Hole 3~小満の夕方、思わぬところで過去に追われる(その4)
大会二日目で日曜日の六時五十分。十番ホールのティーグランドの後方には、既にプレーヤーと大会関係者が集まりつつあり、第一組のスタートを今か今かと待っている。昨日の団体戦はアウトコースで行われたが、今日の個人戦はインコースで競う。
個人戦は全参加者八十人が四人一組、総勢二十組に分かれ、七時から十五分おきにスタートすることになっている。優勝候補である陵桜の小鳥遊陽は最終組、十一時四十五分スタートだが、既にクラブハウスの外に出て、練習用グリーンのエッジ付近でパットの練習をしている。
練習用グリーンで練習をしている小鳥遊陽を目で追っていると、いきなり誰かがおれの右肩を叩いてくる。
「ねぇ」
「ひ、ひぃっ!」
おれはつい、裏返った声をあげてしまう。おそるおそる後ろを振り返ると、不思議そうな表情をした舞と珠子先生が立っている。
「何びっくりしてるの? って言うか何見てるの?」
「いや、うちの校庭にもあんなグリーンがあったらなぁって思ってさ。ハハハハハ……」
おれは小鳥遊陽のことは敢えて出さず、笑ってお茶を濁そうとする。
「そうね。いつまでもキリンゴルフに通う訳にもいかないしねって……ほらぁ、やっぱり前言ったようにゴールデン・ベルを作るべきだって、ワタシが言ってたことに間違いは無かったでしょ。あの時トンちゃんあっさり却下したよねぇ? したよねぇ!」
「ほら、QUIETの札が出てるぞ」
「……」
おれがティーグランドの方を見ながら小声で舞に注意すると、舞はハッとした表情をしながら右手を口に当て、少し下にうつむく。
「ねぇ」
舞はいきなりおれに耳打ちしてくる。
「話変わるけど、小鳥遊陽って女の組をギャラリーするの?」
「ああ。優勝候補だしな」
おれは舞だけに聞こえる程度の音量で返す。
「そう。ならワタシも一緒に廻る。って言うか見せて貰おうじゃないの。優勝候補の実力とやらを。それにこれ以上増えても……」
「ん?」
「何でもない!」
「バカっ! 大きな声出すなよ。これから二組目が打つんだぞ。気を付けろ」
舞は自分が思わず大声を出したのが恥ずかしくなったのか、顔を耳まで真っ赤にしながらクラブハウスの方へ小走りで去って行ってしまった。最終組がスタートするまで、あと四時間余りある。舞もおそらくそれまでには戻って来るだろう。
「おっ、夫婦喧嘩かい?」
「そんなんじゃないって。そもそも夫婦じゃないし」
遅れてやって来た奈穂美がおれを冷やかす。奈穂美の後ろには温香と百合も立っている。
「それより、みんなは誰をギャラリーするか決まった?」
「はい。奈穂美さんや温香さんと相談して、結局最終組をギャラリーすることに決めたんです」
百合がいつもと変わらぬにこやかな表情でおれの問いに答える。
「でさぁ、これからみんなでクラブハウスのレストランで何か食べようって話になったんだけど、ゆーいち君も行く?」
奈穂美の提案におれは少し思考を巡らせる。全選手のティースローにも興味はあるが、それは小雨が降る中、最終組のスタートまで四時間以上も肌寒いティーグランドの後方に居続けることを意味する。ここは体力のことを考え、クラブハウスに戻るべきだろう。
「温香ちゃんはどうする?」
「ここだけの話、この時間帯にスタートする人のプレーを見てもあまり……」
温香はおれたちにだけ聞こえる程度の声で答える。この時間にスタートするプレーヤーには申し訳ないが、ごもっともな話である。しかしながら昨日団体戦で最初の組だったのは他でも無いおれたちだったのだが。
「そうだな。軽く何か食べようか」
「良かったぁ……今日は最悪夕方まで何も食べられないと思ってたからさぁ」
朝食を抜いてきたとおぼしき奈穂美は、安堵の表情を浮かべている。
「それではみなさん、舞さんや孕石先生をお待たせしては悪いですから参りましょうか」
クラブハウスの自動ドアを抜け、その足でレストランに向かおうとした時、おれは自分たちから少し離れた場所で、ゴルフバッグを肩にかけた男子高校生と思しき三十人ほどの集団を見かける。昨日今日と南コースは大会で貸し切りになっているので、おそらく北コースを廻るのだろう。一般のアマチュアゴルファーとは一線を画する精悍な顔つきと鍛え抜かれた体つきに、おれは彼らが高校のゴルフ部に属していることを見抜く。クラブハウス入口に高校フットゴルフ関東大会の立て看板しか無いことから、何かの大会ではなく練習ラウンドでここに来たのだろう。
「雄一さん、雄一さん?」
「うわっ、ユリさん」
「どうかされたのですか?」
百合が心配そうな表情でおれの顔をうかがう。
「いえっ、何でもないです。さぁ行きましょう。おれも少しおなかが空いてきましたし」
「そうですか……」
百合はなにか言いたげな表情をしている。そしてすぐさま、その表情に合点がいく。
「ユリさん。どうもありがとう。おれは大丈夫だから」
「ならいいんです。ごめんなさい。余計な心配してしまって」
「ほら、行こうか。あの二人、先に行っちゃったみたいだし」
「はい。行きましょうか」
