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プロローグ~中三の処暑、エスカレーターから転落する

「なぁ中邨。二学期からは選手としてではなく、マネージャー兼用具係として我がゴルフ部を支えて欲しいのだが、どうだろうか」

 夏の大会で予選落ちした瞬間から覚悟はできていたが、いざ顧問の口から聞くと、誰かにぎゅっと心臓を握られたかのような感覚に陥る。

「しかし今はこんな身体ですけど、高等部で身長さえ伸びてくれれば絶対にスコアは向上します。それに――」

「まぁ、あれだ。身体が大きくならなかったのは決して君のせいではない。運が悪かったんだ。だが、私としても他の部員にもチャンスを与えてあげたいし、ゴルフをよく知る君が部をマネージメントしてくれたら非常に助かるのだが……」

 顧問はおれの反論を遮ると、紫煙をくゆらせながらフォローにもならない言葉を投げ続ける。

 こんな筈では無かった

 小学六年生の時、学校見学を兼ねたトライアウトで君は未来のジャンボだトミーだと調子のいい言葉でこの顧問に見初められ、石神井大学付属学園中等部ゴルフ部にスポーツ特待生として迎え入れられたおれは、高等部卒業直後にプロデビューし、、日本人初かつ史上最年少でセント・アンドリュースを制する予定だったが、現実のおれは三年の中で最下位だ。

 入学当初のおれの平均ストローク数と現在のストローク数はほとんど変わっていない。つまり、同級生たちの体格と技術とストローク数が日に日に向上し続けている一方、肉体的に何の成長も無かったおれの部内でのランキングは相対的にじりじりと降下している状態た。

 一四七センチメートルという背の小ささもさることながら、理屈ではどんなに練習を積み重ねても、結果が伴わなければ何の意味も無いことは分かっている。自分がこうなったのは己の努力が足りなかったというのか。それとも、やり方そのものが間違っていたのか。

「ま、夏休み最後の一週間でよく考えて、新学期になったら結論を教えて欲しい」

 これが結果を残せなかったおれに突き付けられた現実。

 そもそも顧問が退部勧告ではなくマネージャー兼用具係のポストを作っておれにオファーを出したこと、そしておれに考える時間を与えたということは、この男はおれが自発的にゴルフ部を辞めることを期待しているのだろう。有無を言わさず配置転換をしたり、辞めさせようとしたりしようものなら、それがトラブルの種になりかねないからだ。

 おれはいくつかの汚い言葉を飲み込み、「色々とお気遣いありがとうございます。今後のことにつきましては夏休み明けに改めてお話しいたしますので」と、心にも無い形だけの挨拶を済ませ、ゴルフ部準備室を出る。

 グラウンドでは数多のゴルフ部員たちがケージに入り練習に勤しんでおり、更に向こうにある練習用グリーンでは五人の男たちがおれを指差し、ゲラゲラと大声を出して|嘲笑≪わら≫っているのが見える。その輪の中心にいるのは市川亮太。二年生の夏頃から、凋落するおれと入れ替わるように頭角を現し、今では中等部ゴルフ部のエースで、高等部への内部進学後、プロに交じってオープントーナメントに出場するのでは無いかという噂も出ている。

 目の前にゴルフの環境がありながらクラブを握ることすら許されない状況は、おれにとって生殺し以外何物でも無い。だったらいっそのことゴルフから離れてしまった方がいい。

 新学期が始まった九月二日。始業式が終わったその足でゴルフ部準備室に足を運び、退部届を顧問のデスクに叩き付けた時、彼奴は一切驚いたような表情を見せることなく、「分かった。マネージャーになって貰えないのは残念だけど、君の気持は尊重しよう」などと、おれに白々しい台詞を吐きながら、あっさりと退部届を受理する。

 自分に責任があるとはいえ、虫唾が走るし反吐も出るが、これでいい。

 このままゴルフ部に居座ったところで互いにとってメリットなど無いだろうし、決して安くない学費を出した両親は、同級生や後輩のためにゴルフボールを磨いたり、グラスキーピングをしたり、部員のパンツを洗う息子の姿など見たくも無いだろう。どこの世界に、こちらから金を払って下働きをするバカがいるのだ。だが、今思えばたかが十四歳のガキであるおれの見通しなど、完全に甘かったのだ。


