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Hole 4~後ろ向きな前進、前向きな後退(その6)

 その瞬間、上方左右両側から窓ガラスが大破する音が聞こえて来る。おそるおそる目を開くと、右からアメリカンタイプのバイクが、左側から箒に乗った誰かのシルエットが地面に向かってダイブしたかと思ったら、バイクはチェイサーの上に着地して屋根をぐんにゃりと押し潰すと、ゆっくり前進させてフロントガラスを大破させ、ボンネットを歪ませながら地面に降りる。

 一方の箒は、高度を地上一メートルまで下げると、箒から箒の主が降り、指をスナップさせ、動きを止めた箒の柄を左手で持つ。

 月の光による逆光で、正確には誰なのかは分からないが、フルフェイスのヘルメットから飛び出している二本の三つ編み、そして箒の主のエプロンドレスのシルエットに、おれは二人の正体を知る。

「てめぇ、誰だゴラァ!」

 ピンクジャージが二人を睨み付ける。千手観音ジャージとロケットジャージが後部座席から狂犬ジャージを引っ張り出している。

「大事なお車を壊してしまって、申し訳ございません。もしよろしければ、損害賠償請求に応じますが、果たして貴殿は請求書をご用意出来るでしょうか」

「んだと! どーゆー意味だコラァ!」

「おそらく皆様方は間もなく、未成年者略取及び誘拐罪の現行犯で逮捕されることになるかと」

 小手指総合の制服を着たバイクの主がそう言いながらヘルメットを取ると、眼鏡の代わりにアイガードをかけた百目鬼百合の笑顔があらわれる。だがその目は決して笑ってはいない。そしてその隣には、箒を左手に持った根路銘あおいが立っている。

「無茶だユリさん、逃げて!」

 女子高生二人に対し、好戦的なチンピラ四人が相手ではあまりに分が悪すぎる。最悪、返り討ちに遭った上に、性的暴行を受ける可能性すらある。

「雄一さん、わたくしがいながらこんな目に遭わせてしまい、大変申し訳ありません。でも、もう大丈夫ですよ」

 百合はおれに向かってにっこり微笑みながら、何かを確信するかのようにゆっくり、大きく頷く。

「このメスガキがぁ! イキってんじゃねぇぞ!」

 チンピラたちが鉄パイプや五番アイアンなどを手に、一斉に百合とあおいに襲い掛かるも、二人は彼奴等の動きを完全に見切ったのか、次々と振り下ろされる凶器を巧みに避けている。しかしどういう訳か二人は一切反撃する様子は見せない。

「おいコラ、なめてんのか!」

「掛かって来いやゴラァ!」

 チンピラたちは口々に二人を挑発するが、百合とあおいは一切それに乗ることは無く、身体を巧く捻らせて凶器を避けている。どうして二人は攻撃を仕掛けて来ないのだろうか……。そうか、二人はこの後この事件が学校やフットゴルフ協会で問題になるリスクを考えて攻撃を控えているのか。

 やがてチンピラ四人から疲れの顔が見え始め、凶器を振り回すキレが鈍くなっていく。

「メスガキのくせにこの動き……お前らもしかして、百目鬼組四代目の鬼百合と愛奈亜姫威二五四総長のニャロメか……どうしてお前らが一緒に……」

 狂犬ジャージの言葉に、百合の表情が一変する。今までおれやフットゴルフ部の部員たちが見たことが無い、まるで憎悪の対象に向けるような怒りに満ちた表情を見せている。普段怒らない人間の怒りとは、かくもこんなに恐ろしいものなのか。

