Hole 4~後ろ向きな前進、前向きな後退(その2)
「ふぇーっ、すごく疲れたよぅ、そして超怖かったぁ……」
石神井公園駅から快速飯能行に乗り、電車が次の停車駅であるひばりヶ丘に向かって動き出した瞬間、全身の力がするすると抜ける。
崩れ落ちようとするおれの姿に、四人が慌てておれを支える。
「あ、みんな、ありがとう」
気を取り直したおれは四人に礼を言いながら再び立ち上がる。
「あのさぁトンちゃん。あそこにいる間は黙ってろって言うからワタシたちは何も言わなかったけど、どうしてワタシたちを連れて来たの?」
舞がおれに質問をぶつける。
「ああ。理由は二つある。一つは、女の子の扱いに慣れていない輩の集まりの男子校に女子高生を連れ込むことによってちょっとした揺さぶりをかけたかったのと、もう一つは、代表してプレーするのはおれだけだけど、五人全員で戦うというメッセージを、市川を含む連中に伝えたかったんだ」
「トンちゃん……」
「あっ、私もゆーいち君に質問があるんだけど」
奈穂美が挙手しながら尋ねてくる。
「どうして相手のゴルフ部の廃部を要求しなかったの? うちが勝ったらワンワンプレイで、負けたら廃部って割が合わなくない?」
「確かに奈穂美ちゃんの言う通り割は合わないよ。でもさ、仮に相手のゴルフ部の廃部を要求して、勝負におれたちが勝ったとしても、うやむやにされて絶対廃部にはならないよ」
「どうして?」
奈穂美は首を傾げている。
「おれたちフットゴルフ部はまだ生まれて間もない、吹けば飛ぶよな将棋の駒みたいなもんだ。今の段階では残念だけど、世間から見たら有っても無くても大して影響の無い存在でしか無い。だけど石神井大学付属学園のゴルフ部は違う。過去に何人ものプロゴルファーを輩出し、中にはオーガスタやセント・アンドリュースでプレーした人もいるほどの歴史と伝統がある。それだけじゃ無い。銀行や大手企業の幹部や役員、国会議員といった社会的地位のある卒業生で構成されるOB会はゴルフ部の有力なスポンサーで、運営方針に対して顧問以上に強い発言権を持っている。OB会だけじゃ無い。スポーツメーカーも、国内勢は勿論、外国勢が入り交じって、プロになる見込みの高い生徒とサプライヤー契約を結ぼうと虎視眈々と狙っているんだ。もし廃部を条件に突き付けて勝ったとしても、なし崩し的に廃部は無かったことにされるか、バックにいる連中におれたちが潰されるかのどちらかだぞ。だからおれは現実的に市川が実現可能な罰ゲームを提案したんだ」
「それが『ワンワンプレイ』って訳ね。それにしてもよくあんな罰ゲーム思い付くわね。まるで悪の組織の中級幹部みたいだったよ」
温香が半ば呆れたような表情をしながら驚きの声を上げる。って言うか中級とか言うな。
「ああ、自分でも驚いてるけど、本気で実現可能だって思ってるからな。屈辱的な思いをするべきは市川であって、石神井大学付属学園ゴルフ部じゃ無いからな」
ふと、百合の方に視線を移すと、彼女は何か考えごとをしているのか、口を真一文字にしたまま、黙って一点を見つめている。
「ユリさん、どうしたの? ユリさんっ?」
「あっ、はい。ごめんなさい。どうかしましたか?」
百合はワンテンポ遅れておれの呼びかけに応える。
「いや、何か心配事でもあるのかなって思って。あっ、一番の心配事はおれが市川との勝負に勝てるかどうかか。アハハハハ……」
「ごめんなさい。考え事をしていたつもりが、少しボーッとしてしまいまして。もしかしたら少し疲れてしまったのかも知れませんね」
「ユリさんにもご足労かけてしまって本当にごめん。もうすぐ秋津だから、今日はこのまま解散しよう」
百合はおれの提案にかぶりを振る。
「いいえ。一旦学校に戻って特訓のスケジュールを立てましょう。こうなった以上雄一さんには絶対に勝って頂かないと困りますから。雄一さんがおっしゃった通り、これは五人全員の戦いなんですよ」
「そーだよトンちゃん。この勝負、絶対勝ちなさいよ。これは部長命令だから」
舞が百合の言葉に乗っかる。
「だったら校内で合宿しない? 確か部室と同じフロアに合宿用の設備があったと思うけど」
奈穂美が思い付いたようにいきなり合宿の提案をする。