「内部進学が難しいって、今更何言ってるんですか!」

 退部届を提出してから一週間後の放課後、ほとんど使われていない進路相談室でおれは担任に向かって思わず声を荒げる。

「まぁ落ち着け中邨。お前、この学校に入ってからの自分の成績は分かっているよな?」

 担任の言葉におれは前歯で下唇を噛む。内部進学率一〇〇パーセント、大学までエスカレーター式のこの学校で内部進学が出来ないなど、どういう言い草なのだ。

「とにかくだ。先生もできるだけ協力してやるから、なるべく早く志望校を考えておけよ」

 ここでいう『できるだけ』とは、言い換えれば、『お前だけで何とかしろ』ということだ。

「ちょっ、ちょっと待って下さいよ。おれより成績が悪い奴なんていくらだっているじゃないですか。それに、一学期の面談の時は大丈夫だって……」

 おれは椅子から立ち上がろうとする担任を呼び止める。

「一学期の時と状況が変わったんだよ。じゃあ、資料使いたかったらこの部屋好きに使っていいからな」

 担任は先程とは矛盾する言葉を吐きながら、足早に進路指導室を去って行く。

 独り進路指導室に取り残されたおれは呆然としながらゆっくりと椅子に腰掛ける。

『この学校に入ってからの自分の成績は分かっているよな?』と言っておきながら『一学期の時と状況が変わった』と言うことは、おれの退部が内部進学に影響を及ぼしたのだろう。確かにおれは入学金と授業料の一部が免除されるスポーツ特待生として下駄を履かせて貰い石神井大学付属学園中等部に入学した。近い将来プロとして活躍し、そこで出身校がクローズアップされることによって志願者数を増やすことが目的なのも分かっている。そしてこの学校はカネを生まないお払い箱になったこのおれを、こんな露骨な形で追い出そうとしているのか。

 おれは椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見つめながら大きなため息をつく。いずれにしろ、受験勉強を始めなければならないことは確定した。だが、今のおれの学力で合格できる高校が、実家の近くにあるのだろうか。


 二月二十九日|(土曜日)朝八時。石神井大学付属学園中等部の制服の上にダッフルコートを羽織ったおれは、ある目的のため西武新宿線と池袋線を乗り継ぎ、小手指駅南口に降り立つ。昨日とは打って変わり風も弱く、寒さはあまり感じない。

 おれは地図を頼りに、駅から十分程度歩いた場所にある目的地にたどり着く。

 入口には屋根付きの立派な門が備わっているが、グリルシャッターが降ろされているため、おれは右脇にある鉄扉に回り、インターホンのボタンを押す。

「はい」

 スピーカーから若い女性の声が聞こえてくる。

「ほ、本日、貴校の二次募集試験でお伺いにあがりました、石神井大学付属学園中等部の中邨雄一ですが」

「はい。お待ちしておりました。どうぞお上がり下さい。敷地に入られましたら、中央の黄色い建物の入口に案内がありますので、矢印に従ってお部屋までお進みください」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 頑丈そうな鉄の扉がゆっくり右へとスライドすると、おれは敷地の中へ足を踏み入れる。警備員の制服に身を纏ったおねえさんが軽く会釈をしてきたので、おれも軽く頭を下げる。

 高等部への内部進学の道を断たれ、頭を抱えたおれは、埼玉県立小手指総合高校の二次募集に最後の望みをかけて願書を送った。もし落ちたらおれは来年度から中卒無職となってしまう。

 おれは中央の黄色い建物の入口で軽く深呼吸すると、矢印に従い、試験会場である三階の階段教室に辿り着く。

 教室にはまだ誰もいないが、最前列の机二ケ所に受験番号と思しき『五〇一』『五〇二』と書かれた紙が貼られているのを目にしたおれは、自分の受験番号『五〇二』を確認すると、折り畳み式の椅子を引き出してそこに腰掛ける。受験者は二名か。窓の外に目をやると、穏やかな日差しが教室の中まで差し込み、数羽の鳥の影が緩やかな曲線を描いて机を過っている。

 数分後、おれは扉が開く音に気付く。おそらくもう一人の受験生が来たのだろう。扉のほうに視線を動かし、もう一人の姿を目にした瞬間、思わず椅子から滑り落ちそうになる。

 身長はおれよりも十センチほど高く、見覚えのあるセーラー服は、妹の七海が通っている所沢市立並木中学校の制服。そしてまだ少しあどけなさが残る、どこかで見たことがある顔――。

