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妖魔夢想  作者: 四畳半
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第3章「闇を灼く光」

 風が吹き、木々がざわめく。

 しかしすぐにその音は幽暗に包まれた境内に沈んでしまい、静寂が周囲を支配する。

 冥漠とした視界の中で朧ながら見える少女達の姿。

 誰も動こうとしない。

 まるで時が止まっているかのように錯覚させる。

 もしかしたらその通りかもしれない、と思うが僕は動こうとしない。

 隠然たる力でここは支配されている。

 一歩でも動こうものなら即座に心臓を止められるような、そんなピリピリとした空間。

 一触即発で、剣呑な空気。

 まるで自分の周囲に地雷が埋められているような危うさ。

 許されるのは思考と呼吸のみ。

 巫女と二人の敵が対峙する空間で僕は少しも動けなかった。

 僕はすぐさっきの事を思い出す。

 あの時、僕の身体を槍が貫き、斧が叩き斬る筈だった。

 しかし我に帰ると何時の間にか舞を踊っていた巫女が僕と2人を阻むようにして立っていたのだ。 

 彼女の手には何も握られていない。

 しかしその細い腰にはさかきで作られた棒の先に紙垂しでがくっついた修 祓の際に使用する道具――大幣おおぬさが差してある。

 だが、その長さは一般的に見られるようなものとは違って、かなり長い。

 2メートル近くあるかもしれない。

 にもかかわらずバランスを崩さず、綺麗に差してあるのが不思議だった。

 まるで刀を差しているかのよう。

 僕は巫女の顔を見詰める。

 やはりどこを見ているのかわからない目。

 何を考えているんだろうか。

 そもそもどうして彼女がここに居るんだ。

 そうして何故僕を助けるような事を。

 僕の頭にいくつも疑問が浮かぶ。

 やはり彼女は何も答えなかった。

 しかし。

「――下がっていてください」

「え? あ、はい」

 僕を守ってくれているであろう巫女がそう言った。

 揺るぎない声。

 どこまでも透き通るような声だ。

 芯があって迷いがない。

 余程の自信があるようだ。

 それはなによりも僕を安心させる。

 強力な兵器を持ち出しても、使用する人間に自信が表れていなければそれは人に安心を与えない。

 きっと彼女は僕を窮地から救ってくれるだろう。

 ならば僕は情けない事この上無いが彼女の命令に従うしかない。

 それが一番の良策だ。

 この僕にできる事は何もない。

 ならばせめて彼女の足を引っ張ることはしない。

 しかし下がるといってもどこまで移動すれば良いのだろうか。

 一応後ろにも斧を持った犬耳っ娘がいるわけだし。

 困った視線を彼女に向けるが気付いていないのか、はたまた無視しているのかわからないが反応してくれない。

 自分でどうにかするしかないという事か。

 僕は一応最低限の武器として足元の小石を拾う。

 ピンポン球サイズのもの。

 しかし神社や寺など、神聖なものの領域内に存在する物は大なり小なり霊力を帯びる。勿論大したものにはならない。

 が、牽制程度にはなってくれるだろう。

 僕はごくりと唾を飲む。

 彼女が何者かは知らないが今は頼るより他無い。

 僕は彼女の背中を見詰める。

 僕より小柄ながらどこか力強く感じた。

 そうして巫女が唇を動かす。

 何かを紡いでいるらしい。

 近くに居て、なんとなく日本語だというのはわかるが意味は少しもわからない。

 一種のお経みたいなものだろうか。

 彼女の姿はまるで祈祷しているかのよう。

 そうして僕は息を飲む。

 空間が全く別のものに変わっていくのが本能的にわかる。

 僕の心中のもやもやとした不安が取り除かれていく。

 震える草木は静止し、暗影がだんだんと晴れていく。

 異変が『元に戻る』。

 僕は思わず感嘆した。

 何が起きたのかわからないが良い方へと向かっているのだろう。

 ならばこの2人の状態も普通になる筈。

 その時巫女を警戒していた二人の身体が突然ビクリと震えた。

 それは明らかに異常。

 身体が強ばっているようだ。

 そして硬直し、うつ伏せに倒れる。

 僕は暫く何もできなかった。

 何も言えない。

 ちゃんと呼吸しているので生きているのは間違いない。

 すると僕の前に居る謎の巫女が僕に制止のジェスチャーを向ける。

 動くな、という事か。

 それで我に返った僕は巫女に尋ねる。

 これは彼女が起こしたに違いない。

「一体何が……?」

「静かに。今本当の敵が現れます」

 本当の敵だって?