「そんなことあなた方に答える義務などありません。ただ、この世界の事情に我々以外を巻き込んだことは、決して許されることではありませんよ」

 百合は彼奴等への怒りを露わにしつつも、丁寧な言葉遣いだけは決して崩さない。

「へっ、何だそりゃ。このチビがホントに無関係だと思ってんのか? だがどっちにしろやるこたァ一つよ。てめぇらの首を狩るだけのことさ。お前ら! 本気で殺んぞ!」

 チンピラたちは怒号を上げながら懐から一斉にドスやバタフライナイフを取り出す。

「二人とも、彼奴等は殺る気だ! もし可能なら攻撃しても構わない。出来ないなら逃げろ!」

 おれは二人に向かって叫ぶ。このままだと流血の惨事は不可避だ。下手したら流血だけではなく、凌辱される可能性すらある。

「マスター。雄一様から攻撃の許可が出ましたが、どうされますか?」

「あおいさん。言うまでもありませんよ。当然――」

「「完膚無きまでに叩き潰す!」」

 龍虎と化した百合とあおいはチンピラたちに向かって声高に宣言すると、彼奴等に向かって同時に襲い掛かる。

 百合はスカートが捲くし上がるのを気にする様子も見せず右足を高く上げ、アーミーナイフを握る狂犬ジャージの右手首にヒットさせて弾き飛ばしたかと思うと、左足で顎を蹴り上げる。

 あおいは箒の柄でロケットジャージのみぞおちを突き、うずくまっている隙に後頭部に踵落としをお見舞いしている。

 狂犬ジャージを倒した百合はすぐさま回し蹴りでピンクジャージのドスを落とすと、すぐさま左足で胸元を突き飛ばし、尻餅をついたピンクジャージの左側頭部に蹴りをヒットさせる。そしておれは、フットゴルフにおける百合の独特のフォームのルーツを知る。

 あおいは箒を剣代わりに、千手観音ジャージが振り回す鉄パイプと一進一退の攻防を繰り広げている。見た限り、箒の柄はオーク材で作られているものと思われるが、どういう訳か、決して鉄パイプに負けてはいない。ただ、穂先に重心があるせいか、箒を持つあおいの顔に少し疲労の色が見え始める。

 百合はおれに駆け寄り、ピンクジャージから奪ったドスでおれの手足を縛っていたロープを切る。

 あおいは一瞬の隙を突いてピンクジャージの小手を叩き、間髪を容れずに素面を打つと、打ち所が良かったのか、面白いように足元から崩れ落ちていく。

「雄一さん、大丈夫ですか。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。実は、ここ数日雄一さんやわたくしたちのことを嗅ぎ回っていた輩がいたことに気付いていたのですが、変に不安な思いをさせないよう、敢えてお伝えしていなかったのです。それが裏目に出てしまいました。謝っても謝り切れません」

 緊張から解放され、表情を崩した百合は、涙を流しながらおれを抱き締めると、ポケットからハンカチを取り出し、おれの顔を優しく拭ってくれる。百合のハンカチは見る見るうちに赤く染まっていく。

「ユリさん。おれは別にユリさんに謝ってもらわなければいけないようなことをされた覚えは無いよ。それよりユリさんって、あおいさんもだけど、すげー強いんだな。一体どこで……」

「この野郎……ざけんじゃねぇぞゴルァ!」

 至近距離からの殺気を感じ取ったおれは力を振り絞って無理矢理百合を投げ飛ばし、すぐさま地面に落ちていた五番アイアンを拾い上げると、狂犬ジャージが振り下ろす鉄パイプをシャフトで受け止める。おれは身体への鉄パイプのダメージを覚悟していたが、シャフトは炭素繊維で出来ており、折れること無く鉄パイプの攻撃からおれと百合を守る。しかし狂犬ジャージは鉄パイプを振り下ろした勢いのまま、おれが持つシャフトをぐいぐい押し込んでいる。このままではおれは狂犬ジャージに押し倒され、そのままとどめを刺されるだろう。そうとなれば少し怖いが、ここで決めなければなるまい。

 おれは息を少し大きく吸い込み、神経を両手と右足に集中させる。

「Kick...」

 おれは両足をアドレス状態にする。

「your...」

 右足をテイクバックさせ……。

「balls!」

 全力で狂犬ジャージの睾丸を蹴り上げる。神聖なゴルフクラブをつまらねぇ目的で使ってるんじゃねぇ。まったく。

 不意討ちを食らった狂犬ジャージは、苦悶の表情を浮かべながら両手で自分の局部を押さえ、膝から崩れ落ちていく。それを見ていたあおいは、追い討ちをかけるように自分の箒をホームランバッターのようにフルスイングし、狂犬ジャージの後頭部を捉え打つと、ボールと化した狂犬ジャージはそのまま地面に倒れ込む。スラップスティックなアニメなら、彼奴の頭から星やひよこが出ていたことだろう。