 間違い無い。髪型こそショートヘアからポニーテールに変わり、身長も少し伸びているが、松井小学校時代の同級生の五百旗頭舞だ。

 元々、おれの実家は航空公園駅駅前にある団地・駅前コートにあり、五百旗頭はその隣の所沢官舎に住むご近所同士だが、小学校卒業を機におれは石神井大学付属学園中等部の寮に移り、五百旗頭は地元の並木中に進学したためすっかり疎遠となり、約三年ぶりの再会となる。

「い、五百旗頭なのか……」

 おれの問いに五百旗頭は無言のままこくこくとうなずく。

 五百旗頭はおれの右隣の席につき、今日の予定が書き込まれた前方のホワイトボードを見つめている。おれたちはそれを見つめたまま、互いに目を合わせること無く会話を続ける。

「久しぶりだな」

「うん……」

「いや、その……進路、決まってなかったのか?」

「ううん。そうじゃなくて、ちょっと考えが変わって……」

「考え?」

「うん。単願推薦で春日部の陵桜に行くのが決まってたんだけど、ここでもやりたいことはできるかなって思って。それよりどうして受験なんかしてるの? 大学までエスカレーターで行けるんじゃなかったの?」

 核心を突く五百旗頭の問いに、おれは一瞬答えが詰まる。部内での争いに負けてドロップアウトし、エスカレーターから転がり落ちたなんて言ったら、五百旗頭はどんな顔をするだろう。馬鹿にするだろうか。蔑むだろうか。それとも嘲り笑うだろうか。

「ええっと、そうだな。男子校に嫌気がさして、カワイイ女囲ってハーレム作って、ちゅっちゅしたりここでは言えないようなエロいことをするためだ」

「最っ低ーっ……」

 五百旗頭の口から予想通りの言葉が返って来る。しかし、五百旗頭は話を続ける。

「でも嘘。トンちゃんはそんなこと出来ないでしょ」

 五百旗頭はおれを小学校時代のニックネームで呼ぶ。小学校五年の春、国家公務員の父親の仕事の都合で名古屋から転校してきた五百旗頭がおれの『中邨』という姓を『ナカトン』と誤読したのがその由来だ。『トンちゃん』などと呼ばれたのはおそらく三年ぶりだろうか。

「それは……」

「嘘。小学校の時、ワタシを通さないと女の子と話すことも出来なかったくせに」

「そんなこと無ぇよ。たとえ男子校出身でも、おれの内なるリビドーは……」

 おれが次の言葉を言いかけたところで、試験官と思しき教師が教室の中に入ってくる。おれは言葉を飲み込むと、試験官に向かって座ったまま軽く一礼する。今日の試験の出来如何によって、来年度以降のおれの未来が決まる。

 筆記試験は八時五十分から五教科各五十分で執り行われる。広くて天井の高い階段教室に、おれと五百旗頭が鉛筆で回答を記入するコツコツという音が響き渡る。

 絶対に合格するんだ。絶対に。

 おれは自分の脳をフル回転させ、全身全霊の力を込めて問題に立ち向かう。

 午後一時四十分に筆記試験が終わると、息をつく間も無く午後二時から隣の部屋で面接に入る。順番は受験番号通り五百旗頭が先でおれが後となり、それまでは廊下に置かれたパイプ椅子に腰掛け、自分の名前が呼ばれるまで待機することとなる。

 午後二時過ぎ。先に名前を呼ばれた五百旗頭が部屋の中に消える。

 緊張していないと言えば嘘になる。何か答えに詰まるような質問をされたらどうしようという気持ちと、出たとこ勝負で訊かれたことにちゃんと答えればなるようになるさと言う相反する気持ちが頭の中を交錯している。

 二時三十五分。室内に向かってお辞儀をしながらようやく五百旗頭が部屋から出てくる。扉を閉め、流れるように椅子の上に置いた荷物とコートを回収し、おれを一瞥すると、一言「頑張ってね。援護射撃したから」とだけ言ってそのまま廊下の向こうに消えて行ってしまった。

 何だよ。『援護射撃』って……。

 三分後。五百旗頭の言葉の意味がわからないまま、名前を呼ばれたおれは、おそるおそる部屋の中に入るや否や、就職活動中の女子大生が着るような黒いスーツに身を纏った、まだ新人と思しき若い女性教師が面接官であることに驚く。

「石神井大学付属学園中等部より参りました中邨雄一です。本日は宜しくお願い致します」

 おれは用意された椅子の横で深々と頭を下げる。

「ど、ど、どうぞ、おっ、お座り……じゃなかった、お掛けくださいっ! わ、私は本日の面接を担当します、孕石珠子といいます。こちらこそよろしくお願いします」

 あれっ? もしかしてこの人も緊張しているのか?