 それはどういう事だ、と尋ねる前にそれは僕達の目の前に現れた。

 二人の背中から黒い煙のようなものが立つ。

 気体に近いのか空気に溶けているらしく滲んで見える。

 それが現れた瞬間に再び空間が気味悪く変化していく。

 風景が変わるのではない。

 ただ『空気』のようなものが変質していくのだ。

 違いの一切ない異世界にやってきてしまったような。

 彼女の舞とは違うベクトルで異質。

 それはこちらに不快感しか与えない。

 辺り一帯に広がる非常識。

 それはゆっくりと伝播していく。

 全てを侵食し、飲み込んでいくそれは悪夢のようだった。

 僕がそれを見て感じたのは恐怖ではない。

 困惑だ。

 どうすればいいのか。

 簡単な問いだが僕は答えられない。

 この現代に於いてあらゆる謎は解明された。

 魔術も超能力も技術と体質でしかない。

 妖怪や神だってただの種族にしかすぎない。

 だけど僕は知識でしかそれを知らない。

 実際にこんな状況に置かれたのは初めてだ。

 故に僕はわからない。

 そして二人の身体から出たそれは意思を持っているかのように蠢く。

 黒い煙のようなものが不規則にのたうちまわっている。

 やがてそれは未完成の月の真下で収束し、ひとつの意味あるモノを作り上げた。

 それは信じられないものだった。

 黒い煙から生まれるとは思えないものだった。

 2本の腕。

 2本の足。

 のっぺらぼうの頭。

 青白い月光を鈍く反射している部分だけがそこに『それ』が居るという事を理解させる。

『それ』は沈黙と黒い瘴気を吐き出すだけだった。

 全長4メートルはありそうな巨人。

 黒い、影の巨人だった。

 それは口も目もない顔をこちらに向けた――ような気がした。

「やはりこれが二人を操っていたのですか」

 巫女は吐き捨てるように言った。

 ここにはいない『誰か』を蔑むように。

 関係ないこちらが震えそうになる、刺々しく、批判的な声だ。

 その顔は涼しそうだが、何故だか般若の面を思い出した。

 あと、顔の陰影が妙に濃い。

 かなり怖い。

 その話しぶりから僕を襲った2人が彼女の知り合いだという事を理解する。

 やはり彼女達は操られていたようだ。

 ちょっと安心する。

 見ず知らずの人に襲われるほど僕ってダメ人間だったのか……と思っていたからだ。

 なら僕はまだそこまで終わっていないと考えて言い訳か。

 巨人の取った行動は至ってシンプルだった。

 手に当たる部分を握り、彼女に向かって襲い掛かったのだ。

 つまりグーパンチ。

 人間でもかなりのダメージがあるのにこんな大きさの巨人が放てばどうなるか。

 小さな子どもでもわかるだろう。

 とても単純な答えだ。

 空気を裂く音が聞こえる。

 それは最早爆音と言っても間違いない。

 攻撃を掠めてすらいない僕でさえ僅かながらも衝撃を感じたのだ。

 それを直接浴びた場合はどうなるのか。

 そんなの決まっている。

 巨人の拳。

 それはまるで巨大な鉄槌だ。

 速さと威力を兼ね備えた必殺とも言えるもの。

 命中したら彼女の華奢な身体はひとたまりも無いだろう。

 おそらく即死は免れない。

 運が良くても瀕死の重症だろう。

 どっちにしろこのままでは彼女は死ぬ。

 その事実を突きつけられた僕は一瞬頭の中が真っ白になった。

 思わず危ない、と言いかける。

 しかし緊張で足が竦み、動けない。

 そして僕にはあの拳を止める術が無い。

 そんな力は無い。

 巨人の拳が届くまであと一瞬。

 彼女はまだ拳の軌道線上に無防備で立っている。

 くそ、動け……せめて彼女の盾に……!

