Hole 6~芒種に打つ終止符(その2)
「どうしてよ……。勝つって言ったじゃん。部長命令はどうしたんだよ!」
舞は叫びながらおれの両肩を掴むと、前後に激しく動かす。舞を正視出来ないおれは、どんな言葉を言うべきか分からない状態に陥っている。おれたちはこれからどうなる。解散するにしても、学校や無理矢理顧問を頼んだ珠子先生にどう説明すれば良いのだろう。いや、それ以上に大事なのは、今後の身の振り方だろうか。仮に他の部活動への参加が認められたとしても、六月に入り、校内の各部活動においてある程度の人間関係の構築がほぼ済んでいる中、新しい所属先で慣れない競技に苦心しつつ、肩身の狭い思いをするのは目に見えている。おれ一人がそんな思いをするのであればまだ耐えられるが、他の四人もその犠牲になるのだ。今更ながらおれは勝負の結果に対する責任と事の重大さに打ちひしがれる。
「ごめん……本当にごめん……」
何度謝っても許されることではないのは分かっている。だが、「ごめん」以上の言葉が思い付かない。何をすべきなのか、何をすれば許されるのか、全く分からない。だからおれは全身の痛みを忘れ、おれが感じている物理的な痛み以上の痛みを感じている四人に向かって、自分の額をグリーンのコウライシバに擦り付けながら何回も、何回もごめんなさいを繰り返す。
「やっぱりお前はどこに行っても疫病神だったな。中邨」
背後から市川の声と、おれを嘲笑う取り巻きの声が聞こえてくる。
四人に向かって土下座をしている状態から、上半身を起こして後ろを振り返ろうとしたその刹那、スパイクを履いた市川の右足がおれの背中を踏みつける。蹂躙された背中に、傷口に塩を擦り込まれたような激痛が走る。これから起こるであろう出来事を考えたら、この程度の痛みなど些細なことだ。おれは今から卒業まで、いや、これからずっと、四人の未来を奪った事実を背負って生きていかねばならないのだ。おれはそれに耐えながら、残り二年半以上にも及ぶ高校生活を送ることが出来るのだろうか。
「市川亮太さん……ですよね。わたくしには良く分かりませんが、偽りの勝利の味は如何なものなのでしょうか。もっとも、わたくしはそんな味など興味はありませんが」
百合の言葉に反応したのか、背で感じる市川の足の動きが止まる。しかし市川からの反論の言葉は無い。だが、かつて男子校に属していたおれには分かる。家族以外の異性との接触がほぼ皆無であるが故に、何を話せば良いのか分からないということを。だが、『偽りの勝利』とは一体どういう意味だろう。
「わたくしは、不思議で仕方が無かったのです。過去に裏の社会とは一切の繋がりが無かった雄一さんが、どうしてチープなチンピラに拉致され、目を覆いたくなるような暴行を受けなければならなかったのか。消去法で考えたら、市川さんはもしかしたらご存じではないかと思いましてね」
「ど、どういう……」
市川はおれの背に載せた右足をおもむろに降ろすと、百合に向かってようやく口を開く。その声色には、明らかに動揺の色が見え隠れしているのがおれにも分かる。そのやり取りを通じ、おれは百合の言葉の意図を理解する。百合は、おれを拉致した黒幕が市川だと睨んでいるのだろう。だが、何を根拠にそんなことを言い出したのか。おれは市川の右足から解放されてもなお、額をコウライシバにつけたまま思案に沈む。
いや待て。根拠はある。
『こんなツラして種馬みてぇに毎日メスガキ抱いてるなんて、マジズリぃだろ』
おれは、チンピラの一人が言っていた言葉を思い出す。どうして彼奴はおれが女子生徒に囲まれた学校生活を送っていることを知っていたのか。実際抱いてはいなし、過去のコミュニケーションから彼女たちのおれに対する扱いは一人の男と言うよりも、遊園地や野球場にいるマスコットキャラクターに対する扱いに近いものがあるだろう。それに彼奴等は、どうしておれがフットゴルフをやっていることを知っていたのだ。彼奴等がその情報を知り得るとしたら、そして、おれに暴行を加える理由があるとしたらそれは――。だがこれはあくまで状況証拠でしか無く、限りなくクロに近いグレーであるため、決め手には欠ける。
「君が市川亮太君だね。ちょっと話を聞かせてもらいたいのだが」
いきなり、この中の誰のものでも無い、男性の低い声が聞こえてくる。
おそるおそる顔を上げると、市川亮太とその取り巻きの目の前に、いかつい顔をした中年男と、パリッとした白いブラウスに黒いタイトスカート姿の女性が立ちはだかり、その周囲を数人の警察官が取り囲んでいる。おそらくこの二人は刑事か何かなのだろう。二人の刑事のうち女性の方が百合とあおいに近付き、二言三言言葉を交わしている。わざわざ飯能のゴルフ場の九番ホールのグリーン上まで警察が来て、市川に任意同行を求めるということは、あのチンピラたちと市川との間に何らかの関係性が実証されたのだろう。男性刑事の言葉にうなだれている市川は、促されるままにグリーンを去ろうとする。このまま市川を見送れば、おそらく裁判所から逮捕状が発行され次第逮捕されてしまうかも知れない。おれは力を振り絞っておもむろに立ち上がり、刑事たちを呼び止める。