 おれは顔を真っ赤にしている孕石先生の姿に少し安堵すると、ゆっくりと椅子に腰掛ける。

「ごっ、午前中の筆記試験はい……かがでしたか?」

「はい。今自分が出来るベストを尽くして問題に取り組みました」

「では、この学校を志望された理由は……」

 いきなり核心に迫った質問をして来たか。本音を言ってしまえば、石神井大学付属学園から肩を叩かれ、やむにやまれず仕方無く――が本音だが、建前としておれはこう答える。

「石神井大学付属学園中等部でも多くの友人に囲まれ、充実した生活を送っていましたが、心機一転、新しい環境に身を置いて研鑚を積むべく、今回、入学を希望するに至りました」

 こんな出まかせがよく言えたものだと我ながら驚きを通り越して感心すらしてしまう。

 おれが小手指総合高校を志願した本当の理由。それは、偶然テレビのニュースで目にした、開校以来共学校であるのも関わらず、特殊なカリキュラムと部活動の存在故、男子生徒の新入生が一人もいない埼玉県立小手指総合高校が、二次募集直前に県下の中学校回りをして中学三年生男子に声をかけるという映像を見て、ここなら多少成績が悪くても、男子生徒であるという理由で受け入れてくれるだろうと読んだからだ。

 他にもおれはいくつかの質問に答えると、孕石先生は資料と思しき書類を裏返し、おれの目を真っ直ぐ見つめてくる。

 おれは緊張の糸を緩めることなく生唾をゴクリと飲み込む。

「そう言えば、五百旗頭さんが言ってましたよ。雄一君は孤立しがちな性格だから、良く知っている自分が色々助けてあげたいって」

 その言葉を聞いたおれの顔は一瞬にして熱くなる。別に五百旗頭の言葉に照れたのでは無い。むしろ五百旗頭が余計なことを口走ったために、最初の質問の『多くの友人に囲まれ、充実した生活を送っていました』という建前が台無しになってしまったからだ。

 援護射撃どころか、誤爆もいいところだ。

 終わった。

 しかし、最後に孕石先生はおれに意外な質問をぶつけてきた。

「雄一君はいいお友達を持ちましたね。この埼玉県立小手指総合高等学校は共学校ですが、開校以来男子生徒の新入生が現れず、実質的には女子生徒しかいません。その中で、雄一君は皆さんと仲良くやっていく自信はありますか?」

 孕石先生はおれの目を真っ直ぐ見つめながらおれに問う。

 正直ベースで言ってしまえばこの学校でやっていく自信は無い。しかし、おれの目的は高校卒業の資格を得ることで、正直な気持ちを吐露して相手に不安を与えることでは無い。

 おれは顔を上げ、胸を張り、根拠の無い自信とともに笑みを浮かべながらこう答える。

「大丈夫です。たとえこれから何か問題が起きたとしても、それを乗り越えて見せます」

 数秒の沈黙が走る。時計の秒針の音だけが、室内に響き渡っている。僅か数秒の時間が、永遠にも思えてきたその時、孕石先生の顔が一気に破顔する。

「ありがとう。今の言葉を聞いて安心しました。それでは、四月にゆう君と会えるのを楽しみにしていますね。本日はどうもありがとうございました」

『会えるのを楽しみにしていますね』とは、言葉通りであれば合格を意味するのかも知れないが、志望理由の嘘がバレてしまったし、筆記試験の結果如何によっては不合格という結果もあり得るだろう。そもそもあの若い女教師に、合否の全権が委ねられているとは到底思えない。


 不安と希望……いや、願望が交錯する中、卒業式の前日に段ボールが積み重なっている寮の自分の部屋で電子郵便の封を切り、『合格』の文字を目にした瞬間、ようやくこれで四月を迎えることが出来ると安堵し、全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

 おそらく、二度と市川亮太以下、その取り巻きを含むゴルフ部員に会うことは無いだろう。

 おれは、自分の目頭が熱くなるのを感じながら、段ボールに荷物を詰め込み始める。目頭が熱くなった理由には敢えて、目を瞑ることにした。

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