 地面に貼りついてしまったこのように思えた足がほんの数センチ浮く。

 だけどそれで十分だった。

 僕は自分の身体に命令して最悪の事態を回避させようとする。

 間に合うか!?

 そうして僕は一歩を踏み出し、飛び出しかけて、


「下がっていてください、と言った筈ですよ?」


 彼女が確かにそう言った。

 僕の身体が見えない力によって制止させられる。

 一瞬身動きできなくなった僕は彼女の顔を見る。

 彼女はこちらに顔を向けていない。

 しかしその顔に恐怖はない。

 ただその目は巨人の拳の挙動一つ一つを捉えていた。

 僅かな自信の表情。

 もしかしたら。

 彼女は簡単にこのバケモノを倒すのではないか。

 なんとなくだけど。

 確信した。

 巫女がスカートのポケットに手を突っ込む。

 そこから取り出されたのは数枚の符。

 彼女はそれを顔に近づけると何かを唱えた。

 すると符が赤く光る。

 僕は思わず目を見開いた。

 次の瞬間起きたのは光焔の一閃。

 緋色の爆発が起き、赫灼かくしゃくと燃え上がる。

 僅かな爆風と焼けるような熱を感じる。

 それは炎で作られた剣だった。

 その炎の剣は空気中の酸素を飲み込み、更に一層燃え盛って、僕はあまりの眩耀げんように目を細める。

 桜の花びらの如く、火の粉が燦爛さんらんと舞う。

 それはあの舞以上に幻想的に映った。

 炎は漆桶しっつうな境内を朱色に染める。

 それは黒闇こくあんを切り裂いていく。

 その結果は簡単だった。

 彼女に触れるか触れないかの瀬戸際でそれは起きた。

 巨人の右手の落下。

 それは断面を僅かに焦がし、ゆっくりと落下する。

 ゴムが焼けるような異臭がした。

 呆気なくゴロンと落ちたそれは即座に空気に消える。

 跡形も無い。

 僅かに遅れて巨人の腕の断面から出血の如く大量の煙が噴き出た。

 巨人はバランスを崩して前に倒れる。

 地面が僅かに揺れた。

 一体何が起きたんだ。

 この目で見たことが未だに信じられない。

 それ程彼女が行ったのは人間離れしていた。

 僕は唖然とする。

 しかし巨人は片腕を無くしたのにも拘わらず、ゆっくりと立ち上がった。

 そうして再び僕達の前に立ち塞がる。

 心なしか先ほどよりも大きく見えた。

 それはまたしも残った左腕で拳を握る。

 あんな状態で繰り出す気なのか。

 普通なら大した攻撃にはならないだろう。

 だが、奴は(多分)生物ではない。

 重心とか無視して攻撃できるのだろう。

 そうに違いない。

 そうして僕は後退る。

 やはり巫女は巨人の前から逃げない。

 寧ろ彼女が巨人の前に立ち塞がっていた。

 巨人は身体の闇を一層濃くする。

 そうして残った左腕で攻撃を繰り出した。

 威力はさっきと同じか僅かに落ちているか。

 それでも巫女は動揺しない。

 まるで全てを見通しているかのように。

 ただ目を細めた。

 そして彼女は腰に手を伸ばして大幣(おおぬさ)を抜く。

 あんな長さもあると抜けにくい筈なのに彼女はいとも容易くそれを抜き放つ。

 そして彼女はそれを天に向けた。

「邪悪を滅し、(まこと)を見出すは光」

 その言葉を滑らかに紡ぐ彼女の左手に握られた札。

 そこに書かれた達筆過ぎて良くわからない文言が赤色に淡く光る。

 さっきと同じ現象。

 しかし今回のものは違った。

 それは意思を持っているこのように彼女の手から飛び出し、影の巨人を囲む。

 中の巨人はもぞもぞと抵抗するがどうにもならない。

「今から結界を作って浄化を開始します。何もしないでくださいね」

 そんな事を言われたら黙って頷くしかない。

 札から発せられる光量が強くなる。