「ユリさん、大丈夫か?」

 おれは百合のもとに近寄ると、右腕で肩を抱きながら声を掛ける。チンピラたちを倒した緊張から解放されたせいなのか、百合はどこにでもいる高校生の女の子のような表情に戻っている。つい先程まで見せていた、憎悪に満ちた表情が嘘のようだ。

「はひ……あひはほう、ごさいまふ……」

 百合は辛うじて言葉を発しているが、呂律が回らなくなっている。

「油断は禁物ですよマスター。立てますか?」

 箒を左肩に掛けたあおいが、百合に右肩を差し出して立ち上がるのを手助けする。

 気が付くと、遠くの方からパトカーとおぼしきサイレンの音が聞こえて来るのにおれは気付く。しかも一台だけではない。二つの方向から聞こえてくる複数のサイレンの音が、ドップラー効果で音を変えながら次第に大きくなっていくのが分かる。

「マスター。この場所に雄一様がいるのは少々まずいのでは?」

 何かに気付いたような表情をしながらあおいが、気を取り直した様子を見せる百合に声を掛ける。

「そうですね。あおいさん。雄一さんをご自宅までお送りすることは出来ますか?」

「ここから県道に出たら警察の皆様と鉢合わせしてしまいますので少々難しいですが、やるだけのことはやってみます」

「お願いしますね」

 二人の間でいつの間にかおれに関する善後策が決められていく。

「あのっ、それじゃユリさんは……」

「わたくしは大丈夫ですよ。わたくしたちは警察の皆様とは『お友達』ですから。わたくしも後から参りますので、ひとまず雄一さんはあおいさんと一緒にここを離れて下さい」

「でも……」

「大丈夫ですよ。大丈夫」

 百合はにっこり微笑みながら優しくおれの言葉を遮り、不安を払拭しようとする。百合がどのような振る舞いをするのか気になるが、優しさの中に強い意志を感じる彼女の言葉を今は信じるしか無い。

「雄一様、歩けますか?」

 あおいの右手がおれの左手を握り、おれを外へと手引きする。

「あ……うん……」

 正直言うと、満身創痍となったこの身体を動かすたび全身に強烈な痛みが走るが、今はそれどころでは無い。おれはあおいに手を引かれるまま外に出ると、あおいはおれと握っていた右手を離し、左手左肩で担いでいた箒に跨る。

「それでは雄一様。わたくしの後ろへ」

 おれはあおいの指示に従い、箒の後ろに跨る。おれはあおいとくっつかないよう、少し隙間を作るも、あおいはいきなり自分の両手をおれの両手首を掴み、そのまま自分のウエストに巻き付けながら「しっかり掴まらないと、箒に振り落されてしまいますよ」と優しく諭す。あおいの背中の体温を感じつつも、箒が既にホバリング状態になっていることにおれは気付く。そして前方を見ると、ホログラムの原理を応用しているのか、空気中に車のダッシュボードのような計器類が浮かび上がっており、視界の真ん中には『Good Evening, Aoi. Do you want to power-on me?』という英文が表示されている。

「雄一様」

「は、はい」

「出発の前に、設定の変更をしなければなりませんので、もう少しだけお待ち下さい」

「は、はぁ……」

 そう言っているうちに、サイレンの音は少しずつおれたちの方に近付いて来る。確か、青山通りで百合を後ろに乗せていた時は、箒に跨るや否やすぐに動いていた筈だが、今回はどうして時間がかかるのだろう。

「Yes. Command Setup utility execution」

 あおいが流暢な英語でつぶやくと、どこからともなく「Yes, Ma'am」という女性の合成音声が聞こえてくる。すると、前方の計器類が消え、英文のメニューに切り替わる。そしてあおいの「Advanced configuration, Void the restriction from normal mode to enhanced mode」という問いに、合成音声は「Your request is declined due to invalid location」と素っ気無く答える。

