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Hole 4~後ろ向きな前進、前向きな後退(その1)

「まったく、舞の単純っぷりには呆れてものが言えないよっ。相手の挑発にホイホイ乗ってゆーいち君巻き込んじゃって! 大体中学のバスケ部の試合の時だって舞は相手の挑発に乗ってプレーがグダグダになっちゃうことが多かったじゃない。ねぇ分かってる? それにあの条件何? ふざけてるの? あの市川とかいう下衆野郎が勝ったらうちらが解散で、ゆーいち君が勝ったら彼奴等は土下座って、明らかにおかしいでしょうが。少し考えたら分かるでしょ」

「はい……。重ね重ね申し訳ございません……」

 大会も終わり、今日から六月になったと言うのに梅雨とはまだ程遠く、昨日の曇天から一転、衣替えに相応しく空は鮮やかな快晴だが、フットゴルフ部の部室の空気は重たいままだ。

 奈穂美は舞を床に正座させ、強い口調で説教している。舞の姿がいつもより小さく見えるのは、おれの気のせいだろうか。温香はどうすれば良いのか分からないと言わんばかりに困惑した表情を浮かべながら舞と奈穂美を交互に見ている。百合は一人がけのソファに腰掛け、マグカップに淹れたアールグレイを啜っている。おれは三人掛けのソファの左端に腰掛け、舞と奈穂美のやり取りを見ながら自分の考えをまとめようとしている。

 去年の夏、おれが退部届を提出してゴルフ部を去ったことは単なる逃げだったのだろうか。否。おれは決して尻尾を巻いて逃げたのでは無い。ゴルフ部のクソ顧問によって心と目標が折られたのだ。いや、それも違う。ただ単におれはゴルファーとして結果を残すことが出来なかった。ただそれだけの話だ。しかし、中学時代に置いて来てしまった、おれの唯一の心残りは――。

「みんな。今日これから時間はある?」

 おれがソファからおもむろに立ち上がると、全員が一斉におれに注目する。

「どうせ戦争は避けられないんだ。これから宣戦布告と洒落込もうか」


 西武池袋線石神井公園駅南口からほど近い、石神井大学付属学園中等部・高等部の校門前。おれたちはおれを先頭に右に舞と奈穂美を、左に温香と百合を従えるV字型の配置で立っている。下校途中の男子生徒たちがおれたちを珍しい生き物を見るような目で一瞥してから駅に向かっている。ここを訪れるのは卒業式の翌日に退寮した時以来、約三ヶ月ぶりだ。

「ワタシ、男子校なんて初めてだよ。男子校だよ。男しかいないんだよ? どうする奈穂美?」

「当たり前のことを言ってどうするんだよ。ゆーいち君、私たちは何をすればいい?」

 奈穂美は、少し興奮気味になっている舞を落ち着かせながらおれに尋ねる。

「みんなはただおれの後ろにいてくれるだけでいい。それに、おれがいいって言うまで何も喋らなくてもいいからな。多分何か喋ってくれとは言わないだろうけど。それじゃ、中に入るよ」

 おれたちは一斉に敷地の中に入ると、ゴルフ部の練習施設に向かって歩みを進める。

 練習施設では中等部と高等部の部員たちが、各々に課された練習メニューをこなしていたが、皺一つ無いパリッとした背広を着た小さな男が四人の女子高生たちを従えて歩く姿に驚いたゴルフ部員の「中邨だ! 中邨が来たぞ! しかも女連れだ!」という叫び声が響き渡ると同時に部員たちは一斉に練習を中断し、視線をおれたちに集中させる。

「少しは心の準備をしてきたつもりだけど、周りに男しかいないのって、やっぱちょっと怖いね。思った以上にあまたの男の視線って痛いよ」

 温香のつぶやきにおれは左後ろを振り返り、温香に向かって黙ってこくこくと頷く。おれがいる限り、彼奴等に手出しはさせない。温香の左側に立つ百合は無表情のまま口を真一文字にしているが、眼鏡のレンズが光で反射しているため、表情を正確に読み取る事は出来ない。

「ったく、一体何の騒ぎだよ。あのー、困るんですよォ。部外者は立入禁止なんでェ」

 前方から聞こえてくる市川亮太の声におれは再び前を向く。そこには市川亮太とおれに戦力外通告したクソ顧問が並んで立っている。

「中邨ァ! 貴様どのツラ下げてうちの敷居を跨いで来たんだ! さっさと――」

「黙せクソ野郎。貴様に用は無い」

 おれはかつての顧問の言葉を遮ると、彼を強く睨み付けて黙らせる。

「で、ご用件は何かな? もしかしてオレ様に泣いて許しを乞う為に来たのかな、疫病神君? 君がうちの学校を去ってから、今までの停滞が嘘のように我がゴルフ部は快進撃を続けているよ。ハハハハハハ……」