「急な話で、実際にやれるかどうか分からないけど、そうと決まったら生徒会に掛け合ってみようか。この時間だったらみと先輩も亜佐美先輩もまだいるでしょ」
温香も奈穂美の提案に賛成する。
百合の言葉がきっかけとなり、急遽持ち上がった合宿の計画。小手指に戻るや否や直行した生徒会室で、部長である舞の説明を聞いた生徒会長代理の兎川みとは経緯を聞くと腹を抱えて笑い出し、「面白そう」という理由であっさり合宿施設の使用の許可を出しただけにとどまらず、原則として長期休業中しか使うことが出来ない大浴場の利用も許可してくれた。初めて知ったがこの学校、大浴場があったのか。
「あのさぁ、合宿って明日からだろ?」
生徒会への説明を終え、一旦部室に戻ったおれはソファに腰掛けると、少し遅れて部室に戻ってきた舞は「えっ、何言ってるの? もう合宿は始まってるよ」と言ってくる。
「始まってるって、おれはてっきり明日からだと……って言うか、合宿するなんて思ってなかったから着替えとかタオルとか持って来て無いぞ」
「それだったら心配ないよ。二人とも、入って来て」
舞がドアに向かって声を掛けると、二人の女性が部室の中に入って来る。
「あれ? あおいさんと、な、七海! どうして……」
おれの目の前にはエプロンドレスにシニヨン姿と、ハウスキーパーモードの根路銘あおいと、並木中学校の制服に首からビジターカードをぶら下げた妹の七海がいる。
「おー、七海ちゃんにあおいちゃん、ありがとね」
「舞、一体どう言うことだよ」
「生徒会室にいる間、ユリさんから二人に電話をかけて、着替えとかを持ってくるよう頼んでもらったんだ」
いつの間にそんな手筈を整えていたのか。
「初めてあおいっちのホーキ乗ったけど、アレすげーな。十六になったらマジで免許取ろうかな。あっ、兄貴と舞ちゃんの着替えとかタオルとか持って来てやったんだから感謝しろよ。って言うか、舞ちゃんの下着って結構エロいよな」
「エロくないって! もう、ママったらどういう下着のチョイスを……」
舞は顔を真っ赤にしながら七海に向かって両手を上下にバタバタと動かしている。
「わたくしはマスターと温香様のお着替えとタオルを持ってお伺いにあがりました。あと、雄一様。私共の部活動で利用しているピッチは夜間誰も使いませんので、鍵をお貸しします。ご自由にお使い下さい」
おれはあおいから鍵の束を受け取ると、彼女たちが普段使っている照明設備付き総天然芝のピッチの存在を思い出す。
「ありがとう。あおいさん、忙しいのに……」
「いいえ。大丈夫ですよ。頑張ってくださいね。わたくしは七海様をご自宅までお送りしてから、もう一仕事しなければなりませんので一旦戻りますね」
「あおいさん、あとはよろしくお願いします」
百合はあおいに何か念を押すかのように声を掛ける。
「かしこまりましたマスター。七海様、参りましょう」
「うん。って言うか七海でいいよ。私もあおいっちのことあおいっちって呼んじゃってるし」
「そう申されましても……」
あおいと七海は互いの呼び方について話をしながら部室から去って行く。
今日を含めて練習できるのは僅か六日。関東大会での無様な結果を思うと、たった六日でおれのフットゴルフのスキルが劇的に向上するとはとても思えないが、責めて悔いの残らないよう練習に練習を、準備に準備を重ね、市川との勝負に挑みたい。おれの大切な友人が、仲間が、現段階で実現可能な環境を用意してくれた。そして断言する。これは石神井大学付属学園ゴルフ部のどのファシリティをも凌駕する。おれは何が何でも彼女たちの想いに応えたい。いや、応えるんだ。仲間とか友情といった類にある種の嘘臭さを感じていた中学時代……いや、分配ドラフト当時のおれには、今の状況を想像することすら出来なかっただろう。だが、今のおれには手に取るように分かる。おれは独りで戦っているのでは無い。五人で戦っているのだ。そしておれたちの大切な居場所を絶対に守るのだ。その為におれは容赦無くそして無慈悲に、おれに向かって泣いて命乞いをする市川亮太に止めを刺す必要がある。