「やっぱりダメですか……」

 あおいが軽く溜息をつく。

「あのぅ、さっきから何を言って……」

「ごめんなさい。今集中しているところなので」

 あおいはおれの言葉を遮り、再び英文のメニューに向き合う。

「Advanced configuration, Inspection mode execution」

「Yes, Ma'am. Please enter the password」

「パスワード? ええっと、何だったか……パスワード、パスワード……」

 あおいは合成音声の問いに頭を抱えている。そうこうしているうちに、サイレンの音が更に近付いて来る。

「ええっと、P-A-S-S-W-O-R-D OK!」

「The Passwoed is valid. Please select the field」

「良かったぁ……。であれば、Void the restriction from normal mode to enhanced mode」

「WARNING. Our warranty does not apply to any damages or malfunctions while enhanced mode is effecting other than play at approved pitch. Are you sure?」

「Yes」

 合成音声の警告にあおいは躊躇せずに答える。

「Your request is accepted」

 合成音声がそう言った瞬間、英文のメニューが消えた代わりに、視界の下半分には先程とは異なる、まるで航空機のコックピットのような計器類が浮かび上がって来る。そして箒の穂の先端にホログラムのように浮かび上がっていたテールランプとナンバープレートが消えたかと思うと、まるで竜巻のようにあおいとおれを乗せた箒を中心に、周囲に強い風圧がかかり始め、近くに立つ百合の三つ編みとスカートがひるがえり、周囲に生えている木々の枝が強く揺れ始める。雨の青山通りを静かに赤坂方面に超低空飛行で走り去って行った時とは明らかに異なる。あくまで断片的にしか理解出来ない英単語と、おれの想像でしか無いが、おそらく公道を飛ぶ時は箒の機能が制限されるため、パスワードを唱えて強制解除か何かをしたのだろう。

「それでは、お願いしますね」

 右手で自分の三つ編みと後頭部を押さえた百合があおいに声を掛ける。

「分かりました。マスター。不肖根路銘あおい、責任を持って雄一様をお送りいたします」

 あおいと百合が言葉を交わし終えた瞬間、箒はいきなり垂直方向に、数珠つなぎになって関越自動車道を走る車のライトと所沢市街の夜景が見渡せるあたりまで一気に上昇すると、一旦空中でホバリング状態に入る。視界に浮かび上がっている数多の計器類の中からフィート/メートル併記の高度計を見付けたおれは、すぐ上に表示されている「523f/160m」という数値に一瞬眩暈を覚えるも、すぐに気を取り直し、おそるおそる下を見る。短い間隔で並んだ二つの赤い光の列が北と南から少しずつ近寄ってきたかと思うと、おれとあおいを乗せた箒の真下に集合している。

「危ないですから、わたくしのウエストを強くぎゅっとして下さいね。それでは、前方へ移動しますよ」

「あっ、はい」

 おれは必要以上に女の子とベタベタしても良いのだろうかと言う葛藤など忘れ、無我夢中であおいのウエストにしがみつく。おそらくこれを他人に話しても信じてはくれないかも知れないが、今のおれに全くもってエロい感情は存在していない。高いところにいる恐怖と、体中が痛くて痛くて仕方が無いと言う気持ちと、明日どうしようと言う思いが三分の一ずつ存在するだけだ。

 あおいは暗闇の中で箒を急発進させると、僅か数秒で時速八〇キロまで上げる。速度計も高度計と同様、マイル/キロ併記になっている。

「このまま真っ直ぐ雄一様のご自宅まで参りましょう」

 おれとあおいは最近分譲が始まったエステシティの上空で態勢を整えると、東京航空交通管制部を左手にのぞみながら米軍通信基地を抜け、所沢総合病院の敷地上空で徐々にスピードを落とし、おれが住む駅前コート一号棟の真上でホバリング状態に入る。

「雄一様。ここの三階でよろしいでしょうか」

「うん。三階の北端だよ」

「では、ゆっくり降下いたしますね」

 箒はゆっくり一号棟の壁伝いに三階の高さまで降下すると、人が歩くほどのスピードで東側のベランダに回り込み、そのままベランダのモルタルの上に着地する。計器類の時計は既に九時を回っており、家のカーテンは既に閉められているが、隙間から光が漏れているので、家族の誰かが中にいるのだろう。

