月足らずとはとても信じられない。一方、舞と奈穂美は勢い余って時々尻餅をついたり、明後日の方向にボールをシャンクさせたりしている。この二人はおれと同じく基礎からみっちり鍛えたほうがいいタイプだな。

 練習用ミニコースやトレーニングマシンなどを自由に使うことが出来ていた中学時代と比べ、立場的にも環境的にも決して恵まれているとは言えないが、何かを一から始めていくという手作り感に新鮮さを、同時にそれに楽しさを覚えている自分自身に驚いている。

 それから毎日、放課後になるとおれたちは校庭で準備運動したのち、学校の外周を走ってからキリンゴルフに行き、午後六時頃までショットの練習をするというメニューを土曜日まで続けた。温香の熱心な指導のおかげで、おれたちは辛うじてボールを真っ直ぐ飛ばすことが出来るところまで辿り着いたのだった。

 夕日の逆光で真っ黒く見える航空公園駅の駅舎を背に、おれと舞は並んで家路に向かう。

「あーっ、何かいかにも『部活やってる』って感じだなぁ。今横になったら三秒で寝る自信あるわ。こんなの去年の夏にバスケ部引退して以来久々だ」

 舞はそう言いながら思いっきり両手を上へ伸ばしている。

「今週はだいぶハードだったもんな」

 おれたちは駅前コート一号棟入口前まで差し掛かると、近くのベンチに並んで座る。

「ところでトンちゃん、一つ気になることがあるんだけど……」

「ん?」

「とりあえず今は練習場に行ってボール打ってるけどさ、本当にこのままでいいのかな?」

 おれは舞の言葉に、質問の意図を察知する。

「舞が言いたいのって、本番に近い環境で練習が出来ていないってことだろ」

「うん。そーそー」

「まぁ、会場はゴルフ場な訳だから地面は天然芝だし、場所によって芝の深さも目も違うし、練習場の打席のように真っ平とは限らないし。ただ、金銭的な問題があるけどな」

「ちなみに一般的にいくらぐらいなの?」

「そうだな……週末だったら軽く二、三万はすると思うよ。それに、予約を取るのも大変だし」

「そ、そんなにするんだ……それだけあったら服なんか結構買えちゃうよね……」

 舞は少ししょんぼりした表情を見せる。だが、その割に浦和から神宮球場まで平気でタクシーを使うのだから、いまいちこの女の金銭感覚は良く分からない。

「出来ないことを嘆く暇があったら、今おれたちが出来ることをやる方がよっぽどプラスだろ。それが校庭での準備運動だし、キリンゴルフでの打ちっ放しだろうし」

「結局、結論はそこに行き付いちゃうよね。トンちゃんに正論吐かれるのはちょっと癪だけど」

「癪って何だよ……」

 おれが舞に言い返そうとした刹那、舞の制服の上着の右ポケットからピーピーと言う電子音が聞こえてくる。舞はポケットから黒い物体を取り出すと、ボタンを押して電子音を止め、画面に表示されたメッセージを見つめている。

「へぇ、ポケベル買ったんだ」

「うん。ママから『イマドコ?』って」

「だったらそろそろ帰った方がいいんじゃないか」

「そうだね。もう暗いし。それじゃトンちゃん、また月曜日にね。ばいばい」

「おう」

 舞は官舎の方に小走りで去って行く。おれはゆっくりと腰を上げると、駅前コート一号棟へと歩き始めた。

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