「あのっ、すみません。ちょっと待ってもらえますか」
おれの言葉に二人の刑事と警察官たちが振り返る。
「おれは中学時代、こいつと同じ学校で、正直言ってこいつが大嫌いだったんですよ。ろくに練習しないくせに大会ではいつも上位入賞するし、憎たらしいほどゴルフの神様に愛されているくせに、頭にクソが付くくらい生意気で、もし法で許されるなら五番アイアンでボコボコにしてやりたい位だったんですけど、今思えばそれはおれの奴に対する単なるやっかみだったと言うか、才能も無いくせにプライドだけが高かっただけだったと言うか、おれは正当に評価されていないと考えていたと言うか……ええっと、何て言うか、兎に角今おれはこいつのおかげで目が覚めて、ゴルフから足を洗って、新しい挑戦を始めたんですよ。今日はこいつにそれを見せようと思って、手打ちと言うか、こいつはゴルフ、おれはフットゴルフで親睦を深めようってことになって。それに、石神井大学付属は男子校で、女の子との出会いがほぼゼロなんで、折角だからおれの仲介で女の子と触れ合う機会を……いや、実際触ったりはしませんけど、ゴルフとフットゴルフを通じて楽しく交流できたらなって……」
おれはこの場で思い付く限りの出まかせを並べ、刑事たちによる市川の連行を阻止せんとする。しかし刑事や警官たちはおれの言葉に表情一つ変えようとはしない。
「悪いね。捜査線上に彼の名前が出て来た以上、何もしない訳にはいかなくてね。もしかしたら君にも事情を聴くかも知れないから、もし連絡が来たら一度警察に来てくれるかな」
男性刑事はおれにそう言うと、警官たちとともに市川とその取り巻きを連れて行く。女性刑事は百合とあおいの二人と握手を交わし、男性刑事を追うようにグリーン上を小走りする。マナーと芝生保護の観点から、できればスニーカーでグリーン上を走らないで頂きたいのだが。
グリーン上にはおれとフットゴルフ部の四人とエプロンドレス姿のあおいの六人だけとなる。急激な展開に驚いたのか、舞、奈穂美、温香の三人はぽかんとしていたが、我に返った舞がおれのもとに駆け寄り、両手でおれの両肩を掴む。
「あの……良く分からないけどこれって、汚い手を使ったあいつらの反則負けってこと?」
「たぶん、ノーゲームってことでいいんじゃないかな……」
舞の問いにおれは言葉を返す。勝ち負けではなく、試合不成立ということでいいよな。
「えっ? ってことは、部活続けられるの? 良かった……。ホント良かった……。トンちゃん、勝ったんだよ。どーして喜ばないの? あっ、アイツらワンワンプレイしないで逃げやがった! トンちゃんどーする?」
「勘違いするな。おれたちは勝ったんじゃなくて、ノーゲーム。つまりそもそも勝負そのものが成立してないから罰ゲームもなしだ。って言うか何度も言わせるな」
「えーっ、そーなの? つまんなーい。折角ワンワンプレイが見られると思ったのに……」
舞が少し残念と言わんばかりの表情をしている後ろで、おれはいつもにこにこしている百合が一切笑顔を見せていないことに気付く。そしておもむろに後ろから右手で百合の左肩を掴み、ぐいっと手前に引き寄せるや否や「このバカ女! 歯ァ食いしばれ!」と叫び、左手で思いっきり舞の右頬を殴打する。
奈穂美と温香が驚きの表情を見せる中、百合は仰向けに倒れた舞の上に馬乗りになり、両肩を強く掴んでいる。
「お前が調子に乗ってアイツの挑発に乗ったからこんなことになったんだ! 分かってんのかエッ! お前のせいで雄一さんは……雄一さんは……謝れ。雄一さんに謝れ!」
百合はおれたちが今まで聞いたことが無いような声で舞を怒鳴りつけているが、その目からは涙がぽろぽろと零れ落ちているのが分かる。奈穂美と温香が百合を止めるべく、二人に近付こうとするが、あおいがそれを止めている。
「謝れよォ……このバカ女……」
百合は馬乗りのまま自分の顔を舞の胸に埋め、わんわん泣き出す。おれは意を決し、百合と舞の傍に近付く。
「ユリさん、もういいよ。ありがとう。おれはみんなに助けて貰ってばっかりで、こういう時位しかみんなを守れないと思って舞の独断を受け入れたんだ。だからおれにも責任はある。でも、これで本当の意味でゴルフと決別出来たと思うんだ。もし舞が市川の挑発に乗ってくれなかったらこれから先、中途半端にゴルフに未練を持ったままフットゴルフをやり続けることになっていたと思う。だから舞に謝ってもらう必要も無い。それに市川はおれを怖がっていた。チンピラを使ってあんな真似をしたのが何よりの証拠だ。おれはそれが分かったのと、これからもみんなでフットゴルフが出来ればそれで十分だか――」
急に目の前が真っ暗になる。それと同時に、身体中を走っていた痛みがスッと引くような感覚に陥ったかと思うと、全身の力が抜け、やがておれは何も考えることが出来なくなっていた。




