第4章「日常・天光神社にて」
目を覚ますとそこは見慣れない天井だった。
年季が入っているのか木の色が濃い。
質素な部屋だが隅々まで綺麗に整頓されていて、塵一つ見えない。
僕は布団から上半身を出して伸びをする。
枕元の目覚まし時計は午前6時を指していた。
かなり遅くに寝たのでかなり眠いが起きなければならない。
僕は窓の隙間から差す光の眩しさに目を細めて部屋を出た。
ここは天光神社の一室だ。
僕の命を救ってくれた巫女――姫禊祀の好意に甘んじてここに居候させて貰っている僕の朝は早い。
もっとも彼女達の方が遥かに起床する時間は早いが。
僕は持ってきた風呂敷の中から服を取り出し寝巻から着替える。
薄地の黒い着物と黒いレザーパンツと黒いロングコート。
黒づくめだが一番似合う色だとか言われて母親がこれ系しか買ってこないのだった。
息子に対して黒が一番似合うって言うのは失礼ではないだろうか。
まぁ事実な訳だけど。
近いうちに服屋でもうちょっとカラフルなものを買わないと。
僕は袖を通して部屋から出る。
長い廊下を歩いて曲がって歩いたりしていると祀の声が聞こえた。
何を言っているのかわからないが祈祷しているらしい。
声を頼りに歩いていると本殿の前に到着した。
古めかしい扉に力を入れて開ける。
真っ先に感じたのは身の引き締まる感覚。
厳粛という言葉が相応しいかもしれない。
中は薄暗く、少しだけ温度が低く感じる。
奥には所々金箔で装飾された弊殿があってその上に小さな丸い鏡が飾ってある。
どうやらあれがご神体らしい。
その傍らには酒があり、横にそれぞれ一本ずつ矛が立っている。
イザナキとイザナミが国を作るときに使ったという訳で重要視されているようだ。
そして弊殿の前。
予想通り、そこに祀が居た。
なんだか集中しているようだったので、声を掛けようか、どうしようかと迷っていると何かを唱えていた禊がそれをやめてこちらに目を向けた。
「おはようございます、夜行さん。よく眠れましたか?」
「ああ、うん。おかげさまで」
「なら良かったです。あと、ここに入るのは良いですがその際はノックしてください」
「おっとごめん、そういえば僕ってこれからどんな事をすれば良いの?」
「そうですね……取り敢えず簡単な家事をしてくれれば。掃除とか」
「掃除か。わかったよ」
「お願いします。掃除用具はそこの突き当りにあります。あと8時から朝食なので」
そうして僕は本殿から出た。
言われた場所に行くと確かに箒と塵取りと雑巾があった。
そこまでいって僕は思い至る。
もしかしてこの神社の全域を掃除するのだろうか。
僕は視線だけを禊に向けた。
ちゃんと気付いてくれた彼女も僕に目で返事する。
『当たり前』。
居候を提案したのはこういう理由だったのだろうか。
僕の背筋を冷たいものが流れる。
再び彼女に視線を向ける。
今度は気付かなかったのか無視したのかこちらに顔を向けなかった。
やるしかない。
僕は嘆息するとまずは雑巾掛けを開始した。
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「こんな感じかな?」
僕は汗を拭って床を見る。
綺麗に磨き上げられたそれは鏡の如く風景を写している。
まだ一直線しか終わっていないのだが。
これで1時間。
毎日やるとなると結構きついだろう。
嘆息した。
とはいえタダで住まわして貰っているのだからこれくらいの労働は当り前か。
それでも少し前まで引きこもりだった僕には重労働だった。
僕は水に浸した雑巾を絞って再び掃除を開始する。
ただ無心で雑巾を掛ける。
まともにやってたらこっちの身がもたない。
そうしていると突然僕の頭になにか硬いものが当たった。
「痛っ!?」
「に゛ゃっ!?」
変な声が聞こえた。
僕は涙目になりながら前を見る。
そこに居たのは同じように涙目で僕を見上げる猫耳の少女。
「あの時の猫耳娘……?」
「そういうアナタは誰にゃ?」
語尾まで猫……! 僕は戦慄した。