「何だと? まぁいっぺん言って……」

 背後から舞の声が聞こえてくる。おれは右後ろを振り返り、舞に向かって小さくかぶりを振る。舞はおれの意図を理解してくれたのか、急に黙って下唇を噛む。舞の右隣に立つ奈穂美は舞の肩を軽く叩くと、黙っておれに向かって小さく頷く。

 おれは再び前を向き小さく深呼吸し、市川を睨み付けると、意を決し口を開く。

「一人称が『オレ様』とは、随分偉くなったものだな。まぁ、まずは昨日、うちの五百旗頭が貴殿に向かって暴言を吐いて大変失礼したことを謝ろう。申し訳無い」

 おれは市川を睨み付けたまま、身体を屈折すること無く口先だけで謝る。

 少し前の卑屈だった頃のおれなら絶対やらなかったことだ。

「なぁに、気にするな。今日はそれだけを言いに来たのか?」

「まさか。早速本題に入るとしようか。貴殿から提案があった対決の件だが、うちの五百旗頭がおれの了承無しに勝手に決めてしまった部分があるから、うちとおたくとで齟齬の無いよう今日は詳細を確認しに来た」

「ほぅ、疫病神の割に殊勝な心がけだな」

 おれは市川の上から目線の物言いに少しいらつくが、それを表に出さないよう心がけながら話を続ける。

「まず日付と場所だが、六月七日の日曜日。武州カントリークラブ北コースで間違いは無いか」

「ああ」

「だが、おれたちはプレーの予約をしていない。予約はそちらで押さえてくれるものと解釈して問題は無いか?」

「それは心配するな。もともと練習ラウンドのために予約を入れてあるからな。お前さんは朝八時前に北コース一番ホールのティーグランドに来てくれればいいさ。それに、最初は負けた方がプレーフィーを全額負担することも考えたが、賭博罪に抵触する可能性があるというアドバイスがあったから、今回は全額をうちで負担することにしよう。早いところケリをつけたいから、9ホールマッチプレーで勝負するのはどうだ?」

「分かった。予約の件『だけ』は心遣い感謝するよ」

 おれは『だけ』の部分を強調する。

「それじゃ、おれの方からお前さんに質問がある」

「ああ、何でも聞いてくれ。後ろの四人の胸の大きさでもいいぞ」

 おれの言葉に周囲のゴルフ部員たちは少しざわつくが、市川の表情は一切崩れない。やはりこの程度の揺さぶりには動じないか。

「なぁ中邨。お前はおれとゴルフで勝負するのか? それとも球蹴りごっこをしに来るのか?

 市川は昨日同様、フットゴルフのことを敢えて『球蹴りごっこ』と屈辱的な名称で呼ぶ。市川は挑発しながらおれの出方を見ているのだろう。互いの腹の探り合いが続く。

「不本意ながら、おれのゴルファーとしてのキャリアは去年の八月を以て終わった。だからおれはフットゴルフのプレーヤーとしてお前を倒す」

 おれは『球蹴りごっこ』という言葉に過剰に反応すること無く市川の質問に答える。

「そうか。だったら今度の日曜はお前に二度目の引導を渡してやる。そしてこれは一番大事なことだが、オレ様が勝ったらお前らの『球蹴り部』は即刻廃部。それで異論は無いな」

「ああ。正確には『フットゴルフ部』だがな。おれが勝ったら貴殿には土下座してもらおうと思っていたが、それだけじゃ物足りないな。土下座プラスおれたち五人のスパイクを舐めてもらうか、うちの全校生徒の前でブリーフ一丁で四つん這いになってワンワン吠えてもらうか、どっちか好きな方を選ばせてやるよ。いいか、ブリーフだぞ。トランクスは認めないからな」

 おれは口元をにやつかせながら、その場で思い付いた罰ゲームを口にする。我ながら良い意味で酷い罰ゲームだと思う。もしかしたらおれはサディスティックの気があるのかも知れない。

「まぁ、おれが負けることはまず有り得ないが、万が一負けたらお前らのスパイクも舐めてやるし、ワンワン吠えながら仰向けになって降参のポーズを取ってやるよ」

 市川はおれに向かって鼻で笑いながらおれの提案に乗っかる。

「さすが名門大学付属校の生徒だ。理解が早くて助かる。それじゃ、交渉が成立したところでおれたちは帰るとするよ。みんな、行こうか」

 おれは後ろを振り向き、四人に向かって大きく頷くと、ゴルフ部員のみならず、他の生徒たちが黒山の人だかりを作って注目する中、練習施設の外に向かって歩き出す。おれが野次馬たちを睨み付けると、彼等はモーゼの祈りで割れた紅海のように二手に分かれる。おれたち五人はその間に歩みを進め、石神井大学付属学園中等部・高等部を後にしたのだった。

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