おれと百合は奈穂美と温香を追うように、レストランの方に向かった。
十時五十七分に再び十番ホールのティーグランドに戻ると、最終組である小鳥遊陽が独り、練習用グリーンの近くでストレッチをしている。しかし、昨日のフレンドリーな態度とは一転し、鷹のような鋭い目つきをした彼女は、誰も近づくな、誰も話しかけるなと、無言の圧力をかけているようにも見える。
「ねぇ温香ちゃん。陵桜以外の三人も、最終組に入っているということは、相当強いんだよね」
奈穂美が高校フットゴルフ事情に詳しい温香に質問を投げかける。
「うん。みんな各校のエース級だよ。西東京・都立柴崎の下條、神奈川・都築学園の勘崎、それに東東京・城北大西台の黒井。この中の誰が優勝してもおかしくないね。でも、この中で一歩抜きんでているのはやっぱり陵桜の小鳥遊陽かな。昨日今日と雨で芝生が重たいから、いい勝負になると思うよ」
十一時五十分。最後から二番目の組が十番ホールのグリーンから立ち去るのを見届けた最終組の四人は、ティーグランド上でオナーを決めている。どうやらオナーは城北大西台の黒井で、都立柴崎の下條、都築学園の勘崎と続き、最後は陵桜の小鳥遊陽のようだ。
十番ホール四〇一ヤード・パー4。黒井・下條・勘崎のティースローを見届けた小鳥遊陽が、ゆっくりディーグランドに足を踏み入れると、感触を確かめるように左手でボールの握りしめると、先日テレビで観たのと変わらぬ、強く、かつしなやかな投球フォームでフェアウェイに向かってボールを投げ込む。当たり前と言えば当たり前だが、テレビで観るよりもより大きな迫力を感じる。テレビのプロ野球中継では大したこと無いように見える選手のプレーが、いざ球場で目にすると、選手たちがとても人間業とは思えないような動きをすることに気付かされるのに近い感覚だ。
あくまでおれの目測だが、四人のボールの飛距離は二百ヤードを軽く超えている。四人それぞれがフェアウェイ上からセカンドショットを打ち放つと、次々とグリーンにボールをオンさせていく。しかも一挙手一投足にはまったく無駄が無く、立ち振る舞いもスマートだ。これがプロを目指す者たちのプレーなのか。おれは後方の浅いラフで、現在の自分たちの技量との落差に愕然としつつも、視線は彼ら、彼女らのプレーに目を奪われている。ふと、おれは隣にいる小手指総合の部員たちに目をやると、彼女たちは一様に口を真一文字にしながら黙ってプレーを見つめている。経験者である温香や、真面目な性格の百合は当然だが、一緒になってふざけ合っていることが多い舞と奈穂美が、普段はあまり見せない真剣な表情になっている様子におれは少し驚く。小手指総合高校フットゴルフ部としての明確なビジョンはまだ確立していないが、もし個人戦・団体戦の種類を問わず全国大会を目指すのであれば、この四校を含む強豪校を倒さなければならないには明らかだ。
結局、三つのバーディーと六つのパーで3アンダーという、王者に相応しいスコアメイキングにより小鳥遊陽が個人戦で優勝し、陵桜は団体戦を含めた二冠を達成し、関東大会は幕を下ろした。
「あっ、いたいたっ! おーい!」
グリーンの向こうでツインテールの少女がおれに向かって手を振っている。上半身は駆け足をするような姿勢だが、足だけはグリーンを傷めないようゆっくり歩いておれに近付いて来る。
「あっ、みなみさん。団体と個人の二冠、おめでとうございます。アンダーパーでノーボギーだなんて凄過ぎです」
「ううん。ゆうちゃんがギャラリーしてくれたおかげよ」
「えっ? どうしてです?」
「ほら、折角観に来てくれたのに、変なプレーを見せる訳にはいかないでしょ。だからいつも以上に頑張っちゃったっ!」
「はぁ……」
「ところで、全国大会の予選はどうするの?」
「今のところ、団体戦にエントリーするのは決まってますけど、個人戦は一人を除いてまだ決めてません」
勿論、その一人とは加添温香のことだ。
「そっか。昨日も言ったけど、何か困ったことがあったらいつでも遊びに来てね。ゆうちゃんならいつでも歓迎するから。それじゃ、時間だからもう行くね。ばいばい」
「あっ、はい。お疲れ様です」
小鳥遊陽は手を振りながら練習用グリーンから去っていく。いつでも遊びに来てくれと言っていたものの、再び顔を合わせるのはおそらく全国大会予選の時だろう。
「何鼻の下伸ばしちゃってるのよ」
舞がおれの顔を覗き込みながら口を尖らせる。
「そんなことねぇよ!」
おれは思わず否定するが、もしかしたら無意識のうちに消費税分くらいの邪な気持ちはあったのかも知れない。
今回の敗戦は、現在のおれたちの身の程を知るいい機会だったと解釈しよう。おれも勿論だが、他の四人も各々の課題を自分で見付けることが出来たはずだ。
「よう、中邨。いや、疫病神。久しぶりじゃねぇか」
後ろから聞こえてくる、聞き覚えのある男の声におれはゆっくり後ろを振り返ると、そこには見覚えのある男とその取り巻きの姿があった。おれは現実を知ったフットゴルフ部員たちのしょんぼりする姿に気を取られ、いつの間にか数人の男たちが背後から近付いていたことに全く気が付かなかったのだ。