「ええと……僕は焔魂夜行。今日からここに居候する事になったんだ。そういう君は?」
「私の名前は守社阿形にゃ。こう見えてもここの神社の狛犬やってるにゃ」
「狛犬って……猫なのに?」
「狛犬は獅子にゃ」
ちょっとした雑学を知った。
という事はもう一人の犬耳の娘は吽形だろうか。
「ところで、あの時とは何にゃ?」
そうして首を傾げる阿形。
どうやらあの時の記憶が無いようだ。
「いや、こっちの勘違い。何でもないよ」
「そうかにゃ。んじゃこっちも私がやっておくにゃー」
「こっちも?」
「ここ以外全部掃除終わってるにゃ」
なんだって。
「いつから掃除をしてるの?」
「よく覚えてないけど……多分30分も経ってないにゃ」
僕は唖然とした。
あまりにも早すぎるだろう。
「一応相方の吽形にも手伝って貰ったけどにゃ」
やっぱり。
すると廊下の奥から誰かがやってきた。
犬耳が特徴的な娘。
どうやら吽形らしい。
ほんわかとした顔とのほほんとした雰囲気。
小型犬っぽい感じ。
悪く言えばアホの子だろうか。
「こっちは終わったわん。ところでその黒いお兄さんは誰わん?」
「この人はヒノタマヤコーさんにゃ」
微妙に違う。
売れない芸名みたいだ。
「初めまして。今日からここの居候になった焔魂夜行です」
「わんわん、私は守社吽形だわん」
どうやら彼女にも記憶がないようだ。
残ったらそれはそれで面倒だが。
「そういえば二人とも狛犬だっけ? じゃあ門番みたいな仕事してるの?」
「雑用だったり受付だったり色々にゃ。大体暇だけど」
仕事は一応こなしているらしい。
対する僕といえば掃除もこんなに手間掛かるのだった。
凹む。
「んじゃ、そろそろ私達は掃除の続きをさせてもらうにゃ」
それだけ言うと二人は猛スピードで廊下を疾走していった。
ああ、あっちはもうやったのに。
一人残された僕は雑巾を握りしめて遠ざかる二人の背中を暫く眺めた。
どうしたものか。
ふと携帯電話で時間を確かめると午前7時50分を表示していた。
鼻を動かす。
良い匂いが漂ってきた。
僕は取り敢えず雑巾を元の場所に戻し、手を洗って勘を頼り、居住スペースに向かった。
引き戸を開けるとそこは至って普通のリビングだった。
一般家庭のリビングよりも一回り大きいテレビもエアコンもデスクトップパソコンもある。
床には畳が敷かれていて座布団が幾つか敷いてある。
見回すと台所で祀がせわしなく動いていた。
「御苦労様です。今すぐ用意するので待っててください」
「もしかして一人で作ったの?」
「ええ。そこまで面倒じゃありませんし」
いや、明らかにすごいだろ。
焼き鮭に豆腐の味噌汁、卵焼き……確かに僕でも作れるがさっきまで本殿に居たのにいつの間に調理していたのだろうか。
この神社謎すぎる。
そうして間も無く料理がテーブルの上に並べられ、丁度良く阿形と吽形がやってきた。
「にゃー美味しそう……」
「お腹ペコペコだわん」
「お待たせしました。それではいただきます」
僕も3人と一緒に手を合わせた。
どうやら彼女達しかこの神社には居ないようだ。
複雑な事情があるらしく僕は黙ってご飯を食べる。
素朴な味ながらかなり美味しい。
箸がなかなか止まらない。
あの洋食店も中々だったがこちらもかなり旨い。
あっという間に僕は完食した。
「ご馳走様。かなり美味しかったよ」
「それは良かったです」
小さく微笑む祀。
阿形と吽形も満足そうだ。
「ところで夜行さんは今まで学校に通っていたんですか?」
箸を置き、突然祀がそんな事を切り出した。
学校か……
「一応通ってたけど最近は不登校気味だったな。一応勉強は平均並に出来るつもりだけど」
そう言うと祀は暫く思案顔になった。
「良かったら私たちの通っている学校に来ませんか? テストに合格すれば途中からでも入学できますし」
そう言われて僕は考えてみる。
学校に行くか……
悪い話ではないかもしれない。
この街なら『僕』みたいな存在でも受け入れてくれるだろう。
「入ってみようかな」
という訳で僕の学園生活が始まった。