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Hole 4~後ろ向きな前進、前向きな後退(その3)

「あぁーっ、お湯が身体全体に染みわたるぅ……」

 練習を終え、全員で七号棟一階テナントのファミリーレストランで遅めの夕食を摂り、一旦部屋の前で女性陣と別れた後、宿題や明日の授業の準備を終え、独り六号棟三階の大浴場の湯船に浸かっている。共学校なので大浴場は男性用女性用の両方が設置されているが、今まで一度も使われることが無かった男性用は物置と化しているため、時間を分けて女性用を使うことになっている。舞とのじゃんけんで負けたおれは、他の四人より順番が後になってしまったが、時間を気にせずゆっくり風呂に浸かることが出来ると思えば、後に入るのも決して悪くは無い。おれは耳のあたりまで身体を湯船に沈めると、鼻から息を吐いてお湯をブクブクさせる。

 その刹那、入口のガラス戸が開く音がするのに気付いたおれは、何事かと思わず立ち上がり、ガラス戸の方を見ると、全裸に小さなタオルで局部を隠した状態の温香と目が合う。

「「おっ、おっきい……」」

 おれと温香のつぶやきがシンクロナイズした瞬間、我に返ったおれは、慌てて湯船に身体を沈め、壁に向かって百八十度回転させる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。今出るから。見てないから。いや、見えちゃいました。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「ううん。私の方こそ、みんなが入るタイミングでお風呂に入ることが出来なかったからお互い様だよ。それより私も湯船に入って……いいかな?」

「うん。分かった。おれはもう出るから、ゆっくりしていって」

 温香の姿を見ること無く脱出するには、壁伝いにカニ歩きで移動するのがベストだろう。

「いや、少しの間だけでいいから、一緒にいてくれないかな?」

「えっ? あぁ……うん……」

 後ろの方で、お湯のバシャバシャと言う音が聞こえてくる。おそらく温香が掛け湯をしているのだろう。そして間を空けずに、湯船に身体を沈める音が聞こえて来たかと思うと、背中にいくつかの小さな波を感じ取る。その波は少しずつ大きくなり、やがておれの背中と、温香の背中がぴったり密着する。

「あの……質問していい?」

「うん」

 このままだとお湯の熱さと胸の鼓動で身体がオーバーヒートしかねないと判断したおれは、気持ちを落ち着かせるため、ある質問を切り出すことにする。

「どうして練習の時、泣いてたの? もしかしてフットゴルフで何か悲しいことでもあったの? あっ、ごめん。別に言いたくなければ言わなくてもいいんだ」

 数秒の沈黙の後、ようやく温香が口を開く。

「ああ、やっぱりバレちゃったかぁ……この流れだと、話さざるを得ないよなぁ……ま、いいか。この話は、この学校で出来た友達には初めて話すことです」

「うん。他言はしないし、プライバシーは守るから」

「ありがと。やっぱりユーイチくんは優しいね」

 嘘だ。おれは利己的で、自分のためなら平気でおためごかしを言うような最低な奴だ。市川へのワンワンプレイの強要など、その最たる例ではないか。

「関東大会の時も少し話したと思うけど、私は長野県北佐久郡にある中学校のフットゴルフ部で、一年生の時、自分で言うのもなんだけど、圧倒的な実力で当時の三年生からエースの座を奪って、あれよあれよと学校始まって以来初めて、甲信越B代表として全国大会への切符を手に入れたんだ。町の一大事に学校や町役場には垂れ幕まで掲げられ、全国大会に出発する時なんか、JRに掛け合って特急を臨時停車させて大々的な壮行会までやり出す始末で、ブラスバンドの演奏と、町長や町議会議長の万歳三唱がちょっと恥ずかしかったのは今でもよく覚えている。でも現実は甘く無かった。その年は神戸の六甲山にある名門クラブが会場だったんだけど、グループリーグを辛うじて得失点差で勝ち抜いて、決勝トーナメントの一回戦で当たったのは関東A代表の陵桜中等部でさ」

「小鳥遊陽さんのところだね」

「うん。先日話した通り結局1アップも取れずに一回戦負け。意気消沈したまま地元の駅に戻った時、誰も迎えに来なかったのを見て、世の中って敗者には厳しいよなって中一にして思い知ったよ。それより、そろそろちゃんと向かい合ってお話ししようよ」

「でもそれじゃ……」

「私がいいって言ってるんだからいいの。それとも、ユーイチくんは私のハダカ見るの、イヤ?」

 おれは大きくかぶりを振る。そしておそるおそる身体を回転し、温香と向かい合う。温香は湯船に肩まで浸かってはいるものの、タオルで身体を隠しておらず、おから始まる二つの大きな物体はお湯越しに丸見えである。ああ、生まれて初めて、写真では無く生で見てしまった。

「それじゃ、続きを話してもいい?」

「うん。続けて」

 これ以上話に間隔が空いてしまうと、おれの思考回路が温香の二つの大きな物体に占領されておかしくなってしまいそうだ。早く続きを話して欲しい。

「そこで私は打倒陵桜、打倒小鳥遊を掲げ、厳しい練習メニューを自らに課し、他の部員たちにもそれをこなすことを求め、時には先輩含め部員たちに厳しい言葉も投げ付けた。今思えば、よくあんなハードな練習にみんな付いて来れたなと思っているし、腹に一物持った部員もいたかも知れないけど、みんな私に従えば全国に行けると思っていたから、ただ一人を除いて表立って誰も私の方針に文句を言う人はいなかった」