「トンちゃん、何一人で盛り上がってるの? 練習始めるよ。ワタシ先に行ってるから、鍵持っていくね。トンちゃんが着替えているうちに色々準備しなきゃいけないんだから」
「そ、そうだな。頼んだ」
「うん。頼まれた」
「あと、それから……。ありがとな。これが終わったら二人でナゴヤ球場に行って野球でも観るか? こないだの神宮は珠子先生のこともあるけど雨で中止になっちゃったし、ついでに舞がどんなところに住んでたかも知りたいしな」
「えっ、あっ、いきなり何よ。そんなこと、勝ってから言ってよね。さ、練習練習。ワタシはもう行くから、さっさと着替えてすぐ下に来てね」
トレーニングウェアに着替えたおれは、スパイクとクラブセットを持って一階に降り、初めて訪れるピッチに向かう。ピッチは高さ六十メートル程度の緑色の防護ネットで囲まれており、外から見たらゴルフ練習場と見間違えてしまうが、中に入ると縦百十ヤード×横六十ヤード、メートル換算では縦約百メートル×横約五十五メートルの長方形に手入れの行き届いた芝生が敷き詰められており、両側には地上十五~六メートルの位置にハンドボールのそれとほぼ同じ大きさのゴールが設置され、二本の鉄柱がそれを支えている。そしてピッチを囲む防護ネットを支える全ての柱に夜間照明として水銀灯・白熱灯・ハロゲン灯が備え付けられており、舞たちが配電盤に回って電源を入れてくれたのか、三種類の光が重なり合って既に弱いカクテル光線を放っている。おそらくあと数分もすれば、光が強くなり、昼間のようにピッチを明るく照らしてくれるだろう。また、驚くべきは向かって右側の防護ネットの二本の柱を支えに、プロ野球の球場でよく見かけるような巨大な電光掲示板が設置されていることだ。
「あの電光掲示板でアダルトビデオを映し出したら、さぞかし壮観な光景なんだろうなぁ。ゆーいち君、そう思わない?」
後ろを振り返ると、奈穂美が顔をにやつかせながらおれに同意を求めてくる。
「思わねぇよ!」
おれはすぐさま否定するが、内心では映像よりもむしろ女優の絶叫が近所に聞こえたらすごく恥ずかしいよな……と考えてしまう。ダメだダメだ。これからおれたちの未来を賭けた勝負のための練習を始めると言うのに。
「おおっ、照明が入るとやっぱ違うねぇ」
「そうですね。舞さん」
「こんなすごい設備で練習してるなんて、あおいちゃんたちが羨ましいなぁ」
少し遅れて舞と百合と温香の三人が会話しながらピッチの中に足を踏み入れる。
「それじゃユーイチくん。そろそろ秘密の特訓を始めようか」
教官役の温香がおれに声を掛ける。
「うん。って言うかこれは秘密なのか?」
「いちいち揚げ足を取らないのっ! 取り敢えず頭に『秘密』って付けとけば、何だかプレミアム感出て来るでしょ?」
「はぁ……」
「今日はあまり時間が無いから、今まであまり時間をかけることが出来なかったティースローの練習に絞ってやっていこう」
「分かった」
おれはバスケットに入っている練習用ボールを右手に取る。
「ユーイチくん。ピッチの両端のゴールと、それを支える二本の鉄柱が見える?」
「うん」
「分かってると思うけど、ティースローはゴルフで言うならばドライバーショットと同じで、一番距離を稼がなきゃいけないところでね。アマチュアの男の人だったら二百二十から二百三十ヤード飛ばせれば御の字なんだけど、中学時代のドライバーの飛距離ってどれくらいだった?」
おそらく無意識だと思うが、温香はいきなりおれの心をえぐるような質問をしてくる。だが、ゴルファーとしてのおれは既に終わっているのだ。今更恥ずかしいと思う方が余程おかしい……はずだ。
「二百前後かな。だからゴルファーとしてはダメだったんだよ」
おれは少し自虐的に答える。本当は百八十前後だが、それくらいのサバ読みは許して欲しい。
「そっか。でもユーイチくんは肩が強いから、コツさえ掴めれば何とかなると思うよ。最初の目標として、あのゴールにボールを入れてみようか。あっ、ちょっと待って。奈穂美ちゃん、悪いんだけどこのカウンターで、ユーイチくんのティースローの回数をカウントして欲しいんだけど」
「分かった。任せて」
奈穂美は温香から、野鳥の会や交通量調査で使うようなカウンターを受け取る。