 おれは箒から降りると、アルミサッシに填められた強化ガラスをドンドン叩く。

 怪訝そうな表情をしながらカーテンを開けた七海がガラス越しに表情を一変させると、慌ててアルミサッシを開け、おれたちを部屋の中に招き入れる。

「兄貴! 一体どうしたのその顔? 血まみれじゃない! それにあおいっちもどうして……」

「失礼を承知でベランダからお邪魔いたしますが、説明は後です。兎に角、今すぐできるだけたくさんのタオルと、洗面器に入った四十度くらいのお湯を用意してください。雄一さんのお部屋はどちらですか?」

「あそこだよ」

 七海はおれの部屋のドアを指差す。

 あおいと七海はおれの両脇を抱えながらおれの部屋まで連れ込み、ベッドに座らせると、あおいはおれのネクタイとベルトを外し、手際よくワイシャツとスラックスを脱がせる。衣服のところどころが破けているだけでなく、拉致された時には羽織っていたジャケットもいつの間にか無くなっている。あおいは七海から手渡されたお湯で濡らしたタオルで手際よく血だらけのおれの身体を拭いている。

「イタタタタタ……」

 濡れタオルが肌に触れるたび、暖かい感触に気持ちの良さを感じると同時に、思わず飛び上がりたくなるほどの痛みが走る。

「ごめんなさい。でも、少しだけ我慢してくださいね。放っておくと化膿してしまうかも知れませんから」

「うん。ありがとう」

 おれは痛みに耐えながら小さくうなずく。つい先程まで、目出し帽に変なジャージを着た連中にボコボコにされていた時の痛みに比べたら、女の子に身体を拭いてもらえるこのシチュエーションは、たとえ全身に痛みが走ったとしても、これをありがたく思わなければきっと罰が当たるだろう。

「雄一様。これで少しは落ち着かれましたか?」

 おれの身体を一通り拭き終えたあおいは、心配そうな表情をしながらおれの顔を覗き込む。

「うん。身体中がひりひりするけど、それ以外は胸に少し痛みがあるくらいで、あとは大したこと無いから」

 おれはあおいを安心させるべく、身体の、特に胸の痛みを過少申告する。しかしあおいはおれの言葉に安堵の表情どころか、箒に乗っていた時以上に険しい表情を見せている。

「おそらく雄一様はかなり興奮状態になっているかと思いますので、今はあまり痛みを感じななったとしても、徐々に落ち着いて来たらおそらく……ごめんなさい。ちょっと失礼します」

 あおいは両手でおれの両肩を掴むと、おれの身体を左回りに捻る。すると、おれの胸部に強烈な痛みが走り出す。

「イタイイタイイタイイタイイタイッ! あおいさん、痛いよ!」

「やはり……申し訳ございません。やはり痛がると言うことは、肋骨が折れていらっしゃるようですね。雄一さん、今すぐに病院に行くべきです。幸いにもこの団地の向かいは所沢総合病院ですから、これから……」

「ダメだ」

 おれはあおいの提案にかぶりを振る。

「どうして……」

「今、この状態で病院に行ったら医者から確実に入院しろと言われる。そしたら明日の対決に行けなくなるし、みんなはフットゴルフが出来なくなるだろ……」

「それは危険です。折れた骨で血管や肺が傷ついたら、取り返しの付かないことになるかも知れませんよ」

「それでも構わない。おれのことより、みんなの居場所を守る方が大事だから」

 おれは、少し前の自分なら決して言わないどころか、考えすらしなった利他的な言葉が何の躊躇も無く発せられていることに我ながら驚いている。そしておれは続ける。

「それに、まだおれたちの挑戦は始まったばかりなんだ。いや、始まってすらいないし、チンピラにボコられると言うクソつまんないことで諦めたくない。もしかしたらおれたちがやろうとしていることは、世間的にはとても小さいことなのかも知れない。でもおれは決めたんだ。おれは、おれたちは、今持ち合わせるすべての力を合わせて、振り絞って、何があっても行けるところまで行くんだって。もしこんなところで諦めたら絶対に後悔する。だからおれは……」 おれが言葉を続けようとした刹那、いきなり部屋のドアが開き目の前にはアイガードを外し、顔をくしゃくしゃにしながらも、必死に何かを堪えるかのように真剣な表情をした百合が立っている。あおいとおれが脱出した後、当事者では無いとは言え、警察に包囲されることとなった廃工場から、百合はどうやって抜け出したのだろう。