「一人だけ文句を言う奴がいたんだね」

「うん。私の幼馴染で同じ部活の千原って名字の男の子だけが、練習方針とか態度とか、何かにつけて私に食って掛かって来てね……。私もしょっちゅう、全国で勝ちたかったらケチつけるな。文句があるやつは去れって言い返してたんだ」

 おれは、ああ、温香にもおれにとっての舞のような存在がいたのだな。と思いながら、温香の話にこくこくと頷く。

「それでも千原は最終的には受け入れてくれて、大将はお前なんだからしっかりしろと言って、私に付いて来てくれたし、時には私と他の部員の間に立ってフォローしてくれたりもした。その甲斐あって、うちの中学は二年連続で全国大会への切符を手に入れ、再び陵桜中等部に挑むチャンスが巡って来たんだ。しかも前回と同じく決勝トーナメントの第一回戦でね」

「同じ相手と再戦なんて凄いな」

「うん。でもね。その年の会場だった名護のリンクスで悲劇は起きたんだ」

「悲劇……」

「私たちはあの女を倒すべく全力で襲い掛かった。小鳥遊陽は当時中三で、彼女を倒すのは今回がラストチャンスだったから。私たちは一進一退の攻防を繰り広げ、十七番の時点でイーブンまで持ち込むことが出来たんだ。当然この勝負は、十八番ホールでストローク数が少ない方が勝ちになる。私は最後のティースローを千原に託した。だけどバカな私は気付いて無かった……いや、気付かないふりをしていたんだ。厳しい練習や戦いで、千原の身体は既に限界超えていたことを。そして千原が大きく振りかぶり、ゴルフボールを投げようとした瞬間、フォームを崩して大暴投をしたかと思うと、左手で右肩を押さえながら、その場にうずくまったんだ」

 おれは温香の言葉に生唾を飲み込む。

「千原はすぐさま救急車で近くの米軍基地内の病院に運び込まれ、緊急手術を受けることになった。でも……千原は二度とボールを握ることが出来なくなっちゃったんだ。私は何回も、何回も泣いて千原と、急遽沖縄に駆け付けた彼の両親に土下座して謝った。ごめんなさい。私のせいで、私が千原を追い込んだせいでこんな目に……って。でも千原は笑ってこう言うんだ。『これはおれが好きでやったことの結果だからお前のせいじゃねぇし、好きでやったことに後悔なんかしてねぇよ。お前がおれを追い込んだだと? うぬぼれるな。もうプレーは出来ないけど、DPとしてブレーンになることなら出来るし、来年こそは全国制覇して、有終の美を飾ろうぜ』って。アイツは私を責めるどころか、批判の矢面に立った私を庇って……」

 いつの間にか温香の目から数粒の涙がこぼれている。

「結局、翌年の最後の大会は小鳥遊陽がいなかったのもあって勝ち抜きに勝ち抜いて……いや、準決勝で北海道の玉大中標津に負けて三位決定戦に回って、辛うじて三位に食い込んだんだけどね。だけど大会が終わった後、私はあの町にいるのが、千原と顔を合わせるのが辛くて……ちょうどその時父親に転勤の話が来て、最初父親は単身赴任するつもりだったらしいけど、私がしつこくどうしても付いて行きたいって言うもんだから、結局家族でこっちに移り住むことになったんだ。それで、絵を勉強するために小手指総合の芸術科を受験して、合格して、フットゴルフのことを綺麗に忘れて絵に打ち込もうって思ってたんだけどね……今思えばそれは単なる逃げだったんだよ」

 温香は一旦話を中断し、お湯で顔を洗うと、話を再開する。

「入学式の日から一週間後、いきなり芸術科のラウンジに舞ちゃんと奈穂美ちゃんが乗り込んで来てね。フットゴルフ部を立ち上げるから、是非参加して欲しいって言って来たんだ。最初は何度も断ったんだけど、あまりにもしつこいから、ある時うっかり『どうして私がフットゴルフをやってたのを知ってるの』って訊いたら、舞ちゃんは中三の時『月刊フットゴルフ』の記事で私のことを知ったみたいで、是非私の力を貸して欲しいって言われちゃって。ああ、こんな私でも必要としてくれる人がいるのか……と思うとつい嬉しくなっちゃって、思わずオーケーしちゃったんだ。それで今に至るって訳」

 温香はおれたちに教える時は一切声を荒げること無く、優しく丁寧に指導してくれる。おそらく去年までの彼女は、おれたちが知っている彼女ではない。そして球数制限も、おれを千原くんとやらの二の舞を避けたいが故の彼女の考えなのだろう。

「今度長野に帰ったら、千原くんに会って今の話をしてやれよ。きっと泣いて喜ぶと思うぜ」

「えーっ、そっかなぁ。で、結論としてはそーゆー訳なので、ユーイチくんとはお付き合い出来ません。ごめんなさい」

「ええっ、何いつの間に告白して、振られたみたいな感じになってるの? おかしくない? ねぇ、おかしくない?」

「もう、冗談だって。むきになるなんてユーイチくんってばカワイイっ。それじゃ、身体も温まって来たし、先に出るね。今日は私の話を聞いてくれてありがと。また明日も頑張ろうね」

 いつの間にか笑顔が戻った温香は、自分の身体を隠すこと無く湯船からあがると、タオル片手に大浴場から去って行く。そして自分でも不思議に思えるほど、いつの間にかスケベな感情はおれの中から消え去っていた。

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