 昼間の太陽の如きそれを直視するのは不可能。

 僕は腕で目を庇う。

 それほどの眩しさだ。

 結界が見えないように彼女へ目を向ける。

 右手に握っている大幣を掲げているらしい。

 そして大幣の先からオレンジ色の炎が噴き出る。

 それを彼女は躊躇無(ちゅうちょな)く結界に突き刺す。

 その結果はとてつもなく、凄まじいもので、

 思わず失神しそうになった。

 一瞬この辺り一帯が昼間のように明るくなり、そして結界の中が爆発した。

 それは壮絶な熱波と衝撃を僕達の方にもまき散らす。

 耳をつんざく程の爆音によって耳鳴りがした。

 何かが焼け焦げたような臭いが僕の鼻腔を刺激する。

 僕は吹き飛ばされそうになったが原因の巫女さんは涼しい顔をしていた。

 神経が太いのかはたまた慣れなのか。

 結論から言うと人間離れしているというか普通じゃない。

 そうして炎も収まって来たので僕は恐る恐る目を向ける。

 そこには何もなかった。

 跡形もなく、

 あまりにもあっさりと。

 いや、あったらあったで怖いけど。

 とはいえここまで消えてしまうものなのか。

 ガス体みたいで攻撃時には実体があったようにも感じたし実際はどうなのだろうかと思うが答えはわからない。

 僕はうつ伏せに倒れている二人の獣耳少女に目を向けた。

 両者とも気持ち良さそうにすやすや寝ている。

 やはりあの影に操られていただけだったようだ。

 僕は安堵(あんど)の溜息を吐く。

 彼らと人間との争いが過激だった昔ならともかく、この現代において人間に襲いかかるような妖怪達の数はかなり少ない。

 考えてみればおかしい話だったのだ。

 この黒幕は誰なのかわからないが今は命拾いした事に感謝するべきだろう。

「ありがとう、助かったよ」

 素直に礼を言う僕に対してやっと巫女がこちらを見た。

「感謝される程の事ではないですよ。本殿で御神体の掃除をしていたから気付いただけですし」

 そう言って彼女は僕の顔を見詰めた。

 僕は思わずたじろぐ。

 というかこういう状況で同様しない方がおかしい。

 男でそうならなかったらきっとそいつは同性愛者だ。

 彼女は僕の目をじーっと見る。

「そういえば私が舞を踊っている時に見ていましたよね?」

「……気付いてくれてたんだ」

 僕はちょっとホロリときた。

 というかあそこまでネガティブになっていた自分が恥ずかしい。

 それよりも何故貴方がここに? と彼女はこちらに尋ねた。

 僕は苦い顔をして言い淀む。

 しかし彼女の目はこちらを見通しているかのようで嘘は無駄だと判断する。

 正直に言おう。

 

「……つまりこういう事なんだ」

「なるほど。確かに仕方ないと言えば仕方ありませんね」

 巫女さんはうんうん、と納得したように頷く。

 理解のある人で助かった。

 まるで聖母の如く慈愛に溢れた方だ。

 僕は思わずジーンとくる。

 そうして(しばら)く思考していた彼女はこちらにある事を提案してきた。

「それなら野宿なんかせずにこちらの神社に暫くの間住むというのはどうですか?」

「えっ、良いの!?」

 最早問題発言級の提案ではないだろうか。

 僕は感動を通り越して戦慄する。

「ええ。この神社、大きい割に勤務している神職さんが居ないんですよ」

 まぁ、それ相応の手伝いはして貰いますが、と付け加える。

 僕は感激の涙を流しそうになった。

 ここまで他人に優しくされたのは初めてかもしれない。

「喜んで……!」

 神社生まれってすごいな……その時初めてそう思った。


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