「えっ? 警察が駆けつけていたのにどうやって……」

「言ったじゃないですか。すぐに後から参りますって。それより雄一さんの覚悟、しかと受け取りました。もしかしたらわたくしは、高校に入学してから、若干の甘えがあったのかも知れません。明日の勝負、何卒よろしくお願いいたします。その代わり、勝負が終わったら必ず病院に行ってくださいね」

 百合はおれに向かって深々と頭を垂れる。

 おれは百合の言葉にこくこくと頷く。百合はおれの言葉を信じ、ボロボロになったおれに自分の未来を賭けてくれようとしている。

「しかしマスター。これでは……」

「いくらあおいさんでも、フットゴルフ部についてこれ以上の口出しはまかりなりませんよ」

「申し訳ございません。しかし、雄一様は肋骨を折られているご様子ですので、せめてお身体を固定させるだけでも……」

「そうですね。しかし、固定させると言ってもあおいさん、何か良い方法はありますか?」

「はい。わたくしも部活動で生傷が絶えませんので、これ位しか出来ませんが……」

 あおいはベッドから立ち上がると、いきなり服を脱ぎ始める。

「ええっと、あの……どうして脱……ユ、ユリさんも止めて下さいよ!」

 おれは時間を追うごとに強くなっていく胸部の痛みに耐えながら、両手を交互に振る。あおいはおれの言葉に構うこと無く白いエプロンドレスと黒いブラウスを脱ぎ捨て、百合はあおいの姿を表情も変えずにじっと見守っている。

 おれは悪いと思いつつ、あおいのほうに視線を移す。不謹慎ながら下着姿を想像していたおれは、あおいの姿に面を食らってしまう。

 胸部と腹部にはサポーターが巻かれ、両腕には数多の生傷や青痣がある。もしやあおいはこんな満身創痍の状態で、百合とともに箒に乗っておれを助けに来てくれたと言うのか。おれはあおいの姿に呆然としていると、あおいは胸部と腹部のサポーターを外し、おれの身体にきつく巻き付ける。上半身がスポーツブラだけの姿になったあおいの身体には、両腕同様に無数の傷や青痣がある。

「お、女の子がこんなに傷だらけになって……」

 おれはいつの間には目頭が熱くなっていることに気付く。一方のあおいは、おれの言葉にかぶりを振る。

「心配なさらなくても大丈夫ですよ。これはすべて競技中に作ってしまったものですから、大したことではございません。それに、家に戻りましたら予備がございますので、ご心配なさらないで下さい」

「ありがとう。あおいさん」

 おそらくここでサポーターを返そうとしても、あおいはそれを頑なに拒むだろう。むしろ返そうとすることは却って失礼になると判断したおれは、あおいの厚意を受け入れる。

「それから雄一さん。今晩はわたくしとあおいさんはここに泊まりますから。いいですね?」

「えっ、それじゃあお家の方が心配しない?」

「わたくしたちは大丈夫ですよ。雄一さんにあそこまでおっしゃっていただいたんです。当日、わたくしは雄一さんを見守ることしか出来ませんし、また何かあったら大変ですから」

「そっか。ありがとう」

 おそらくおれが百合の厚意を拒んだとしても、彼女は決して引き下がらないだろう。おれは素直に百合の厚意をもありがたく受けることにする。ただ、その前におれははっきりさせたい。そして知りたい。

「でもその代わり、二人にお願いがあるんだけど」

「何ですか? わたくしたちに出来ることなら何でもして差し上げますよ」

「なら二人が本当は一体何者なのか、教えてくれないか?」

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