「あそこまで届いたとしてもあの中に入るかどうかは分からないけど、まずはやってみるよ」
おれは二メートルほど後ろに下がると、右手に握ったゴルフボールをゴールに向かって思いっきり投げつける。ボールは山なりの弾道を描くも、最高地点から下降するにしたがってスライス気味になり、ゴールのすぐ右を通り過ぎ、最奥のネットを揺らす。
「おおっ、距離は結構出るけど、途中でボールが失速しちゃうか……」
「どういうこと?」
「うん。ユーイチくんが投げたのって、たぶん野球で言うところのナックルボールだと思うんだ。ところでドラゴンズファンの舞ちゃん。ナックルボールってどんな球だっけ?」
いきなり話を振られた舞は、一瞬身体をびくつかせる。表向き温香は、おれとのマンツーマンレッスンを装っているが、おそらくこれは他の三人に対しする『お前らも油断せずに私の話を聞けよ』と言うメッセージなのだろう。
「ええっと、ナックルと言うのはボールがほとんど回転しない投球で、不規則に変化するから、ナックルを打つことってなかなか難しとされているよね」
「そうだね。ナックルボールが有効に働くのは、バッテリーの距離が十八.四四メートルしか無いからだけど、ティースローでナックルを投げた場合、当然滞空時間は長くなるし、ゴルフボールは完全な球体じゃなくて、イボイボがいっぱいあるから、空気抵抗をもろに受けて変化もしやすくなるし、風が吹いていればもっと影響を受けやすくなる」
おれは舞を一瞥すると、舞はほっと胸をなで下ろすような仕草をしている。
「それじゃユーイチくん。外的な影響をなるべく少なくするには、どんな球種を投げればいいと思う?」
「それはたぶん……ストレートかな? スピードは速ければ速いほどいいと思う。スピードを上げて滞空時間を短くすれば、影響も少なくなるだろうし」
「ビンゴ。それじゃ、今度は飛距離のことは考えないで、ゴールの真ん中に速球を投げるようなイメージで投げてみようか」
「了解。速球をイメージするんだね」
おれはさっきよりも右腕を早く振り下ろすことを意識しながらゴルフボールをゴールに向かって何球か投げ付ける。しかしボールは辛うじてゴールの左右の端を通るようにはなったものの、依然としてゴールの真ん中からは程遠いことに変わりは無い。
「さっきよりも良くなったね。この調子で少しずつ精度を上げていこう」
「分かった。やってみるよ」
おれは温香のアドバイスを心の中で反芻しながらゴルフボールを投げ続けるも、依然として真ん中には飛ばない。ただゴールに入っただけでは意味が無いのだ。何故ならこの特訓の目的は、ボールを遠くへ飛ばすことのみならず、思い通りの場所にボールをコントロールすることだからだ。
しかし、何回投げても依然としてコントロールの精度は上がらず、ゴルフボールは右へ左へとふらついている。
「奈穂美ちゃん、今ユーイチくんは何球投げている?」
「ええっと、四十八球かな」
「ありがと。ユーイチくん、そろそろティースローは切り上げようか」
「どうして? まだまだいけるのに」
温香の指示におれは疑問をぶつける
「ねぇユーイチくん。一回のラウンドでの投球数って最大でいくつ?」
「そりゃ十八球だろ」
「うん。ゴルフボールってね、本来は投げるためには作られていないでしょ。だから自分が思っている以上に肘や肩に強い負担がかかってるんだ。だから一日あたり多くても五十球程度に留めておかないと、怪我や故障のリスクを抱えることになるよ」
「でも、まだうまく投げることが出来てないし、気合いで何とか……」
「ダメなものはダメなのっ。気合で何とかなってるならとっくにそうしてるし、もし当日何かトラブルが発生したらどうするの? ティースローの練習はまた明日までおあずけね。もう、あんな思いは……」
「えっ、何だって?」
「ううん。何でもない。こっちのことだから。ほらっ、ロングアイアンの練習をするから準備してね。三人はボールを回収してくれる?」
「はーい」
三人を代表してバスケットを持った奈穂美が返事をする。
温香はあさっての方向に身体を回転させているが、その瞬間、彼女の目にうっすらと涙が浮かんでいたことを、おれは見逃さなかった。




